和とテオの後ろに、驚愕と混乱に目を見開く唯が立っていた。

マクレーン「ユイ!」

和「ゆ、唯……!?」

和の顔と手元。それにテオ。
いまだに事態が把握出来ていない唯が、その三ヶ所へ視線を堂々巡りさせている。

唯「和ちゃん、どうして銃なんて持ってるの……? それに、その人、悪い人だよね……?」

和「こ、これは、その……」

テオ「あ~あ、愛しのユイちゃんに悪事がバレちゃったかな?」

和「テオ!」

ニヤニヤ笑いのテオを睨み、怒鳴りつける。あくまで銃口はマクレーンに向けたままで。
だが、それが災いした。

テオ「君の仕事はここまでだ。ありがとう」

テオの持つ拳銃が和へ向けられ、そして、火を噴いた。

和「ぐっ……!」ドサッ

拳銃を取り落とし、腹に手を当ててその場に崩れ落ちる和。
指の間からはドクドクと血が溢れ出している。

マクレーン「ノドカ!」

唯「和ちゃん!」

テオ「おっと、君は僕と来てもらうよ」グイッ

和の方へ駆け出した唯は、すぐにテオの手によって絡め取られた。

唯「いや! 離して! 和ちゃん! 和ちゃあん!!」ジタバタ

右手に拳銃、左手に暴れる唯、ショルダーバッグにラップトップ。テオはマクレーンには目もくれず、
ボート置き場へと歩を進め始めた。

マクレーン「待ちやがれ!」

床に転がる和の拳銃を素早く拾い上げると、マクレーンは銃口をテオへと向けた。
しかし、それでも尚、テオの顔から余裕のニヤニヤ笑いは消えない。

テオ「僕を撃つとこの場の全員が死ぬけど、それでもいいのかな?」

マクレーン「何だと?」

テオ「実は僕自身にもC4をセットしてあってね。心臓の鼓動が止まると起爆スイッチがONになる
   仕組みなんだ。それで良ければどうぞ?」

真実かハッタリか。
マクレーンは一言も発さず、狙いは定めたまま。
彼の長考にウンザリしたのか、テオは銃を握ったままの手で自身が着ているセーターの裾をめくった。
そこから見えた物は、色とりどりのワイヤー、信管、レンガ型のプラスチック爆弾。

マクレーン「……クソッ!」

マクレーンは肘を曲げて銃口を天井へ向けた。
絶対的な危険を抱え込む事による絶対的な安全。
心底愉快そうなテオは、吹き出し笑いをこらえながら再び歩き始める

テオ「ああ、そうそう。パーティホールの人質は解放しておいたよ。クラウス一味を全滅させてくれた君への、
   せめてものお礼さ」

その時、突如として天井のスピーカーからオーケストラの奏でる音色が、直後にバリトンの歌声が
響き始めた。
これは、ベートーヴェン交響曲第九番第四楽章“歓喜の歌”だ。
テオが腕時計を覗く。

テオ「おっ、時間か…… メリークリスマス・アンド・ハッピーニューイヤーと言えばコレだねえ。
   まあ、爆発までの間、皆で聖夜を祝ってくれよ。ハハハハハ!」

唯「和ちゃん! マクレーンさん!」

音楽に歌声、それに高笑いと悲鳴を加えながら、テオは唯を引きずりつつ廊下の角を曲がり、
姿を消した。
何も出来ず、姿勢すら変えられないままのマクレーン。
彼の頭蓋の中身はこの窮地を覆す為にフル回転を続けていた。
船にセットされた爆弾もテオにセットされた爆弾も爆発させず、かつ唯を傷つけずに助け出す方法。
そんなものが果たして――

マクレーン「……よし、イチかバチかだ」

覚悟を決めてボート置き場に向かいかけたマクレーンだったが、すぐに足を止めてしまった。
振り返れば、床に倒れた和が短い呼吸を繰り返している。
腹を撃たれたようだが、出血量から見て肝臓や大動脈は無事なようだ。充分に助かる傷ではある。
とはいえ、ここに放置しては助かる命も助からない。
短い逡巡の末、マクレーンは踵を返して和に近づいた。

マクレーン「さあ、来るんだ」グイッ

身を起こさせ、肩を貸して、手荒く担ぎ上げる。
改めてマクレーンはボート置き場へ向かって歩き出した。

和「どうして、助けるの…… 私は……」

マクレーン「さあな。知るもんか」

和「……」

マクレーン「……」

和「……お願い」

マクレーン「あん?」

和「唯を…… 助けて……」

マクレーン「言われなくてもわかってらぁ」


~船外・ボート置き場~

二人がやっとの思いでボート置き場にたどり着くと、ボートは既に無く、テオと唯の姿も見当たらなかった。
その代わり、大型ウィンチのドラムが回っており、そこから伸びるワイヤーロープが船の下へと
続いている。
マクレーンは和を床に寝かせ、舷側欄干から身を乗り出し、船の外を見下ろした。
ワイヤーロープの先にはモーターボートがあり、テオと唯の姿も確認出来る。
ボートが着水するまでの距離もまだ半分といったところだ。

マクレーン「よっしゃ、まだ間に合うぞ。ボートに乗り込んでいって、あの野郎を海の底まで
      沈めてやるぜ。それなら爆発してもユイは無事だ」

ただし、ウィンチ横にひっそりと置かれた小型ビデオカメラの存在に、マクレーンは気がついて
いなかった。
ボートのテオが手にしているラップトップの画面には、マクレーンと和の姿が映っている。
この場に到着した瞬間から二人は捕捉されていたのだ。

テオ「こんなのはいかが?」カタカタカタカタッ カタッ

ラップトップのキーボードが連続して叩打され、最後にエンターキーが音高く打たれる。

ボート置き場のどこかからピッピッピッという電子音が聞こえてきた。
不審な音に、マクレーンが周囲へ視線を巡らせる。
ボート置き場の片隅。どちらかといえばマクレーンより和に近い位置。その辺りで赤い光が点滅
している物体が見えた。
音と光と物体の形状が、数時間前にクラウスが一斉放送した内容に変換され、マクレーンの脳内で
スパークした。

マクレーン「危ねえ! クレイモアだ!」

和に覆いかぶさるように、自分も身を伏せる。
その動作とほぼ同時のタイミングで、音と光の発信源が炸裂した。
爆発音と共に無数のボールベアリングがマクレーンと和へ雨あられと襲いかかる。

マクレーン「ぐああっ!」

クラウスの言った通り、確かに殺傷能力は低かった。しかし、軽傷で済んだ訳でもない。
頭の先からつま先まで、ボールベアリングが当たった箇所は大きな傷となり、血が噴き出している。
唯一の喜ばしい事といえば、マクレーンが覆いかぶさったおかげで和がほぼ無傷だった事くらいか。

テオ「ハハッ、クラウスからこっちの起爆コードも盗んでおいて正解だったね」

ボートのテオはご満悦である。
そうこうしているうちにも、ウィンチのドラムは回り続け、ボートは海に近づきつつあった。

マクレーン「お、おい…… 無事か、ノドカ……」

和から離れ、持てる力のすべてを以て懸命に身を起こすマクレーン。

和「ええ、私は、大丈夫……」

マクレーン「チクショウ、早く何とかしないとボートが出ちまうぞ……!」

マクレーンはどうにか立ち上がり、ボートに乗り込む方法を思案していたが、それを邪魔するものがあった。
それは、複数の足音。マクレーンと和が歩いてきた廊下の方から聞こえてくる。
あまり良い事態ではない。ここに新手が加わるならば、流石のマクレーンも万事休す、だ。
足音は徐々に高まり、高まり切ったところで出入口のドアが乱暴に開けられた。

律「いたぁ!」

一番に響いたのは澪に支えられた律の声。
唯以外の放課後ティータイムのメンバーが揃っていた。
四人がマクレーンと和へ駆け寄る。

紬「和ちゃん……! マクレーンさんもひどい傷……」

澪「あっ! の、和ぁ!」

そう叫ぶと、澪は和にすがりつき、抱き起こした。
和と最後まで一緒に行動し、その身を案じていたのが澪なのだ。

マクレーン「お前ら、どうしてここに?」

梓「唯先輩を探しに来たんです! こっちに来ませんでしたか!?」

マクレーン「ああ。だが人質にされて連れてかれちまった……」ギリギリ

梓「そんな……!」

歯噛みするマクレーンが海の方を見下ろすと、ボートは遂に着水してしまっていた。
舌打ちをしても足りない思いで舷側欄干を離れ、今度は周囲をキョロキョロと見回す。まるで
何かを探すように。

澪「ねえ! 和は、和はどうしちゃったの!? 助かるの!?」

マクレーン「腹を撃たれてる。服か何かで傷口を強く押さえてろ。それでも血が止まらないようなら、
      傷口に直接布をねじ込め」

振り返りもせずに言い捨てると、マクレーンは一旦船内へ消えていった。

澪「ううっ、ぐすっ…… 和ぁ…… ごめんね、私が一人にしちゃったせいで……」ポロポロ

和「澪…… 私の方こそ、ごめん……」

マクレーンはすぐに戻ってきた。脇に小型のゴムボートを抱えながら。
そして、再びジッと眼下の海を、テオと唯の乗るモーターボートを見つめる。
上甲板からボートまでの高さは、およそ建物三、四階分はあろうか。

紬「マクレーンさん、どうしたんですか……?」

マクレーン「クソッ、すくむぜ……」

無事に着水を済ませたボートは、いまだワイヤーロープへ繋がれながらも、海面に揺られている。
テオは上機嫌で離脱の作業に取り掛かろうとした。

テオ「さてと、あとはワイヤーを外してっと」

脱出成功が間近い喜びのあまり、視線も銃口も唯から外れた、その隙に――

唯「んぁぐっ!」ガブッ

銃が握られているテオの腕に飛びついた唯が、ありったけの力を込めて噛みついた。

テオ「いててて! 離せ!」

驚きと痛みで手から拳銃がこぼれ落ちる。
この無力化が唯に更なる勇気を与えた。
視線が、これまでマクレーンや自分達を大変な目に合わせてきた、最も厄介なものに向けられる。
次に取った行動は、普段の彼女からは想像もつかない程の機敏、かつ大胆なものだった。

唯「えい!」ドボン

ボートの座席に置かれていたラップトップを海へ投げ捨てたのだ。

テオ「ああっ! な、何て事を!」

テオは平手で唯の頬を激しく叩いた。こちらも彼にしては珍しい、怒りに任せての行動だ。

唯「きゃっ!」ドサッ

テオ「クソォ! こ、これじゃ、船を爆破出来ないじゃないか……!」カチャッ

拾い上げた拳銃が倒れ込んだ唯に向けられた。
まだ怒りは収まらず、それどころか脱出への不安が増大していく。

テオ「こうなったら、無事に逃げ切れるまで君には人質になってもらうぞ」

唯「うう……」



一方のマクレーンはまとわりついてくる律や紬らに辟易していた。
腕や服を掴んで、口々に制止の言葉を叫んでいる。

律「こんな高さから飛び降りるなんて無茶だ! 下手したら死んじまうよ!」

梓「やめて下さい、マクレーンさん! 危険過ぎます!」

紬「お願い! やめて!」

マクレーン「黙ってろ! ヒーローの活躍を見たかったんだろ!?」

紬「ヒーローが死ぬところなんて見たくない!」

梓「死んじゃ何もならないです!」

マクレーン「いいからどけ!」

半ばやけくそ気味に彼女らを振り払うと、マクレーンはゴムボートを抱えて舷側欄干によじ登った。
足のすぐ先からは、断崖絶壁によく似た光景が続き、目標のボートが小さく見える。

マクレーン「神様、助けはいらねえから邪魔するなよ……」

わずかに宙を仰ぎ、ボソリと呟く。覚悟を決まった。ボートは既に動き始めている。
船外にまで響き渡る“歓喜の歌”は混声合唱となり、クライマックスを迎えつつあった。
マクレーンは乾坤一擲のダイブを敢行すべく、勢いよく欄干を蹴った。

マクレーン「わあああああああああああああああ!!」バッ

凄まじいスピードで自由落下していく中、ゴムボートをクッションにしようと強引に体の下へ
持っていく。
落下地点であるモーターボートは、もうすぐ目の前まで来ていた。

マクレーン「ああああああああああああああああ!!」ドォン!

マクレーンが着地した瞬間、モーターボートは交通事故にも似た衝撃と大きな揺れに襲われた。
唯もテオも危うく海へ投げ出されそうになる。

唯「ひゃあ!」

テオ「い、今のは何だ!?」

マクレーン「サンタクロースさ!」

パニック状態で振り返ったテオの顔面を、マクレーンは力任せに殴りつけた。

テオ「ぐえっ!」ドサッ

仰向け様に倒れ、ハンドルに頭を打ちつけるテオ。
殴られたせいか頭をぶつけたせいか、どちらが原因かはわからないが、半失神状態で白目を
剥いている。

唯「マクレーンさん!」

喜びと安堵で唯の顔は自然とほころんでいた。
マクレーンが後部座席から、彼女を引き寄せる為に手を伸ばす。
狭いボートではあるが、これからテオにする事を考えれば、少しでも遠くにいた方が良い。

マクレーン「さあ、こっちに来い。ユイ」

唯「うん!」

ボートはそのスピードを速め、どんどん船から離れていく。
揺れにふらつきながら、唯もまた懸命に手を伸ばす。
しかし、その横、運転席でのびていたはずのテオは、密かに意識を取り戻していた。
唯に噛みつかれて学習したのか、気絶中も握り締められた拳銃は手から離れていない。
急いでマクレーンに銃口を向け、引き金を引く。

マクレーン「ぐあっ!」

銃声と共に後方へ大きくよろめいたマクレーンは、衝撃と激痛に襲われた左肩を押さえた。銃弾に貫かれた
左肩は血にまみれ、左腕は自由を失ってしまった。
運転席ではテオがゆっくりと身を起こすところだ。

テオ「あ、あの時のようにはいかないぞ……!」

強く握り締めた拳銃は、まだマクレーンの方へ向けられている。
今度こそは正確に撃ち抜かんとばかりに、狙いは額へと定められた。

唯「うう、ううう……!」

助手席で唯が妙なうなり声を上げ始めた。体は細かく震えている。
恐怖か。いや、違う。
彼は船を爆破しようとした。彼は和を撃った。彼はマクレーンを撃った。
次々と大好きな人を奪おうとする卑劣な犯罪者。生まれて初めて接する本物の悪党という種類の人間。
テオが、滅多に表す事の無い彼女のある感情に、火を点けてしまったのだ。
つまり“怒り”だ。

唯「うりゃー!」ポカッ

その怒りに任せて放った握り拳が、テオの横っ面に命中した。
威力はマクレーンの十分の一も無いかもしれない。事実、テオは何のダメージも受けていなかった。
しかし、テオにとって運が悪かったのは、その脆弱な拳が眼鏡を弾き飛ばしてしまったという事だ。
眼鏡は運転席のシートの隅へ転がり落ちていった。

テオ「め、眼鏡がっ……! 眼鏡、眼鏡……」

慌ててかがみ込み、足元を探るテオ。
その様子を見たマクレーンは、ハンドルへ素早く視線を移し、更には備え付けの浮き輪へ目をやった。
ボートは最高速度に達している。最早、時間との勝負。
急いで唯へ浮き輪を投げ渡す。

マクレーン「ユイ! 海に飛び込め!」

唯「ふえっ!? でも、私あまり泳げないし、海冷たいし、ボートすごいスピードだし……」グズグズ

マクレーン「ガタガタ言ってねえでさっさと飛び込めってんだ!!」

唯「は、はいぃ!」


10
最終更新:2011年11月30日 22:01