憂「あ、みなさんいらっしゃい」

律「おう、憂ちゃん。唯ー来たよー」

澪「おじゃまします」

紬「お邪魔します」


高校生活最後のクリスマス。
この日は二年前同様、私の家でパーティーをする事になっていた。
発案したのは憂だった。
8月の合宿以来、プール底の虫の死骸の様に沈み込んでいた私達軽音部に、憂は少しでも活気を取り戻そうとしくれた。恐らく表向きはそういう事だろう。
りっちゃんの明るいんだか気が抜けてるんだかよくわからない声を聞いた私は、部屋着のままのそのそと部屋から這い出して、みんなを出迎えた。

唯「おー、りっちゃんに澪ちゃんにムギちゃん。みなさんお揃いで」


憂が食卓に料理を運び終えると、私達はムギちゃん持参のシャンメリーが入ったグラスを持った。

憂「えっと…じゃあ乾杯しましょうか」

律「…」

澪「…」

紬「…」

憂「あ、あの…乾杯を…」

律「…え?あ、ああ!ゴメンゴメン!そんじゃかんぱーい!」

りっちゃんは憂に乾杯を促されると、半ばやっつけ気味に音頭をとった。
安物のグラスが鳴らす、カンという真の抜けた音と共に、炭酸の泡が一際激しく立ち上っていった。

最近の軽音部は、教室にいても、音楽室にいても、ずっとこの調子だった。
何かの必要に迫られない限りは、誰かが率先して話を振る事もなく、全員があの日の事故(正確には私達が事件にしたのだが)について思いを巡らせ、鬱屈としたまま十代の貴重な時間を浪費するのだった。

憂「えと…今日ははりきってお料理作りましたから…みなさんいっぱい食べてくださいね」

唯「ありがとう憂!さ、みんな食べよ食べよー」

このいつ浮かび上がるとも知れない、重くのしかかる空気を生み出した全ての元凶は私だった。

私は憂の好意(憂を信じるという前提があればの話だが)、それとその憂の提案に乗ってくれたみんなの好意を無下にしないために、既に枯渇しきっていた元気を振り絞った。

…というフリをした。それが事前にりっちゃん、澪ちゃん、ムギちゃんと決めた今日の私の役割だった。
フリと言えど、気持ちが沈んでいるのは事実だったので、明るく振る舞うのには雑巾が擦り切れるような痛みを伴ったが、あずにゃんのそれに比べれば、無責任に耐え難い等と甘えた事は言えなかった。

ノコギリがその刃を擦り減らしていく音は、私の頭蓋の中を、出口を失った煙の様に右往左往していた。あの日から。ずっと。鳴り止む事なく。

みんなは憂の手料理を口にしても、特に何か感想を言う事はなかった。
ただテーブルに置かれた牛なのか豚なのか鳥なのかわからない肉を含んで、奥歯で噛んだ後、胃に流し込むだけ。
これまで、笑い、泣き、喋り、そして歌うためについていた私達の口は、その単純作業を実行するだけの器官に成り下がっていた。
今自分達の口に入っている料理がなんなのか、これはイタリアンなのか中華なのか、和食か洋食か、肉なのか野菜なのか…全てが興味の対象外だった。
砂を食べてるような…と表現される事もあるが、今の私達には極上のドルチェだろうが校庭の砂だろうが、口に入った時点で何の違いもなかっだろう。ただ、口に入っているもの…それ以上でもそれ以下でもない。


澪「…」

澪ちゃんがその少し吊り上がった目で私を見た。
かつて凛々しく光っていたその目は、今ではクマのせいか窪んで見え、力強さなどもはや見る影もなかった。

その澪ちゃんの視線の意図する所が、私にはすぐにわかった。
今日、みんながここにいるのは、クリスマスパーティーをするため。
しかし私達四人の本当の目的は、大昔の宗教者を祝うとかそんなきらびやかなものではなく、この場を提供してくれた憂を探って、今後私達がどう動くべきなのかを判断するという酷く保身に寄ったものだった。


律「あ、テレビつけようぜテレビ」

まずりっちゃんが動いた。
テレビをつけ、憂の目をそちらに向けるつもりだろう。
私達は事前に、憂の前で口にするべきでない内容に関しては、その場でケータイのメールを以って伝え合うという旨を決めていた。
憂の目がテレビに向いていれば、私達がメールを打つ隙も出来る…そんな所だろう。
澪ちゃんとムギちゃんが何も言わなかった事から、りっちゃんのこの提案は是とされたのだろう。

事実、憂は液晶テレビに映る、若手芸人を寄せ集めただけの特番をじっと眺めている。
恐らく私達の空気に耐えかね、テレビのほうに話題を向けるため、必死にその内容を頭に入れているのだろう。

憂「あはは…おかしいですね…」

旬の過ぎた芸人のキャラ芸に愛想笑いをして、食卓の空気をなんとかもたせようとしている憂をちらちら見ながら、私は3人にメールを一斉送信した。

唯[みんなはどう思う?憂はやっぱり知ってるのかな?]


勿論、みんなはケータイのバイブ機能もオフにしていて、憂に気付かれないよう配慮していた。
あの日以来、私達の行動は、澪ちゃんとムギちゃんの二人がその聡明な頭をきりきりさせるほど使ったその上で、意思決定されていた。
そこには寸分の油断も隙もなかった。これまではそれで乗り切ってきた。これからもそうであるはずだ。

三人とも私のメールに気づき、こたつの下でケータイをいじり始めた。
私達はテレビの特番を見る振りをしながら、その意識は指先のケータイと、憂の挙動に向けられていた。

そして私のケータイには新着メールが3件。

律[まだわかんない。気づいてないのかな]

澪[梓の話題出してみようか]

紬[梓ちゃんの話を出して、様子を伺いましょう]

私達のブレインである澪ちゃんとムギちゃんが全く同じ提案をしている。
決まりだ。

唯[オッケーだよ]

律[それでいこう]

澪[誰が聞く?]

紬[私が切り出してみる]


不自然にならないよう、私達はあえてムギちゃんを見る事もなく、そっと携帯を閉じて、今度はテレビと憂に意識を向けた。

テレビが発泡酒のCMを流しはじめたあたりで、ムギちゃんが口を開いた。

紬「梓ちゃんも、一緒にパーティーできれば良かったのにね…」

私達全員の意識が、一斉に憂へと向けられた。
意識は憂に向いているが、視線は言葉を発したムギちゃんに向けられていた。
私達はつとめて自然に振舞おうとした。
憂に何かを気取られてはならない。
嘘の上塗りを繰り返してきた今の私達には、そういった演技をこなす事が身についていた。

憂「…そうですね。でも…大丈夫です梓ちゃんも一緒ですから」

私は憂の言葉の意味を考えた。
単語のひとつひとつ、テンポ、呼吸、行間、全てをなるべくかみ砕き、言外の意を汲み取るべく思考を巡らせた。
が、私には発せられた言葉以上のものは理解できなかった。

しかしそこに何かが潜んでいる気配はあった。

こういう時、私とりっちゃんは口をつぐみ、澪ちゃんとムギちゃんに二の手を任せる事にしていた。

澪「一緒にいるってのはどういう事?」

澪ちゃんが出した答えは、素直に意図を尋ねる…だった。
そうだ。今は憂の様子を見る事が目的だ。
まだ下手に勘繰る様な段階ではないのだ。

澪ちゃんのほうに顔を向けた憂は一言、

憂「いえ…」

と呟くと、再びCMが流れるテレビへと視線を戻した。
ケータイ会社のCMは、新しい料金プランの告知をしていた。

こう言われてしまっては、食い下がるのも不自然だ。
澪ちゃんはそのCMが流れている10秒程の間、何か考えているようだった。

今、澪ちゃんの頭の中では、憂の言葉、態度、あらゆる要素が、物凄い速さで分析されているのだろう。



憂は、澪ちゃんとこの空気に圧されて黙り込んでいるのか、それとも何か腹に抱えて口を閉ざしたのか、私にはわからなかった。
私にはさっきのCMの様に新しいプランなんて浮かばなかったので、澪ちゃん達に助けを求めようと、こたつの中のケータイをちらっと見た。
こたつの暗がりの中でぼんやりと光るケータイのディスプレイには「新着メール2件」の表示。


澪[やっぱり憂ちゃんは何か知ってるよ。どこまで知ってるかはわからないけど、私達を疑ってるのかも]

紬[私もそう思う。もう少し梓ちゃんの話題出してみる?]

私がそこまで読み終えたところで、さらに新着メールが来た。

澪[うん。ムギ、お願い]

りっちゃんは頬杖をついて、テレビに目を向けたままだった。
どうやら早くも自分の思考力に見切りをつけ、この場は静観すると決め込んだようだ。
私も情けない気持ちを押し殺しながら、この先は澪ちゃんとムギちゃんに任せる事にした。

紬「梓ちゃん、帰ってくるのかな?」

ムギちゃんの問い掛けに誰も答えない事を確認した憂は、ニッコリと笑いながら答えた。

憂「大丈夫ですよ。あんまり心配しないほうがいいと思いますよ。みなさんのほうがおかしくなっちゃいますし…。お姉ちゃん、お肉もういらないの?」

突然話を振られた私は、一瞬言葉に詰まったが、

唯「あ、うん。じゃあ食べるね。みんなはもういいの?」

と何とか答え、会話の体裁は保った。

みんなはいらない、と答えたので、私は皿にあった料理を味わう事もなく口に流し込んだ。
結局、憂の料理は私達によって全て平らげられた。


その後も、ムギちゃんと澪ちゃんが何度か憂に探りをいれたが、その度に憂はどちらともとれない返答をするばかりで、結局お開きになるまで、憂が私達に気付いているという確たるモノは得られなかった。
それでも私達の間には、憂は少なからず合宿後の真相の一部を知っているのだろうという共通認識だあった。

ムギちゃんと澪ちゃんは何度もメールのやり取りをしていたらしく、みんなを玄関で見送った後に私がケータイを開いた時は、新着メールの数は80件を越えていた。

私には、憂と澪ちゃん達の会話は、他愛のないものにしか聞こえなかったが、相当練りに練った舌戦をしていたのだろう。
憂に私達と争う様な気持ちがあったかはわからないが。


とにかく、澪ちゃんとムギちゃんの異常な数の新着メール件数を見て、私は感心してしまった。

二人のメールによる綿密な作戦過程を読み返す前に、私は風呂に入って一息つく事にした。

憂「お姉ちゃん、お風呂沸いたよー」

唯「うん、ありがとう。先入っていい?」

憂「うん。じゃあ私はパーティーの片付けしておくね」

唯「そんな、悪いよ憂ばっかり。私もお風呂あがったら手伝うよ」

憂「え?でも…」

唯「手伝いたいんだよ~」

憂「…」

憂は一瞬、困ったような顔をしたが、すぐにまた表情を緩ませて、

憂「わかった。じゃあ一緒に片付けようね」

と言って、階段を上がり自分の部屋に入って行った。

私は風呂桶の蓋を開け、立ち上る湯気を全身に浴びた後、蛇口を捻ってシャワーを浴びながら、足元の排水溝に絡まる髪の毛を眺めていた。

黒い毛。
茶色がかった私と憂の毛ではない。
お父さんのだろうか?もしかしたら私か憂の陰毛かもしれない。
とにかくその黒い毛は、あの日のあずにゃんを連想させ、私にとって気持ちのいいものではなかった。

私の耳の奥の奥…脳の…記憶が詰まった海馬の中で、ノコギリの音はまだ響いている。
不規則なリズムで響くその音は、海馬を越え、頭全体、身体全体、風呂場全体に響き渡った。
シャワーの水流音よりもずっと大きく。

私はあの日から沢山の嘘をつき、沢山の人を疑ってきた。親友の和ちゃんも、妹の憂もそこに含まれていた。

憂は何を知っていて、何を知らないのだろう。
結局今日、それはわからず終いだった。

唯「はぁ~…」

湯舟に浸かると、足先から下腹部にかけてお湯の熱が染み渡ってきて、それは言いようのない快感と安堵感を生んでくれた。
私は性体験の類は殆ど無かったが、きっとこれに似た感覚なのだろうと勝手に思っていた。
高校二年の時に、一度だけあずにゃんとそれらしい体験をしただけだ。
今年の合宿とは違い、平穏無事に終わった二年の夏合宿の夜。
夜中にギターの練習を終えた私とあずにゃんは寝室に戻り、一緒の布団に入った。
私がふざけてあずにゃんの乳房を触り、あずにゃんが怒って私のを触り返す。
そんな具合に互いの身体を触りあうだけで、性的な興奮があったわけでもない。
つまるところ、私には性的な体験は皆無と言って差し支えなかった。

唯「…ふぅ」

息を吐き出しながらふと湯舟の縁に置いた自分の手を見ると、さっきの排水溝に絡まっていたものに似た黒い毛が二本ほど手の甲あたりにぴたりとくっついていた。

唯「お父さん、抜け毛かなー…あはは…」

湯舟の水でその毛をさばっと流した私は、膝を抱えて身体を小さく丸めた。

ノコギリの音とあずにゃんの笑い声が交互に風呂場に響いた。

唯「う、うう…あ…あずにゃん…うぐっ…ひっく…」

涙なのか風呂の水滴なのかわからないが、湯の表面から出た曲げた膝の上に、ぽたぽたとそれは零れた。

私は嗚咽を漏らしながら、あの高3の夏合宿の日を思い出していた。


第一部 完


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最終更新:2010年01月28日 00:16