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中野さんとはなんとか仲直りできた。

でも、まだ鈴木さんとは話どころか連絡すらとっていない。
勇気が出てこなかった。
鈴木さんに電話をかけたりメールを送ったりする勇気が私にはまるでなかった。

梓「まあ、大丈夫だよ。純なら明日にはケロっとして普通に憂に話かけてくるよ」

憂「うん……」

そうはうなずいても、イマイチ不安はぬぐえない。

梓「憂はなにかにつけて後ろ向きに考えすぎだよ。もう少しポジティブにならなきゃ」

憂「うん……」

梓「もし、憂が本当に心の底から悪いと思ったんなら、謝ろ?
それで許してもらおう?」

憂「……」

私が放った言葉はたぶん、本当にひどい言葉だったんだろう。
だから、謝らなければならない。

だけど、そういうこと以上に私は単純に……

そこまで考えたあたりで急に顔が熱くなって、私はかぶりを振った。

憂「うん……明日……」


憂「あやまる」


梓「そうそう、さっさと謝って、さっさと仲直りしちゃおう」

それから数十分程度話して、中野さんとの電話を終えた。

こんなに中野さんと電話で長く会話をしたのは初めてかもしれなかった。


憂「あやまる」

私は口に出して言ってみた。
実際に口にしてみると、決意がより一層固まる気がした。

いや、でも、なにか違う。
なにか、違う気がする。
どうせなら、もう少し考え方を変えてみよう。

梓『憂はなにかにつけて後ろ向きに考えすぎだよ。もう少しポジティブにならなきゃ』

その通りかもしれない。
中野さんの言うとおり、もう少し前向きというか、前方向に物事を考えてみよう。

憂「あやまる……」

そうじゃなくて、

憂「……じゃなくて、仲直りする」

しっくりくる表現がようやく見つかって私は満足した。

憂「仲直りする」

ケータイを当てていた右耳の暖かさに浸りながら、もう一度私は誰に言うでもなく呟いた。




普段から早起きの私がさらに十分早く起きて、お弁当を作った。


自分の分。
お姉ちゃんの分。
中野さんの分。

そして、鈴木さんの分。


一通りのお弁当の用意をすまして、お姉ちゃんを起こしたあと、二人で朝食をとった。

唯「なんだか今日の憂はよくわかんないけど気合入ってるように見えるなあ。
  なんでだろ?」

ちょうど玄関で靴を履いている私のうしろで、お姉ちゃんはそんなことを言った。

たぶん、お姉ちゃんは私がどうして急にそんなことを言い出したのかなんてわからないだろう。
たとえお姉ちゃんじゃなくても唐突すぎて私の言動の意味などわからないだろう。
私自身もなんでこんなことを急に言い出したのかはわからない。

まあ、おそらく、これがいわゆる『ノリ』というものなんだと思う。

とにかく声に出すこと――第三者に声に出して伝えるのが大切。
これを教えてくれたのはたしかあの人だ。

とにかく。



今日一日、私はガンバります。



朝の学校。
なぜか今日にかぎって教室に来ている人が少ない。
もちろん、私が普段よりも早く学校に来ているせいもあるのだけど。
それにしたって来ている人が少ない。

ていうか、よくよく考えれば早く来すぎたかおもしれない。
鈴木さんの今までの登校の時間は遅刻寸前とまではいかないまでも、ホームルームが始まる十分前ぐらいにしか来ない。

わざわざお姉ちゃんにまで早起きしてもらっておいてなんだけど、今回は気合が空回りしてしまったみたい。
ごめんなさい、お姉ちゃん。

それでも。

まだ若干慣れてないその古びた校舎の教室で、私は机に座って待ち構えていた。

鈴木さんを。

憂「……」

鈴木さんが教室に入ってきたら、すぐに声をかけよう。
大丈夫。
今日の私は普段の私とはほんのちょっぴり違うんだ。

違う気がするんだ。

しばらくすると少なかったクラスメイトも増えてきた。

途中、入口から入ってきた中野さんと目があった。
中野さんは『あえて話しかけてはこなかった』。
それでも目線で、なんとなく私のことを応援してくれているのはわかった。

それが心強かった。

それでも時間の経過とともに冷や汗が背中を伝ったり、無駄に手汗をかいたりしてしまった。

いつもの鈴木さんならおそらく来ているであろう時間になっても彼女は来ない。

けれども心臓は早鐘のように打っていた。

動悸がする。
目眩がする。
息が切れる。
誰かなんとかして。

そう思いながらもじっと鈴木さんを待ち続けた。


そして、鈴木さんは遅刻ギリギリの時間になって、ようやく教室に入ってきた。


ようやく来た。
実際に待っていた時間はそれほど長くないかもしれない。
それでも、私の感覚としては恐ろしいほど長い時間に感じられたその待ち時間がようやく終わった。

今日は私から声をかけよう。
いつもは必ず鈴木さんから話しかけてくる。
けれど今日は私から話しかけるんだ。

人に話しかけることは誰にだってできるし、そしてそれは私にだってできるはずなんだ。

私は椅子から立ち上がる。
一瞬、足がもつれかけたけど気合で無理やり立つ。

あとは近寄って、なにか一言声をかければいい。


せめて、チャイムが鳴る前に一言でいい。

鈴木さんとしゃべらせてほしい。

鈴木さんが自分の机に向かって、歩いていく。
鈴木さんの席は私の席よりもさらに教室の奥、つまり窓際にある。
鈴木さんが椅子に座る前に私は話しかけなければ。

顔が熱い。
背後で火が燃えているかのように、私は早歩きで鈴木さんのもとへと向かう。
心臓の鼓童がそのまま、教室全体に響いているのではないかと錯覚する緊張している。


でも、言うんだ。
しゃべるんだ。


目を合わせて。
相手の顔をきちんと見て。
大きな声で相手に聞こえるように。

話すんだ、鈴木さんと。


憂「鈴木さ――」


だが、結果として私の言葉はナイフで切り捨てられたかのようにそこで途切れてしまう。

だって……


鈴木さんは声をかけるどころか、目すら合わせてくれない。
明らかに私を無視しているとわかる目のそらし方で明後日の方向を見て。
そのまま、私を視界にすら入れず横切った。

なにが起きたのか理解できなかった。

本気で自分がおかしくなってしまったのかと思った。


憂「……」


結局私が我に帰ったのはチャイムの音が鳴ってからだった。


ここで唐突にだけれど、ひとつ私のダメさかげんがよくわかる話をしよう。

私がまだ中学生のころの話だ。

私が中学二年生のとき、ちょうど授業体育の種目がソフトテニスだった。
テニスというスポーツはやったことのある人間ならわかると思うのだけど、なかなか難しい。
単純にラケットでボールを打って、相手に返してポイントをとるというスポーツと言えば簡単なのだけど(ていうかこんな説明する必要はないか)
素人どうしがやると、まるで形にならないのだ。

適当に力任せで打っても、ボールはコート内に入らないし。
そうかと言って力加減を誤ればボールはネットすら越せない。

最初のサーブをサービスエリアに入れることさえ、スポーツが不得手な人からすれば不可能とまでは言わないまでも、困難と言っていいレベルなのだ。

まあ、テニスの難しさについてはそれほど重要ではない。
当時、私たちのテニスの授業はまともに基礎も教えてもらえないまま、試合ばかりをするという非常にいいかげんなものだった。
もちろん、ダブルスのペアも適当だ(毎回、授業ごとに変わる)。

ちなみに自慢ではないが、私はテニスの才能があったのか部活に入っている人たちとも十分にラリーができる実力をもっていた。

なので基本的な練習についてはなんの問題もなかった。

あくまで練習については、なのだが。

先に述べたとおり、この授業のほとんどは試合が占めている。練習時間なんてほとんどない。

そして試合はダブルスである。

ダブルス。

これまた、やったことのある人ならわかるのだろうけど、このダブルスというのは私のような人間からすると最早ほとんど拷問に近い。
まともに話したことのない人間とペアを組んでテニスをする。

自分がミスをすれば、申し訳なさと気まずにハサミうちにされる。
かと言って、ペアがミスをしたところでなんと声をかければいいかわからない私は、これまた気まずくなる。

そうなのだ。

ダブルスという競技はとにかく気まずいのだ。

特に私のような対人恐怖症のカタマリみたいな人間には。


そして、このとき私に最も恐れていたことが起きた。

なんと、私は私のクラスで一番キツイ性格をしている女の子とペアを組むハメになった。
普段ほとんど話したことはないが、彼女のうわさについてはクラス事情に疎い私でさえ様々な話を聞いていた。

なにより彼女はテニス部でエースを務めていた。
その上、授業中でもペアがミスをすれば舌打ちに始まり、罵詈雑言を浴びせるというとんでもない人だった。
もちろん、私はそんな人間とテニスをする勇気がなかった。

私はその体育の日、仮病を使って休んだ。

ああ、休んだとも。


……。

なぜかはわからなかったけど、ふと私は数学の授業中にそのことを思い出していた。

基本的に私は真面目だ(自分で言うなとかいうツッコミは勘弁してください)。
なので、授業中は板書はするし先生の話も聞くのだけど今日は全然授業に集中できない。

気づくと、窓際の鈴木さんの席にばかり目線が行ってしまう。

なんでだろう?
わからない。

背中を火であぶられているような、そんな危機感のような焦りが私を落ち着かせなかった。
足を組み替えたり、ペン回しをしたり、お姉ちゃんの顔を思い浮かべたりしてみたけどやっぱりダメだ。

ふと、中野さんの方を見ると偶然なのかそれともこちらの様子をうかがっていたのか、目線があった。

本気でどうしたらいいのかわからない。
私は正直なところどこかで楽観していた。
あっさり、鈴木さんと仲直りできると思っていた。
そして、あっさりと元通り、お昼ごろにはいつものように三人でお弁当を食べていると思っていた。

ケンカなんてしたことないからどうしたいいのかわからない。
そもそも、今のこの状況がケンカと呼べるものなのかもわからない。

「わからない」だらけだった。

気づいたらもう四限目の授業が終わりに差しかかっていた。

どういうことか、ノートに水滴が落ちてシミができていた。

もしかしたら、と思って視線を鈴木さんから窓の向こう側に移す。
雨が降っていた。
朝はあんなに快晴だったのに。


……だから私のノートも濡れちゃったんだ。


チャイムが鳴った。

教室全体に漂っていた気だるげな雰囲気に、昼休み特有の和気あいあいとした活気が現れ始める。
もっとも、私と言えば、そんな空気に逆らうかのようにどんよりとした面持ちをしていた。
鏡を見なくてもそんなことはわかった。

そして――

鈴木さんが席を立つ。
顔を俯けているので表情がわからない。
どこへ行くのかは検討もつかないけれど、それでも私のところへは来ないだろうことは容易にわかった。

どこへ行くの?
そう聞きたかった。

一瞬だけ中野さんの方をうかがったけれど、彼女は彼女でどうしたらいいのかわからないと
眉を困ったように曲げるだけだった。

朝にお弁当と一緒にこさえた私の決意は、鈴木さんに無視された時点で掻き消えていた。

もう三人で一緒にお弁当を食べることはないのか……

憂「……っ」

顔が熱くなって、視界がにじむ。
鼻の奥がツンとして意味がわからなくなる。

憂「……ゃだ」

無意識のうちにうわずった声がこぼれた。
まるで小さな隙間からはい出るように漏れた声は、泣いているかのようだった。

憂「い、やだよ……」

私は机に突っ伏して顔を隠した。

ああ、そうだ。

私は今すごく悲しいんだ。
三人でご飯を食べられなくて。
鈴木さんや中野さんにお弁当を食べてもらえなくて。

今さらになって私はそんな分かりきった答にたどり着いた。

梓「憂」

中野さんの声が上から降ってくる。
たぶん、私の隣にいるんだろう。
でも、私は顔をあげることができない。

梓「今から純のところに行こう。私もついて行くから」

憂「……」

中野さんが協力してくれるなら――とても心強いだろう。
でも、それでいいのか。

梓「純と仲直りしよう。
  純だって本当は憂と仲直りしたいはずだよ?
  本当は純だって憂に謝りたいし、憂と仲直りしたいはずだよ。
  私も憂についていくからさ、頑張って仲直りしよう?」

憂「……」

雨の音が妙に耳につく。
胸の奥深くでくすぶっている正体不明のなにかを煽るのはなんだろう。

……わからない。
わからないけれど。

憂「……ううん」

私は顔をあげた。
自分がすごくひどい顔をしているのはわかっている。
それでももう負けたくなかった。
逃げたくなかった。

憂「……ひとりで行く」

梓「……憂?」

中野さんが心配げに私の顔をのぞき込んだ。
中野さんの猫目には今にも崩れてしまいそうな、弱々しい表情をした私が映っている。

憂「おねがい」

私は言った。

憂「大丈夫だから――ひとりでできるから、鈴木さんと仲直りしてくるから――」

梓「……うん!」

それ以上はうまく言葉にできなかったけど、それでも中野さんは笑顔で私の背中を文字通りバンっと叩いて後押ししてくれた。

普段の私だったら絶対に廊下を走ったりはしないだろうけど、今回だけはほとんど全速力で走った。
途中先生と思わしき人に叱られた気がしたけど、もちろん無視した。
今はただ、鈴木さんに会って、そして話したくてしかたがなかった。

鈴木さんがどこに行ったのかはさすがにわからなかったから闇雲に私は走り回った。
闇雲に彼女を探した。

どれぐらい時間が経過したのかはわからなかった。
しかし、ようやく私は彼女を見つけた。
いつもとは違ってすごく寂しげな背中がテクテクと体育館に向かって歩いていくのが見えた。


それはちょうど私が、校舎から出たあたりのことだった。

鈴木さんは傘をさしてなかった。
すでに彼女の制服の肩の部分は雨で変色していた。

私自身も傘はもっていない。
そんな発送はこれっぽちも浮かばなかった。


憂「鈴木さん!」


自分でも驚くぐらいハッキリと声が出てきた。
普段の私だったら人の視線(たとえば今みたいに校舎の入口付近でお弁当を食べている集団のものだったり)を
気にして声なんて出せなかっただろうけど。

今回は特別だった。

鈴木さんの背中がびくっとなる。
もう一度私が呼び止めようとしたときだった。
突然、鈴木さんが全速力で走り出した。

なんで逃げるの!?

そう叫びたかったけど、それよりも先に私の足は地面を蹴っていた。


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最終更新:2012年01月20日 01:18