20XX年12月25日 東京湾の沖合い10km 豪華客船ヨシノブ・タカギ号
~パーティホール~
社長「最先端技術の結晶。まさに、巨大スーパーコンピューターがそのまま海を航行している。
そう言っても過言ではない、このヨシノブ・タカギ号。船内のすべての機能がコンピュータ制御され、
乗客の皆様に快適と安心を――」
一段高いステージの上ではジョン・フィリップスのスーツに身を包んだ白人男性が滔々とスピーチを
続けている。
そして、華やかなパーティホールの片隅。受話器を握っているのは、くたびれたスーツすらも似合わない
初老の男性。
マクレーン「ああ、ルーシーか? 俺だよ。船の上からかけてる。衛星電話ってヤツらしいんだけど」
ルーシー「船? どうして、また」
マクレーン「実は今、日本にいるんだ。ナカトミ・コーポレーションのクリスマスパーティに呼ばれちまってさ。
引退のお祝いをしたいからゲストで来てくれって」
ルーシー「へえ、すごいじゃない」
マクレーン「まったく義理堅い事だね。三十年近くも経ってるってのに、俺なんかを憶えてるんだから」
ルーシー「フフッ、父さんはナカトミビル占拠事件を解決したヒーローだもの」
マクレーン「……ヒーロー、か」
ルーシー「あ、待って。マットが電話を代わりたいって」
マクレーン「おおい、勘弁してくれ。俺は代わりたくない。大体、俺はアイツを義理の息子だなんて
認めてないぞ。俺の知らないうちに子供まで作って――」
ルーシー「その話はもう済んだはずでしょ! 父さんの考えを一方的に押しつけるのはやめて。
そんなだから、いまだに母さんとも仲直り出来ないのよ。もう切るわ」
マクレーン「ルーシー、ちょっと待て! ルーシー! ルーシー・マクレーン!」
ルーシー「ルーシー・ファレルよ!」ガチャリ
マクレーンは自嘲の笑いを浮かべながら、通話の終わった受話器をしばらく眺めていたが、やがて手近な
ウェイターにそれを渡した。
マクレーン「ああ、君。電話をありがとう」
気を取り直し、と行きたいところだが、そう簡単にはいかない。
それでも水っぽいシャンパンを手に取り、豪華な料理の並ぶテーブルの前に立てば、何となく嫌われ親父から
招待客の気分には立ち返れる。
しかし、どうも物足りない。
隣に若い女性が数人いたのだが、マクレーンは特に気にする事無く、懐からゴロワーズを取り出して
火を点けた。
澪「ケホッ、ケホッ」
澪「あの、すみません。煙草は遠慮して頂けますか。会場内は禁煙ですし……」オドオド
マクレーン「ああ、こりゃ失礼」
マクレーン(昔は空港のどこにいても吸えたもんだがねえ。今じゃ屋根のあるとこは、例え大海原の上でも
禁煙ときたもんだ……)
紬「……」ジーッ
マクレーン「……」
紬「……」ジーッ
マクレーン「……」
紬「……」ジーッ
マクレーン「……あの、どこかでお会いした事でも?」
紬「もしかして、ミスター・ジョン・マクレーンでは? あの全米サイバーテロ事件を解決した」
マクレーン「ああ、まあ……」
紬「まあ、やっぱり! TIMEの表紙でお顔を拝見した事がございましたので! 光栄ですわ!
私、あなたにお会いするのが夢でしたの!」
マクレーン「そりゃ、どうも」
彼女の一際高い声に、他のメンバーも興味を示す。
律「ムギ。誰? このおっさん」
唯「ムギちゃんの知り合いさん?」
紬「おっさんだなんて失礼よ、りっちゃん! この方はニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事!
1989年のロサンゼルス・ナカトミビル占拠事件、1990年のワシントン・ダレス国際空港占拠事件、
1995年のニューヨーク連続爆破テロ事件、2007年の全米サイバーテロ事件と、数々の事件を
解決してきたヒーローなのよ!」ハアハア
律「そ、そりゃ、すごい、ですね……」タジッ
唯「ホント、すごいねえ!! ハリウッド映画の主人公みたい!」
澪(ふうん、そんなにすごい人なんだ。でも、そうは見えないな。パッとしなさそうな雰囲気だし、
筋肉ムキムキって訳でもないし、頭ツルツルだし)
マクレーン「君達は確か…… パーティのオープニングで歌ってたガールズ・バンドのメンバーかな?」
紬「まあ! まぁあ! マクレーン刑事に私達の演奏を聴いて頂けたとは! なんて光栄!
光栄の極みですわぁあああああ!!」
律「ムギ、うるさい」
唯「私達、『放課後ティータイム』っていうんです! 今はそんなに売れてないですけど、プロで頑張ってます!
よろしくお願いしますね! って通訳してムギちゃん」
マクレーン「よろしく。ええっと……」
彼が目を走らせた来賓用ネームプレートには、アルファベットでそれぞれのファーストネームが記されている。
マクレーン「ユイ(YUI)と、ミオ(MIO)と、リツ(RITSU)と、ツムギ(TSUMUGI)と、エィズサ(AZUSA)か」
梓「あずさです! あー、ずー、さー! あずさ!」
唯「『あずにゃん』って呼んであげて下さいね! ぎゅー!」ギュッ
マクレーン「エィズニャン?」
梓「だから、『あずにゃん』ですってば!」
マクレーン「ああ、アズニャン」
梓「誰が『あずにゃん』ですか! あずさです!!」
澪「……」
そのうち、五人とマクレーンの談笑の中に、ある人物が近づいてきた。パンツルックのリクルートスーツに
赤いアンダーリムの眼鏡が知性を感じさせる女性。
和「もう、こんなとこまで来て何を騒がしくしてるの? ……あら、マクレーンさんじゃない」
澪「なんだ、和の知り合いなのか?」
和「知り合いではないけど、私はナカトミの人間だからね。ご招待したゲストは知っていて当然でしょ」
和「はじめまして、ミスター・マクレーン。私は
真鍋和。ナカトミ・ミュージック・エンターテインメントの
社員で、この子達のマネージャーを務めております」
マクレーン「へえ、ナカトミは音楽業界にも進出していたのかい?」
和「米企業に買しゅ、ええと、米企業と合併して経営陣が入れ替わってからは、多角的な経営方針と
なりましたので」
マクレーン「なるほどね…… ま、何にせよ、こんな美人のエプスタインがいるんなら、
ホーカゴ・ティー・タイムもいずれ大ヒット間違い無しだな」
和「まあ、お上手」クスクス
唯「澪ちゃん、えぷすたいんってなぁに?」ヒソヒソ
澪「ビートルズのマネージャーのブライアン・エプスタインの事。ジョークだよ、ジョーク」ヒソヒソ
社長「それでは皆さん、ここでスペシャルゲストをご紹介しましょう。1989年のちょうど今日、
ナカトミ・ロス支社を悪の手から救ったヒーロー、ミスター・ジョン・マクレーン!」
マクレーン「まいったな……」
和「さあ、ミスター・マクレーン。スピーチを」
拍手と好奇の視線の中、渋面に溜息のマクレーンはステージに足を運ぼうとしたが、ふと何かを
思い出したように足を止めた。
マクレーン「ああ、ツムギ」
紬「はっ、はぁい!」
マクレーン「俺はもうニューヨーク市警の刑事じゃない。引退したんだ。今は少ない退職金と年金、
それにガードマンのアルバイトで食ってるしょぼい年寄りさ」
紬「えっ……」
マクレーン「俺はヒーローじゃない……」
~ブリッジ~
副船長「今のところ何の問題もありませんね、船長」
船長「うむ」
副船長「それにしても素晴らしい船です。操縦を含む船内のすべてがコンピュータ制御。
ごくわずかな人員と手間で、お客様に最高のクルーズを楽しんで頂ける。ナカトミの開発した
画期的な豪華客船ですね、これは」
船長「……」
副船長「どうかされましたか?」
船長「いや、年寄りの戯言と笑われるかもしれんがね。何もかもを機械任せにするというのは、どうもな……」
副船長「フッ、船長は『海の男』ですからね」
突如、操舵室のドアが乱暴に開き、初老の黒人男性と背の低い東洋人男性の二人組が室内に入ってきた。
副船長「おい、君達。ここは立ち入り禁止―― うっ……!」
プシュッという消音器付き拳銃独特の音が東洋人の手元で響いたかと思うと、副船長はその場に崩れ落ちた。
東洋人「交代の時間だ」プシュッ
船長「ぐうっ!」
黒人男性は船長の死体をまたいで、中央のデスクに座った。
そこには大きなディスプレイとキーボードが備え付けられている。
器用に片手でキーボードを操りながら、黒人男性は腰に差していた無線機を手に取った。
黒人「こちらイーグルネスト。“クラブハウス”がオープンした。どうぞ」
通信相手1「こちらファルコン。そちらの連絡と同時に“ステージ”を開幕する。どうぞ」
通信相手2「こちらカッコー。“郵便配達”が終わり次第、そちらへ向かう。どうぞ」
通信相手3「こちらヒナドリ。これから“ティーセット”を片付けにかかる。どうぞ」
黒人「了解。どうぞ」
彼は眼鏡を指で押し上げ、両手をキーボードに添える。
黒人「さあてと。ドカーンと一発、やってみようか」
~パーティホール~
律「うめええええ! ローストビーフうめええええ! 七面鳥うめえええええ!」ガツガツ
唯「りっちゃん、これすごいよ! フォアグラの上にトリュフが山ほど乗ってるよ!」ハグハグ
梓「私、ワインよりもシャンパンが飲みたいです」
ウェイター「申し訳ありません。未成年者のお客様に酒類は……」
梓「ぷぅううううう! 私、これでも23歳です!」
ウェイター「しっ、失礼致しました! 只今、お持ち致します!」
紬「ああ、マクレーンさん。お話する姿もステキ……」ウットリ
澪「あのさ、和」
和「ん?」
澪「すごく感謝してるよ。ありがとう」
和「何よ、改まっちゃって」
澪「いや、ほら。まだまだ有名じゃない私達が、こんなセレブとかお金持ちとかが集まるパーティの
オープニングアクトなんてやらせてもらってさ。ま、私は緊張で膝が笑っちゃってたけどな」
和「所属レーベルの親会社主催だし、そんなに難しい事ではないわよ」
澪「それでもさっ…… それでも、和のマネージメントのおかげで、私達は日の目を見られたんだ。
大学を卒業してからずっとマイナーバンドだった私達が、ナカトミみたいな大手と契約出来て、
デビューしてすぐにオリコンにも名前が載るようになって。だから、感謝してる」
和「……感謝するにはまだ早いわよ。チャートのTOP20にも入ってないのに。武道館ライヴ、
チャート1位、そして世界進出。それからなら感謝されてあげる」
澪「ん、そうだな。まだまだ、これから」
和「あなた達の為なら、何だって出来るんだから」ボソッ
唯「ふぅ、お腹いっぱ~い」ポンポン
梓「ホントによく食べましたね。太っても知りませんよ」
唯「だいじょーぶ、だいじょーぶ。私、いくら食べても太らない体質だから。それにこぉーんな
豪華な料理、私達じゃめったに食べられないもんね」
梓「まあ、そうなんですけども」
唯「よ~し、お腹もいっぱいになった事だし、船の中、探検しちゃお!」
梓「ええっ! まだパーティの途中ですし、それに船内は広いから迷子になっちゃいますよ。
唯先輩の事だから」
唯「へーき、へーき!」ダッ
梓「あっ、待って下さい! 澪先輩、和先輩。私、心配なので唯先輩に付いて行きます!」ダッ
澪「おー、頼んだぞー」
和「まったく、あの子ったら幾つになっても……」
澪「いいじゃないか。唯のあの性格に救われる事も多いしな。あ、そうそう、今回のステージスタッフ
だけどさ」
和「何か問題あった?」
澪「問題どころか、その逆。あんないい感じのスタッフに囲まれて仕事したのは初めてだよ。
全員外人だったから、最初はかなり緊張したけどな」
和「音響から機材運搬まで最高のスタッフを、って思ってね。アメリカから呼び寄せたのよ」
澪「特にコンピュータ担当の、あの少し年取った黒人の人。あの人とは話してて、いっぱい刺激を
もらったな。これからの参考になりそう。名前、なんて言ったっけ……」
和「あら、路線変更してミクスチャー・ロックでも始める? チリ・ペッパーズっぽく」
澪「いやぁ、それもなぁ」
~機関室前の廊下~
プレートに『機関室』と刻印されたドアの前にたたずむ唯。
ドアをジーッと見つめていたが、その向こうに何があるか、どうにも気になるらしい。
唯「……えへっ」ニヘラッ
梓「ちょ、ちょっと、唯先輩! ダメですよ! どう見ても“関係者以外立入禁止”な場所じゃないですか!」
唯「ほんの少し! ほんの少し見るだけだから! お願い、あずにゃん」グイグイ
梓「『お願い』とか言いながら、私を引っ張らないで下さい! ホントに怒られちゃいますよ!」
唯と梓がやいのやいのと姦しい、そのはるか向こう。
ようやく招待客の輪(+紬)を逃れたマクレーンは、船内廊下に陳列された日本の美術品をブラブラと
見て回っていた。
マクレーン「サムライソードにサムライアーマーか。シブいね」
マクレーン「ん……?」
マクレーン「あれは…… ユイとアズニャンじゃないか。あんなとこで何やってんだ」
最終更新:2011年11月30日 21:50