~船内・特等船室~
苦虫を噛み潰したような顔のクラウス。
彼はラップトップのディスプレイを不機嫌に見つめ続けていたが、やがて手元の無線機が陽気な声を
発し始めた。
テオ『ヨーホー、クラウス隊長。やっとシステムの全データをダウンロードし終わったよ』
クラウス「やっとか。部隊の被害が大きすぎて、割に合わない仕事だったな」
テオ『まあ、そう言いなさんな。タカギ号そのものが丸ごと手に入ったようなもんなんだぞ?
これを軍事技術に転用したがっている国なんて腐る程ある。インドに売って、中国に売って、
ロシアに売って。ヒャハハハハハ! 10億、20億どころじゃないぜ!?』
クラウス「ふん。まあな」
テオ『部隊なんてケチ臭いもんじゃない。“軍隊”が作れるぞ、クラウス隊長! ワオ!』
クラウス「浮かれるのもその辺にしておけ。今、部下にボートを用意させる。脱出の準備だ」
テオ『アイアイサー。ああ、ティーセットも連れてきてくれよ』
クラウス「わかった」
交信は終わったが、クラウスは無線機のアンテナ部分を前歯にカツカツと当てながら、何事か考え込んでいる。
やがて、無線機で頭を掻くと、彼は傍らのディードリッヒの方を向いた。
クラウス「ディードリッヒ、配達した“郵便”はどうだ?」
ディードリッヒ「C4のチェックは完了しています、隊長。このラップトップからの操作で爆破出来ます」
クラウス「よし。人質も、マクレーンも、ティーセットも、これでタカギ号もろともすべて海に
沈んでもらおう。フフフ……」
ディードリッヒ「……ミスター・テオはどうします?」
クラウス「システムのデータを頂いた上で、やはり海に沈んでもらう。割に合わない仕事なんだ。
追加の料金をもらわないとな」
ディードリッヒ「……了解しました」
クラウスは手に握ったままの無線機で、二名の部下に命令を送る。
クラウス「ルッツ、エルヴィン。ボートの用意だ。間も無く脱出する」
ルッツ『了解』
命令を終え、無線機を腰に差そうとしたその時、更に交信の声が聞こえてきた。
イェン『クラウス隊長、イェンです』
クラウス「何だ」
イェン『マクレーンと一緒に逃げていたティーセットの二人を捕らえました。それで……
頼みがあります――』
クラウス「殺せ」
~船内・廊下~
両脇を日本の美術品が飾る廊下の真ん中で、イェンは立ち尽くしてしまった。
イェン「隊長。今、何とおっしゃいました?」
クラウス『その二人はすぐに殺せ。それとブリッジにいる三人もだ。彼女らは皆殺しにしろ』
イェン「……」
クラウス『命令だ。殺れ』
イェン「……」
クラウス『イェン』
イェン「……了解しました」
応答した後も、しばし逡巡のままに瞑目するイェン。
急に立ち止まった彼を、唯と梓はいぶかしげに見ている。
唯「どうしたの……?」
その声に反応するかのように目を開くと、イェンは振り向いて銃口を二人へと向けた。
梓「や、約束が違う!」
イェン「すまない……」
唯「あなたは兵士なんでしょ? 殺人鬼じゃない、って……」
イェン「兵士にとって上官の命令は絶対だ」
ヘナヘナとその場にへたり込んだ梓は、唯にすがりつき、嗚咽を洩らした。
梓「ううっ…… ごめんなさい、唯先輩…… 私が馬鹿でした…… ごめんなさい……」グスッグスッ
唯「あずにゃん……」ギュッ
唯は膝を突いて、梓を抱き締める。彼女が悪いとは思っていない。あの状況では誰しもがそうする
かもしれないから。
でも、これで終わりなんて。
イェン「せめて、最期に何か言いたい事は無いか?」
梓「あっ……!?」ピクッ
唯「しっ、あずにゃん……!」ギュッ
唯は梓を抱き締める力を強める事で、彼女の反応を隠そうとした。
イェンの方、いや、正しく言うのなら、イェンの“向こう”を見た、梓の反応を。
イェン「最期の言葉は何らかの方法でお前達の家族に伝える。これは約束する」
唯「言いたい事?」
イェン「ああ」
唯「……助けて、マクレーンさん!」
マクレーン「あいよ」
助けを求める女性の声。それに答えるヒーロー、ではない男。
後方より忍び寄っていたマクレーンが、イェンの後頭部に拳銃をゴリリと押しつけた。
マクレーン「銃を捨てて両手を上げな、チャーハン野郎」
イェン「……」ガチャッ ガチャッ
手に握る拳銃も、肩から下げていたマシンガンも、床に投げ捨てられる。
イェンに両手を頭の後ろで組ませると、ようやくマクレーンは唯達の方へ視線を向けた。
マクレーン「ユイ、アズニャン。なんで出てきたんだ。あそこにいろと言っただろ」
唯「でも! 私、マクレーンさんを助けたくて……」
マクレーン「……戻って大人しくしてろ」
視線をイェンの方へ戻し、銃口で頭を小突く。
マクレーン「おい。お前は親分のとこまで案内してもらうぜ」
イェン「……断る」ヒュッ
イェンは目にも止まらぬ速さで体を回転させると、マクレーンの方を向き、彼の拳銃を右手で掴んだ。
更にそのまま右手を少し動かしただけで、瞬時に拳銃を解体してしまった。
引き金を引く暇などありはしない。
マクレーン「んなぁ!?」
驚く間にも、マクレーンは胸を強く蹴り飛ばされ、大きく後ずさる。
マクレーン「ぐっ!」
唯「マクレーンさん!」
イェンは背中へ手をやると、それ程大きくない青龍刀を引き抜いた。彼がヒュンヒュンと手首で
青龍刀を回した次の瞬間、マクレーンは胸と左の太ももを切り裂かれていた。
マクレーン「いってえ……!」
イェン「殺す……!」ヒュンヒュン
迫るイェン。後退するマクレーン。
マクレーンは素早く周囲を見回す。何か無いか。何か。武器になる物は。
そして、その目に止まったのは、日本武士の鎧兜と大小二刀。
イェン「ハッ!」ブン
イェンが振り下ろした青龍刀は、何かにその軌道を阻まれた。
防ぎ得たのはマクレーンが咄嗟に引っ掴んだ日本刀。鉄拵えの鞘は青龍刀の刃を物ともしていない。
二歩、三歩と距離を取ると、マクレーンはスラリと刀を抜き払った。
マクレーン「かかってきな、カンフーボーイ」
~船内・大会議室に続く廊下~
律、澪、紬の三人は飛ぶが如く駆け続けていた。
目指すのは、和を始めとするナカトミ社員が捕らわれている大会議室。
頼りとするのは、廊下の所々に掲示してある船内の案内図のみ。
律「大会議室、大会議室は…… いてて……」
紬「大丈夫? りっちゃん」
律「これくらい平気だよ。何たって私はリーダーだからな」
澪「あった! 大会議室!」
金属製と思われる観音開きの大きなドア。その上には『大会議室』と刻印されたプレート。
律はすぐにドアに取りつくと、拳を打ちつけ、怒鳴り声に近い調子で和を呼んだ。
律「和! 和! いたら返事してくれ!」ドンドン
ややしばらくの間が空いて、ドアの向こうから聞き慣れた声が届いた。
和「……律? 律なの!? どうしてここに!?」
律「私だけじゃない! 澪もムギも一緒だ! 助けに来たぞ!」
和「なんでこんな危ない真似を…… 撃たれたりしたらどうするの……? 私なら大丈夫なのに……」
律「話は後! すぐにここを開けるから!」
『すぐにここを開ける』とは紛れも無く安心させる為だけの言葉だ。何の策がある訳でも無い。
紬「でも、電子ロックが……」
澪「どうやって開けよう……」
律「電子ロックって言っても、それは鍵の事だろ? ドアは普通のドアだよ。何とか出来るって! ……たぶん」
強がりの言葉とは裏腹に、方法は思いつかず、ドアの事も何ひとつわからない。傷の痛みと出血の
ふらつきも相まって、頭を抱えざるを得ない。
澪も同様だ。律の隣で、焦燥感にまみれた表情のままたたずんでいる。
しかし、紬だけは他の二人とは異なる眼光でドアを睨みつけていた。
紬「ドアは普通のドア…… ドアは、普通のドア……」キッ
~船内・廊下~
マクレーン「野郎!」
マクレーンが怒号と共に振り下ろし、振り払う刃はイェンの身にはまったくかすりもしない。
逆に、イェンがリズム良く連続的に繰り出す斬撃は、マクレーンの必死の防御を時折かいくぐって、
その肉体を少しずつ傷つけていく。
それだけではなく、イェンが斬撃に織り交ぜて使う蹴りもまた、マクレーンにダメージを蓄積させていた。
マクレーン「チョロチョロすんな! この!」
マクレーンが右片手で上段から斬りつける。これまでとまったく同じ調子だ。
イェンは事も無げに左の内回し蹴りでマクレーンの右手を捉え、そのまま壁に貼り付けにしてしまった。刀は手から
こぼれ落ち、床に転がる。
器用にもイェンは、右足一本で立ちながら、左足でマクレーンの右手を壁に押さえつけている。
そして、手は左右両方が自由だ。
青龍刀を両手で握り直したイェンは、渾身の力を込めてマクレーンの頭部に振り下ろした。
マクレーン「クソッ!」
マクレーンは空いた左手でイェンの手を掴み、何とか斬撃を食い止めた。
だが、両手の力と片手の力、どちらが強いかは明白だ。
青龍刀の刃が徐々にマクレーンの顔に迫ってくる。
マクレーン「んぐぐぐっ……!」
刃がマクレーンの額に触れたか触れないかの、その時。
イェン「うあああああっ!」
突如、イェンが悲鳴を上げて、青龍刀を取り落とした。
マクレーンが肉片らしきものをベッと床に吐き捨てる。青龍刀を握る手に噛みつき、肉を食い千切ったのだ。
そのまま、イェンの体を突き飛ばし、右手の拘束からも逃れる。
マクレーン「お返しだ!」
勢いづいて殴りかかるマクレーン。
しかし、深々と前傾姿勢になったイェンの右足が、まるでサソリの尾のような軌道でマクレーンの顔面を
カウンター気味に襲った。
マクレーン「ぐはっ……!」
ふらつくマクレーンの側頭部に、今度は右回し蹴りと左後ろ回し蹴りが連続でヒットする。
マクレーン「ぐおっ!」ドサッ
遂にマクレーンはダウンを喫した。
梓「マクレーンさんが、殺されちゃう……」
唯「助けなきゃ…… 私が、助けなきゃ……」
彼の窮地を前に、唯と梓は何も出来ず立ち尽くしていた。助けたいという気持ちは十二分にあれど、
方法が見つからない。
マクレーン「クッソ…… 調子に乗りやがって……」
悪態を吐きながら、フラフラと立ち上がるマクレーン。やはり、逆転の方法を見出せずにいる。
イェン「終わりだ……!」
そう呟くと、イェンは素早く右の後ろ回し蹴りを繰り出した。
いや、違う。蹴りではない。右脚はマクレーンの首に絡められ、そのまま彼は床に引き倒された。
脚の力で絞め殺す、もしくは首の骨をへし折るつもりだ。
マクレーン「ぐうううっ……!」
イェン「お前の負けだ、マクレーン。ツイていない人生だったな」グググッ
梓「マクレーンさん!」ダッ
唯「あずにゃん、だめ!」
梓は唯の制止を振り切って、二人の所へ駆け寄ると、イェンの頭や背中を力の限り叩き始めた。
梓「マクレーンさんを離せ! この!」ポカポカ
イェンは振り返りもせず、裏拳で梓の鼻っ柱を殴りつける。
梓「ぎゃっ!」ドサッ
唯「あずにゃん!!」
後輩の無謀な突貫が唯の背中を押す。
何としても彼を助けなければ。しかし、自分が割って入ろうものなら、梓の二の舞だろう。
それならば――
唯「えっと、ええっと……」
――唯の目に止まったのは、マクレーンが使った大刀と共に飾られていた脇差。
唯「マクレーンさん! これ!」サッ
マクレーン「……!」
唯はマクレーンの方へ、力一杯、脇差を滑らせた。
マクレーンも懸命にそれへ手を伸ばす。
イェン「ふん!」バシッ
しかし、廊下を滑る脇差はイェンの手によって押さえられ、マクレーンの指先の僅か手前で止まってしまった。
掌の下の物からマクレーンへと視線を移し、ニヤリと笑うイェン。
イェン「つくづくツイていない」
マクレーン「んあああああ!」グッ
それでもマクレーンは渾身の力で手を伸ばして、遂に脇差の柄を握った。
イェンの掌の下に鞘だけを残して、光る刃が一気に引き抜かれる。
イェン「!?」
マクレーン「ツイてねえのはてめえだ!」ブン
マクレーンは手に握る抜き身の脇差を、イェンの胸に深々と突き立てた。
イェン「ぐっ……!」
短い呻き声と共にイェンは床に倒れ、ピクリとも動かなくなった。
だが、この強敵は死して尚、脚の力を抜こうとしない。
首に固く絡まる脚を解き、死体を向こうに押しやると、マクレーンはどうにか身を起こした。
マクレーン「ゲホ、ゲホッ! よこされたのが銃だったら死んでたな…… ありがとよ、ユイ」
唯「マクレーンさぁん!」
梓「マクレーンさん!」
駆け寄る唯よりも早く、梓はマクレーンにひしとすがりつく。流れ落ちる鼻血を拭こうともしない。
梓「よかった……!」ギュッ
マクレーン「おいおい…… フフッ」ナデナデ
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの唯もまた、二人の前でへたり込むと、マクレーンに抱きついた。
唯「ぐすっ…… うえええええん! よかったよぉ! あずにゃん、マクレーンさぁん!」ギュッ
マクレーン「いててて! だから痛いっての……」
~船内・特等船室~
ラップトップのディスプレイに映る信じ難い光景。
ディードリッヒは己の顔から血の気が引いていくのがわかった。
これを上官に報告しなければならない我が身を呪いたい気分だ。
ディードリッヒ「た、隊長…… イェンが、マクレーンに殺られました……」
クラウス「ぬぅるあああああ!!」ガシャーン
テーブルは引っくり返され、グラスが音を立てて割れ砕け散る。
クラウス「あのタコ野郎がァ!!」
激怒の叫びが部屋中に響く。
全身を震わせるクラウスに、別の意味で震えるディードリッヒ。
クラウスはしばらく荒い息で肩を上下させていたが、ややしばらく経つと不気味な程に静かな
低い声で命令を下した。
クラウス「……早く脱出の準備に取り掛かれ。今すぐだ」
ディードリッヒ「は、はい!」
最終更新:2011年11月30日 21:56