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「はぁ……寒いなぁ……」
2月も半ばにさしかかろうかというある日。
そろそろ暖かくなってもいいだろうとは思うものの。
いつにも増してしんしんと冷える朝の空気は
まだ春は遠いんだよと、嫌らしいほどに主張している。
「なにもこんな寒い日になくしちゃうなんて…」
「…最悪」
昨日までは確かにあったそれは。
いつのまにやら私の記憶からさっぱり抜け落ちていて。
手袋一つ無いだけで。たったそれだけなのに。
手が冷える。それにつられて心も冷える。気分は最低だ。
「今月ピンチなのになぁ……」
「新しい手袋…どうしようかな」
お小遣いの日まであと数日。
とはいえ今の私は100円ですら節約したい状態だった。
「……あと数日は我慢か」
「はぁ…」
真っ白なため息。
それは寒さを強調するものでしかなくて。
もう、朝から全てが悪循環だ。
「あーずさちゃん!」
不意に、私の名前を呼ぶ声がしました。
澄んだよく通る声。
でもそれには冬の空気のような冷たさはなくて。
むしろ春のような温かい柔らかさがありました。
「…ムギ先輩!おはようございます」
「おはよう梓ちゃん。珍しいね。朝一緒になるなんて」
「そうですね」
「一緒に行ってもいいかしら?」
「はい。もちろん!」
ムギ先輩の電車の時間上、私たちは登校中あまり一緒になることがありません。
…せっかく同じ道を通ってるのに、ちょっと残念。
「たしか普段はもっと早く出てるのよね?今日はどうしたの?」
「ええ。ちょっと探しものしてて……」
そう言いつつ、冷たくなった手を少しでもあっためようと。
すりすりとこすり合わせる。無駄な努力かもしれないけど。
「…手袋、無くしちゃったの?」
「あ、はい。…すいません。みっともなくて」
「ううん。そんなことないわ。寒いしね、今日」
「そうですね。早く暖かくなるといいんですけどね」
「そうだ!いいこと思いついたわ!」
「いいこと、ですか?」
「はい。これ使って」
ムギ先輩は付けていた手袋の片方を差し出してきました。
「でも、それじゃあムギ先輩が…」
それに、片方だけっていうのも……。なんで?
「いいからいいから!」
「はぁ。そこまでいうなら」
「はい。それじゃあ、もう片方の手はこうしまーす!」
ぎゅっ、っと。
ムギ先輩は空いていた方の手を握ってきました。
以前にもムギ先輩の手を握ったことがありました。
その時と全く変わらず。先輩の手はとっても暖かかった。
「ね。これでふたりとも寒くないわ」
「は、はい。そうですね。ありがとうございます」
「…私の手、冷たくない?大丈夫かな?」
「そんな。とっても暖かいです」
「むしろ私の手のほうが冷たいんじゃないかと……」
「ふふ、そうね。ちょっと冷たい…かな?」
「ああ、ごめんなさい!」
反射的にムギ先輩の手を離そうとしてしまいました。
でも。それを見越していたかのように。
私の手が離れないように、ぎゅっと握りしめてきました。
「離しちゃだーめ」
「でも、冷たいんじゃ……」
「離したら、もっと冷たくなっちゃうから」
ちょっとだけ、悪戯っぽく笑う先輩。
その笑顔だけで、何だか暖かくなるような。
不思議な気分を覚えます。
「ごめんね。ちょっと意地悪しちゃった」
「もう…。びっくりしましたよ」
「…怒った?」
「まさか」
私からも、ぎゅっと。先輩の手を握り返します。
「…ほんとに暖かいですね」
「手が暖かい人は心が……」
「ムギ先輩は手も心もみんな温かいですよ」
「…ふふ。唯ちゃんにも言われたっけ」
「私もそう思ってますよ」
そんなやり取りをして、二人で笑い合っていると。
それだけで、いつの間にか寒さなんて感じなくなっているみたい。
「手袋、どうするの?」
「あと何日かでお小遣いが入るので、そうしたら買おうかと」
「うーん。それじゃあさ…」
「その手袋、それまで貸してあげる」
「でもそれじゃあ、ムギ先輩が…」
「だから、そのかわり」
「それまでの間、こうして一緒に行きましょう?」
「こんな風に手をつないで学校に行くの、夢だったの~」
「…ふふ。相変わらず面白い夢ですね」
手も、心も。何だかすっかり暖かくなっていて。
「いいですよ。ムギ先輩さえよければ」
「私から誘ったんだもの。いいに決まってるわ」
さっきまでの憂鬱な気分も、どこかに行っちゃって。
「じゃあ、明日もこのくらいの時間に」
「ええ。先に行っちゃいやよ?」
「まさか。待ってますよ。先輩こそ、置いてかないでくださいよ」
「もちろん。ちゃーんとまってるわよ」
明日の朝も寒いだろうに。
その朝が何だか待ち遠しくなって。
暖かくなってからも、もう少し家を遅く出ようかな、なんて。
そんなことを考えているのでした。
おしまいです。
最終更新:2012年02月01日 23:11