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唯『つむぎちゃーん』
紬『ゆいちゅーん』
唯『私に言わなきゃいけないことあるよね』
紬『……どうしてばれたの』
唯『りっちゃんが楽しそうに教えてくれました』
紬『だけど、そうめんを頼んだのは私じゃないの』
唯『そうめん? 紬ちゃん、そうめん食べたの?』
紬『た、たべてな……食べました』
唯『わたくしのゆでたそうめんはいらないと?』
紬『違うの、りっちゃんが勝手に頼んじゃったの。今日からメニューに増えてるからって』
唯『まあいいや。私のごちそうするやつのほうがおいしいって言わせてやるもんね』
唯『それはさておき、私の部屋で1時間強なにやってたのかなあ』
唯『出るときもずいぶんコソコソしてたそうじゃないですか』
紬『……唯ちゃん、これはりっちゃんにも憂ちゃんにも、他のだーれにも内緒よ』
唯『ん、ん。誰にも言わないよ』
紬『実はね……唯ちゃんの部屋の床下には、埋蔵金が眠っているといわれているの』
唯『紬ちゃんってどうしてそう作り話が下手なの?』
紬『素直なのよ』
唯『問いただされて作り話を語りだす人を大学では素直って呼ぶの?』
紬『うん』
唯『怒るよ』
紬『ごめんなさい。勝手に部屋に入ってごめんね、少し掃除しようと思って』
唯『出るときにコソコソしてたらしいけど?』
紬『うーん……正直に言ったら怒らない?』
唯『まあ、よっぽどひどいことしてたら分からないけど』
紬『実は……唯ちゃんのお洋服、2日ぶんくらい借りちゃったの』
唯『え? どうしてそんなことしたの?』
紬『たんすを見てたら、すごく可愛いお洋服を見つけちゃって』
紬『唯ちゃんが着てるところ見たくって、明日持っていこうと思ってたの』
唯『……ほんとに?』
紬『嘘はついてないわ』
唯『なら、じゃあ、それでもいいかな』
紬『そういえば、私が部屋に入ったらイヤ? それだったらやめるけど』
唯『ううん、むしろ嬉しいよ』
紬『わかった。これからも綺麗にしておくね。明日も早いから、そろそろおやすみ』
唯『おっけー。じゃあね』
唯『むしろ嬉しいって意味わかんないね、なんていうか、ありがとうだよ、ほんと』
――――
翌朝5時に起き出して、私はシャワーを浴び、
慎重に服を選ぶとスーツケースを持ち上げて静かに運び出した。
コンビニで飲み物とおにぎりとコンドームを買っていき、コンドームはいらなかったので捨てる。
おにぎりを食べてから電車に乗り、唯ちゃんの家の最寄り駅で、コインロッカーにスーツケースを置いた。
憂ちゃんにこの大きなスーツケースを見られたら、言い訳に困る。
結局ゆっくり歩いていたら、唯ちゃんのお家についたのは、いつも通りの7時を過ぎた時間帯だった。
憂「おはようございます、紬さん」
唯「いらっしゃーい」
唯ちゃんは既に起きていて、私を出迎えてくれた。
紬「おはよう。今日もお邪魔しちゃうね」
いつものようにソファに座らせてもらい、朝の
ニュースを見ながら平沢家朝の風景を眺める。
憂「紬さん、お弁当につくったおかず、すこし余っちゃったので、よければどうですか?」
唯ちゃんが着替えを持ち、シャワーを浴びにいったところで憂ちゃんが私を呼んだ。
紬「うーん、あとで唯ちゃんと食べようかな。今朝も食べてきちゃって」
憂「そうですか。……あの、少しお聞きしてもいいですか?」
紬「唯ちゃんのこと?」
憂「はい」
私は立ち上がって、台所に入らせてもらった。
憂「紬さんは本当に、お姉ちゃんのこと好きなんですよね?」
紬「疑われても困るわ。こういうこと初めてだし」
お箸を借りて、玉子焼きの端切れを食べる。
ふわふわしていておいしい。
紬「でも、とても特別な気持ちだっていうのは分かる。唯ちゃん以外には感じたことがないわ」
憂「そうですか……」
紬「愛のあり方に迷った、とかそんな相談は、されても私じゃ答えられないわよ」
憂「わかってます。ただ気になって」
紬「何かしら?」
憂ちゃんは湯気を出すお弁当箱に、そのまま蓋をはめた。
憂「紬さんは、お姉ちゃんに告白するつもりはありますか?」
紬「それは、おねえちゃんをとらないで、と」
憂「ちがいます。むしろ、お姉ちゃんは紬さんにあげます」
私はちょっと身構えたくなった。
焼き目のついたウインナーを口に入れる。
紬「……告白はするつもりよ」
憂「それはいつ、ですか?」
紬「唯ちゃんへの気持ちが、とまらなくなったとき」
憂「……お姉ちゃんに記憶がなくてもですか」
紬「唯ちゃんの記憶のあるなしは、私が唯ちゃんを好きな部分に関係のないことだもの」
紬「私は唯ちゃんと過ごした日々じゃなくて、唯ちゃんを愛してるから」
憂「……」
巾着袋をぎゅっと締めて、憂ちゃんは頷いた。
憂「きっと、それが違いなんでしょう」
憂「私は……お姉ちゃんとの思い出が、多すぎました」
紬「……憂ちゃん?」
熱いままのフライパンが、こぼれ落ちた憂ちゃんの涙を激しく溶かした。
憂ちゃんはお弁当をつかみ、駆け出すようにして台所の入り口で振り返る。
憂「もしお姉ちゃんの記憶が戻っていたら、きっと……違ってましたから!」
潤んだ瞳が私のどこを見つめているのかわからなかった。
憂「ひとつだけ言いますけど、私はその告白のタイミングで失敗したんですからね、紬さん!」
紬「あ……う、うん!」
憂ちゃんは私を睨むように見ると、私に背を向けた。
憂「もう学校行きますから。……お姉ちゃんに、伝えてください」
紬「……いってらっしゃい」
胸にすかすかしたものが残る。
紬「……」
唯「ふー、さっぱしー。あれ、紬ちゃん? 憂ー?」
唯「あっ、紬ちゃん。憂は?」
お風呂から上がってきた唯ちゃんが、台所に顔を出した。
紬「もう学校行っちゃうって」
唯「ふーん……ところでその箸は何をつまみ食いしてたのかな」
紬「心……かな」
唯「紬ちゃん、それっぽく言えばなんでも決まると思わないで」
紬「ごめんなさい」
唯「謝れば済むと思ってる」
唯ちゃんにしばらくお小言をいわれた。
お箸とお皿を洗ってカゴにかけたあと、唯ちゃんは退屈そうにリビングを歩き回りながら訊いてきた。
唯「ねぇ紬ちゃん、昨日言ってた可愛い服ってどこに置いた? 着てみたいんだけど」
紬「駅」
唯「駅か……駅!?」
紬ちゃんどうしちゃったの、と言いたげな目だ。
唯「なんでまた駅に……」
紬「持ってきたことが憂ちゃんにばれたらいけなかったから」
唯「どういうこと、紬ちゃん?」
警戒が発された様子はない。
私は本題に入ることにした。
紬「唯ちゃんの部屋から持ち出した可愛いお洋服は、これから出掛ける2泊3日の旅行で使う着替えなの」
紬「唯ちゃん。今日は記憶なんか忘れて、旅行を楽しむわよ」
唯ちゃんは10秒くらい、ぽかーんとしていた。
唯「えっ……と。旅行?」
紬「うん、温泉旅行。二人きりでさぼっちゃうの」
唯「ちょ、ちょとちょと、待って。いきなりどうしたの?」
紬「……昨日、あんなことがあったから、唯ちゃんにはリラックスしてほしくて」
紬「毎日毎日、覚えてもないことを聞かされるのも辛いだろうし……何よりも」
私は唯ちゃんを抱き寄せるようにして耳打ちした。
紬「唯ちゃんと、記憶がどうこうじゃなく二人っきりで過ごしたいの。……だめ?」
唯「……逆に、いいの?」
紬「ばれなきゃいいのよ、ばれなきゃ」
唯「……むっふっふ、いいご身分ですなあ。うん、行こう! 私も紬ちゃんと二人きりで行きたい!」
紬「うん! ……でも、出発は午後ね」
唯「そうなの? まあ準備とかあるもんね」
紬「じゃあ、支度しよっか」
とは言っても、着替えは私が用意したので準備するものは日用品だけにとどまった。
できあがった唯ちゃんのトラベルパックは出発のときにスーツケースに詰めることにして、
ひとまず唯ちゃんを着替えに行かせることにした。
ことに不安なのは、私の好みで選んだ服を唯ちゃんが気に入ってくれるかである。
私の服も唯ちゃんはかわいいと言ってくれるけど、私が選んだ唯ちゃんの服はわからない。
完全に私が唯ちゃんに着てほしいだけのコーディネートになったから、不満を言われたら辛いものがある。
唯「紬ちゃーん」
着替えを2階で待ちながら、携帯で電車の乗り換えを調べていると、唯ちゃんからお呼びがかかった。
紬「なーに?」
階段をとんとん上がって駆けつけると、着替え終わった唯ちゃんが困り顔で立っていた。
唯「私って、枕がかわっても寝れる?」
紬「すごくよく眠れるタイプの人だよ」
唯「ありがとー」
どうやら用はそれだけのようである。
時計を見ると、11時を少し過ぎたくらいだった。
紬「少し早いけど、お昼ご飯を食べて出発する?」
唯「そうだね。紬ちゃん、ちょっと先に下おりててくれない?」
紬「わかった、いいよ」
お昼はもちろん唯ちゃんがゆでるそうめんだ。
今日も日差しは暑いくらいになってきた。
きっとおいしいだろう。
唯「ふー、お待たせ。さあさあ、お客様は座っててくだせえ!」
紬「やけどしないでね? ちゃんとできる?」
唯「言われるだろうと思って、昨日憂が作ってるのをよく観察したんだよ! まかせて!」
紬「それじゃあ、安心して待ってられるね」
唯「へい! 10分でちゃちゃっと用意しちゃうからね!」
本当に10分かからず、ざるにあがったそうめん、刻んだ薬味とつけ汁が出てきた。
包丁を使ってる音はしなかったから、みょうがや大葉は憂ちゃんが切ったのだろうけど。
紬「すごい唯ちゃん、あっという間ね!」
唯「まあこんなものですよ! さあさ、いただきましょ」
唯ちゃんは隣に座ると、箸を持って手を合わせた。
紬唯「いただきます!」
おろし生姜とみょうがと大葉を入れ、箸でひとつまみそうめんを取ると、汁にひたしてつるっとすする。
紬「……ん」
気持ちよく喉を滑る清涼な麺。
薬味とつゆの風味が、風鈴の音の幻想を誘う。
唯「どう、紬ちゃん!」
紬「とってもおいしい!」
まあ、おいしく作れないわけないよね。
そうめんやっぱり揖保の糸。
唯「やったあ!」
唯ちゃんと二人でたっぷりのそうめんをつるつるし終わった後、
私たちはいよいよ温泉宿に出発することにした。
紬「唯ちゃん、私たちがどこにいるかは内緒だけど、心配させないために電話は必ずとってね」
唯「そうだね、捜索願とか出されたら大変だよ」
紬「あと、土曜日には必ず帰るっていうこともね」
唯「了解。紬ちゃんも気を付けようね」
紬「それじゃ、行こっか」
唯ちゃんの手を握り、家を出る。
鍵をかけてもらうと、駅に向かって歩き出した。
紬「なにか食べたいものとかない? 喉は渇いてない?」
唯「飲み物はあったほうがいいね。駅で買ってこう」
紬「ついでに、少しお菓子も買おうか」
唯「うんっ。ふふー、温泉かあ。楽しみだなあ……」
駅のコンビニでビスケットチョコなどのお菓子や飲み物を買い、
コインロッカーから出したスーツケースに唯ちゃんの日用品をしまってから、下りの電車に乗り込む。
都会から外れていく電車は空いていて、唯ちゃんと並んで座ることができた。
唯「うー、冷房さむいなあ……」
紬「大丈夫?」
唯ちゃんの肩を抱き寄せて胸の前にかかえるようにする。
唯「おほ、ちょっとよくなった……ずっとこうしてて」
紬「4駅で乗り換えだから、それまでだよ」
唯「うん、うん」
寒いという割に、くっついた唯ちゃんの体は暖かかった。
冷房のおかげで7分ほど唯ちゃんと寄り添っていられた。
役得、役得。
乗り換えたさきの路線は、県外の山あいまで続いていく田舎の路線で、
旅行向けのボックス席が車両の大半を埋めていた。
唯ちゃんと二人だけで座れるところを探して、窓際を唯ちゃんに譲った上で、
スーツケースを扉のように立てて、唯ちゃんの隣に座った。
唯「窓際いいの?」
紬「窓の外より、唯ちゃんのほうが綺麗だもん」
唯「あらいやですわ、お世辞が上手ですのね」
お世辞じゃないので、ずっと唯ちゃんを見つめていることにした。
電車がごとんごとん揺れながら、走り始める。
唯「目が怖いよ、紬ちゃん……」
紬「唯ちゃんのほうがきれい」
唯「わかった、わかったからせめて前を見よう」
しかし唯ちゃんは本当にきれいだった。
可愛いだけじゃなくて、肌のきめや首筋の輪郭、全身の肢体のたおやかさがほれぼれするほど綺麗。
見つめていると、唯ちゃんの肌がだんだんピンク色になり始めた。
唯「つ、紬ちゃん……」
私までドキドキしてくる。
唯ちゃんの美しさに目がいった時点で、とっくにドキドキしていた。
唯「……い、いいのかな、なんか。私たち、こんなとこにいて」
唯「みんなに、こう、怒られたりしないかな」
唯ちゃんは恥ずかしそうにどもりながら、不安げな顔をする。
紬「唯ちゃんが一刻も早く記憶を取り戻したいっていうなら、今から引き返してもいいわよ」
紬「でも、違うならこのまま行くわ。唯ちゃんの記憶を取り戻すかどうかは、唯ちゃんが選択することだもの」
唯「……そうだよね」
唯ちゃんは首筋をさわると、照れ笑いをして窓を開けた。
涼やかな風が吹き付けて、唯ちゃんの汗と香りが飛ばされる。
唯「今は、思い出なんてどうでもいい」
唯ちゃんは流れる景色に相談者がいるかのように、もっと近くで風を受けるようにしながら呟いた。
見渡す風景が、だんだんと田舎景色になってきた。
車内もさっきの駅で一気に人が減り、三人掛けのシートを一人で独占してても誰も怒りそうにない。
最終更新:2011年11月17日 21:28