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「こんばんは、のどかちゃん」
ドアの覗き穴を確認するまでも無く、チェーンを外しおもむろに開け放つ。
飛び込んで来たのは懐かしい笑顔。
唯がここを訪れるのは、大学に入ってから初めてだ。
肩に掛けているのはショルダーバッグ。
左手にはビニール袋。
右手にはラッピングされた白い箱。
「いらっしゃい、唯」
ドアの隙間から夜風が入り込み、二人の間をわずかに冷やす。
玄関には、スニーカー、サンダル、ブーツ。
少々窮屈だけど一人暮らしならちょうどいい。
唯はそこに立ったまま辺りを見回し、私に目線を移して口を開く。
出てくる言葉は予想がついている。
「おおー! 意外と……キレイだね!」
「――早く入りなさい。『意外と』は余計よ」
「は、はいっ! おじゃまします……」
唯は慌てて靴を脱ぎ、部屋に踏み入る。
「鍵かけておいてね」
「うん。今のはちゃんとほめてるよ?」
「なんだか――のどかちゃんらしい部屋だね」
概ね予想通りの唯らしい回答に、私は「ふふ」と声を漏らす。
「あっ、笑った。ひどいよのどかちゃん!」
「先に酷いことを言ったのはどの口かしら?」
「うぐ、ごめんなさい……」
「――なんて、ね。怒ってないわよ、おあいこね」
悪気の無い毒舌とともに、唯へ笑みを向ける。
すると、意外なことに脱いだ靴をそろえていた。
その様子は私に、『成長』という言葉を思い浮かばせる。
唯は、「よし、おっけー」と満足気。
近づいて来るのは床を踏む音。
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この物件はなかなかの掘り出し物だと思う。
間取りはリビング8畳、キッチンは別になっている。
バス、トイレも別々だ。
スーパーまでは徒歩10分。
コンビニは3分。
コインランドリーも近いし、本屋も手ごろな場所だ。
いざとなれば、定食屋、弁当屋などにも足を延ばせる。
壁紙もちゃんと張り替えられていて真っ白だ。
小奇麗な部屋は、『私の城だ』という思いを抱かせてくれる。
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嬉しい足音を聞きながら、リビングに振り返り歩みを進める。
しばらくして、後ろから「のどかちゃ~ん」という声が聞こえてきた。
向き直る間もなく唯の抱擁。『こら、やめなさい』という声は心中に留める。
背中越しの温もり、懐かしい感触、正面にまわされた手にそっと触れてみた。
――冷えてるわね、外寒かったもの。仕方ないか。
「手、冷たいわね」
――でも、この感触。やっぱり唯は唯のままかしら?
二人羽織の格好でリビングに足を踏み入れる。
「もう離しなさい」
「もうちょっと~」
「これじゃ準備出来ないじゃない」
そっと抱擁が解かれ、唯は名残惜しそうにベッドに腰を下ろした。
「あ、荷物おきっぱだ!」
「唯はお客様でしょ、私が取ってくるわ」
玄関に戻りビニール袋を手に取ってみる。
プリントされているのは某有名店のロゴ。
入ってるのは四角い箱で、中身がケーキであろうことは容易に想像出来た。
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12月26日、今日は私の誕生日だ。
クリスマスと時期が重なっているせいで何かとスルーされそうな日だけど。
それでも祝ってくれる人はいるし、唯が来たのもそのためだ。
12月24日、大学の友人たちとクリスマスパーティーを行った。
そのついでに――といっては何だけど、私の誕生日も祝ってくれた。
『真鍋さん誕生日おめでとう。ひと足早いけど』
『19歳おめでと。あと1年でお酒飲めるね』
『二人ともありがとう。ひと足早くても嬉しいわ』
『あ、お酒飲むなら日本酒がいいかも』
『――クリスマスにする話題じゃないかしら?』
『名前が"和"だから似合うんじゃないかな?』
『言えてる言えてる。真鍋さんと日本酒! 来年が楽しみ』
そんなこんなで、クリスマスパーティーもとい女子会は深夜まで続いたのだった。
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そして現在。
二人でコタツに座り夕食をたしなんでいる。
唯が座っているのは、私から見て90度右。
明太子パスタを振る舞い、満足気な表情を見つめている。
コタツの上に皿が二枚、申しわけ程度にサラダも一膳付けた。
「ごちそうさま~。おなかいっぱいだよ」
「のどかちゃん料理上手だね。すっごくおいしかったよ」
「どういたしまして。実家でも弟と妹に料理作ってたから、自然とね」
「大学の友達にお裾分けすることもあるわ」
「わたしは学生寮に住んでるから、料理に縁がないなぁ。お昼も学食が多いし」
「もしかして……女子力低い?」
「じゃあ、ひとつアドバイス。麺類は一人暮らしのお供よ」
「ありがと、おぼえとくよ」
――唯もそういうこと気にするのね。
唯は大学に入って変わったのだろうか?
人は成長するものだし私自身もそう感じている。
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不意に思い立って、携帯のメール受信箱を覗いてみる。
そこは唯からのメールにほぼ占拠されているけれど。
大学や高校の友達からのメールもちらほらある。
多数の唯の中から、最近のメールを選んで開く。
それによると、大学の友達とクリスマスパーティーを行ったらしい。
その友達というのは軽音部に所属していて、バンド名は『恩那組』という。
対して桜高の軽音部――梓ちゃんが率いる新バンド名は『わかばガールズ』だ。
彼女たちも独自でクリスマスパーティーを行ったらしい。
平沢邸で騒がしくしていたことだろう、憂に迷惑を掛けてなければいいが。
みんなそれぞれ新しい生活に馴染んでいる。
まるで私は馴染んでいないような言い方だけれど、ちゃんと大学生活を送っている。
要するに人は変わるということで、私と唯も昔のままではいられないのかもしれない。
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「何見てるの? のどかちゃん」
「え? あ、ちょっとメールを、ね」
唯の声で現実に引き戻され、携帯のディスプレイから目を離す。
「……そういうことなら、こっちにも考えがあるよ」
と言って、唯はおもむろに携帯を操作する。
写真を見せ付けられたとき、一瞬思考が停止した。
写っているのは私の姿。
しかしそれは――忍者のコスプレをしている私だ。
しかも案外ノリノリで。
今年3月、唯たち軽音部がロンドンへ卒業旅行に行った。
その後、山中先生が『マイル溜まってるから』と言って、急遽あとを追った経緯がある。
忍者の衣装は、軽音部が向こうで演奏をするというので先生が作成したものだ。
それを、私と憂と鈴木さんに試着させた。
――それが今更こんな形で……。
「もも、もしかして、さわ子先生に撮られた――卒業旅行のときの!」
「消しなさい! 早く!」
「さわちゃんにもらっちゃった」
「大学の友達に見せた――、って言ったらどうする?」
――唯がこんな脅し方を覚えるなんて……。
私は強がり、あえて平坦な調子で言い放つ。
「いいわよ、別に。減るもんじゃないし」
「ばら撒いて『私の幼馴染です』って紹介するといいわ」
「――なんてね、ウソだよ。持ってるのはわたしだけ」
ポーカーフェイスは崩さない。
内心――胸を撫で下ろしたけれど。
そうこうしているうちに、唯がコタツの上に物をふたつ置く。
差し出されたのはビニール袋とラッピングされた箱。
「えっと、ケーキにする? それともプレゼント?」
「それとも……わ、た、し?」
「……ケーキにしましょう」
「わたしじゃなくていいの? 誕生日なんだよ!」
本気で言っているのか、冗談なのか、天然なのか。
判断のつかない私は、無難な答えを選択した。
唯は、「ちぇっ」という声のあと、ビニール袋から白い箱を取り出す。
私はコタツを引き払い、準備に掛かることにした。
「皿取ってくるわね。あと紅茶用意するわ」
「のどかちゃんは座ってて、誕生日なんだもん」
「紅茶とケーキはわたしが用意するから」
「じゃあお願いするわ。――といってもティーバッグだけどね」
「ムギの入れるようなお茶を期待したら駄目よ」
「らじゃ! 行ってきます」
「食器棚に全部入ってるから、よろしく」
「お湯は電気ポットがあるから、沸かさなくてもいいわよ」
――成長か……。嬉しくもあるし寂しくもあるわね。
遠ざかる背中を見つめつつ、そんなことを考えた。
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唯が買って来たのはショートケーキ。
絵に描いたような三角形で、赤いイチゴとミントの葉が乗っている。
両手で紅茶のカップを包み込み、手のひらにぬくもりを補給した。
そのままカップを唇へ運んでひと口すする。
口内から喉元へ、そして食道から胃袋。
体の芯から暖かくしてくれる。
思わず「ふう」という声が漏れてしまった。
「どう? のどかちゃん。『わたしが入れた』紅茶の味は」
「あったまるわ、冬はやっぱり紅茶ね」
「紅茶の味は……?」
「入れたのわたしなんだけど……。感想……」
ティーバッグで入れた紅茶に味は関係ない、けれど――。
「知ってる? 緑茶、ウーロン茶、紅茶。全部同じ葉っぱなのよ」
「えっ、そうなの? で、味は……」
「発酵のさせ具合で違ってくるのよ」
「発酵させないと緑茶、半分発酵させるとウーロン茶、完全に発酵させると紅茶、ね」
「のどかちゃん……、なんか怒らせること言っちゃったかな?」
――そんなわけないじゃない、唯が入れてくれたんだから。
不思議と、自分が入れたものより味わいがあると感じた。
答える代わりに、温まった手を唯の頬にのばす。
室内に入って時間が経ったからだろう、いつもの体温といったところだ。
「のどか……ちゃん?」
「何?」
「――んと、手、あったかいね……」
「カップで温めたもの、当然よ」
のばした手から唯のぬくもりが伝わる。
――唯は大学に入って化粧とか覚えたのかしら?
好奇心に駆られ、顔を唯に近づけてみる。
目元、口元、頬、いつも通りの唯といったところだ。
大学に入って大人びたと思ったのは、思い込みだろうか。
急激に成長するわけではなく、本人も気づかないところで変化が起こるんだろう。
「顔、近いよ? のどかちゃん……」
「そうね」
心なしか、唯の顔が少し熱くなった。
「えっと、わたしは……なんていうか」
「心の準備が出来てないんだけど……」
――準備? 何のことかしら。
ただ唯の変化を近くで見たかっただけで、準備の意味がわからない。
唯の顔が赤みを帯びている。
――何を恥ずかしがることがあるの?
疑問を抱えながらも目線は離さない。
しばらく対峙したあと、唯がしおらしく口を開く。
「メガネ……、じゃまだよ。取ったら?」
「取る? 私の視力は知ってるでしょう。何も見えないわよ」
「――そうじゃなくて。ちゅーするときにね……、じゃまになると思うんだ」
流石の私も絶句した。
――何て反応すればいいの?
唯と同じくして、私の顔も熱くなる。
とはいえ、いつまでも黙っているわけにはいかず。
自分の本心もわからないまま、反論するしかなかった。
「な、何言ってるのよ! 唯、そんなんじゃなくて……」
「――って、キスすると思ってたの?」
「だって、顔近づけてくるんだもん。かんちがいしちゃった」
「わたしたち、そんな関係じゃないよね。まだ――」」
あわてて唯の頬から手を離し、コタツの天板で熱を冷ます。
でも顔は熱いまま、それは唯も同様らしい。
――いい加減ケーキ食べないと、雰囲気を変えなきゃ。
そう思い、「唯、そろそろ……」と切り出したのだけれど。
「の、のどかちゃん! ケーキ、ケーキたべよ!」
「そ、そうね。紅茶が冷めちゃうものね」
唯が空気を読んでくれた。
落ち着きを取り戻すため、ケーキに手をのばす。
でも、それがいけなかった。
のばした右手に衝撃を感じた。
紅茶のカップ、受け皿、スプーン、これらが音を奏でる。
気づいたときにはもう手遅れで、コタツの天板に水溜りを作ってしまった。
「ああ……」
我ながら情けない声だ。
急いでキッチンへ向かい、流し台の上にある雑巾を手に取る。
リビングへ向かうと、唯が何やら必死で手を動かしている。
どうやらティッシュを数枚取り、それで紅茶を拭いているようだ。
「唯、雑巾取って来たわよ。――って、ティッシュで拭いてるの?」
「あ、のどかちゃん。だって……わたしのせいでこぼしたんだもん」
「自分でふかなきゃって思ってね、そしたらティッシュがあったから――」
「唯、違うわよ。こぼしたのは私のせい」
「ちがうよ、わたしのせいだって」
「ティーカップ倒したのは私よ、唯のせいじゃ――」
このままだと平行線で終わりそうだ。
とはいっても、よくあることだし、いつも『なあなあ』で終わる。
――元はといえば……。
「唯が勘違いするから……。そんな……キスするなんて」
「それじゃあ――、しちゃう?」
「え?」
――待って、唯。私こそ心の準備が……。
混乱して逡巡しているあいだに。
「――なんて、ね。また今度ってことで、いいでしょ? のどかちゃん」
「え、ええ……。そ、そうね。まだ早いもの」
「うん! それじゃあ、いつにしようかな?」
半ば無理やりに約束をされてしまう。
唯に促されるまま、曖昧な返事をする。
私は物事をはっきり言うタイプだし冷静だとも思う。
人からは『少し天然』だと言われているけれど。
それでも否定しなかったということは、つまり唯は特別な――。
――考えるのはやめておこう。私の誕生日を祝ってくれている、それだけなんだから。
最終更新:2011年12月26日 01:32