ひらさわけ!
唯「うぅーん・・・・っと! そろそろ行こっか?」
憂「そうだね。あっ待って、もう一枚着てった方がいいんじゃないかな」
唯「うい、こっちおいで」
くるくるっ
唯「こうしてマフラーすればだいじょうぶ!」
憂「えへへ、あったかいね……あ、でも」ぐいっ
唯「わわっ!・・・・じゃあ、ちょっとだけはずそっか」
憂「ううん、もう靴はけたから大丈夫だよ」
唯「よかったあ……じゃ、いこっか」
憂「うん!」
唯「ううっ、外さむいねえ・・・・」
憂「くもりだもんねー。卒業式はあったかかったのにね…」
唯「でも、ぎゅってすればあったかいよ?」ぎゅっ
憂「ふふ、そうだね。・・・・お姉ちゃんの手、あったかい」ぎゅ
唯「憂の手もあったかいよ?」
憂「そうかなあ? あっお姉ちゃん、これからまずはどこに行こう?」
唯「うーん……そうだ。はじめに小学校、いってみない?」
憂「小学校かー……なつかしいな。でもどうして?」
唯「だって、今日は“こどもの日”なんだよ?」
そう言ってお姉ちゃんは私にふわっと笑いかけた。
ほっぺたを冷やす風のせいで身をよせそうになるのに、お姉ちゃんの笑顔はあったかい。
お天道様に見つめられてるみたいな気がして、なんとなく冷たい風の方に顔を向けてしまう。
だけど、ぎゅっと握った私の手も胸の奥も確かに熱くなっていた。
憂「そうだね。……今日は、お姉ちゃんと私の“こどもの日”だもんね」
繰り返してみる。なんでもない春休みの一日に、お姉ちゃんが付けた名前。
その響きもむかし食べた飴みたいにじゅわって熱くなって、うれしいのに懐かしさがさみしくなった。
唯「憂も、がんばって“こども”にならなきゃだめなんだよ?」
そう言うと、ちょっとだけ強めに手を引っ張られたからどきってしてしまう。
私たちの道の向こうには、まだ掛け布団みたいに広がるくもり空。
二人で一緒にくるまってるみたいな気がして、抱きしめられたみたいにぼんやりしてしまう。
だから外の寒さを言い訳にして、先を歩くお姉ちゃんの方に身体をほんのちょっとだけ近づけた。
くっついて歩いていくにつれて、少しずつ雲の向こうの明かりがにじんでいく。
今朝のテレビで夕方までには晴れると聞いた時は素直に喜んだけど、今はどこか違う。
着込んできてしまったから、昨日や一昨日ぐらいには暑くなってはほしくない。
あ、でも洗濯物が……そんなことを考えてた矢先、甲高い男の子の声が児童公園の方から聞こえた。
冷たい外壁の一戸建てと高い木々に囲まれた小さな公園は、いつも以上に子どもたちでにぎわっている。
サッカーボールを奪い合う男の子たち。二重飛びを練習する女の子。しゃぼん玉を吹いてる子も見える。
唯「めずらしいね、いつも人いないのに」
憂「ほら、橋の方の大きい公園が工事してるからじゃないかな」
それに、みんな学校も終わって春休みだから……そう言おうとして、急に言葉に詰まってしまう。
唯「……小さいころ、よく来たよねえ。和ちゃんと」
憂「でも、今日は人が多いよ」
唯「だいじょうぶ、私たちだって今日はこどもなんだから!」
お姉ちゃんが手を引いて言うもんだから、帰りにまた寄ろうってことにしてどうにかその場を後にした。
小さい子たちが遊んでる中に入っていくのは、さすがにちょっと気が引けたから。
ちょっと焦るように歩いていったせいですぐ小学校に着いてしまう。
つないだ手の中の熱がこもるようで、少し離した方がいいのかもしれない。
唯「わ、あのうさぎ小屋まだ残ってる!」
お姉ちゃんが指さす。体育館の陰、六年ぐらい前と変わらない飼育小屋が静かに立っている。
四年生ぐらいかな、二人でキャベツの芯やニンジンなんかを持っていったっけ。
唯「うさ太郎、まだいるかなあ?」
憂「ちょっ、ちょっとお姉ちゃん?」
お姉ちゃんは大丈夫なんて歌うように言いながら飼育小屋の方へと私を引っ張ってしまう。
こんなことしてて周りにあやしまれないか不安になるけど、そんなの気にする暇もない。
気づいたら敷地内に踏み込んで、中が見えるところまで来てしまった。
本当は私も後ろめたさにどきどきして、一緒に育ててたうさぎを探すのにもわくわくしちゃったけれど。
「ちょっと、なにしてるの?」
びくん、と肩がはねる。見つかっちゃった。ごめんなさい! あわてて振り返る。
和「……あんたたち、また小学校に入学するつもり?」
公道を隔てた反対側、よく知った姿がそこにあった。
ため息が出てしまう。安心した頃、ようやく声が和ちゃんのものだって理解した。
唯「あはは……ちょっと、散歩してたら、つい」
憂「ごめんなさい……ちょっと、気になっちゃって」
あきれたような眼ざしと自分の謝った声のせいか、なんだかひどく悪いことをした気がする。
唯「あのね、和ちゃん。今日の私たちは“こどもの日”なんだよ?」
びくびくしてた私やぽかんとした和ちゃんに気にせず、お姉ちゃんは得意げに言う。
和「……よく分からないけど、二人ともとりあえずこっちにいらっしゃい」
ちぇー、なんてふくれる声がそばで聴こえて吹き出しそうになる。
いつしかそらしていた目を上げたら、和ちゃんもあきれながら笑ってくれた。
唯「――というわけで。今日は憂と私の“こどもの日”なのです!」
お姉ちゃんが昨日の思いつきを自信たっぷりに説明すると、暇なのね、と冷たく返されてしまう。
いいじゃんちょっとぐらい、なんてふくれるお姉ちゃん。
出かける前までタイムトラベルだなんて言ってたのに、まるでいつも通りの私たちだ。
憂「ふふ、和ちゃんも一緒に行く?」
和「あいにく暇じゃないのよ……そういえば唯だって、明日じゃないの?」
どきっとする。やけどしたみたいに指がはねた。その手をお姉ちゃんが握る。
唯「ちっちっ、明日の準備はもうカンペキなのだよ和ちゃん。それに今日はお昼ごはんも作ったんだよ!」
憂「そうなの、お姉ちゃんすごいんだから!」
さっき食べたばかりのお昼ごはん、私の分まで作ってくれたんだよ。
和ちゃんだって、お姉ちゃんのおいしいごはんを食べたらびっくりするんだから。
和「相変わらずね。それで、うさぎはどうだったの?」
唯「まだみてないよ?! 和ちゃんがさっきじゃましたんじゃーん」
小学校の側でうちに来た時みたいな軽口を投げあう二人を、なぜか忘れないでいようと思った。
和「……ニワトリ小屋になってたわね」
唯「はぁ……がっかりだよ。なんにも言わないでいなくなっちゃうなんてさあ」
憂「あはは、さすがにお姉ちゃんには言えなかったんじゃないかな……」
あれから三人でもう一度小屋を見に行って、三人で落ち込んで戻ってきた。
でも、本当にこどもみたいにしょぼくれた二人がおかしくって、ほっこりしちゃった。
憂「たぶん、きっとどこか別のところで元気に生きてるはずだよ!」
唯「そうかなあ……?」
元気になってほしくて、私も元気にはね回っているうさ太郎の姿を思い浮かべながら言う。
憂「ほら、あの時はうさ太郎まだ子供だったよね? 成長して、もっと広いところに行ったんだよ!」
和「憂も案外見てたのねえ」
どこか遠くで大人になったうさ太郎は、見えないところでも元気にはね回っているはず。
そんな姿を三人で考えるうちに、お姉ちゃんもいきおいを取り戻したみたい。
気がつけば雲はだいぶ薄れて、明るい陽の光が私たち三人を照らして出していた。
唯「めっきり晴れちゃったねえ」
憂「そうだね、お姉ちゃん……」
ぼーっとする私の首から、お姉ちゃんがするりとマフラーを外す。
まとっていた熱が晴れて、ベッドから出たような解放感と心もとなさがある。
和「いい天気じゃない。最近はぐずついたり晴れたり、落ち着かなかったでしょう」
唯「そうだねえ……もう春だもんねえ」
ついそんなことを口ずさんだお姉ちゃんは、あわてて「でも今日はこどもだよ」と付け加える。
おどけた笑顔が春の陽射しみたいにまぶしくて、どうしていいかわからなくなって、私も笑う。
そんな私たちを見つめる和ちゃんの眼ざしに、こうして三人で歩くのも最後なのかなって気づいた。
三人で昔話をしているうちに小学校を通り越して、隣の中学校の辺りまで来ていたらしい。
入学した時に制服の先輩が大きく見えたはずなのに、いま目に映る中学生はまるで幼く見えて、
唯「……うい?」
憂「ん、なんでもないよ」
いつの間に触れてしまった手の甲がまだ冷たくて、もう少しだけ握っていられるなって思ってしまった。
中学校を通りすぎた頃、本屋さんに向かう和ちゃんとは別れた。
暇つぶしにTOEICの参考書を探しに行くらしい。和ちゃんは大人だね、ってお姉ちゃんが茶化してた。
校門のそばのソメイヨシノが少しずつ緑を灯していて、散らばった足下の花びらも色あせている。
明日も見送りに来るって言ってくれたけど、もう二度と今みたいには会えないような気もした。
唯「それじゃあ、次はどこいこっか?」
憂「……公民館の方の駄菓子屋って、おぼえてる?」
数秒考え込んだお姉ちゃんが、ぱっと目を輝かせる。よかった、おぼえてたんだ。
自転車に乗れるようになった頃、お姉ちゃんが思いっきり遠くまで行こうって連れ出して、見つけた店。
唯「ああ……なつかしいね! そうだよ、こどもといえば駄菓子屋だよ!」
憂「しゃぼん玉、まだ売ってるかなあ?」
唯「売ってるよぉ! あ、あとふえになるラムネあったよねっ」
あの頃どんな遊びをしたか、おもしろかったこと、はずかしいこと、いろいろを思い出しながら歩く。
まだ身体も小さかったせいでどこまでも広く見えたこの町も、今では知らない道さえなくなってしまった。
ぼやけた思い出に引き寄せられるようにして、私たちは数年ぶりの駄菓子屋に向かう。
唯「あれえ・・・? この辺りのはず、なんだけどなぁ……」
憂「おかしいね、あの橋を渡っていったから、もう見えてもおかしくないのに……」
十数分か数十分ほど探してみたけれど、お目当ての駄菓子屋は見つからない。
同じところばかりうろうろしているけど、距離にすればずいぶん長く歩いてしまって、暑くなってきてしまう。
それでもときょろきょろ探し回っていたら、見覚えのある看板を見つけた。
憂「ねえっ、あの印刷工場! お姉ちゃんが間違えて入っちゃって、あぶないよっておこられちゃった」
唯「あはは、よく覚えてるね……ってことは、」
そこではっきり気づいてしまう。お姉ちゃんも、困ったような笑い顔を浮かべて向こうの地面を指差した。
指の先には、アスファルトに塗り固められた駐車場が広がっていた。
唯「ついちゃった、ね……」
お姉ちゃんのため息が想い出のはじけて消える音に聴こえて、たまらなくなってしまう。
憂「しょうがないよ、私たちが通ってた頃だってあのおばあちゃん、けっこう年いってたはずだから……」
「――あれ? 唯先輩?」
うなだれるお姉ちゃんの肩にそっと手をあてたとき、少し先の方で声がした。
梓「うわー……そういうのは、結構へこみますね」
唯「そうなんだよあずにゃん! 私も憂も、ここのおばあちゃんのおかげで今こうしてるんだよ!?」
憂「お姉ちゃん、それは言いすぎかな……あはは」
梓ちゃんを見つけたお姉ちゃんは、犬がしっぽを振るみたいに笑顔で手を振って呼び寄せた。
制服を着てギターを背負った梓ちゃんと、抱きつこうとしてはかわされるお姉ちゃん。
なんだかまだお姉ちゃんの高校生活が続いてるような気がして、自然と口元もゆるんでしまう。
なくなってしまったらしい駄菓子屋について三人で話していたら、お姉ちゃんも元気を取り戻したみたい。
憂「あれ? ところで梓ちゃん、高校にいくの?」
梓「あっうん。純からジャズ研の練習手伝ってよって言われちゃってさ」
えーずるーい、なんて声を上げるお姉ちゃん。
先輩が教えてあげよう、なんて背筋をのばしてみたりするのがかわいいな。
あ、お姉ちゃんが行くなら私も……って思いかかった時、梓ちゃんは言った。
梓「だめです。唯先輩は卒業生なんだから、もう校舎に入れません」
ぴしゃっと閉め出すみたいな声。なぜか私の方がふるえてしまう。
えーそんなあー、なんてなさけない声を上げるお姉ちゃんの声も聞こえないぐらいに
梓「あっ憂はいいんだよ? っていうか、唯先輩がちゃんと卒業してくれないとこまるから……」
私のほうに気づいてあわてる梓ちゃんに「なんでもない」って言うけど、やっぱりさっきの言葉が響いてしまう。
お姉ちゃんは、もう卒業していて、子供じゃなくなって、だから明日には――
唯「えー、今日は“こどもの日”だからゆるしてよぉ!」
そんな時、お姉ちゃんの変わらない声が聞こえて、あ、まだそばにいるんだって気づいた。
冷たい風がそっと吹いて、その流れに乗せられるようにして私はこっそり手をつなぎなおしてしまう。
梓「子どもの日は五月五日ですよ……大丈夫ですか?」
あきれた顔の梓ちゃんがさっきの和ちゃんと一瞬重なって、ふきだしそうになる。
するとお姉ちゃんがさっき伸ばした指先をぎゅっとにぎってつないだ。冷たい指先に、胸の奥がはねた。
唯「あのねーあずにゃん、今日は私と憂が“こども”になる日なのです」
またさっきみたいに得意げな解説を始めたお姉ちゃんのやわらかい腕に、少しだけ体を近づけた。
お姉ちゃんの声はやっぱり魔法だった。和ちゃんみたいに、すぐ梓ちゃんもほほえませてしまう。
梓「……つまり明日には唯先輩も上京してしまうから、無責任に遊べるひと時を満喫しよう、みたいな企画ですか?」
唯「あーんあずにゃん言い方つめたいよー……!」
桜ヶ丘高校の前までは梓ちゃんにつきあうことにして、また今日のことを教えてあげた。
私と二人ですてきなアイデアを説明し終わるころには、梓ちゃんの目もだいぶ柔らかくなっていた。
昨日の夜、お姉ちゃんと一緒に寝ていたときにこっそり耳打ちされた。
最後の日ぐらい、一緒に遊ぼう。桜ヶ丘で過ごした思い出を一つ一つ確かめてから、東京の大学でがんばろう。
その口ぶりだけは私にどうか一日だけと頼み込むようだったけど、本当は私へのプレゼントだったんだと思う。
梓ちゃんは昨日の話を聞くにつれて、私の方を不安げにちらちら見つめていた。
梓「そっか、じゃあ憂も昨日はよく眠れたんだね」
憂「うん。ひさしぶりにぐっすり眠っちゃった。そしたら朝ごはん作ってくれたんだよ」
お姉ちゃんのごはん、すごいんだよ。びっくりするぐらいうまくなったんだから。
ついついうれしくて言葉数を増やしてしまうけど、梓ちゃんはやっぱり困ったような顔でほほえんでいた。
それから三人で、高校生活のことをまた思い出しながら通学路を歩いた。
梓ちゃんといる時はお姉ちゃんの話ばかりで、お姉ちゃんといると梓ちゃんの話ばかりしていたっけ。
そしたら梓ちゃんに「私も二人でいると憂の自慢ばかりされたよ……」ってあきれてみせた。
じゃんけんみたいだね!って言ったお姉ちゃんの言葉に、三人で声を出して笑ってしまった。
それから、二つの学園祭。
お姉ちゃんが風邪を引いた年と、私が風邪を引いた年。
あの時のことを梓ちゃんに謝ると、おかげでU&Iが生まれたんだからむしろ感謝してるよ、って言ってくれた。
お姉ちゃんが「あの曲は私と憂の子どもだね」なんて言うから、顔が熱くなってしゃべれなくなっちゃったけど。
アスファルトの上でまばらに散った桜の花びらに気づいて顔を上げると、通いなれた校舎が見えてきてしまう。
もう陽もだいぶ傾いて、冬が忘れてきたような風が冷たくひびく。
梓「じゃあ、この辺で」
唯「あずにゃん、元気でねー!」
出会った時みたいに手を振るお姉ちゃんに、梓ちゃんは「明日も見送りに行きますよ」って笑った。
それから校舎に入っていこうとして、ふと私のほうに言う。
梓「……ていうか憂、これもしかしてデートだったの?」
憂「ちっちがうよ?! ……ええーっと、ちがう、のかな?」
急にはずかしくなって助けを求めるようにお姉ちゃんの方を向いた。
お姉ちゃんは、傾きかかって色づき始めた太陽が窓ガラスに映るのをぼんやり眺めていた。
話しかけようとしたのに、お姉ちゃんがやけに美しく見えて、急に遠ざかった気がして、言葉がはじけてしまう。
梓「だったら、さ。デートだってことでいいじゃん」
憂「あずさ、ちゃん……?」
お姉ちゃんらしいことがしたかったって、唯先輩にもメールもらってたんだよね。
そう言って少し笑った梓ちゃんがなんだかまぶしくて、私は同じように笑うことができなかった。
最終更新:2012年01月01日 20:04