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純「さあ、私の質問に答えよ。汝は黒猫を見たことがあるか?」

憂「ある」

自分の声に含まれた刺にも構わず、私は答えた。

純「そして、その黒猫を見たらどう思う?」

憂「……」

どう思うのか。
別に特に抱く感情なんてないはずだが。
しかし、そこで、私はいつかミルクをあげた野良猫のことを思い出す。

野良猫。全身真っ黒の猫。
その黒猫を見て、私はどう思ったか。

――まるで私みたい。

憂「不吉の象徴だと思う」

純「そっか、そんなことを思ってしまうのか……」

どこか愕然とした様子で、鈴木は呟いた。

純「うん、すごい憂はネガティブだよね」

憂「……そう、だよ」

純「もう全身灰色だよ。灰かぶりだよ」

憂「……」

呆れたように鈴木は溜息を漏らして私を見た。


純「こういうのって結局は考え方の問題なんだろうけどさ。
  黒猫は昔の日本じゃ魔よけになるって言われて、結構大事にされてたんだよ」

憂「本当、に?」

思わず私が聞き返すと、鈴木は多分、と胸を張った。

純「まあ、一方で、アメリカでは、悪魔憑きとして魔女狩りで猫は沢山殺されたらしいけどね」

憂「……そう」

真偽は定かじゃなかったが、わざわざこの流れで言う必要はない気がした。

純「まあ、とにかく何事とも考え方次第ってこと!」

無理矢理、鈴木純はそう締めた。


再び、私と鈴木の間には沈黙が訪れた。
鈴木がジュースを啜る音だけがいやに耳についた。
店内も今日はあまり客がいない。というか、私以外には老夫婦が、いるだけだった。


純「……あのさ、さっき何事も考え方次第だって言ったよね?」

やっぱり最初に口を開くのは鈴木純だった。

純「憂は自分の名前に対してどんなイメージもってるんだっけ?」

憂「……私には…………ね、ネガティブなイメージしか……持てない」

純「私にとっては憂の名前は面白いけどね。
  ……っていうか珍しい名前だよね」


珍しい、というか変な名前だ。


純「あー、でも……」

不意に鈴木は手をポンっと打った。

純「ほら、憂って漢字使った、うれえる、だっけ? そんな言葉があるよね?」

憂「……?」

純「あれ? なかったっけ?」

憂「あるけど……」

そこで鈴木は探偵のように口許に手を当てて、少しだけ黙った。

純「ほら、憂えるっていうのは、ようは誰かのことを心配したり、誰かのことを思って不安になるってことでしょ?」

……だいたいその意味であってるはず。私は頷いた。

鈴木の次の言葉を待ちながら私はストローくわえた。

そして――鈴木純は得意げな顔をして、私に笑顔を見せた。


純「――誰かのことを思って不安になったり、誰かのことを思って心配したりするのは――優しくなきゃできないじゃん」


口に含んだジュースの炭酸は、すっかり抜けていた。




空を覆うオレンジ色の帳の下を私は一人、ポツンと歩いていた。
鈴木とは、彼女が帰りに本屋へ行くと言ったので、店を出てすぐ別れた。


憂「……」

さっきから、鈴木が言った言葉が頭から離れなくて、私はその言葉から逃げるように速歩きで家に向かった。
途中、交差点で赤信号に引っ掛かる。足踏みをして待つ。
信号が青に変わる。

さっさと横断歩道を渡る。さっきよりもさらにペースアップして歩く。
そうして、普段よりもずっと早い時間で家に着いた私を迎えたのは、


梓「やっほー」

なぜか、家の玄関の前で手持無沙汰といった感じで突っ立ていた猫娘……中野梓だった。




梓「それっ」

陽光を浴びて、煌めく川の上を小さな石が跳ねた。

梓「こんなのするの久々だなあ。憂は水切りしたことある?」

憂「ない」

梓「ふうん……えいっ」

再びみなもを小石が蹴った。

一回。

二回。

三回……そこまでだった。


憂「……わ、私に話って、なに?」

今、私と中野がいるのは家からそう離れていない川だった。
中野に話したいことがあると言われてここまで来た。

中野は部活の帰りらしい(お姉ちゃんは軽音部の人たちとアイスを食べてから帰るそうだ)。

梓「ごめんごめん。そうだったね」

中野は手をパンパンと払うと、私が座っている隣へ腰を下ろした。
私は少しだけ、離れた。
人と距離が近いのは苦手。
意味もなくドキドキして、身体が熱くなっちゃうから。

梓「む……なんで離れるの?」

憂「別に……」

梓「……」

今度は中野が私が離れた分だけ距離を詰めた。離れる。また詰められる。離れる。

梓「……だから、なんで逃げるの?」

憂「別に」

梓「別にじゃ分からないよ」

憂「……」

梓「よいしょ」

憂「ち、近すぎると、思う」

梓「だって……こうしないとお喋りできない」

憂「そんなことない」

梓「そうかもね。でも私はこうしたい」

憂「どうして?」

梓「わかんない。でも友達どうしだからいいでしょ、別に」

不意に何かの単語が心のどこかに引っ掛かった。
遅れて私の脳裏には、あの鈴木の言った言葉が浮かび上がった。


純『――誰かのことを思って不安になったり、誰かのことを思って心配したりするのは――優しくなきゃできないじゃん』


それは、どういう意味なんだろう。

それは……

私は気づくと、中野梓の小さな手を握っていた。

憂「わからない……わからないよ」

梓「憂?」

どうしてこんなにも落ち着かないのか、わからなくて。

憂「自分のことなのに……自分のことなのに」

自分のことなのに、まるで赤の他人のように自分のことが分からなかった。
思い返してみると鈴木純と中野梓と出会ってからだった。
私の胸に自分でもよく分からない感情が去来するようになったのは。

握った手に力を入れる。

梓「憂……」

握り返してくれる中野の手が、妙に心強く感じた。


夕日を映した川面が眩しいからなのか、或いはもっと別の理由なのか、目の奥がツンとして私は空いてる片方の手で目を揉んだ。

梓「とりあえずさ、悩みができたら誰かに相談するのが一番だよ」

憂「……何が悩みなのかが、分からなかったらどうすればいいの?」

梓「そういう時は……」

中野梓がおもむろに立ち上がって、私の手を引いた。
中野が一人で暴走して、あげく、私の秘密が鈴木にばれ、逃げる鈴木を追うハメになったあの日。

あの日のことを私は思い出す。

あの日追いかけた小さな背中は今も小さい。けれども、小さいのになぜか頼もしく見えた。

梓「身体を動かすのに限るよ」

私の手は握ったまま、中野はしゃがんで手頃な石を見つけると、思いっきり川に投げた。

勢いよく小さな石は、水面の上をかけていった。

得意げな顔で中野は振り返った。

梓「憂もやってみようよ」

憂「……わ、私、やったことないよ……」

梓「大丈夫だよ。憂ならすぐできるようになるよ」

中野は手ごろな石ころを私に手渡した。
私はやってみることにした。




憂「あ……」

梓「おお」


七度目の投擲の時だった。

私の投げた薄い石は何度も川面をかけて、向こう岸に辿りついた。

梓「憂、やったね」

憂「……」

梓「憂?」

中野に頬を引っ張られて、ぼーっとしていた私は顔をしかめた。

憂「いたい……」

梓「ご、ごめん。強く引っ張りすぎた」

少しだけ低い位置にある黒髪の下の顔が、申し訳なさそうに俯いた。

憂「え?ううん……」

まるで、夢の中にいるような感覚に私は戸惑う。
先程まで暗幕のように心にかかっていた、しこりのようなものが消えていくのを感じる。
その代わりに次に湧き出てきた感情に、これまた私は戸惑ってしまった。
情緒不安定なのだろうか?

梓「憂?」

またもや黙ってしまった私の頬に今度は引っ張るのではなく、両手を当てた。

この気持ちはなんだろう?

見えそうで見えない感情を探りあてようとしていると、

 「あ、あんたたちっ!」

夕焼け空に聞き覚えのある声が響いた。


声のした方向を見ようとしたが、中野の両手が私の顔を固定したため、叶わなかった。
声の主が誰かは、見なくても分かった。

純「あずさー!何憂にキスしようとしてんの!?」

なるほど。確かにキスしようとしている風に見えるな。
砂利を踏む音が近づいてくる。

梓「ち、ちがうよ!」

純「何が違う!?」

梓「とにかく違う!」

夕焼けに顔を赤く染めた二人が怒鳴りあった。
なんてことはない、見慣れつつある光景だった。

純「梓、私が必死で憂のために本屋漁りをしている間にあんたはっ……!」

梓「わ、私だって必死に憂を慰めてたんだもん!」

憂「あの……」

純「だいたいこの前も……!」

梓「この前っていつ!?」

不毛な争いは永遠に続きそうだった。私は二人のほっぺを同時に引っ張った。

純「いっ!?」

梓「だっ!?」

あっさり争いは集結した。その代わりに二人のジトッとした視線が私を睨みつける。

憂「……」

梓「……」

純「……」

梓「……ふっ」

純「……ぷっ」

梓「……ふふふ、あははははは」

純「はは、ははは、ダメお腹いたいいっはははははははははは」


ひっそりと眠ろうとしている太陽を呼び起こさんばかりの、笑い声が中野と鈴木の間から沸き上がった。
先程まで漂っていた雰囲気はどこ吹く風で、今は二人ともお腹を抱えている。


不思議だ。なんでこんなにも感情がころころ変わるんだろう。

……っと思ったあたりで自分も人のことを言えないことに気がつく。

笑い転げる二人は一向に、納まる気配がない。


しばらく私はそんな愉快でやかましい光景を眺めていた。


純「というわけで、これより作戦の説明に入ります!」

二人の笑い声が止んだのはすっかり太陽が山に隠れてしまった頃だった。
そして、すっかり暗くなった今現在。
仁王立ちし鈴木は、私にビシッと指を差した。

……今度は何だろう?

憂「さ、作戦って……なに?」

純「決まってるじゃん。憂と憂のお姉ちゃん、唯先輩をくっつける作戦だよ」

私の質問に対してのいらえは見当もつかないものだった。

憂「……はい?」

梓「もう一度言うよ。憂と唯先輩をくっつける作戦だよ」

憂「……それは、聞こえた、よ?」

……ていうか、私とお姉ちゃんの禁断の恋に一番反対したのは、中野梓、お前だろうが。

私の考えを見抜いたのか、中野は少しだけバツの悪そうな顔をした。

梓「ま、まあ何?
  気が変わったっていうのかな?とにかくチキンの憂のために私は協力するのっ」

憂「……」

純「まあまあ、梓も落ち着きなよ」

梓「ごめん」

純「まあ、さっそく作戦について説明するね」

鈴木純は高らかにそう、宣言した。

鈴木純の作戦の内容は、こうだ。

まず、美味しいご飯を作る。

純「私はここんとこ、ずっと色んな本屋や図書館を漁っていたわけ」

なんでも、恋愛必勝方なる本を探していたらしい。しかも、近親相姦で同性愛の。

純「まあ、見つからなかったんだけど」

そこで、ノーマルの方面での恋愛必勝の本を探したらしい。

純「まあ、探したら何冊か該当するものが見つかった」

そしてそれらの本の美味しい部分をまとめて作戦を組み立てた。

純「ちなみにどうして美味しいご飯が必要なのかと言うと……」

美味しいご飯によって相手の気分をよくするのが狙いらしい。

純「まあ、憂の腕前ならここは余裕でしょ」

そして、次は私自身の問題の克服だった。

純「チキンの憂、平沢チキンのチキン対策」

平沢チキン言うな。

純「それは、できる限りお姉ちゃんに告白することを色んな人に知らせておく」

そうすることで、自分を追い詰め、同時に奮い立たせる。
これは恋愛だけではなく、自分の目標を達成する上で実に有効な手段らしい。

背水の陣。


純「ちなみに梓に協力してもらって唯先輩の知り合いという知り合い全員に
今週末、憂がお姉ちゃんに告白することを伝えておいた。つまりもう逃げられな――フガッ!?」


そこまで言ったあたりで、鈴木の両方の鼻の穴に指フックしてやった。


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最終更新:2012年01月20日 01:00