休日を挟んで数日ぶりに復学を果たした。
あまり欠席すると成績はおろか進学にまで響いてしまうからだ。
周りはもう少し休むように勧めてきたのだけれど断として拒否した。
自分で潰した機会を何らかの方法で取り戻さずにはいられなかった。
予想通り周囲の目はかなり細くなっていた。
時折私を指して噂話にしては内輪を作りを強固にしていく、一対他の安心感を得る材料として見られていた。
それでも体調が回復したせいか、以前ほどの強烈な強迫観念は襲ってこない。
壁や黒板や時計を和を眺めつつなんとかやり過ごす。
放課後になるまで時計の針が錆びついているようだった。
澪「校内にはアレが私だって知れ渡ってるんだよな」
紬「うん。きっと一広まっちゃってると思う」
澪「そっか。じゃあ希望者とか見学も」
紬「うん。残念だけど」
唯「でもでも、ライブ自体は凄いよかったよ!」
澪「それは本当にな。別の手段を考えないと」
大々的な勧誘期間はとうに過ぎてしまっていた。
何かしらの部に所属したいと思っている一年生だけれど、そろそろ本命を絞り出す頃合だろう。
ここからの新規獲得はかなり難しいといえる。
ただ私達に、絶対に部員を確保する、という目標があった訳ではない。
入ってくれるに越したことはないのだけれど、無理矢理にというのも気が引ける。
それでもベストを尽くせずに悪い結果を見るのは流石に悔しい。
澪「そういえば律は学校休んでるんだって?」
唯「うん。調子が悪いって」
澪「昨日も休んだのか?」
紬「まぁ、良くなったらそのうち来ると思うわ」
そのうち来る、というムギの言葉に違和感を覚えた。
私が律について問いかければ十中八九似たような意味で返ってきていたように思える。
それでいてどこか遠くを見据えていて、丁度、出張先の息子を心配する母のような。
知っていて何かを隠しているような心痛さが滲み出ていた。
それから今後についての議論を進めたのだけれど良案は浮かんでこなかった。
リードオフマンの律がいないと私達の軽音部として上手く機能してくれないのだ。
最もこれは四人のうちの誰が欠けても同じ具合に陥ってしまう。
結局、全員が揃ったらまた考えよう、という妥協案に辿り着いてしまった。
ならばもう帰宅しようかと、階段を下りているところだった。
唯「あそこってジャズ研の部室だよね」
澪「そうだな。今出てきたのは、上履きから一年生だな」
唯「ジャズって人気あるのかなぁ」
紬「高校生にしてはちょっと渋いと思うけど」
唯「うわぁ、あの子ちっちゃくて可愛いなぁ」
澪「随分と笑顔だしな。これは決まっていそうだ」
澪「あっそういえば今日は日直だった。日誌出してこなきゃ」
唯「んじゃそれまで」
澪「いいから先に帰ってて。まだ中身ほとんど書いて無かったんだよ」
紬「そう。それじゃまた明日ね」
根っからの嘘なのだけれど。
急ぎ足で教室に入ると、予想通り数人分の鞄やら小物やらが乱雑していた。
まだグラウンドやら体育館やらで部活動中の生徒がいる、私は彼女達が戻ってくるのを待った。
軽音部に関係のある人間はムギからの御触れが発布されていることだろう。
保険医や教師等は倒れたばかりの私を心配して言葉を濁すかもしれない。
聞くならば噂好きの生徒の方が確実だ、つまり私の奇行を話の種にするような人達がターゲットになる。
まともに話を聞いて貰えるのか、不安は大きいけれど心を強く持ちながら待った。
生徒1「やっぱあの先輩が原因でしょ」
生徒2「だよねぇ。クセ強すぎるもん」
来た、手ごわい二人組だ。
頑張って話しかけるんだ
秋山澪。
澪「――っあの!」
肺が循環したがると、溜まっていた息と一緒に大声で吐き出してしまった。
予想通り二人は姿勢を内向きにすると当人同士の空気を作ろうとしてしまう。
返事を待っていては取り返しがつかない。
言うんだ、嫌われても気持ち悪がられても言わなくちゃ伝わらないんだ。
澪「お願いがあるんだけど。聞きたいことがあって」
生徒1「え、何。私そういう立場じゃないし」
生徒2「ねぇどうすんの」
生徒1「早いとこ着替え行こう」
澪「あの日、私が倒れた新歓ライブの日。田井中律に何かあったのか教えて欲しい」
二人はもう一度顔を見合わせると返事にあぐねているようだった。
またもコソコソと小言を交わすと、溜息を混ぜてぶっきらぼうに答えた。
生徒1「田井中さんなら過呼吸で倒れたって。それから学校来てないよ」
生徒2「ねぇもう行こうよ」
生徒1「それしか知らないから。じゃ」
律が過呼吸で倒れて、ずっと学校へ来ていない。
新しい情報が脳内に送られると一気に式を繋げて活性化していった。
あの時の律の行動、あれからの律の表情、そして気になる発言、いくつかの可能性が導かれていった。
可能性の範疇を出ることは決して無いけれど、どれもこれもが気がかりなものばかりだ。
そして律は今何を思っているのか、私は全力で教室を飛び出した。
聡が言うには律はあれから一週間ほど引き篭もっているらしい。
玄関ですれ違いざまに教えてもらうと、早々にサッカーボールをかかえて走っていってしまった。
両親は外出しているそうだ、となれば今この家には律しかいないことになる。
澪「りつー、きたぞー」
お決まりの挨拶をするとドッタンバッタン大掃除さながらのけたたましい音が響いた。
やれやれ、と止むまで待ってからゆっくりと階段を上がっていく。
澪「律、いるんだろ。入っていいか」
返事は無い、つまり了承だ。
澪「よう。芋虫ごっこが流行ってるのか」
入ればそこら辺に立てかけてあっただろう生活用品が八方に散らばっていた。
窓から差し込む強い橙が舞い散る埃をプランクトンのごとく映している。
肝心の律はというとベッドの上で毛布に包まってダンゴムシを演じていた。
これは何かを急いで隠したパターンだ。
澪「久しぶり。一週間ぶりだな」
澪「ムギんとこの系列の病院にお世話になっちゃったよ」
澪「この通り、もうピンピンしてるぞ」
律「……」
こいつ、まさか今になってまだ泣いてるんじゃあないだろうな。
律は私に的外れな罪悪感を抱いている。
勝手に責任を持ち込んで独り占めして閉じ込めて鍵をかけている。
人前では誰よりも明るくて笑顔は太陽とも例えられる性格。
その影で泣いていたり一人で抱え込み過ぎてしまう部分を私は知っている。
しかし特出している光が強すぎて、ついそちらにばかり目が向いてしまうのだ。
知っていても尚に甘えてしまう私にも問題はあるのだろう。
よくよく考えれば、自分だけが悪い、と思い込んでしまう部分は律だけでなく私にもある。
澪「何年ぶりかな。律のそういう姿見るの」
返事は無い。
澪「その度に私がこうやって来ることになるんだよな」
まだ返事は無い。
澪「今回はなんとも重症っぽいな」
私はあえて律自身の話題に絞っていく。
事の発端は紛れも無く私にあるのだけれど、それを蒸し返し過ぎれば更に塞ぎ込んでしまう。
他人の痛みを自分の痛みに転換させてしまう厄介な部分だけれど、それが非常に律らしい。
澪「初めてはそうだな、小学校で私が男子にいじめられてた時だっけ」
澪「律が体張って助けてくれてさ、逃げろって言われて私は咄嗟に走ったんだけど」
澪「足がもつれたのか凄い音立てて転んで、泣きながら保健室に連れていかされて」
澪「そしたらどういう訳か律が次の日に学校休んじゃってさ。本当に懐かしいよな」
少しだけ、ほんの少しだけ律の様子がおかしい。
流石に静かすぎる、まるで息さえ止めているような石ころぶりだ。
律の暖かさが薄い毛布一つで完全に遮断されてしまっていた。
今回ばかりは重症だと思っていたけれど、これは明らかに異常だ。
澪「おい、律。少しくらい反応しろよ」
澪「まさか寝たわけじゃないよなっ」
言いながら毛布の塊にぼふりと一突き入れてみた、それでも反応がない。
いよいよ心配になってきたところでいつもとは違う発見をした。
私が叩いてクレーターのように凹んでいる毛布、そこから覗いたシーツに強烈な色が添えられていた。
その色は赤だった、明瞭すぎる赤だ。
澪「律。これ血なのか、何だよこれ」
途端に収縮を始める律もどきの塊、マズイ、と瞬間的に判断した。
強引に鷲掴んで剥がしにかかる、しかし相反する力が意地になって毛布の奪い合いになった。
チラチラと見えるシーツからは滲んだ赤が主張を続けている。
この期を逃がせば、きっとあの強気な笑顔ごと奪い去られてしまう。
潜られて、引っ張って、縮こまって、綱引きにも似た合戦がしばらく続いて。
澪「ッ律!!!」
覆っていたものごと手前に吹っ飛ぶと机棚に散らかる様々なものを蹴散らしていった。
ガチャガチャと進行形で飛び散らかる物々の奥に律を見た。
瞳と手首を真っ赤に染めて目を見開いていた。
驚きながら悲しみながら、ありとあらゆる感情をごちゃ混ぜにしたような酷い顔だ。
そして何を思ったのか、思い切り右手を私に向かって突き出す。
律「くんなよ!」
―― !!
その時、律の手にした鋭利なものが伸びて、目の前にまで伸びてきて、角膜を通り抜け――させるものか。
幻想をぶち殺す勢いで真実を見抜く、ありったけの演算能力を加速させていた。
意識を現世に戻すと、下がっていた踵に目一杯の力を込めて踏ん張った。
背筋をしならせて、腹筋を縮ませて、胸を突き出して、律の右手から放たれた暴風に抗う。
次第に減速する私の体はしなやかに弧を描くと直立に落ち着く、ようやく肩の力が降りた。
そして真っ直ぐに前を見る。
律はどす黒い血で染まったカミソリを私に向けて突き出していた。
澪「何の冗談だよ」
律「冗談じゃないし」
澪「血だらけじゃんか」
律「だから何だって言うんだよ」
澪「お前ッ――」
全ての感情を殴り倒して怒りが勝利していた。
律の心の内なら何度だって理解するだろうしその為の努力もしてきた、この先だってそうだ。
しかしこればかりは駄目だ、全然ダメダメだ、律である以前に人間として間違っている。
王子様のキスでもない、ガラスの靴を見つけるでもない、無償の助けなんかじゃない。
誰かが更正させないと本物の馬鹿野郎になってしまう。
その身とパジャマとしおれたシーツをどぎつく染めながら律は気張っていた。
私の弱点を逆手に取るようにカミソリの先端を何度も宙に突き出していた。
手にはくっきりと筋が浮かんでいて、ガチガチと音が聞こえそうなほどに震えながらだった。
本気で襲いかかるつもりなんて毛頭ないくせに。
自分ならまだしも他人を傷つけることなんて、律にはできっこない。
澪「カミソリよこしなよ」
律「嫌だ」
澪「いいから渡せ」
律「何で命令されなくちゃいけないんだよ」
澪「そう、だったら――」
予想だにしていなかったのか、呆気に取られた律は簡単に侵入を許した。
逆風を受けながら私は律の右手首に掴みかかった。
律「はっ離せよ!」
澪「いやだ律ッ! 今助けてやる」
律「助けなんていらない! 私みたいな奴は死んだ方がマシなんだ――」
律は叫びながら私の手を振り払うと、より繊細な血が舞った。
澪「痛ッ」
最終更新:2010年01月26日 00:46