~船内・キッチン~
マクレーン「殺してやる……!」
拳を握り締め、怒りに燃えるマクレーン。
ベルトから拳銃を抜き、荒々しく立ち上がる。
マクレーン「ここにいろ! 動くんじゃないぞ!」
唯と梓の方は向かず、それだけを言い捨てると、マクレーンは廊下を駆け出した。
唯「マクレーンさん!」
梓「行っちゃった……」
梓「……マクレーンさんが戻るまでここにいるしかないですね。私達なんかじゃ何も出来ないです」
唯「……」
梓「……」
唯「……マクレーンさん、『誰も代わってくれないから、自分がやるしかなかった』って言ってたよね?」
梓「え? ああ、そうですね。そんな感じの意味でした……」
唯は床に転がるマシンガンを手に取ると、勢いよく立ち上がった。
唯「私も行くよ。あずにゃん」
梓「ええ!? 何、馬鹿を言ってるんですか、唯先輩!」
唯「代わりにはなれないけど、手伝う事なら出来る。それに空気を止められた大会議室には和ちゃんが
いるんだよ?」
握り締めた拳と光を宿した瞳には、怒りではなく、強い“意志”が込められている。
唯「りっちゃんと澪ちゃんとムギちゃんも捕まってる! 私も、私が出来る限りの事をするよ!!」フンス
梓「無茶です! 相手は武器を持ったテロリストです! 私達はただの一般市民じゃないですか!」
唯「あずにゃんはここにいて。みんなを助けて、マクレーンさんと戻って来るから」ナデナデ
梓「ゆ、唯先輩!」
呼び声を背に、唯はマシンガンのストラップをたすき掛けにして、キッチンを飛び出した。
梓はしばらくの間、見送ったままの姿勢で動けずにいた。
マクレーンの言っていた事も、唯の行動も、梓の理解を超えている。しかし――
梓「ああ、もう!」
頭を振って理解の出来ない何かを振り払うと、梓は唯に追いつくべく、キッチンを後にする。
背中に追いつき、横に並ぶのにそう時間はかからなかった。
それが唯には嬉しい。
梓「……私も行きます」
唯「ありがとう。あずにゃん」ニコッ
梓「唯先輩一人じゃ心配なんです。おっちょこちょいで頼りないですから」
唯「えへへっ」
~船内・ブリッジ~
澪「和…… 和が、死んじゃう……」ガクガクブルブル
律「時間が無さ過ぎるよ、クソッ……!」
紬「マクレーンさん。お願い…… 早く……」
澪「……」ガクガクブルブル
自分より確実に早く失われるであろう親友の命。
それは、澪の恐怖の種類を明らかに変えていた。
自分が殺される恐怖ではない。
親友を失う恐怖。いや、違う。親友を見殺しにしてしまうかもしれない恐怖だ。
それでいいのか。臆病で小心な性格がその免罪符になるというのか。
そんな訳が無い。
澪「……た、た、助けに、行かなきゃ」ガクガクブルブル
か細く、消え入りそうに小さい声は、その一部しか律の耳に入らない。
律「ん? 何か言った? 澪」
澪「だ、だ、だから、た、助けに行こう。和を。わ、私達が……」ガクガクブルブル
律「……縛られて身動きも取れないのにか?」
澪「ああ……」ガクガクブルブル
律「電子ロックの部屋に閉じ込められてんだぞ?」
澪「そうだよ……」ガクガクブルブル
律「外には銃を持った傭兵がウロウロしてるぜ?」
澪「わかってる……」ガクガクブルブル
澪「和は私達の大切な友達だ…… わ、私達が助けるんだ…!」ガクガクブルブル
紬「澪ちゃん……!」
律「勝ち目なんかないぜ? それでもやるのか?」
澪「あ、当たり前だ……!」ガクガクブルブル
律「いよっしゃ! 乗った!」
威勢よく叫ぶと、律は澪に身を寄せ、その頬に唇を寄せた。
律「澪。私、やっぱお前が大好きだわ」チュッ
澪「な、何言ってんだよ、こんな時に!」
紬「お、思いがけないところで……w ウフフ……w」
両手両足を縛られている律は、ゆっくりと慎重に立ち上がると、バランスに注意しながらピョンピョンと
連続して飛び跳ねる。
そうして移動した先は、ドアの前だった。
操舵室の出入り口であるドアとは別の、船長室に続くドアだ。
ドアにはガラスがはめ込まれており、そこからデスクや小さめの本棚、重そうな金庫が見える。
律「おーっし、絶対に和を助けるぞー」
小さく気合いを入れた律は、倒れないように注意を払いながら、大きく“頭”を振りかぶった。
律「せーっ、の!」ゴン!
何を思ったのか、律はガラスに強く頭を打ちつけた。
澪「律!?」
紬「りっちゃん!?」
律「いってええええ! チックショー、まーだビビッてんな。私」
ハッハッと短く呼吸を整える。“それ”をする事によって生じる“結果”が生み出す恐怖を消し去るように。
律「せぇーっ、の!」ズガン!!
先程よりも大きな音が操舵室に響き渡る。
カチューシャはどこかに飛んでいき、自身では決して評価していない長い前髪が視界に下りてきた。
澪「何やってんだ!? 律!」
紬「やめて! 危ないからやめて! りっちゃん!」
怖くない。
痛みも傷も怖くない。
本当に怖いのは、怖がって何も出来ずに親友を見殺しにする事だ。
律「私達が和を助けるんだ! 絶対に! せぇーっ、の!!」ガシャーン!!
床に撒き散らされる大小のガラスの破片。その上に点々と滴り落ちる赤。
顔の半分以上が、額から流れる鮮血で紅に染められていく。
律「やった……! へへ、割れたぞ…… いたたた……」
律は比較的大きく鋭い破片を口にくわえると、這いずり這いずり、皆のところへ戻った。
律「ほら、これでロープを切ろうぜ…… ううっ」グタッ
澪「馬鹿! 馬鹿律! なんて無茶するんだよ!」
紬「こんなに、こんなに血が出てるよ……」グスッグスッ
律「大丈夫だって…… 早くロープを切るぞ。何とかこの部屋から出なきゃ」
律の心意気を無駄には出来ない。
受け取った破片で、まずは澪が後手に紬のロープを切る。
そして、紬が律、澪とロープを切っていく。
自由を取り戻した澪は、すぐに上着を破り、それで律の額を強く縛った。
紬がハンカチで、血に染まった律の顔を拭う。
それでもなお、澪は律を抱きかかえて出血量の多さに気を揉んでいたが、やがて紬が窓の外に見えた
人影に声を上げた。
紬「……あれ? ね、ねえ! あれ、唯ちゃんと梓ちゃんじゃない!?」
~船外・ブリッジの窓ガラス近く~
操舵室の中に三人を見た唯は、急いで窓に手を突き、顔を寄せた。
唯「よかった! みんないるよ! ……って、りっちゃんが血まみれになってる!」
梓「唯先輩! 早く助けましょう!」
唯「んん? ちょっと待って。澪ちゃんが何か言ってる」
澪もまた、窓に顔を寄せて、必死に何かを伝えようとしている。
声が届かぬ今、唯は澪の口の動きに注視した。
唯「あー?」
唯「あー?」
唯「うー?」
唯「おー?」
唯「あー?」
唯「えー?」
唯「ええっと、何を言ってるのかわからないよぉ」
梓「たぶん『ガラスを割れ』って言ってるんですよ。その銃で」
唯「あ、ガラス、ガラスね。よーし!」
意気込んだ唯であったが、何故か手元でマシンガンをいじくってばかりいる。
唯「……これ、どうやって撃つんだっけ。あずにゃん」チラッ
梓「んもう! ここの安全装置を外して、このコッキングレバーを引くんですよ。マクレーンさんが
教えてくれたじゃないですか」カチャ カチャッ
梓「で、構えて、狙って、引き金を引くです。……代わりましょうか?」
唯「だいじょーぶ! 私がやるよ!」
ジト目の梓を後ろに下がらせた唯は、手を振って三人を部屋の隅まで避難させた後、窓に向かって
マシンガンを構えた。
唯「せーの!」バババババババババッ
初めて撃つ銃の反動は容易にその身をふらつかせた。
そもそも反動という概念が唯には無かったのだから。
唯「うわわっ!」ドテッ
梓「大丈夫ですか!?」
唯「うん、へーき。それよりガラスは?」
梓「そ、それが…… 割れてないです……」
唯「ええっ!?」
窓を見ると、中心に弾丸が食い込んだ蜘蛛の巣状の小さなヒビが、撃った弾の分だけ付いているだけ
であった。
梓「強化ガラス、なのかも……」
唯「もう一回!」バババババババババッ
素早く立ち上がり、射撃を再開するも、只々ヒビの数が増えるだけ。
ガラスは砕け散る様子を見せない。
唯「割れて! 割れて割れて割れて! 割れてー!!」バババババババババッ
絶叫と共に引き金を引き続ける唯だったが、やがては銃身から反動を含む手応えが消え去ってしまった。
弾丸が尽きたのだ。
唯「……」
梓「貸して下さい、唯先輩。弾倉を交換します」
唯「うん……」スッ
暗い表情で梓にマシンガンを手渡す。
しかし、すぐにガラスの向こうでこちらを指差しながら、澪が何かを叫び始めた。
唯「え? 澪ちゃん、何?」
唯と梓は先程のように、澪の口の動きを見つめる。
唯「う?」
梓「し?」
唯「ろ?」
梓「後ろ!?」バッ
慌てて振り返った二人の後ろには、拳銃をこちらに向けた兵装の東洋人が立っていた。
イェン「銃を捨てるんだ」
唯「わわ……!」
梓「そっちこそ銃を捨てて!」チャキッ
マシンガンを構える梓にも顔色を変えず、イェンは噛んで含めるように言い聞かせる。
イェン「……いいか、よく聞くんだ。俺は兵士であって、殺人鬼じゃない。だから俺に女子供を
撃たせないでくれ」
唯「あ、あずにゃん……」
梓「……」
イェン「それに女子供を殺人者にしたくもない。さあ、銃を捨てるんだ。悪いようにはしない。
お前達は殺さないように命令もされている」
唯「……」
梓「……」
イェン「頼む」
梓は僅かに銃口を下げ、重苦しそうに口を開いた。
梓「大会議室から和先輩を出して、六人を同じ部屋にして……」
イェン「約束は出来んが、隊長に掛け合ってみよう」
梓「……」ガチャン
マシンガンをイェンの足元に放り捨てた梓。
唯は血相を変えて、そんな彼女の両肩を掴む。
唯「あずにゃん!?」
梓「少なくとも私達と和先輩の六人は助かります……」
唯「そんな! マクレーンさんは船の中のみんなを助ける為に頑張ってるんだよ!?」
言い争う二人に、マシンガンと拳銃の銃口が向けられる。
イェン「さあ、行こう」
~船内・ブリッジ~
澪「唯と、梓が、連れてかれる……」
律「クソッ! ガラス割るぞ! あと少しなんだ!」
律はフラフラと立ち上がると、手近にあった椅子を持ち上げた。
澪もまた同様に、椅子を手にする。
二人は椅子を大きく振りかぶると、力任せにガラスへ叩きつけ始めた。
律「わああああ!」ガン!
澪「割れろぉ!」ガン!
何度も何度も叩きつける。
しかし、ガラスは割れるどころか、ヒビを広げる様子も見せない。
それでも尚、二人は叩き続ける。
澪の両手は痺れ、律は出血の影響で足をもつれさせている。
ガラスは無情に、その豊富な弾力を以て微かに揺れるだけ。
紬「二人共、どいて……!」フラフラ
息を切らせる二人の後ろから、不意に声がかかった。
澪「何だよ、ムギ―― って、うわわわわ!」
振り向いた澪の眼に映ったのは、船長室の金庫を肩に抱えて、ジリジリとこちらに近づく紬だった。
金庫と言っても持ち運ぶ用途のものではない。1m四方はあるダイヤルロックの頑強なものだ。
おそらく重量も三ケタを軽く超えているだろう。
腕力に自信のある紬も、流石に足下がおぼつかないでいる。
澪「律、こっち来い! 危ない!」グイッ
紬「えええええい!」ブゥン
紬の両手から放たれた金庫がガラスに当たった瞬間、そのガラスは一枚がそのまま窓枠から外れて、
外に落ちた。
弾丸さえも通さない強度と弾力も、計算外の大型重量物には耐えられなかった。
律「やったぜ!」
澪「出られるぞ!」
紬「さあ、行きましょう!」
三人は窓を越えて甲板の床を踏むと、急いで船内に続くドアへと走り出した。
最終更新:2011年11月30日 21:55