たとえどんなに…
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気が付くと真っ白な世界にいた。
周りを見ても白、白、白。一面の白で、それ以外には何もない。
見える色は、髪と袖から零れた手だけ。
(…寒いな…。)
膝を抱えて身体を縮めてみる。でも温まった気がしない。
それどころか一層冷えた気がした。
視界が更に白くなる。肌が…髪がどんどん濃い白で薄れていく。
…ああ消えるんだなぁ、と諦観し始めたそのときだった。
ふわりと、温もりが私を包み込んむ。
――ちゃん――
優しいけれど…儚い声。
懐かしさと悲しみが込み上げる。
どうして…こんなにも愛おしいのか。
溢れる涙も、胸に走る痛みも気にならなかった。
ただ、この温もりさえあればいい…。
想いのままに目を閉じて、温もりに身を委ねていく。
「…んっ…」
ほんの一瞬、唇に柔らかくて不思議な感触。それを最後に世界は閉じた…。
「…んっ…」
微かな息苦しさを感じてゆっくりと目を開ける。
「!?…澪ちゃん!」
人の動く気配がする。
最初はぼんやりと、だけど次第に鮮明に人物像が浮かび上がった。
ふわふわの茶髪で、右側をピンで抑えた女の子。
大きな両目に涙を一杯溜めて私を見つめていた。
「み…お…ちゃん…。澪ちゃん!」
ガバッと抱きついて来た。
(え…?…え?えー!?)
事態が飲み込めずに混乱する。
そんな私にお構いなく少女は胸の上で泣く。
(どうしよう。どうしよう。どうしよう!)
内心冷や汗をかくが、少女の零す言葉に意識が向いた。
「…よかった…目が覚めて良かったよ~…」
泣きながら、震えながら、それでも手放すまいと抱き付いている少女を見ていると自然と落ち着いた。
(…今はいいか。)
ふっ、と笑みが零れる。
疑問は一時保留することにしよう。
少女を抱き返し、頭を撫でる。少しでも彼女が慰められるなら…そう思った。
どれくらい時間が経っただろうか…。いつの間にか部屋は静かになっていた。
ん?…そこで違和感を覚える。あまりにも静か過ぎるのだ。
(……まさか…。)
少女は抱きついたまま眠っていた。
「おい!!」
思わず眩暈を起こす。
流石にこれ以上は耐えられなかった。
「起きてくれ……起きろ~!」
ベッドに抑えられた体勢のまま少女を揺さぶるがなかなか起きない。
私が半身を起こし、本題に入れるようになるまで10分要したのだった…。
「はは……ごめんね澪ちゃん」
到底謝っているようには見えない笑顔。
愛嬌しかないので怒ることさえままならない。
「……いいよ…もう」
泣かれるよりはずっといい…。
そう思ったところで、新たな問題に気付いた。
目が覚めただけで安心して泣き付いて来た彼女だ。
ストレートに訊いたら傷つくだろう。
誤魔化す?いや無理だ。
遠回し?こんなボーとした様子の彼女に伝わるだろうか。
いやいや…。
「…凄く言いにくいことなんだけど…」
「……なに?」
純粋に聞き返す彼女の姿に居た堪れない気持ちになる。それでも言わねば…。
「澪~!」
「………私は誰だ?」
来客と同時に言葉は放たれた。
「……へ?」
沈黙が場を支配する。
目の前の彼女は勿論、来客者2名も入り口で固まっていた。
(………あれ?)
自分が発した言葉を理解すると赤面する。
幾ら混乱してたからってこれは無いだろ!私!
「…ぷ…。ぷはははははは~」
噴出すかのように、勢い良く入って来たカチューシャの女の子が笑い出す。
「ちょっ、りっちゃん…」
対照的に長い髪の少女は困惑気にしていた。
笑い声を合図に集まる人、人。中には医者や看護師もいた。
この時の発言は後に笑いの種にされるのだが…それはまた別の話である。
病院での騒ぎのあと、私は3人組に連れられて帰宅した。
ここは大学寮の私の部屋…らしい。
「…記憶喪失…ねぇ」
律が嘆息する。
その場では大笑いしたものの、事実だと分かると流石に困惑しているようだ。
ちなみに名前や立場などの説明は軽く移動中に受けた。
実感は無いが、嘘ではないとは分かる。
…というよりも疑えないんだよな…。
ちらりと唯の方に目をやる。
私の視線に気付いたらしい。
唯にニコリと笑みを向けられて、思わず赤面した。
……なんで私は赤面しているんだ?
とっさに視線をそらし、意識を話題へと戻す。
「…何も覚えてない…と?」
「……うん」
病院のベッドで目覚めた後、生まれてから現在までの記憶が抜け落ちていた。
自分のことも、仲間のことも思い出せない。
世界から放り出された気分になりそうだ。
「大丈夫だよ」
そっと手が重ねられる。温もりが、声が、私の心に掛かり始めた不安を消してくれた。
…ゆい。
自然と口が動く。音は出なかったけれど、唯は笑ってくれた。
「短期間で回復する可能性高いって仰ってたし、心配することないと思うの」
ムギが続く。
「私たちは澪の傍に居るよ…だから安心しろって」
そういって律が肩を組んできた。
……こんなに良い友人がいるなんて、私は幸せ者だな。
それから数日かけて、日常へと向かっていった。
ふぁあ。大きく開けそうになった口を手で抑える。
「…澪ちゃん眠そうだね…」
見られていたらしい。少し恥ずかしい。
記憶喪失なってから、最初の週末。私は唯の部屋にいた。
「…ゴメン」
「?…なにが?」
「いや…頼んでおいて、この有様だから」
今日は律とムギも講義の無い日。
同じ軽音部だっていう幸たちだって寮に居た。
皆で騒ぐこともできただろう…。
でも私は何故か唯と過ごしたかった。
それに対し、私が訪ねたときの唯は困惑していた。
私を招き入れていいのか…そんな逡巡があったようにも見える。
おそらく私は用も無く唯の部屋には来ない存在だったんだろう。
だから記憶の励起を理由にして、唯に歌ってもらうことにした。
…それなのに欠伸するなんて…失礼だ。
「あははっ。気にしなくていいよ」
どこか楽しそうな唯。こういった笑顔が本当に良く似合う。
でもどうしてだろう…胸が痛むのは。
クルシイ…サビシイ…。
……フレタイ。
「…え?」
私は唯を押し倒していた。
一体何をしたのか自分でも分かっていなかった。
気が付くと、唯が下に居て、驚愕の表情で私を見上げてる。
「あ………」
呆然とした自分のしたことに。
唯の身体が震えている…当たり前だ。
親友とも呼べる間柄の人間にこんなことされて平気な訳が無い。
「……どうして…っ」
分からない…どうしてこんな衝動が私の中にある?
怖い…これは何?
「……ゴメ」
「『友達でいたい』って言ったのは澪ちゃんなのに…どうして!?」
……唯は何を言っている?私が……なに?
唯はなんで…泣いている?
「……ごめ…ちがう…ちがうの。澪ちゃんは悪くない……」
顔を覆い、苦しそうに、呻くように唯は涙を流す。
私はこの光景を知っている…。
…痛い…苦しい。
いろんな想いが…思い出が…私の中を駆け巡っていく。
「…く…っ」
頭が割れるように痛かった。
できることなら今すぐにでも逃れたい。
「!?…澪ちゃんっ!」
気が狂いそうになる激痛の中で私を抑え込もうとする人物がいた。
(来るな…!)
そんな心の叫びも届かない。
彼女が私の身体を封じたのだろう…温もりが伝わってくる。
そして世界は反転した。
最終更新:2011年12月02日 19:58