こうえん!

唯「・・・・こほん。よしっ」


~♪

唯「あーのこー とおるーたびー しゅくーふくーしよう」

唯「うたえばー こえが ひーかりに なるようにー♪」

じゃーん♪



梓「・・・・すぅ・・・むにゃ・・・」


  ◆  ◆  ◆

 恋をして、外に出た。
 町に光が射す頃、外で歌うようになった。

 長い長い夜の向こうに見つけた光を追いかけて、転げ落ちて、
 まともなルートを踏み外した果てに、本当のあたたかい光を見つけた。

 だから、歌う。 でもなにを?

 それはまだ、見つからないけれど。


――――

 りっちゃんからの着信に気づいたのは夜中の十二時ごろで、
 シフトが二時間ずれこんでくたくただった私は着信ランプをベッドにぶん投げて、
 そのまんま床に広がる機材のそばで服も着替えず寝入って、見たら明け方三時過ぎ。
 メール来てた。開く。真っ暗な部屋に慣れた目では画面の文字がまぶしい。

 りっちゃんたち、そろそろN女で文化祭らしい。
 唯も来ないか? って無邪気に誘う文面と、添付ファイルに映り込む三人の笑顔。
 ドラマーはきらきらと、ベースはくすくすと、キーボードはぽかぽかした微笑みを浮かべて。

 私も大学進学を選んだら、この写真の中で笑っていたのかも。
 画面の向こうの三人につられて思わずこっちまで口元がゆるみそうで、でも急な光はまぶしすぎて、
 携帯を閉じたらまた広がる暗闇が、やっぱりうんざりするほど居心地よかった。

「曲、作んなきゃなあ……」

 音にした自分の声が、「部屋片づけなきゃなあ」とか「仕事探さなきゃなあ」みたいに聞こえて、
 たまらなくなってぷふーって吹き出してしまう。
 ミュージシャンってもっとこう、崇高なもんなんじゃないの? ま、私には無理かな。あはは。

 今年の四月、私はミュージシャンを目指して東京に越してきた。
 そう聞けばなんかかっこいいけど、まともな人生をなげうっただけかもしれない。
 私を音楽に誘ったりっちゃんたち軽音部員はみな同じ大学に進学を決めたのに、
 一人だけちゃんとした人生設計からこぼれ落ちてきてしまった。

 十一月、ちょうど今ぐらいの季節。
 教科書なんて終わって、受験対策の授業ばかりになった辺り。
 教室のみんながアリみたいにせっせと問題集に向き合う中で、
 一人だけぼんやり窓ばかり見てた気がする。

 うすら曇りの真っ白な空から乾燥した光が射してて、
 ささくれをちょっと噛んだりしながらまぶしさに目を細めて、
 頭の中でいろんなことを回しながらいつの間にか眠ってしまって、授業が終わっていたりとかするような。
 移動教室に気づかなくていつの間にか教室に人がいなくなってたりして、怖くなった。

 私だって、私の勉強をしてるんだ。
 そう、自分自身に見せつけるために軽音部のみんなの方へのめり込んでいった。
 受験勉強のじゃまにならないように、って避けようともしちゃったけど、
 澪ちゃんが「唯には唯の勉強があるんだから、協力させてよ」って言ってくれて。
 あれは、ほんとにうれしかった。あの話すると澪ちゃんいやがるけど。

 それで澪ちゃんから借りた文庫本のページをたぐって(宮沢賢治と萩原朔太郎がよかった)、
 ムギちゃんに教えてもらったコードや理論を頭の中でぐるぐる回して(最近はEかBmばかり頭に響く)、
 自習の時間にもりっちゃんに教えてもらった洋楽の曲をこっそり聴いて(あ、今度ルーリード返さなきゃ)、
 部室で後輩の純ちゃんや憂には曲の感想を聞いたりして(純ちゃんあれで結構毒舌だったなあ)、
 そうやって、休み時間ごとに離れてくクラスのみんなとの距離をどうにか耐えてた。

 十二月頃になると教室は模試や過去問の話ばかりで、逃げるように部室に入り浸っていた。
 たとえば和ちゃんに話しかけたくても、机の上の赤本が壁のように見えた途端に言葉がはじけてしまう。
 コードや歌詞のかけらをメモる五メートル先で、りっちゃんが英単語を書き付けるのが見える。
 acomplish, acomplish, acomplish, acomplish, acomplish, ....。
 話せる言葉が限られてきて、息ができなくなりそうで、息継ぎするように部室でギターを鳴らしたっけ。

 誰も拒絶してないのになぜかいつも間違ったことしてる気がしていて、認めたくなくて、怖くて、
 学校どころか町中で閉塞感に襲われっぱなしで、
 早く私を包んで窒息させる見えない膜を破らなきゃって、気が急いてたんだと思う。


 年明け、作り上げたデモテープをインディーズレーベルの山田さんに聴いてもらった。

 山田さんはさわちゃん先生の友達で、放課後ティータイムで作った曲に興味を持ってくれた人だ。
 それから今でも一ヶ月に一度か二度ぐらい顔を会わせたり音源を聴いてもらったりしている。
 でも、初めて会った時は立っていられないほど怖かったっけ。
 やさしくてパワフルな人だけど、今までの人生から心の裏側まで評価される気がして、震えてた。

 でも、チャンスはつかめた。
 私の曲を、歌詞を、演奏を、声を、一緒に形にしていこうって約束された。
 そしたらすぐにさわちゃん先生が「そんな簡単に人生を!」って山田さんとケンカみたくなって、
 なぜか私と付き添いできた憂が止めに入って、ほんとあの時はどうしようかってなったけど。

 さわちゃん先生は卒業間近まで「決心は揺るがないか」ってたずねてくれた。
 「本当にいいの?」って訊かれると、思わずむきになって「うん! 決めたもん!」って返してしまう。
 心配げな顔に言い返すため、安心させるためにやっきになってたら、私の中の決心まで一緒に固まってきてくれた。

 山田さんと見たことないようなきつい目で言い争ってたのは、やっぱり忘れられなかったけど、
 そもそもこの話はさわちゃん先生がきっかけだから、真っ向から止めるつもりはなかったはず。
 そのあとすぐに仲直りしてたし、私の将来を心配してくれてたんだって、そういうことにした。

 次に進まなくっちゃ。手伝ってくれたみんなのためにも。

 それから……半年近く経った。
 でも、思ってた通りにはうまくいってない。

 私は相変わらず仕送り+アルバイト暮らしで、休みの日も部屋にこもってデモ音源を作る日々で、
 曲はできても自分で「これでいいの?」って思っちゃうような出来で、
 ときどき山田さんの紹介でライブを見に行ったりギターで参加させてもらったりするけど、
 そのたびに「すごいなあ、ああならなきゃ」って理想の自分が余計に遠ざかってばかり。

 いや、ある意味で思ってた通りかもしれない。
 そんな簡単にデビューしてスターになれる時代じゃないってわかってるし、
 バイト先でできた友達だってCDすらまともに買わない人ばっかなんだから。
 子どもだった頃とはなにもかもが違うって、うすうすなんとなく気づいてた。

 でも、そういうことでもないんだ。
 ダメなのは、ちゃんとした曲を作れないから。
 そういう曲を作れないのは、赤の他人と向き合う勇気がないから。


「唯ちゃんは、地の頭がいいからねー」

 一ヶ月ぐらい前、表参道の居酒屋で生中を二杯あおった山田さんは言った。
 ほめられてるとは思えなかった。昔、りっちゃんにも似たようなことを言われたっけ。
 このごろの私のデモは、お勉強がよくできる人がうまく作った曲になってしまっているらしい。
「努力しすぎて、努力が目的になってるんだよあんた」
 言い返せなかった。

 山田さんは私にかまわず、軟骨揚げをぱくぱくと口に運んでいく。
 私も箸を伸ばそうとして、……でも、なんだか食欲がわかなかった。

「あはは……なんか、こっち来てみてもあんまり変わんないですね」
「そうだよ、プールに入っただけで泳げるんなら、カナヅチなんかいないっての」
「なんだろ、ずっと夜みたいな、……ずっと部屋の中みたいな感じなんです」
「一回それで曲つくってみれば? 平沢唯で、タイトルは『ずっと夜』」
 ちょうど口に含んだウーロン茶を吹き出しそうになる。
「そんで“引きこもり世代のプロテストソング”とか適当にキャッチつけてさ・・・・あ、レモンいい?」
「え、はい。ていうか私、そんなキャラじゃないですよ!」
「だよねー、中二病で売り出すには天然すぎるわ、あんた」
「天然って……キャラって大事なんですか?」
「大事大事、でもあんたなら十分キャラ立ってるからいいんじゃない?」
 え、それは微妙にへこむよ……。
「あーもういっそ今度どっかのサポートするとき羽根でも生やしてみる? んー?」
「あはははっ、わけわかんないですよ! ていうかまじめに考えてくれないでしょうか・・・・」

 ハイペースでアルコールを喉に流し込みながら軽口をたたく山田さんは、それからふと言葉を止めた。

「ねえ、『U&I』ってあるじゃん。あの歌詞書いたとき、どうだったの?」

 U&I。作曲はムギちゃんだけど、歌詞は私。
 だから、私がはじめて自分で作ったものだった。

「あれは、妹のために、なにか伝えなきゃって」

 ――じゃあ、もう一度誰かのために曲を作ってみればいいんじゃない?

 その人は赤くなった頬ごと目をこちらに向けて、そんな提案をした。

「唯ちゃんさー、彼氏とかいないの?」
「付き合ったりする人はいないです……いた方がいいんですか?」
「そりゃあ無理して作るものじゃないけど、気になる人とかは?」

 気になる人……なら、いる。の、かも。

「……あの、最近かわいい女の子みかけたんですよ。家の近くで」

 山田さん、ちょっと目を見開いた。言ってしまって失敗だったかなって言葉を抑えようとする。
 だけどその瞬間、あの子の姿が頭の奥に瞬いてしまう。
「へぇ、どんな子?」
 その問いがあんまりにも自然で、つい口から滑り出てしまった。

 山田さんと会う一週間ぐらい前、パソコンでLogicを開いて徹夜で作業をした日の朝。
 ついばむ程度のお菓子をコンビニに買いに行こうと外行きの格好に着替えてさあ出ようかって時、

「……わ…」

 通りの向こう、ちゃんと見たら女の子だった。
 腰の方まで伸びた黒髪は二つに結わってあって、小さな身体が最初は猫みたいに見えた。
 後姿が街灯に照らされて、キューティクルが天使の輪っかみたいにぼうっと輝いてみえる。
 その人が振りかえった。白い横顔と、まっすぐな瞳。携帯をいじる細い指先と華奢な肩に、どきっとする。
 十五歳ぐらい?いや、私と同じぐらい? 年上? 肩甲骨の辺りに降る光。羽根みたいな色した光。
 今なら笑い飛ばせるかもしれない、徹夜明けのぼんやりした頭が見せた錯覚だったって。


 だけどその瞬間、あの子、天使だった。


 触れたい。
 抱きしめたい。
 声を、聴いてみたい。

「…………そうだ、コンビニ行くんだってば!」

 あわてて外に出ようとする。短い廊下、玄関先。ちらばった靴、どれにしよう。一瞬の思考が私をつんのめらせる。
 っわわわ……転びそうになって壁に手をつく。電気を消した薄暗い玄関。まぶたを閉じても開いても変わらない闇。
 だけど、頭の奥に焼きついてしまった。あの子の肩、どんな感触するんだろう?
 コンビニなんて言い訳だ。あの子、なんだろ。はじめてみた。どうしよう、どきどきする・・・・!


 飛び出した通りの先に、さっき見た少女はいなかった。
 薄汚れた電柱の先っぽについた白熱灯は、ただの灯りでしかなくなっていた。

「なにやってるんだろう、私」……錯覚を自分ごと笑い飛ばしてしまおうとした。


 それが、一週間前。
 でも、今もほら、こんなにはっきりと焼きついてしまってる。


 そんな話をしたら、山田さんは目を輝かせて言った。「ひとめぼれじゃん! その子のこと、歌にしなよ!!」
 でも、……私はうまく言葉を返せない。言葉になる前の何かが私の声を止めてしまう。
 とりあえずうなづく。やってみようと自分でも思ってみる。
 だけど本当は、私が、届く気がしなかった。



 そんな山田さんとの約束から、もう一ヶ月近く経っている。
 りっちゃんからのメールを閉じた携帯ごとぶん投げて、部屋の隅のアンプシミュレーターに背中を預ける。

「ていうか私、ただの通りすがりのストーカーじゃん」

 五十回近くつぶやいたはずの自虐的なつぶやきを、またひとつもらしてみる。
 なんとなく窓の方を向いて、ああいるわけないかって思って、ため息をもうひとつ重ねた。

「曲、作んなきゃなあ……」

 もう何度目になるかわからない言葉が聞こえた。自分の声だった。沈みすぎて、一瞬わからないぐらい。

 私は、あの子のことをほとんど知らない。
 天使で猫みたいな女の子。大きなヘッドフォンで何かを聞いている。
 毎朝六時ぐらいに疲れきった顔で家の近くの公園を通り抜けて、私の家の前を過ぎていく。
 それほど冷えない日の朝でもマフラーにコート。たぶん寒がりだ。あっためてあげたい。
 ときどき歌を歌いながら帰る。よく聞き取れないけど洋楽。っていうか、あんまりうまくない。ごめん。

 部屋の中でぼんやりしている今も、あの子はどこかで働きに出ているらしい。
 夜勤かな。変な仕事じゃなければいいけど。キャバクラだと送り迎えの車が出るんだっけ。よく知らないけど。

 一ヶ月間、話しかけられないまま天使の子を見つめていた。
 あの子は気づかない。私も、話しかける勇気がなかった。
 高校の体育館やライブハウスでたくさんの人と向き合うときの自信が、まるで役に立たなかった。
 まして、この手を伸ばしてじかに触れる勇気なんて、そんな。


「りっちゃん、どうしよう。恋しちゃったよ……」

 自分でベッドに投げつけた携帯を取りに行って、脱ぎ捨てた服をどかしながら開いた。
 画面の中で三人の笑顔がまた強い光を発した。
 それだけでなんだか疲れてしまって、相談のメールなんて一行も書けなかった。

 あの子には、何を歌えば響くんだろう。
 指先ひとつ向こう側に伸ばせないまま、もうしばらく悩むことにする。


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最終更新:2011年11月22日 20:04