~船内・キッチン前の廊下~
クラウスとディードリッヒの二人は脱出用ボートに向かって、急ぎ足で歩いていた。
怒りが体中に充満し、気を抜くと簡単に冷静さを失いそうになる。
たった一人のマクレーンに、部隊は壊滅の一歩手前。右腕のイェンまで殺された。おまけにボートの
準備をしているはずのルッツとエルヴィンとは交信が途絶えてしまっている。
この損害と屈辱に対して、数十億ドルの価値を持つシステムデータだけでは、最早足りない。
クラウス「クソッ、何て事だ。このまま、おめおめ脱出するしかないとはな。マクレーンめ……!」
自然と呪詛の言葉が口をつく。前を歩くディードリッヒは上官の不機嫌を背中に感じ、胆を冷やしっ放しである。
キッチンを通り過ぎ、前に見える角を曲がり、階段を上がって甲板に出れば、すぐに脱出用ボートだ。
クラウスの胸の内では、『今すぐこの場を離れなければいけない』という思いと、『今すぐマクレーンを
八つ裂きにしてやりたい』という復讐心が、相反してせめぎ合っていた。
そして、その胸中を神は見抜いていたのか――
マクレーン「待たせたな!」
廊下の角から急に躍り出たマクレーンが、ディードリッヒの胸を撃ち抜いた。
ディードリッヒ「ぐおっ!」ドサッ
クラウス「なっ……!?」
クラウスが反応するよりも一瞬早く、マクレーンの銃口が向けられる。
マクレーン「てめえもサイモンも似たり寄ったりだぜ」
クラウス「くっ……」
先を急ぐあまり、クラウスはマシンガンには手を掛けず、肩から下げたままにしておいてしまった。
それが仇となり、反応が僅かに遅れてしまったのだ。
クラウスはマクレーンを刺激しないよう、ゆっくりとマシンガンの銃身部分を掴む。
マクレーン「おっと、動くなよ」
クラウス「……勝負しろ、マクレーン」ガチャッ
マクレーン「あん?」
マシンガンが床に捨てられた。
更に、腰に差してあった拳銃もゆっくりと引き抜かれ、やはり床に転がる。
丸腰となったクラウスは大きく両手を広げた。
クラウス「男同士、サシの勝負だ! さあ、来い! マクレーン! 銃など捨ててかかって来い!」
マクレーン「……アホか」パァン パァン
クラウス「ぐぶおぅ!」ドサッ
何の迷いも無く発射された二発の銃弾を胸に浴び、クラウスは仰向け様に倒れた。
床に大の字となり、両目は閉じられている。
マクレーン「へっ、親分に負けず劣らずの締まらねえ最期だったな」
マクレーンはそう毒づきながら、あくまで拳銃は構えたまま、ゆっくりとクラウスに近寄った。
その死を確かめ、彼が何者かを調べる為に。
死体の傍まで寄り、真上から見下ろす形になった、その時。
クラウスの両目が開いた。
クラウス「ふん!」ブン
不意に繰り出された蹴りで、マクレーンの拳銃は大きく弾き飛ばされる。
マクレーン「クソッ!」
ヘッドスプリングで一瞬のうちに跳ね起きたクラウスが、マクレーンの顔面をしたたかに殴りつけた。
マクレーン「ぐあっ!」
クラウス「防弾ベストだ、マヌケ」
矢継ぎ早のコンビネーションで顔面、腹とクラウスの拳が打ち込まれる。
マクレーンのケンカ染みた殴り方とは違う、明らかに訓練されたパンチ。
それだけでは終わらない。
顔面を狙ったパンチと見せかけ、途中から軌道を変えて奥襟を掴む。そこからマクレーンの体を引き寄せ、
強烈な膝蹴りを一発、二発、三発と打ち込む。
クラウス「この時を待っていたぞ、マクレーン」
マクレーン「ぐうっ……」
よろめき、フラつき、倒れ込むマクレーン。
形勢逆転の後、僅か数秒で大きなダメージを負わされてしまった。
膝を突き、うずくまっているところへ、クラウスが大股で近づいてくる。
マクレーン「ああああああああっ!!」
マクレーンは雄叫びと共にクラウスに掴みかかると、渾身の力を込めて自らの額を彼の顔面にぶつけた。
クラウス「ぶふぅおっ!」
クラウスの鼻からは鮮血がほとばしる。
そのままマクレーンとクラウスは揉み合い、絡み合いながら、キッチンのドアを破りつつ、その中へと
戦いの場を移していった。
マクレーン「死ねえ! 死ね、この野郎!」ドガッ ドガッ ドガッ バコッ
マクレーンはクラウスの体を調理台に押さえつけ、ボディを数発殴ると、再度頭突きを鼻っ柱に見舞った。
クラウス「ぶるぉあっ!」
そして、クラウスの首をヘッドロックの要領で締め上げながら、頭、額、顔面の別無く殴り続ける。
マクレーン「てめえみてえな野郎は! 死んだ方が世の為だぜ!」
クラウス「……ちょ、調子に、乗るなァ!」
クラウスは首を締め上げられた姿勢から、マクレーンの肩甲骨下、第11・12肋骨、腎臓と、
背部の急所を的確に打突した。
マクレーン「ぐおっ!」
調理台に突っ伏し、ガスコンロに頭をぶつけるマクレーン。その姿勢から、なかなか動かない。
マクレーン「うう……」
クラウス「さっさと起きろ。今度は私の番だぞ」
いつまでも調理台に倒れこんだままのマクレーンを、クラウスは無理矢理引き起こし、横っ面に肘打ちを
叩き込んだ。
マクレーンも反撃の拳を振るうのだが、クラウスに防ぎ捌かれ、何倍もの数の拳と蹴りを打ち込まれる。
やがて、マクレーンは戦う力も尽きかけ、フラフラと体を揺らせて棒立ちとなってしまった。
この格好の的をクラウスが見逃すはずも無い。
助走をつけたサイドキックによって、マクレーンはキッチンの外の廊下まで大きく蹴り飛ばされてしまった。
マクレーン「がはぁ……」
廊下で力無く倒れたままのマクレーンを見るに至り、クラウスは勝利を確信した。彼は目に付いた
ナイフスタンドに差し込まれた包丁へ手を伸ばす。
クラウス「ブッ殺してやる……!」チャキッ
だが、ここでクラウスはある異変に気づいた。
クラウス「……?」
目の前の空間が、風景が何かおかしい。陽炎のように揺らめいている。
クラウスはキッチン中を見回したが、どこを見ても空間がゆらゆらと歪んでいる。
マクレーン「へへへ…… その鼻血じゃ、臭いにも気づかねえだろ……」
クラウス「!?」
マクレーンの言葉からようやく思い当たり、慌てて調理台へと目を向けた。
やはり。やはり、そうだった。
ガスコンロのホースが引き抜かれている。元栓を開かれて。
マクレーン「俺からのクリスマスプレゼントだ……」シュボッ
その声の方へ向き直ると、廊下に倒れたままのマクレーンが燃えるジッポライターを手にしていた。
クラウス「マァクレェエエエエエエエエエエエエエンン!!」
マクレーン「受け取れ!」
放り投げられたライターが、廊下からキッチンに入った途端。
凄まじい轟音と共に、キッチンそのものが、室内全体が大爆発を起こした。
激しい爆炎に舐められ、クラウスはその声もその姿も掻き消される。
マクレーン「うおおっ!」
無論、爆発のショックは廊下にいたマクレーンをも巻き込んだ。逃げようとしていた彼を、爆風が大きく
吹き飛ばし、体を床に強く打ちつけさせた。
マクレーン「いってえええ……! チックショウ……」
~船内・大会議室~
約三十人程の社員達は皆、一様に口を閉ざし、座り込んでいた。
テロリストからの解放に歓喜していたのも束の間。自らが置かれた状況を考えれば、喜んでばかりも
いられない。
次の瞬間には、激昂したテロリストが乗り込んできて銃を乱射するという展開も、決して無くは
無いのだから。
不気味な静寂の中、律は大会議室の床に腰を下ろし、紬は律の脚を膝枕にして仰臥していた。
律「平気か? ムギ」
紬「うん。だいぶ楽になってきたわ。ありがとう、りっちゃん」
濡れタオルから半分覗く紬の目。
ドアをこじ開け、倒れた先程から比べれば、幾分かは生気を取り戻している。
そんな二人の耳に廊下の方から、バタバタと切迫感に溢れた足音が聞こえてきた。
澪「律! ムギ!」ハアハア
梓「先輩!」ゼエゼエ
律「梓! 無事だったのか! てゆーか、何でお前らが一緒にいるんだ?」
澪「そ、それが…… 和に言われて先に戻ってきたんだけど、途中で梓と会って」チラッ
梓「私と唯先輩はマクレーンさんに助けてもらって、ブリッジに向かってたんです。そしたら、
唯先輩が『やっぱりマクレーンさんを助ける』って言って……! それで、私、止められなくて……
ぐすっ、ごめんなさい…… 唯先輩、行っちゃった……!」ポロポロ
律「ったく、あの馬鹿!」
澪「たぶん、キッチンとかボート置き場の方に行ったんじゃないかな。和がマクレーンさんに言ってたから」
律「和は?」
澪「コンピュータルームに行ったよ。一人で。ブリッジのコンピュータじゃダメだったんだ……」
律「……」
言葉が続かない律に代わり、紬が口を開いた。額の濡れタオルを外し、ゆっくりと身を起こしながら。
紬「……唯ちゃんを探しましょう。おそらく今は和ちゃんより唯ちゃんの方が危険な状況だと思うの」
律「だな。唯と合流したら、すぐに和のとこに向かおう」
律が腰を上げる。しかし、疲労と大量の出血の為、上体はふらつき、足取りが大分怪しい。
すぐに澪がそばへ寄り添った。
澪「律、ホラ、つかまって」
律「ん、サンキュ」
梓「ムギ先輩、肩を貸しますよ」
紬「ありがとう、梓ちゃん」
四人の放課後ティータイムは支え、支えられながら、廊下を歩き出した。
~船内・ボート置き場へ続く廊下~
そこには壁に手を突き、片足を引きずりながらも前進するマクレーンの姿があった。
連戦に次ぐ連戦の負傷と疲労。銃はキッチンのガス爆発でどこかに行ってしまった。敵がまだ
残っているかもしないというのに。
嫌でも愚痴が口から漏れてしまう。
マクレーン「……ったく、何がクリスマスパーティだ。呼ばれる度に悪党共が湧いてきやがる。
もう二度と、頼まれたって拝まれたって出てやらねえぞ、クソ」
妻ホリーとの結婚生活。ルーシーやジャックら、子供達の幼い頃。お世辞にも平穏とは言えない、
これまでの人生。
何の脈絡も無く、脳裏に浮かんでは消えていく。
マクレーン「一度でいい。マトモなクリスマスを過ごさせてくれよ……」
そのボソリと呟いた言葉が、聞こえるか聞こえないかのタイミングで、後ろから不意にマクレーンに
話しかける者がいた。
和「ミスター・マクレーン」
それは放課後ティータイムのマネージャーであり、ナカトミの社員でもある
真鍋和だった。
マクレーン「ノドカ? なんでこんなとこにいるんだ」
和「クラウスは? 彼はどうなりました?」
彼の質問には答えず、周りを見回しながら、質問を返す。
マクレーン「ああ、アイツなら今頃キッチンでバーベキューになってるよ」
和「そう……」カチャッ
彼女の手には拳銃が握られていた。
人質として拘束され、その後はマクレーンと同じように他の人質を助け出す為に尽力しているはずの、
彼女の手に。
人物と状況のあまりのギャップに、マクレーンは和の行動を理解出来ずにいた。
マクレーン「おい、一体何の真似だ」
和「放課後ティータイム以外の人間に生き残られては困るのよ」
テオ「その通り。ここまでは概ね予定通りだからね」
聞き覚えの無い男の声。
マクレーンが振り返ると、ボート置き場の方から初老の黒人男性が拳銃を構えながら、こちらに歩いてくる。
声には聞き覚えが無かったが、彼の顔貌には何らかの記憶を思い起こさせるものがあった。
マクレーン「てめえは……」
テオ「“ほぼ相討ちに近い形でマクレーンが生き残る”。賭けは君の勝ちだね」
マクレーンを通り過ぎ、和へ近づくと、テオは人差し指と中指に挟んだ100ドル札を彼女へ差し出した。
和は少しも笑わず、それを受け取る。
和「ありがとう、テオ。でも、予定外の事も多かったわ。唯と梓を危険な目に遭わせてしまったし、
律とムギには怪我までさせてしまった…… 私の不手際で……」
マクレーン「テオ……? そうだ、思い出したぞ。ナカトミビルでアーガイルにブチのめされて
逮捕された野郎か」
テオ「おいおい、嫌な事を思い出させないでくれよ」
マクレーン「ヘッ、そうか…… グルだったのか、最初から。何もかも…… ヘヘヘッ……」
掌で顔を覆い、気違い染みた調子で笑い出すマクレーン。
壁にもたれかかり、そのままズルズルと廊下に座り込む。
マクレーン「だが、何故だ? 何でこんな事を?」
テオ「僕は美味しい儲け話に乗っただけ。計画の大元はこちらの敏腕美人マネージャーさ」
和「……YOU TUBEというものをご存知?」
マクレーン「……?」
和「知っている訳が無いわね。あなたはデジタル時代の鳩時計だもの」クスクス
ヒュッヒューという口笛が鳴り、マクレーンがテオの方へ顔を向ける。
テオが指差すラップトップのウィンドウには、YOU TUBEのトップ画面が映し出されていた。
和「そう、インターネットの動画共有サイトの事よ。毎日毎日、ありとあらゆる動画がここに
アップロードされているわ」
和「今日から数日後、犯行声明と共に、ある動画がアップロードされる。それはクラウス・リンデマン率いる
反ユダヤ主義旧東独武装グループが、ナカトミコーポレーション所有のヨシノブ・タカギ号を占拠し、
最後には爆破するまでの一部始終。勿論、ある程度の編集はされているけれど」
和「そして、その中にはあの子達の姿も映っているわ。クリスマスパーティに呼ばれてテロに巻き込まれる、
世界一運の悪いバンドの姿が」
テオ「世界一運が良いとも言えるよ。船は海の藻屑と化し、乗員乗客は全員死亡かと思われていたのに、
放課後ティータイムだけは奇跡的に生還するんだから。マスコミが放っとかないだろうねえ」
マクレーン「……売名か」
顔を歪めて吐き捨てるも、和はどこ吹く風だ。
和「テレビや新聞の報道に加えて、ネット上での注目。この事件を機に、放課後ティータイムの
知名度は飛躍的に高まるわ。いえ、元々の高い実力にようやく知名度が追いつく、と言った方が
いいかしら」
テオ「放課後ティータイムは見事有名人となり、僕は数十億ドルの価値がある船のデータを手に入れる。
みんなが美味しい思いをして、めでたしめでたしさ」
マクレーンはテオの言葉を無視し、和を睨み続ける。
マクレーン「大勢の命を犠牲にして得た人気を、ユイやアズニャンが喜ぶとでも思ってるのか?」
その時、笑いに緩むまではいかなくとも若干の余裕を湛えていた和の表情が一変した。
顔面のすべての筋肉が強張り、眼光に異常な光を宿している。
マクレーンの言葉、いや、言葉に含まれたいずれかの単語に、過剰な反応を見せたのだ。
和「……唯は、何も背負う必要は無い。大好きな音楽を、歌とギターを、精一杯やればいいの。
手を汚し、血にまみれ、罪を背負うのは私の仕事……」
和「唯はこの世界のトップに立てる実力を持っている。そして、私は全力でそれを手助けしなければいけない。
だって、私はあの子のマネージャーで、仲間で、幼馴染みで…… 親友なんだから」
和「小さな頃から唯と一緒だった。幼稚園、小学校、中学校、高校。ずっと唯の事を見てきた。
大学時代も社会に出てからも、唯の為に何が出来るか、そればかり考えてきたわ」
銃口はマクレーンに向けられたまま。和はゆっくりと、実にゆっくりと彼の方へ近づく。
和「私は、放課後ティータイムの為なら、
平沢唯の為なら、何だって出来る」
マクレーン「イカレてるぜ、お前……」
引き金に添えられた彼女の指に、徐々に力が入る。
和「あの子の為に死んでちょうだい、ジョン・マクレーン」
マクレーンは目を閉じ、努めて体の力を抜いた。
もはや諦めに支配されかけていたというより他は無い。
現役時代、幾多の危難を乗り越えて生き延びてきたのに、よりにもよって引退後にこんな異邦の地で
命を落とす事になるとは。
しかし、いつまで待っても引き金が引かれる様子は無い。
たまりかねたマクレーンは再び目を開けた。
銃口はこちらに向いたままだが、和の顔はマクレーンの方ではなく、後方へ向けられている。
唯「和ちゃん……?」
最終更新:2011年11月30日 21:59