部室では何とかやり過ごしたものの、律はその日も私の家に来なかった。
次の日も、またその次の日も。
そんなことが何日か続いたある日、ムギに声をかけられた。
「もしかして、ケンカしてる?」
「……何の話」
「りっちゃんと澪ちゃん、最近あんまり会話してないでしょう?」
ムギは鋭い。ほわほわしているようで、微かな空気の変化に敏感だ。
私と律の間に漂う険悪な雰囲気を見逃さなかった。
「二人がケンカなんて、珍しいわね」
確かに律とケンカしたのなんて、久しぶりだ。
この前は、高二のライブ直前だっけ。
つくづく大事な時期にケンカしてるものだと思う。
「私が、ちょっと律に言い過ぎちゃって」
ムギが相づちを打つ。
「私自身も受験で苛立ってたんだ。それで、つい律に当たっちゃった」
私は言葉に詰まった。
思い返せば、私は何てことを言ってしまったんだろう。
ムギは何かを考え込む。
「あ、そういえば!」
そして、思いついたように声を上げた。
「ねぇ、澪ちゃん。今度の15日って誕生日でしょ?」
受験ですっかり忘れていたが、そういえばそうだった。
「みんなでお誕生日会を開きましょう!」
「いや、いいよ……みんな勉強で忙しそうだし」
「大丈夫よ、ちょっとぐらい」
「でも……」
「それじゃ、お昼の間だけを使ってとか。今日みんなに聞いてみましょう!」
ムギは既にその気らしい。
目が輝いて、眉毛が充実している。
そして、部室にて――
「さんせーい!! 憂も呼ぶね!」
「み、みなさん勉強は大丈夫なんですかっ?」
「あずにゃんは来ないの?」
「もちろん行きます!」
「……ぷぷ」
「はっ」
こうして、軽音部のみんなが私の誕生日を祝ってくれることになった。
――ただ一人、部室に顔を見せなかった律を除いて。
「りっちゃん、どうしたのかな」
「まさか、本当に体調を崩したとかじゃ……」
「学校には来てたからそれは大丈夫よ」
「それじゃ何で……」
今日は週末、つまり私の誕生日前では最後の登校日。
律が私を避けたことは明らかだった。
「大丈夫よ、澪ちゃん」
ムギに背中をさすられる。
「りっちゃんにはメールでもしましょう?」
怪訝そうな表情を浮かべる唯と梓に向かって、ムギは言った。
その日も律は私の家に来なかった。
一人で机に向かう。数学を一問解くと、時計を見る。
まだ十分そこらしか経っていない。
勉強の邪魔、なんて律に言っておいて、律がいなくてもまるで勉強がはかどらない。
受験勉強は長く苦しい。でも、誰かと一緒なら頑張ってやっていける。
誰かが側にいた方が、頑張れるんだ。
直前になって疲れとプレッシャーが限界になったとき、それは如実に感じられる。
鉛筆を乱暴に投げ捨てた。
筆記用具や問題集を机の上にほっぽりだしたまま、私はベッドに倒れ込んだ。
――――
「ハッピーバースデー澪ちゃん!!!」
「おめでとうございます!」
クラッカーの音が盛大に鳴り響く。
唯とムギ、梓と憂ちゃん。
受験直前ということもあって去年より人は少ないけれど、それでもみんなが集まってくれた。
「あ、ありがと、みんな」
嬉しくて、ちょっと照れくさかった。
「こんな忙しい時に、私のために集まってくれて……」
「あ、澪ちゃん涙ぐんでる~!」
「お姉ちゃん、めっ」
「ちょ、ちょっと欠伸しただけだっ」
十八歳の誕生日も、みんなに囲まれて過ごすことができた。
でも、やっぱりそこに律の姿はなかった。
「律先輩、何してるんでしょうか」
「澪ちゃんの誕生日なのにね」
「メールしたら、行くとは言ってたんだけど」
「家まで呼びに行きますか?」
「いいよ別に、そのうち来るだろ」
「でも……」
「そうね、先にやっちゃいましょう。今日は特製ケーキを持ってきたの」
「おぉ! ケーキ!」
ムギの計らいもあって、どうにかパーティが和気あいあいと進んでいく。
ゲームをしたり、プレゼントをもらったり、演奏してもらったり。
その年の誕生日も、とても楽しいものになった。
……結局律は最後まで現れなかったのだけれど。
私の誕生日がもうすぐ終わる。
あと十秒、九、八、七……時計から目を逸らす。
とうとう16日になってしまった。
ずっと前から、律は私と誕生日を過ごしてくれた。
誕生日に律と会話すらしないなんて、初めてのことだった。
携帯を開く。メールは一件もない。
机の前に座る。もう一度、携帯を開く。
体ごと突っ伏して、ため息をもらした。
律との思い出がよみがえる。
小学生、中学生、そして高校生。
私と律はずっと一緒だった。
私は律を助けているようで、いつも律に助けられていた。
いじめっ子に絡まれてる私を、身体を張って守ってくれたり。
恥ずかしがり屋の私の背中を押してくれたり。
引っ込み思案だった私を音楽の道に引っ張りこんだのも律だ。
そのおかげで軽音部に入って、かけがえのない親友と出会うことができた。
いつしか律はただの幼なじみじゃなくなった。
私にとって、大切な人。
弱虫の私をずっと支えてくれた、かけがえのない……
手で涙を拭く。
拭いても拭いても、止めどなく溢れる。
律に会いたい。
仲直りができなくてもいいから、嫌われたままでいいから、会って謝りたい。
会いたいよ、律。
そのとき。こんこん、と音がした。
息を呑んで耳を澄ませると、もう一度、こんこん、と音がした。
窓を叩く音だ。こんな風に家に来る人間は一人しかいない。
おそるおそるカーテンを開けると、そこには……
「みおー、開けてくれい」
私はすぐに窓を開けて、そのびっくりするほど冷たい手を取る。
「あちゃー、ちょっと遅れちゃったか」
のんきなことを言っているのは、幼なじみだった。
「ごめんごめん、寝過ごしちゃってさ」
ケンカしていることを忘れたかのように、律はにこやかに話しかけてくる。
「もしかして、私を待ってたとか? まさかな」
そのまさかだよ、バカ律。
「パーティってもう終わっちゃった?」
とっくの昔に、と私は頷く。
「ですよねー、失敗しっぱい」
律は悪びれる様子もない。
業を煮やした私は律に問いただす。
「いったい今まで何やってたんだよ!」
「何ってそりゃ……」
これ、と律は紙袋を差し出した。
その中には、所々ほつれたマフラーがあった。
「慣れないことするもんじゃないな、やっぱ」
律がぽりぽりと頬をかく。
「勉強の合間にちょいちょいとやっても一向に進まないし、夜更かししたら眠くなるし」
「じゃ、じゃあ最近お前の様子がおかしかったのって……」
「そだよ、それ編んでた」
こんな大事な時期に、勉強の時間を割いてまで私のプレゼントを?
それで寝不足になって、何考えてるんだお前は。
「いやー、完成したらどっと疲れが出ちゃって、寝て起きたらこんな時間だろ? 急いで来たんだけど……」
律、と名前を呼ぶ。
不思議と心が温かくなった。
「な、何ですか澪さん。もしかして怒ってらっしゃる?」
ゆっくりと律に近づく。
「あ、勉強はそれなりにしてたぞ、別にサボってなんかないからなっ」
なおも律に近づいていく。
「ごめんってば、でも澪にどうしても渡したくてっ」
距離を詰めて詰めて、そして、思いっきり。
思いっきり、律を抱きしめた。
「みお……?」
「ごめっ、わたし、律にひどいこと言った!」
声にならない声をひねり出し、ともすれば収拾がつかなくなる心を必死に抑えつける。
涙でくしゃくしゃになった顔を律の胸に押しつける。
「律は、わたしのために、ここまでして、くれたのに、わたしはっ……」
律に背中をなでられる。
「ごめん、あんなこと、言うつもりなかったのに、疲れてて、どうかしてたっ」
「よしよし、もう気にしてないって」
「ごめん、律ごめん」
「ごめんより、お礼が欲しいな」
「……」
ありがとう、と私は呟いた。
しばらくして、ようやく落ち着いた頃。
私は律と肩を並べて座り込む。
律からもらったマフラーを首に巻いて。
「ごめんな、誕生日に間に合わなくて」
「全然気にしてないよ」
「悪いな、下手くそなマフラーで」
「……うぅん」
最高のプレゼントだよ。
「なぁ、澪。今日空いてる?」
「受験生に暇はなし」
「そう言わずにさ、ちょっとだけ!」
「一体何の用?」
「澪の誕生日会やろうぜ!」
いきなり何を言い出すのかと、びっくりした。
「で、でも、もう16日だぞ?」
「いいじゃん、一日遅れでも。澪の、もう一つの誕生日ってことで」
はっと、小学生の頃の記憶が思い起こされた。
「どした、急にぼっとして」
「似たようなことを、昔言われた」
「そだっけ?」
そうだよ、忘れるもんか。
律と過ごした最初の誕生日だ。
お前は忘れたかもしれないけど、私にとっては大切な思い出なんだ。
律の肩によりかかる。
「16日の誕生日か」
「いいアイデアだろ?」
「分かった、いいよ」
「よし決まり!」
「そのかわり……」
私は一つ条件をつけた。
今年だけじゃなく来年も、そのまた来年も……
この日は二人で過ごそうって。
最終更新:2012年01月17日 21:04