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そうだ。
今、この瞬間だってそうだ。
中野さんと鈴木さんはずっとお喋りしているのに私はただ傍観しているだけ。

胸に暗雲でも立ち込めたかのように、私の気分は重々しいものになった。

純「どうしちゃったの、憂? まさか――」

いつも通りの鈴木さんの口調。
それが、不思議なほど私の不安を掻き立てた。

そして、私の口から自分でも信じられない言葉が出てきた。
いや、それはほとんど弾丸のように飛び出したと言ってもいい。


憂「――うるさい!」


喉が血でも出ているのではないか、と思えるほど熱かった。
それでも今まで気づかないうちにたまりにたまっていた何かが爆ぜて、炸裂した。

憂「勝手なこと言わないで! 勝手なことしないで! ていうかなにもしないでよ!」

……あれれ?
……あらら?
……私はいったいなにを口走っているんだろう?

いや、この台詞は実は私ではなく他の誰かが放ったものでやっぱり私はなにも話していない、口すら開いていない。
……とかそういうこともなく、やはりその言葉は私の言葉で、私が叫んだ言葉だった。

鈴木さんと中野さんが呆然と、まるで喋る生ごみでも見たかのようにポカンと口を開いた。

でも、一番驚いているのは私だ。
身体に流れる酸素をすべて吐き出したかのように息が苦しい。

胸、が、苦、し、い。

酸素を使い切ったせいなのかもしれない。
気分が悪かった。
メマイがした。
頭が痛い。

それでも私の言葉は続いた。
堰を切ったように。

憂「私に構わないでよ!
  勝手に私のことを決めないでよ!
  いちいち干渉してこないでよ!」

言葉が止まらない。
言葉を止めることができない。

目に見えているものが妙に青く見える。

純「え、えっと……」

鈴木純』が突然の私の変化に驚いて戸惑う。
なぜか、彼女の顔色は一際青白く見えた。

梓「……」

中野梓』はなにも言わないで、唇を一文字に結んでいた。
なぜか彼女に戸惑った様子はなかった。
それでも驚いているようだけれど。

しかし、結果としてその中野さんの何とも言えないリアクションが私をわずかに正気に戻した。

店内で大声を出している。
ただ、その事実を思い出せただけでもよかった。

途端に恥ずかしさがこみ上げてくる。

私は踵を返して、店を飛び出した。


『よかった。ここが先払いのハンバーガー屋で』とせいぜい現実逃避的なことを考えながら。



憂「……ああ」

玄関に入った途端に、軟体動物のように私はへたりこんでしまった。
身体に力が入らない。
早歩きで帰ったせいなのか、身体が熱くてたまらない。
頬が蒸気してるのが自分でもわかった。

憂「ああ……死にたい……」

盛大なため息とともに私はひとりごちた。

いや、しかし、自分でもまったくなんであんなことを口走ったのかわからなかった。

考えても答えが出ると思えなかった私は、座り込んでいた床から立ち上がってすぐに家事にとりかかることにした。

……いいんだ。

そう、べつにいいんだ。
たまには私だって感情を爆発させることだってある。
ふとした拍子にガラス瓶を割ってしまうようなそんな些細さで。

それにやっぱりこうして一人でいるほうが気をつかわなくてラクだ。

憂「……」

ふと、ケータイになにかあるのではないのと思ってポケットに手を突っ込んで確かめてみる。

手に取ったケータイにはなんの反応もなかった。

私はケータイをソファーに投げると、そのまま洗濯を始めることにした。



あのとき、あの店であんな言葉出たことについてはもちろん動揺はしたが、それ以降の私はこれと言って普通だった。
まあ、私も年頃の女の子だし情緒不安定になったりすることもあるだろう。

とか、考えつつ、奥歯にはさまったなにかを少しだけ気にしながら私はお姉ちゃんと夕食をとっていた。

唯「なんか今日の憂、元気なくない?」

憂「……?」

時計の針がまもなく七時半を指そうとしていた。
ちょうど湯豆腐を口に放り込もうとした先にそんなことを言われて、思わず私は箸を止めた。

私が……元気がない?

いや、私が元気いっぱいだったらかえって変だと思うのだけど。

憂「そ、そうかな?」

唯「うん。なんだかここ……」

と、言ってお姉ちゃんは眉間を人差し指で示した。

唯「……に、しわが寄ってるし」

憂「……」


鏡があったらすぐに確かめられるのだけど、あいにく今は食事中なのでもちろんそんなものはない。
そもそも確かめようとも思わない。

ていうか、よく私の眉毛の角度なんてわかるなあ。
まあ、それだけお姉ちゃんが私を普段から見てくれているということか。

大方あの店の失態のことを引きずっているんだ。
そうに決まっている。


憂「ちょっと……今日は失敗したことがあって。
  それで、恥ずかしい思いをしちゃったから……たぶん、それで眉間にしわがよっちゃってるんじゃあ……ない、かな?」

唯「そうなの? でも、そんなの気にしちゃダメだよ。
  憂は特にそういうことを気にしすぎちゃうタイプだから」

憂「うん……」

不意に私はあのハンバーガー店でなぜあんな言葉が出てきたのか、わかったような気がした。

ようは私は不安だったのだ。
お姉ちゃんが自分のそばから消えてしまうのではないか――そんなありきたりでベタな悩みが爆発したのだ。

お姉ちゃんが中学生の頃はそんな悩みはほとんどなかった。
なにせ、お姉ちゃんは部活動なるものをしていなかったか、たいてい家にいたし。
友達と遊ぶときも、どちらかといえば自分の家であることが多かった。
それに今とは逆で私が部活をしていたのだった。
まあ、その部活も週に三回ぐらいしか出ていなかったけど。

……とにかく、お姉ちゃんと一緒にいる時間が減って、しかも私の知らない一面が少しずつ増えていくことに対して私は不安でしょうがなかったのだ。

でも、もう大丈夫だ。

そんな不安になることはない。
私の知らないお姉ちゃんがいる、それは確かな事実だけれど私しか知らないお姉ちゃんもいるのだ。

憂「うん、気をつける」

唯「よろしい」

お姉ちゃんは胸をはって相変わらず締まりのない表情でそんなことを言った。

そうだ、なにかもを知ることはたとえ血のつながったお姉ちゃんが相手でも不可能なのだ。

私はそう自分で納得して、その結論に満足して口に放り込んだ湯豆腐をかみ砕いた。

……ただ、奥歯にはさまったなにかが妙に気になった。




食事とお風呂をすまして、私は自室に戻った。
もちろん自分自身がいないときに部屋の明かりをつけておくような真似はしない。

だから、部屋は真っ暗だった。
部屋が真っ暗ということは、机の上に放置しておいたケータイにはメールも電話も来てない、ということだ。

憂「……」

いや、べつにケータイに連絡が来ないことなんて今に始まったことではない。
それはそんなに気にするようなことではないのだけど……。

私はとりあえず、部屋の明かりをつけてから引出しにしまってある二冊の日記を取り出した。
毎日つけている日記のひとつ……お姉ちゃんに関する日記。
まずはこれから書くことにした。
こちらはあっさり書くことができた。

しかし、もう一冊、こちらが困った。

学校であったできごとを書く、もう一冊の日記。
いや、こちらはもとからわりと書くのに困ることが多かったような気がする。
ていうか、内容はいつもあの二人に関することばかりだ。

憂「……え?」

ふと、私は気になってお姉ちゃんに関する日記を開いてみた。
今しがた書いたことを見直してみる。

憂「……なんてことだろ……」

ずっと気にかかっていたこと……妙な違和感の正体に気が付いてしまった。

そもそも家に帰ってからの私は、自分でもいろいろとおかしかった。

そもそも、お姉ちゃんに心配されただけでも私は嬉しくて飛び上がりたくなるのだ。
まして、今日のお姉ちゃんの指摘。

――いつもより眉尻が下がっている。

こんなステキな指摘を受けたら、普段の私だったらしばらくは思考がお姉ちゃん一色になっていたっておかしくない。

ところが、今日の私ときたらいったいどうだ?
冷静に、ただ『嬉しいな』としか思わなかった。
お姉ちゃんフリークのこの私がそんなリアクションしかしないなんてどう考えたっておかしい。

憂「ああ……」

なんとなく、本当におぼろげながらどうして今日の自分が普段と違うのかわかってしまった。
というか、明確に。
まあ、こんな簡単なことがわからないほど私もおろかではないということだ。

ただ、なんだかその辿り着いた答えを直視するのは恥ずかしかった。
まるで全校生徒の前で作文を読まされるような、そんな恥ずかしさ。

不意にケータイが鳴った。

一瞬どこにケータイはあるのだろう、と考えかけたがすぐに手元に置いてあることに気が付いた。
反射的にケータイをとって、ディスプレイを開く。

相手は……中野さんだった。

ある意味、今一番話したかった相手のひとりで、そして、今一番話したくなかった相手だった。
このわずかな時間の間に手のひらがじんわりと汗ばんでいた。

静かな部屋に初期設定の電話音が鳴り響く。

どうするか。

電話に出るべきか。
それとも気づかないふりをしてそのまま放置するか。

いいや……今日はまだ日記のネタが足りない!
だったら、たまには学校に関する人の日記ということで学校外のことに関するものも書くべきだ。
そうだ、そうするべきなんだから電話に出よう。

私は中野さんからの電話に出た。

憂「……」

しかし、言葉は出てくれない。

しかも、電話の相手もなにも言ってくれない。

気まずい沈黙。
少なくとも私にとってはこのなにもない『間』の時間というのは苦痛でしかなかった。

なにより怖かった。
このままなにも言わなかったら、中野さんは電話を切ってしまうのではないか。

それがすごくすごくすごく――怖かった。

私は叫んだ。
とっさに浮かんだ言葉を電話越しに思いっきりぶつけるように叫んだ。


憂「なにかしゃべってよ!」


……なんか、もう私ってただのイタイ奴なんじゃ……。

自分で自分の行いに呆れることはそんなに珍しいことではなかったが、しかし、今この瞬間電話越しの相手に呆れられるのは嫌だった。
電話越しの相手に呆れられて、電話を切られるのは――イヤだった。

梓「……そんなに大きな声出さなくても今からしゃべるつもりだったのに……」

いつもとなんら変わりのない口調で中野さんがため息をつくように言った。
なんだか、その声がひどく懐かしく感じた。
もちろん、こんな感覚は錯覚なのだけど、ではなんでそんな錯覚が起きるのかと言うと……。

なんでなんだろうね?

梓「やっほー。元気、憂?」

憂「……」

梓「なにか言ってよ。ていうかしゃべれって言った人がしゃべらないのは駄目でしょ?」

中野さんの言うとおりだったが、私はどうしようもなく口下手な人間だった。
それでも頑張って声を出した。

憂「……ぎゃふん」

梓「なに一人でまいってるの?」

めずらしく中野さんが的確なツッコミをした。

しかし、私は鈴木さんほど中野さんと漫才をしてないのでこれ以上会話は続きそうになかった。
でも、ここで会話が終わってはダメ。
私はなにかを……なにか大切なことを言わなければいけないのだ。

私をゴクリ、とツバを飲み込む。

これから言う言葉が正しいかどうかわからないけれど、それでも私はこの言葉を言わないといけない気がする。
いや、これは私が今彼女にもっとも言わなければいけないと感じている言葉なんだ。

だから言わなくちゃ。


憂「……ごめんなさい」


声が上ずっている。
細い、息だけを吐くようなそんな小さな声がひょろひょろと出た。
でも、これじゃあダメな気がする。
もう一度私は声を振り絞って、言葉を吐き出した。

憂「ひどいことを言って……ごめんなさい」

ここまでが私の限界だった。
これ以上は私の口から言葉が出てこなかった。
思いつく言葉はたくさんあったし、言いたいことも溢れるほどあるのに出てくるのはそれだけだった。

たぶん、今これ以上声を出したら――


梓「……いいよ」

いつもより優しい中野さんの声が、私の耳朶をくすぐった。

梓「特別に許してあげる」

憂「ぁ……」

梓「本当に特別なんだからね」

憂「うん……」

梓「それとね……」

今度は中野さんが黙ってしまった。
電話越しだから当たり前なのだけど中野さんの表情は見えない。
それでも緊張にも似た雰囲気が電話越しから伝わってきた。
それは普段の彼女には似つかわしくないような気がした。

梓「私も……ごめんね」

憂「……どうして、謝るの?」

梓「……うーん、だって私も憂を不安にさせたわけでしょ?」

私は思わず電話を落としそうになってしまった。
驚いたことに、彼女は私がどうしてあの時あんなことを口走ったのか、その理由をわかっていたのだ。
まったく……猫みたいにのんびり屋さんな人だと思ってたのに。
同時に猫のようにある種の敏感さを持っているなんて……。

憂「えっと……」

私は人に謝られる経験がほとんどない。
謝る経験ならわりとあるのだけど。
まあ、その謝るという行為は今回みたいな面と向かって言うものではなく、その場を取り繕う感じで言う場合がほとんどなんだけど。

梓「謝ってんだからなんか言ってよ」

憂「そ、そう言われても……」

呆れたようなため息が雑音を奏でた。

梓「いいよ! で、いいじゃん」

憂「……いいよ」

梓「ありがと」

憂「はああぁ~」

私は思わず安堵のため息をこぼした。
肩にずっとのしかかっていた重荷がとれたみたいだった。

梓「……なに? なんでため息つくの?」

憂「安心したから」

私は言った。
その言葉は驚くほどあっさりと出てきた。

梓「なんか、やっぱり憂って変だよね」

憂「そ、そうかな……」

少なくとも中野さんには言われたくはなかったが、彼女の言っていることはきっと正鵠を射ているのだろう。

梓「純からはなにか連絡来た?」

憂「……まだ」


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最終更新:2012年01月20日 01:17