今からだいたい一年前、その日も私はウツギ研究所へやって来ていた――。


ウツギ「唯ちゃん遅いねー」

和「全く、何やってるのかしら」


私たちはここの近所に住んでいることもあって、昔からウツギ博士の所に遊びに行っている。

昨日は私たち二人は博士からある『お願い』を頼まれていた。今日はその関係で研究所に二人で集合する予定だ。

それで唯はまだ到着してなくて、博士と私は待ちぼうけをくらっているというわけだ。。


ウツギ「どうしようか、先に受け取っておく?待ってるのも退屈でしょう?」

和「いえ、唯のこと、待ちます」

ウツギ「ふふ、そうですか。ちなみに和ちゃんはもうどのポケモンにするか決めた?」


その『お願い』というのは、私たちがポケモンを育てる、というもの。

別に大した話じゃないと思うかもしれないけれど、これも博士たちの歴とした研究の一環なのだという。

なんでも、ポケモンをモンスターボールに収納せずに育てた場合の記録を取りたいらしい。

和「はい。一応は決めたんですけど、もし被っちゃたら可愛そうだから、唯が来てから一緒に決めようと思ってます」


もちろんそのお願いに私たちは了解した。特に唯は本当に嬉しそうな顔してたっけ。


ウツギ「ははは、和ちゃんは優しいねー。じゃあもうちょっと待っていようか」

和「そうします」

ウツギ「じゃあその間僕は仕事しているから、研究所の中好きに回ってていいよ。と言ってもあんまり面白いものもないけどね」

和「いえ、大丈夫です。別に退屈じゃありませんから」


私がそう告げると、博士はそうですか、と一言だけ漏らして少し微笑んだ。


それから唯がやってきたら放送を使って連絡するとだけ伝えると、博士は研究に戻っていった。

それを見送って、私は例の場所へと足を運ぶ。

その場所というのは、書庫だ。

最近私はここがお気に入りの場所となっている。

頻繁に来るというわけではないのだけど、時たま研究所で今のような待ちぼうけの状態になった時はこうやってこの場所へ足を運んだ。

実を言うと、私はポケモンの研究については関心(というか興味ぐらいかもしれないけど)がある。

びっしりと並んでいる分厚い本の中から適当に一冊を取りだし、それに目を通す。

勿論、書いてある内容はさっぱりわからない。

しかし、そのわからないこと――未知の世界を覗くたびに研究に対しての興味が強くなっていく。

研究者というのはそんなに楽なものじゃないだろう。

ずっと研究所に引きこもり、へとへとになりながらも仕事をこなす人も私は見たことがある。

もちろん、望んで重労働に努めたいとは思わない。

でも、懸命に知らないことを探求し続ける姿勢に、私は淡い憧れを抱いていた。

自分で言うのもなんだけど、私は学校での成績は良い方だ。

そのためか、友達から将来は博士か先生か、と冷やかされたことがあった。

その場は謙虚な顔をしてやり過ごしていたけど、本当は満更でもない、と思う…。

まあ、そんな大そうな夢を他人に面と向かって言えるはずもなく、私はこの場所へはできるだけ人の目を忍んでやってきているわけである。

今日は比較的新しそうな群青色の背表紙が目にとまった。

引っ張り出してみると、どうやらポケモンの遺伝に関する著書のようだった。

何となく著者を確認してみると、なんとウツギ博士が執筆したものだった。

私だって何年もここへ遊びに来ているんだ。いつもは途中で諦めるけど、今日こそは読破するしかないわね。

少し胸が高鳴る。意気込み、その硬い表紙を開く。


数十分間、私はその未知の世界と格闘を続けた。だけどやっぱり内容はさっぱりだ。

結局遊びに来ているくらいじゃ何もわかりやしないのだ。

今日も諦めて元の位置に本を戻す。




机に突っ伏して、頭を切り替えて幼馴染のことを考えてみる。

唯は一体今ごろ何をしているのかしらん。

そう思いつつも、たぶん面倒見の良い憂のことをそっちのけにしてぐっすりと眠りこけているのだろう、と自分の中で予想はついていた。

彼女はいつもマイペースだ。

その天然っぷりにも何度も自分は振り回されてきた。

でも、不思議とそれが憎めない。

その彼女の笑顔を見ていると、自然とこちらの心もほころんでしまうのだからすごいものだと思う。

昨日も彼女はその笑顔を振りまいていた。

いつものように研究所へ遊びに行くと、博士があのお願いを持ちかけてきた。

博士は三つのモンスターボールを用意し、その中からそれぞれポケモンを繰り出した。


ウツギ「この子たちの中から一匹を君たちに育ててほしいんだ」


いきなりのことだったので、私は少しぽかんとふぬけてしまった。

それはたぶん、自分がポケモンを育てるということにピンとこなかったから。

だけど、目の前の可愛らしいポケモンと生活を共にするのだと考えると、正直楽しみで仕方がなかった。

隣にいる幼馴染を見てみると、予想通り歓喜のご様子だった。目が異常なほどキラキラしている。

しかし、三匹のポケモンの中から一匹を選ばなければならない。

唯は案の定その一匹がなかなか決められなかった。

だからその最終決定が今日に持ち越された、というわけだ。

それなのに、あれだけ喜んでいたのに、寝坊。


和「本当、唯らしいわ」


小さく漏らした後、顔が自然とほころんだ。


しばらくすると所内のスピーカーがジジジと小さな電子音を立てた。

程なくして呼び出しのアナウンスが入る。

どうやらやっと唯が到着したようだ。

唯に会ったらまずいつも通り叱りつけてやろう。そんなことを考えながら、博士の元へ戻ることにした。




和「失礼します」


元いた所長室へ入ると、思わぬ事態に私は少々戸惑った。

そこに幼馴染の姿はなくて、代わりに同年代くらいの二人の少女がそこに立っていたからだ。


?①「あ…こんにちは」


先に目があった長髪の女の子がどこかしり込みした表情で話しかけてきた。


?②「お、あなたがさっき博士が言ってた『和ちゃん』か?」


その隣のカチューシャを付けた女の子は対称的に明るくて気さくだった。


和「ええ、そうよ。真鍋和っていうの」

律「おおそうか!私は律、田井中律だ。よろしくな」

和「そう、よろしくね」

律「で、こっちは…ってほら澪、いつまでそんなオドオドしてるんだよ。自己紹介しろ」

澪「あ…ああ、わかってるよ。秋山澪、です。よ、よろしくね」

和「ええ、よろしく」

和「…えっと、それで――」

ウツギ「ああ、和ちゃん来たね」


状況が未だ理解できない所に部屋の奥からひょこっと顔を出した博士。

この様子だと結局唯はまだ来ていないみたいだ。


ウツギ「和ちゃん、ちょっと、ちょっといいかな?」

ウツギ「二人はもうちょっと待っててね」


そう言いながら博士はばつの悪そうな顔をして私を手招いて部屋の奥へと通した。

一体何事だろうか。

和「どうしたんですか、博士?」

ウツギ「いやぁ、困ったことになってね…」

和「どういうことですか?」

ウツギ「さっきの女の子二人、どうやら僕にポケモンを貰おうとここまで来たらしいんだ」

和「え…?博士、あの子たちにも育成をお願いしてたんですか?」

ウツギ「い、いや、お願いしたのは君と唯ちゃんだけだったんだけどね…」

ウツギ「僕らがポケモンの育成を子供にお願いしてるって噂を聞いたらしくて、それでわざわざヨシノシティから来たらしい」

和「えっと、ちなみに用意してあるポケモンは何匹なんですか?」

ウツギ「一応用意してるのは昨日遊んだ三匹だけ、です」

和「ええ!?じゃあどうするんですか?」


ポケモンが三匹しかいないということは、あの二人か私か唯、誰かがあぶれてしまうということだ。


ウツギ「う~ん、僕も最初は先客がいるからって断ろうとしたんだけど、見てると素直な子たちだし、なにより育てたいっていう熱意も凄かった。もし可能ならあの二人にもポケモンを育ててほしいって思うんだよね」

和「で、でも、唯もあんなに楽しみにしてましたよ?」

ウツギ「そうだよねぇ。…でも四人のうち誰かが貰えないっていうのは非常に勿体ないと、僕は思うんだ」

正直、私はこの事態に気が気でなかった。

確かに唯はまだ自分のポケモンを決めていない状態で、今日もまだここに来ていない。

だけど、だからって唯があぶれるというのはおかしい。

でも、博士があの二人を断れない気持ちもわからないわけではない。

博士の話を聞く限り、あの二人は純粋にポケモンを育てたいという一心でここまで来たのだ。

そんな人を前にして残りのポケモンを渡さない、というのも可愛そうだろう。

それは、勿論唯も同じだ。

ポケモンは、三匹しかいない。だったら――。


和「博士…私が――」

ウツギ「いや、それはやめておこうよ」


ゆっくりとした口調で、博士は私の言葉を制した。


和「え…?」

ウツギ「君は優しいし、面倒見がいいからね。しょうがないからここは自分が諦めようと、思ったのかもしれないけど」

和「…」

ウツギ「和ちゃん、昨日はすごい楽しそうにしてたよ。君だってポケモン育ててみたいんでしょ?」


自分の思っていたことをずばり言い当てられて、私は何も言えなかった。


少しの間の後、博士は続ける。

ウツギ「それで何だけど。この困った状況を解決する方法が…実はないってわけじゃないんだ」

和「ほ、本当ですか?」

ウツギ「うん。実は昨日の他に、ポケモンはまだ一匹いるんだ。あの三匹と違って初心者向けじゃないから扱いが難しいかもしれないけど」

ウツギ「それで昨日のことを思い出してみたんだけど、唯ちゃんはポケモンと仲良くなるのが、本当に早かったね」


言われた通り昨日のことを思い返してみると、確かに博士の言うとおりだった。

唯は本当にすぐさまあの三匹と打ち解けていた。

外に出て、博士が三つのボールを取りだし、そこから三匹のポケモンが現れた。

初めて見るそのポケモンたちを前に、自分はどうしただろうか。

最終的にはそれなりに仲良くなっていたけれど、始めは少し戸惑いがあったんじゃないだろうか。

それはたぶん恐怖心とか、そんな類のもの。

しかし唯はどうだろう。

彼女は違った。

恐らく唯は本当に、ポケモンと触れ合える、という喜びしか持ち合わせていなかった。

だから、真っ先にポケモンたちを抱きしめ、撫でまわし、すぐに友達になってみせたのだ。

和「確かに、そうでしたね」

ウツギ「うん、だから唯ちゃんにはその最後の一匹を任せようと思う。たぶんこれは唯ちゃんだったからこそできる選択なんだろうけど」

和「…」

ウツギ「僕は、君たち四人は皆上手くやっていけると確信してるよ。良い飼い主っていうのは、良い目をしてる。澄んで輝いてるって言えばいいのかな?」

ウツギ「とにかくそういう目を君たちはしているよ。そういう子には是非ポケモンを育ててみてほしい」

ウツギ「だから唯ちゃんには少し申し訳ないけど、最後の一匹を託す。これがベストな選択だと僕は思ってる」

ウツギ「……っていう策なんだけど、どう?」


今まで凛とした表情で自分の策を説明していた博士の顔が、いつもの穏やかな顔へ戻る。


和「うん…」


正直、唯が納得するかはよくわからなかった。だってあんなに嬉しそうに迷ってたんだもの。

だけど頭をかきながら尋ねる博士の発言はどことなく頼もしくも見える。

なんとなくそれで大丈夫だと、直感的に思える気がする。


和「ちょっとかっこつけてたのが気になりますけど…誰かが諦めるよりは良いと思います」

ウツギ「え?あれ…僕かっこつけてた?」

和「まあそこは置いておいて、皆がポケモンを貰えるのなら安心しました」

ウツギ「本当?よかったー。和ちゃんが承諾してくれればこっちも安心だよ。じゃあ、唯ちゃんのフォローもお願いね…?」


最後にはにかんだ表情を見せ、じゃあ戻ろう、と私に告げた。


律と澪の元へ戻ってみると、既に三つのモンスターボールが所長室に運ばれていた。


ウツギ「待たせたね」

律「博士!お願いします!私たちにもポケモンくだちゃい!この通りでごぜぇます」


律は是が非でもポケモンを貰いたいのだろう。機敏に土下座の姿勢を取っていた。


律「澪!何やってんだよ。お前も博士にお願いしろ、ポケモン欲しくないのか!?」

澪「う、うん。あ…あのいきなり来て、すいません。私たちもポケモン育ててみたいんです!」


続くようにして澪も懸命に頭を下げた。


ウツギ「ははは、大丈夫大丈夫。ちょっと君たちのパートナーの準備していただけだから。だから心配いらないよ」

律澪「ほ、本当ですか!?」


二人は手を取り合い、互いの視線を合わせると、一緒になって歓声をあげた。

それを微笑ましく見ていた博士と目が合う。

どこか申し訳なさそうなアイコンタクト。

恐らく、余計な事情は二人に言ってほしくない、ということなんだろう。


ウツギ「それじゃあ早速だけど三人にポケモンを託すことにします」

ウツギ「僕たちが用意したのポケモンは三匹います。律ちゃんと澪ちゃんは初めて見ると思うから少し触れ合う時間を設けるよ」


そういうと、博士はボールから三匹を繰り出し、紹介を始める。


ウツギ「ええと、まず頭に葉っぱが生えているのが草タイプのチコリータ、そしてこのネズミのようなポケモンが炎タイプのヒノアラシ、最後に大きな顎が特徴的な水タイプのワニノコ。この中から好きなポケモンを選んでもらうよ」


律と澪は三匹を見て目を輝かせていた。

昨日の唯もあんな顔をしていた。ひょっとすると私も同じだったかもしれないけど。


ウツギ「皆好みや性格も違うだろうし、そこは実際に触れ合って決めるといいよ。まぁどのポケモンでも良い子ばかりだから心配いらないけどね」

律澪「…」


既に律と澪の視線は博士に向いていないようだ。

意識は完全に目の前の三匹に集まっているのだろう。


ウツギ「ふふ、じゃあ僕は席を外すから、和ちゃん、どのポケモンにするか決まったら呼びに来てください」

和「はい、わかりました」


笑顔で博士は所長室を後にする。先ほどの不安はほとんどなくなったように見えた。


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最終更新:2011年11月18日 22:17