お姉ちゃんが向かったのは、先ほどの金魚すくいの店ではなく、
そちらよりも近い場所にあった、水槽のある屋台だった。
水があれば、金魚はまた元気になる。そう考えたのだろう。
屋台の前でお姉ちゃんが立ち止まった。
私が追いつくと、お姉ちゃんは振り向いた。
とても悲しそうな顔をしていたのを、よく覚えている。
「ごめんね。」
私に言ったのか、それともその手で中で動かなくなったものに言ったのか、
お姉ちゃんは小さな声で謝った。
私は泣いた。 ただ泣いた。
思いっきり涙を流して泣いた。
泣いた理由はよく覚えていない。
2匹の金魚を死なせてしまったこととか、
お姉ちゃんの思いを台無しにしてしまったこととか、
お姉ちゃんの笑顔を消してしまったこととか、
色んな思いがごちゃごちゃしてて、自分でも訳がわからなくて、
泣くことしかできなかった。
泣いて、泣いて、泣いて・・・・・・
気付くと温かくてふわりとした腕に包まれていた。
「泣かないで。」
頭をヨシヨシと撫でられる。
「いいこいいこ。」
その顔があまりにも優しかったので、私はまた泣いた。
しばらく泣いて、少しだけ落ち着いてくると、
お姉ちゃんが困った顔をしていたのに気付いた。
私はこれ以上、お姉ちゃんを困らせたくないと思うことで、やっと泣き止むことができた。
そんな私を見て、お姉ちゃんはほっとした顔で笑ってくれた。
「ちょっと待っててね。」
優しい声で言うと、お姉ちゃんは目の前の屋台に入っていった。
見てみれば、屋台の水槽の中には色とりどりの手のひらサイズの球体がたくさん浮かんでいた。
水風船つり、の屋台だったらしい。
お姉ちゃんは屋台のお兄さんから釣り糸を貰っていた。
それを水槽に垂らして、綺麗な青色と黄色の斑点が付いた風船の、
その先端についた輪ゴムに、金具を引っ掛ける。
そして糸を引っ張りあげると、
「あっ。」
プチッと切れてしまった。
「も、もうちょっと待っててね。」
振り向いてお姉ちゃんは言った。
これは後で知ったことだけど、お姉ちゃんは生き物の相手は得意でも、
無生物になると、慣れるまで時間がかかってしまうらしかった。
だから金魚のときと違って、それは1個手にするのがやっとだったようだ。
お姉ちゃんが嬉しそうに駆けてきた。
「はい。今度は落とさないようにね。」
渡されたのは赤とオレンジ、まだら模様の水風船。
「お姉ちゃん。」
その優しさに私はまた泣きそうになった。
「笑って。」
だけど頑張って、笑った。
「お姉ちゃん、ありがとう。」
私が笑うと、お姉ちゃんもまた笑ってくれた。
それが嬉しくて、本当に笑うことができた。
「金魚のお墓作ってあげよう。」
「うん。」
私たちは近くの木の根の下に2匹の金魚を埋めると、
その上に大小2つの石を乗せて、簡単なお墓を作った。
手を合わせて目を瞑り、ごめんなさいをした。
「じゃあ、帰ろうか。」
お姉ちゃんは私の手を取り、また私は後をついていく。
私は繋いだ手の間の水風船を、絶対に手放したりしない様に強く握って帰った。
――
――何度も昇り降りを繰り返した階段を、今日もまた昇る。
ここのところ学校に来ると、どうしても頭に過ぎるとある疑問。
最後にお姉ちゃんと話したのは、いつの事だったか。
あまりにも何気なくて、だから思い出せない答え。
この春、お姉ちゃんはこの学校を卒業した。
それでも私は、その後を付いて行くつもりだった。
なのに。
――階段を昇りきって最上階まで辿り着く。
首尾よく正門からここまで誰とも会うことは無かった。
まぁ、今日は他に生徒はいないのだから簡単な事なのだけど。
昨日のうちに、予め開けておいた扉に手をかける。
扉はぎぃ、と音を立てて開いた。
ああ、良かった。誰かに閉められてはいなかったようだ。
ほっとしながら私はその扉をくぐった。
お姉ちゃんは自由な人だった。
何処にでも行けて、誰とでも居れる。
ふわりふわりと何処までも飛んでいく。
そう、お姉ちゃんはまるで風船みたいな人だった。
だから私は必死でその手を掴んで離さなかったのだ。
けど、いつか絶対に離さないと決めた手は、簡単に解れてしまっていた。
手を離してしまえば、風船はずっと向こうに飛んでいく。
何処までも何処までも、
手放した事を後悔してももう遅い。
風船は、空の向こう側まで飛んでいく。
もう手の届かない所まで。
ところで、お姉ちゃんが風船なら、
私は何だったのだろう。
お姉ちゃんが飛んでいかない様に、
括り付けていたのは私だ。
けど、それは解かれて、お姉ちゃんは自由になった。
自由になったから飛んでいった。
私は・・・・・・
私はどうなのだろう。
自由になったのはお姉ちゃんだけじゃない。
括り付けていた私も自由になったのだ。
紐が解かれた今、私もお姉ちゃんの様に飛び立てるのだろうか。
不意に風が通り抜けた。
気持ちがいい。
そう言えば今日はとても天気が良かった。
こんな日なら、
私にも飛ぶ事ができるかもしれない。
そんな希望を胸に秘めて、
誰に言うわけでもなく、
「待っててね、お姉ちゃん」
私は笑顔で呟いた。
いつの日か、私の前からいなくなったお姉ちゃんの事を思いながら、
――私は
おしまい
最終更新:2012年01月23日 22:57