透さんの言葉に従い、部屋の中を隅々まで調べてみたが、ムギ先輩の姿はなかった。そもそも鍵をかけていたのだから当たり前だとも思いつつ、外に出ようとしたときだった。

ガダッガダゴダガダッゴトガタバンッ

部屋の外、階段の方向から聞こえた音に、心臓が飛び出る思いがした。私は慌ててドアを開け、外へ出た。

梓「あっ、み……」

澪先輩が部屋に入るのが一瞬見えた。今の物音で私のように出てくるのならわかるが、逆に入っていったのが気になり、澪さんの部屋へ歩み寄る。
その途中で階段の下に目をやった瞬間、体が固まってしまった。みんなで捜したムギ先輩が、手足を妙な方向に曲げたまま、ぴくりとも動かずそこにいたのだ。

憂「ひっ……」

気付かないうちに、憂が隣で同じように階段下を覗き込んでいた。
その後、唯先輩や律先輩、和さんも部屋から現れ、私達の異変の原因に目をやり、同じように凍り付いた。階段下の向こうで、真理さんも同じである様子が見える。

律「み……澪っ!澪は大丈夫か!」

突然叫びだした律先輩は、後方の澪先輩の部屋のドアを叩き、ノブを握った。ノブはあっさりと回り、勢いよく開けられたドアから、律先輩は駆け足で部屋に飛び込んだ。

律「澪、大丈夫なんだな。部屋の外に出れるか?大きな音がしてびっくりしたよな。ちょっと外には見るのが辛いものがあるけど、みんなと一緒にいよう。な?」

独り言のように律先輩の声ばかりが聞こえたあと、律先輩の肩を借りるようにして、澪先輩が泣きながら部屋から出てきた。その顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。
大きな音がしただけであんなに泣くだろうか。音の原因が、ムギ先輩の転落する音だと知っていたんじゃないだろうか。

透「なんてことだ……」

真理さんの後ろに透さんが現れていた。透さんはそのままムギ先輩に近付くと、その手首を取り、指を当て、……首を振った。

唯「そんなの嘘だよっ!」

今度は唯先輩が叫ぶ。

唯「ムギちゃんが死んじゃうわけないじゃん!透さん早く救急車呼んでよっ!」

言いながらムギ先輩のもとへ駆け降りていく。そして透さんが掴んでいるのと逆の手を両手で包むと、静かに泣きだした。

唯「ムギちゃんが死ぬわけないじゃんかぁ……」

憂が唯先輩のもとへと階段を降り始めると、それに続いて和さんも、律先輩と澪先輩も降りていく。なんとなく澪先輩の前を歩きたくなかった私は、最後に降りていった。

透さんは道を空けるように立ち上がり、受付カウンターのほうへ歩いていく。電話をかけるのだろう。

律「澪、あんまり見ないほうがいい、そこのソファーに座っとこう」

澪先輩は談話室のソファーに導かれ、和さんもそれに続く。憂は唯先輩の肩を抱き、ソファーへ連れていった。私は澪先輩と距離を保っていたくて、真理さんと一緒に階段脇に立っている。

透「もしもし、警察ですか――」

透さんが電話している声が聞こえた。救急車ではなく警察を呼んでいるらしい。

真理「シーツ、取ってくるわね。このままじゃかわいそうだから。」

そう言って奥へ消えていく真理さん。透さん共々なんだか落ち着いているようにも見える。

唯先輩と澪先輩が啜り泣く音と、外の強風が吹きすさぶ音が建物を支配した。

透「だめだった」

真理さんが持ってきたシーツをムギ先輩にかけているその横に立ち、透さんが言う。

透「吹雪で電話線が切れたみたいだ。うんともすんとも言わない」

電話をかける声がぱったりと聞こえなくなったのはそういうことだったのか。
透さんは続けて妙なことを言い出す。

透「ねぇ真理、昨日泊まった男の人はほんとに帰ったんだよね?」

真理「田中さんのこと?チェックアウトの手続きしたのは透じゃない」

透「そうなんだけど、そのとき荷物を持ってなくて、手続きしてから荷物まとめて帰りますとか言ってたからさ」

真理「田中さんの部屋の清掃はちゃんとしたわよ。そりゃあ確かに、帰るところは見てないけれど」

律「ちょ、ちょっと待って」

二人の会話に律先輩が割って入る。

律「その口ぶりだと透さん、その田中って人が実はまだここにいて、私の部屋に手紙を残したり、ムギを……殺したって言うんですか?」

透さんは冷静に返事する。

透「そんな可能性もあるなと思っただけさ。ちょうど律ちゃんの部屋に泊まってたのが田中さんだし」

律「嫌だ聞きたくない!勘弁してください!」

律先輩は目を力一杯つぶり、澪先輩と体を寄せ合いながらぶるぶると震えている。あの手紙は本当に律先輩の仕業ではないようだ。強がってはいたが、相当怖かっただろう。

唯「ね、ねぇ、携帯で警察に電話したらいいんじゃない?」

せっかくの唯先輩の提案だが、採用されることはない。

透「残念だけど、ここは圏外なんだ。だから外と連絡をとるには、吹雪がやんでから車を出すしかない」

雪はスキーをやめる頃に激しくなり始めていたが、窓からちらりと外を見ると、風の轟音にも納得できる勢いで舞い狂っていた。

透「でも、もし不審者がいたとしても、このままみんなで一緒にいたら手出しはできないさ。だからそんな悲観的にならずに――」

梓「悲観的になるな?無茶言わないでください!」

思わず声を荒げてしまう。

梓「人が一人死んでるんですよ!?しかも、大好きな先輩が……」

大好きな澪先輩が、ムギ先輩を突き落としたのかもしれないのだ。

梓「いいです、私は部屋に篭ります」

少し冷静になって考えてみたかった。

真理「え、ちょ、ちょっと!」

唯「あずにゃん、危ないよー」

真理さんや唯先輩の静止も聞かず、私は階段を登った。

階段を登った私は、自分の部屋には戻らず、澪先輩の部屋の前にいた。真実を確かめるべく、二人きりで話をするためだ。
だが、いつ澪先輩が部屋に戻ってくるかもわからないし、そもそも一人で戻ってくることはないんじゃないか。そんなことを考えていると、階下から話し声が聞こえてきた。

憂「あの、みなさん聞いてください――」

憂の声だった。

憂「階段のほうから聞こえた大きな音は死体の位置からしても、紬さんが階段を転げ落ちた音だと思うんです。だったら、紬さんはうっかり足を滑らせたか、誰かに突き落とされたことになりますよね」

まさか憂は、澪先輩がムギ先輩を突き落としたと、みんなの前で言うつもりなのだろうか。止めに入るべきか悩んでいると、信じられない言葉が続いた。

憂「音がしてわりとすぐにドアを開けたら、梓ちゃんが階段前にいたんです。だから梓ちゃんが……なんて思っちゃったんですけど、ま、まさかそんなわけないですよね」

憂は、何を言っているのだろう。私が犯人……?

和「もしそうなら、犯人が一人で部屋に篭ってるわけだから安心できるわね」

和さんまでもが同意してしまった。そして同意の輪は広がっていく。

唯「そんな、あずにゃんが、そんなまさか……」

律「なんで梓がムギを……」

真理「音がしてすぐにドアを開けて梓ちゃんしかいなかったなら、田中さんなんてやっぱりいないのかも……」

みんなが憂の発言に同意する中、しかし一人だけ異を唱える人がいた。

透「今ここに梓ちゃんがいないわけだけど、梓ちゃんと憂ちゃんが実は逆だったとしたらどうだろう?」

しばらくこの発言の意味を理解することができなかった。そんな様子が下でも繰り広げられたのか、透さんが言葉が続ける。

透「本当は憂ちゃんが紬ちゃんを突き落とし、その音に驚いた梓ちゃんがドアを開けて、階段前の憂ちゃんを発見したのかもしれない」

憂「な、なんてことを言うんですか!」

そんなわけがないことは私が一番よくわかっている。だが逆に言えば、私しかわかりえないのだ。

律「私がドアを開けたときは、既に梓と憂ちゃんが階段前に揃ってたな。ちなみに、唯が出てきてドアを閉めたところだった」

和「私は律よりあとに出てきたけれど……唯が憂達の次にドアを開けたのよね?」

唯「そ、そんなこと言われても、私も憂とあずにゃんが揃ってるとこしか見てないから――」

澪「もうやめてくれっ!」

澪先輩が叫ぶ。

澪「みんなが疑い合うなんて、もう嫌だ!……私も部屋に帰る」

律「澪、待て!二階には梓がいるし、ここでみんな一緒にいれば――」

澪「こないでくれっ!」

澪先輩はそのまま階段を駆け上がってきた。

澪「え……梓?」

梓「澪先輩、部屋で少しお話しませんか?」

私の提案に、澪先輩はおどおどしながらもドアを開け、自分の部屋に招き入れてくれた。私に容疑がかかってしまった以上、もし真犯人が澪先輩であれば、本人の口からそうであることを言ってほしい。

澪「梓、お茶でも飲むか?」

梓「わざわざありがとうございます、いただきますね」

部屋に入るなり澪先輩が煎れてくれた(備え付けのティーバッグだが)お茶を受け取り、ベッドに腰かけてからふーふーと冷まして飲みながら話し始める。

梓「あの、澪先輩……ムギ先輩が落ちた音がしたあと、普通なら部屋から飛び出すと思うんですが、どうして部屋に入っていったんですか?」

澪先輩は、手を震わせながらお茶を飲み、目線を合わせずに答えた。

澪「やっぱり見られてたんだな……。梓は、なんでだと思う?」

梓「それは……澪先輩が、ムギ先輩を突き落として逃げたんだと思いました」

迷った末、正直に答えた。
澪先輩はその答えを想像していた様子で続ける。

澪「そうだよな。その考えは……合ってるんだ」

ティーカップに落としていた目線を上げ、澪先輩を見る。まさか、本当に……?

澪「ただ、信じてもらえないかもしれないけど、ムギに対する明確な殺意があったわけじゃないんだ」

私はお茶を飲んで頷き、話を促す。

澪「あの紙を見て正体不明の人物に恐怖するあまり、部屋の前で後ろから階段を登る人の気配を感じたとき、その姿も確認せずに突き飛ばしてしまったんだ」

私はその光景を想像した。怖がりの澪先輩が、ドアの前に立ち後方の気配に身を震わす様子。目を固く閉じたまま、振り向きざまに手を伸ばしてムギ先輩を突き飛ばす様子。
そこまではうまく想像できたのだが、部屋に入る様子がうまく想像できない。いやそれだけではない、今目の前にいる澪先輩の顔もよく視認できず、あ……意識が……。

澪「私より睡眠薬は効きやすいみたいだな……いや、私が常用してるから耐性ついただけ、かな。」

薄れていく意識の中、澪さんの声が頭に響く。

澪「ごめんな梓、お前が疑われるようになっちゃって。ちゃんと自白の手紙は遺すから許してくれ。……はは、手が震えてうまく書けな――」

私は、その後の澪先輩の行動を止める術を持たなかった。


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最終更新:2012年02月04日 22:18