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音楽室……ではなく、音楽準備室の扉の前に私と田井中先輩と琴吹先輩はやってきた。
私たちが普段使ってる校舎に比べると、若干錆びついている気がするそこは、古い建物独特のにおいがした。
宙に舞う埃が、窓から差し込む日差しに浮かびあがって踊っているのを尻目に私は出そうになったため息を飲み込んだ。
音楽準備室。
つまり、軽音部の部室。
音楽室と違って授業ですらそう来ない場所なので、あまり行く機会はないがそこが軽音部の部室であることはもちろん知っていた。
だってお姉ちゃん関連のことだもん。
紬「そんなに緊張しなくていいから、憂ちゃん」
職員室を出たそのあと、偶然会った琴吹先輩が私を気遣ってそう言ってくれた。
この見るからに品の良い先輩は田井中先輩とは別の意味で明るくて、お姉ちゃんとは違う種類の人懐っこさを持っているような気がする。
それでいて、におい立つようなお嬢様的オーラを持っていて、なんだか喋っていると変な気持ちになってくる。
この人は職員室から音楽準備室に至るまでの短い距離の中で、しきりに私とお姉ちゃんの間柄について聞いてきた。
私個人としてはお姉ちゃんの話をするのは嫌いではない、もといスキなので普段の会話をするよりは疲労が少なかった。
憂「……あ、その……き、気遣い? ……は、む、無用です」
琴吹さんになんとか返答して、私は田井中先輩と琴吹先輩にばれないように小さく深呼吸をした。
なんとなくだけど、琴吹先輩が笑ったような気がした。
もっとも顔を伏せいている私には彼女の表情が見えないのできちんとは判断できないのだが。
しかし、緊張すると視界が狭まるような感覚に陥るのはなんでなんだろう。
私は無意識に鬱陶しい前髪を払った。
律「ま、普通に楽にして入ってよ」
紬「おいしいケーキもあるから、せっかくだから一緒に食べましょ?」
憂「は、はい……」
律先輩がドアの取っ手に手をかけた。
軽音部部室の扉が開いた。
私の緊張をそのまま声で表現したような高い音をあげて、扉が開いた。
中野さんと秋山先輩が机に座って、向かい合っていた。
梓「あれ……憂? どうしたの、なにか係りの用事でもあった?」
昼休みに、私に弁当とも毒物とも区別のつかないものを渡してきた中野さんが目を丸くした。
しかし、私の両隣にいる先輩二人を見てなんとなく私がここに来た理由を察したのか、中野さんはにこりとした。
澪「律……」
長い黒髪が特徴的な秋山先輩が私ではなく、田井中先輩をうろんげな目で見た。
澪「憂ちゃんを強引にここまで連れてきたりしてないよな?」
律「まっさかー。なあ、憂ちゃん?」
言いつつ、田井中先輩が私を振り返る。
心なしかキレイなおでこには汗が浮いている気がした。
私は一応、小さくうなずいた。
澪「……本当に?」
おそらくこれは私に対して向けられた言葉だろう。
私は頑張ってうなずいた。
澪「……ならいいけど」
律先輩が露骨に胸を撫で下ろした。
田井中先輩はまたゲンコツが来るとこだったぜ、とふざけた調子でと額の汗をぬぐった。
憂「あれ……?」
そこで私は気づいた。
憂「お姉ちゃんは?」
梓「唯先輩なら今日は日直当番だから、まだいないって」
すぐに中野さんが答えた。
紬「唯ちゃんもいずれ来るだろうし、先にお茶してよっか。
今日はステキなお客さんもいるし」
正直お姉ちゃんが来るのを待たないのは、妹である私としては身を切るほど辛いが、それ以上にこの状況でお姉ちゃんを待とうという提案をするほうがよりつらい。
なので、私は必然的に黙ってうつむいて無言で不満を表した。
梓『こらっ……』
いつの間にか隣にいた中野さんに横っ腹を肘でつつかれた。
いつの間に隣に……?
相変わらず猫みたいなクラスメイトだった。
中野さんは本当に聞こえるか、聞こえないかの小声で私に注意した。
梓『唯先輩のことは我慢しなよ。
せっかくムギ先輩たちが憂に気を遣ってああ言ってくれているんだからさ』
憂「……」
わかりましたよー。
♪
私のお姉ちゃんが所属しているこの軽音部は、毎回練習をすっぽかして『お茶』をしているらしい。
毎日欠かさず、それこそ習慣のように。
呆れた話だが、しかしだからそこ私のお姉ちゃんが部活を続けられるのも納得できるというものである。
で、肝心のお茶とケーキについて。
お姉ちゃんを待たずにお茶を始めることに不満はあったが、同時にもう一つ不満があった。
それは簡単な話で、私は昼休みに無駄に昼食をとったためお腹がほとんどすいていなかったのだ。
しかし。
憂「……おいしい」
思わず私がひとり言を呟いてしまうぐらい、口にしたケーキはおいしかった。
紬「本当? よかった。口に合わなかったらどうしようかと思ってたから」
憂「ほ、本当においしい……です!」
デザートは別腹という格言を久々に思い出しながら、私は紬さんにお礼を言った。
いつもよりほんの少しだけ、私の口から出た声はでかい。
中野さんがおかしそうに私を見て笑ったが、ケーキのあまりのおいしさに気にならなかった。
思わず無言でケーキを頬張りながら、上品な香りの紅茶を堪能する。
ここだけの話。ちょっぴりお姉ちゃんのことを忘れかけていたのは内緒。
あ、でもきちんとお姉ちゃんの好きなケーキはとって
……と、すっかり軽音部の『ティータイム』に入り浸っていた私をいきなり現実に戻したのは開かれた扉の悲鳴のような甲高い音だった。
律「あ、さわちゃん」
田井中先輩の言ったとおり、扉から颯爽と入ってきたのは山中先生だった。
音楽準備室になにか用事でもあるのだろうか。
まあ、音楽の先生なんだから物置でもあるこの部屋に用があるのは変な話じゃないけど。
……うん? 先生?
私は口に突っ込んだケーキを咀嚼するのも忘れて固まってしまった。
よくよく考えてみると、この状況は教師に見られるのは非常にまずいのではないか?
部室を部活の活動のために使うのではなく、ほとんど私的な利用と言ってもいいお茶のために使うなんて。
しかも、よく見てみるとこの部室の棚はティーカップやらなんやらが置いてあって食器棚と化している始末だ。
さわ子「……」
憂「……」
私は自分の顔から血が抜けていく音が聞こえていくような気がした。
実際なぜだか動悸が激しくなっているみたいだった。
ああ……叱られるのはイヤだ。
私は人から叱られるのがすごく苦手で怖くてイヤだ。
山中先生が目を猫のように細めつつ、私たちに近づいてくる。
先生は背が高いから起こるときっと迫力満点で怖いに違いない。
ああ、きっと叱られる。
罵声を浴びせられるんだ。
先生が手を伸ばす。まさかひっぱたく気だろうか!?
先生は箱の中に入っていたひとつのケーキを手に取った。
さわ子「じゃあ私はこれで」
なんでやねん!
憂「……」
思わず山中先生をじとっとした目で見てしまった。
教師がいったい全体なにをなさっているんだろうか。
さわ子「……? なによ唯ちゃん?」
憂「……」
山中先生は私の方には少しも視線を向けずにそんなことを言った。
いや、うん。確かにパッと見は似てるしそれは否定しずらいところなんだけど。
せめてこっちを見て話せよ。
さわ子「ん?」
なにも返事をしない私にさすがに疑問を持ったのか、ようやく山中先生はケーキから私に視線を移した。
山中先生が私の顔を凝視する。
超恥ずかしがり屋の私の顔はすぐに自分の顔を守るために血たちが集まって、あっという間に真っ赤になった。
さわ子「あれ……? なにかおかしいわね」
先生の視線が私の顔から首筋、鎖骨、そして……
人と視線を合わせたり、ジロジロ見つめられるのが苦手で私はそのような状況に陥るとすぐに顔を伏せる。
しかし、山中先生の視線はたとえ顔を伏せていてもわかるほど強烈でねっとりとしていた。
今、山中先生が私のどこを凝視しているのかがわかってより一層顔が赤くなる。
ぐつぐつと顔の血が沸騰している音が聞こえてきそうだった。
さわ子「……あなた。唯ちゃんじゃないわね」
当たり前だろうが。
地上に舞い降りた天使とただの妹を一緒にするな。
だいたい髪型とか顔立ちが似てるだけで私とお姉ちゃんは比較するのも馬鹿らしくなるくらい全く別の存在なのだ。
……とは、もちろん言わなかった。
しかし、なぜ山中先生はさっきから私の胸を凝視しているのだろうか。
私の疑問を読み取ったかのように山中先生はちょうどいいタイミングでこう言った。
さわ子「だってあなたのほうが唯ちゃんより胸が大きいもの!」
すごいキメ顔で山中先生は断言した。
なぜか私は自分の胸をおさえてついでにモミモミと揉んでしまった。
確かに言われてみれば、私とお姉ちゃんの胸のサイズを比較すると……
ええい! 女は胸だけが命じゃないだろうが!
さわ子「えっと……憂ちゃん、よね?」
憂「は、はい……」
下の名前で呼ばれていつも以上に戸惑ってしまう私。
なぜか冷や汗まで出てきた。
さわ子「うん……そうね。こうして見れば見るほど憂ちゃんのポテンシャルには目を見張るものがあるってことがわかるわね。
なんで今まで私ったら唯ちゃんという存在を知りながら、その妹である憂ちゃんの存在に気をつけなかったのかしら……」
山中先生が顎に手を当てて意味のわからないことをボヤき出す。
なぜか中野さんの顔が引きつっていた。
さて、どうやってお暇しようかとそろそろ考え始めた時だった。
唯「やっほー!」
ああ、愛しのマイシスター!
♪
徐々に暗くなりつつある夕日の下を私とお姉ちゃんと中野さんの三人で歩いていた。
帰り道が三人とも途中まで同じなので(まあ、私とお姉ちゃんは言わずもがな)一緒に帰ることになった。
唯「いやあ、今日もムギちゃんのお茶が一段とおいしかったね」
梓「……少しは練習したほうがいいと思うんですけどね。今日も一度も楽器に触れてませんよ」
唯「あずにゃんもおいしそうに食べてたじゃん」
梓「そ、それは……!」
憂「……」
お姉ちゃんと中野さんがなにやら言い合っている。
が、二人ともなんとなく楽しそうに見えるからなんかムカつく。
あ、別にお姉ちゃんに怒っているわけじゃないよ?
梓「ていうかせっかく憂が部活に来たんだから、演奏の一つや二つ披露すればよかったな」
夕日に照らされた中野さんの頬は赤く染まっていた。
唯「ほんとだー。なんでしなかったんだろ?」
梓「知りませんよ」
中野さんが唇をとがらせる。
なんだろう、このお姉ちゃんに対する態度は。
姉妹であるこの私ですらこんな態度など一度もとったことがないのに。
唯「あ、見て見て。アイスクリーム屋さんがあるよ」
お姉ちゃんが不意に立ち止まって小さなアイスクリーム屋を指さす。
唯「せっかく三人でいるんだし、食べようよー」
お姉ちゃんが私を振り返って言った。
夕日をバックにいつにも増して眩しい笑顔を向けるお姉ちゃんの瞳に思わずくらくらした。
しかし、かろうじて働いた理性が私に腕時計の確認をさせた。
いつもならこの時間帯にはとっくに食事の準備ができているはずだった。
けれども今日は私まで軽音部にお邪魔してしまったため、当然食事の準備どころか家事にはなにひとつ手をつけていない状態だ。
私だけでも先に帰るべきだろうか……と、頭の中で考えたところでお姉ちゃんがぐいっと迫ってきた。
唯「ダメ、かな?」
身長的には私のほうが低いはずなのにお姉ちゃんは上目使いで私を見上げた。
たいていの男ならまずこれだけで落ちてしまうだろうと思わせる恐ろしい上目遣いだった。
憂「ううん……いいよ」
唯「やったー!」
喜ぶお姉ちゃんもやはりかわいい。
はしゃぐお姉ちゃんを見ているうちに、知らず知らずのうちによだれが口の端から出そうになった。
唯「あずにゃんも行くよね?」
梓「まだ食べるんですか?
さすがに食べすぎだと思うんですけど。食べ過ぎると太りますよ」
唯「大丈夫だよ。私、太らない体質だから」
これは本当である。
梓「そういう問題じゃないと思います」
唯「いいから行こうよ!」
中野さんが渋々といった感じでうなずいた。
とりあえず二人で行くなら私がいなくても特に問題はないだろう。
私がお姉ちゃんに先に帰るという旨を伝えようとしたときだった。
不意にお姉ちゃんが笑顔で言った。
唯「もちろん、憂も行くよね?」
どうやらお姉ちゃんの顔が眩しいのは、夕日のせいだけではないのかもしれない
♪
唯「うんうん、やっぱりここのアイスクリーム屋のアイスは最高だね」
ベンチに腰かけたお姉ちゃんがペロリと球状のアイスをなめた。
ショコラモンブラン味のそれをおいしそうに頬張るお姉ちゃんを見ていると私まで幸せな気持ちになってきた。
梓「うんまい」
食べるか食べないか逡巡していた中野さんも結局、アイスを食べていた。
彼女の口にはレギュラーサイズのそれは少々大きいのか唇の端にはアイスがついていた。
……まあ、あえて指摘はしないでやろう。
憂「……」
ちなみに私は抹茶味を選らんだ。
ソフトクリームだろうとスーパーカップだろうとハーゲンダッツだろうとアイスの類は抹茶が一番だと思っている。
唯「たまにはこうやって三人で食べるのもいいよね」
梓「……まあ、そうですね」
中野さんがしぶしぶ、といった感じを露骨に演出しながらお姉ちゃんに同意した。
梓「憂もそう思ってるでしょ?」
私はあえてなにも言わなかった。
その代わりに緩んでしまっているだろう唇を隠すようにアイスにかぶりついた。
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今日はいつにも増して日記を書き終えるのが早かった。
ここのところ日記を書く速度が上がっている気がする。
憂「とりあえず日記も書き終えたし……」
すでにやることは洗濯物を畳むだけだし、借りてきたDVDでも見ようかと考え始めたあたりでケータイが鳴った。
私のケータイが鳴るとき、たいてい鳴らしている人物は二人しかいない。
私は急いでケータイをとろうとして、しかし、なぜだがそうすることに抵抗を覚えてたっぷり三十秒は待ってそれを手にとった。
今回私にメールを送ってきた人物は鈴木さんだった。
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From スズキ ジュンさん
件名 ぬはははははは!
明日の放課後ウイってどうせ暇でしょ??
わたし明日部活ないからさ(*^。^*)
ハンバーガー食いに行こう(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
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憂「……」
なんて失礼な文章なのだろう。
顔の筋肉が怒りにぴくぴくしたが、しかしまあ家の仕事のことを除けば暇人であることは確かだった。
仕方がないので、私はオッケーした。
まあ、断る理由もないしそこまで長い時間あのハンバーガー屋に滞在もしないだろうしいいだろう。
私はケータイを閉じてごろりとベッドにうつ伏せに寝転がった。
なぜだか私は気恥ずかしさに近いものを感じて顔を掛け布団に押し付けた。
なんだか落ち着かない。
しばらく掛け布団を抱いてごろごろとベッドの上で転がっていると、控えめなノックの音がした。
唯「うーいー、入るよー?」
最終更新:2012年01月20日 01:13