律「いや、今のところバレてなさそうじゃん」
澪「そんなのわかんないだろ。私達が気づいてないだけで、警察は既に証拠を掴んでいる可能性だってある」
紬「そうね。うまくいっている時こそ、油断したら命取りになるわ」
律「うーん…そうかもなぁ…。でも石橋も叩き過ぎると壊れるぜ?」
紬「石橋は叩いて壊して、自分達で作って渡るくらいで丁度いいのよ。特にこういう時は」
律「…」
ムギちゃんに言い負かされて、りっちゃんは黙ってしまった。
紬「ごめんなさい。でも用心するに越した事はないから…」
律「いや、いいよ。ムギの言う通りだ。油断はご法度だな」
まだ誰も紅茶に口をつけていなかった。
澪「始業式でも、ホームルームでも、梓の話は出なかったな」
次に話を切り出したのは澪ちゃんだった。
紬「生徒を不安にさせないため…ってところだろうね」
澪「多分ね。でも、先生達はそのうち私達に話を聞きにくると思うよ」
唯「その時は、今までと同じ対応で大丈夫かな?」
澪「ああ。それでいいよ。今までもなるべく嘘をつかないよう、「知らない」「わからない」で通してきたんだ」
紬「今は対応を変える意味がないわ。それに、先生方の質問も、警察のとほとんど変わらないと思う。少なくとも警察以上って事はないわ」
澪「あ…先生と言えば、さわ子先生なんだけどさ、今日学校に来てなかったのって何でだと思う?」
私とりっちゃんには皆目見当もつかなかったので、押し黙っていた。
するとムギちゃんがそれに答えた。
紬「十中八九、梓ちゃんの事で何かあったのね。警察に話を聞かれているか、監督不行届きで謹慎とか…」
澪「…だろうな」
唯「先生、クビになっちゃうのかな…」
澪「わからない…。出来れば巻き込みたくなかったけど…」
律「…あのさ、私は部長だから、さっき学年主任の先生から聞かされたんだ」
律「さわちゃんは、軽音部の顧問から外されたよ。でも事情が事情だから、今年度いっぱいは廃部にはならないってさ」
音楽室に重い沈黙が訪れた。
カップの中の紅茶は、すでに冷めていたのか、湯気を出す事もなく揺れていた。
律「最悪、私達4人だけでも守らないとな…」
りっちゃんの言葉に誰も反論せず、私達はただ黙っていた。
この時、私達は満場一致の暗黙の了解で、さわちゃんを切った。
もっとも、私達が自首したところで、さわちゃんの処分は重くなるだけだ。
私達に、さわちゃんを救う手立てはなかった。
それよりも、私達にとって脅威になったかも知れないさわちゃんの退場に、誰もが内心ほっとしていた。
唯「でもさ、さわちゃんから私達に不利な話が伝わっちゃうかも知れないよ?」
紬「それはありえないよ唯ちゃん」
紬「先生はあの日の事を何も知らないし…」
澪「そもそもあれは事故なんだ。それ以前の私達に兆候なんてないだろ」
唯「…でも、私、去年の合宿であずにゃんと…その…」
私は語尾を濁してから、話を続けた。
唯「そこから何か気づかれたりしないかな…」
紬「大丈夫よ。唯ちゃんが梓ちゃんに抱き着くの日常茶飯事だったし、万が一先生がそれを知っていて証言したとしても、そこから繋がる事はないわ」
唯「…そっか。そうだね」
とりあえず今日の話し合いはこれで終わり…誰もがそう思っていた時、音楽室の壁のスピーカーから校内放送が流れた。
『生徒の呼び出しをします。軽音楽部の3年生は、今すぐ職員室に来てください。繰り返します。軽音楽部の3年生は…』
律「早速か」
澪「基本的には私とムギが質問に答える。律と唯は梓を心配するフリをしててくれ」
唯「うん。…あ、対応はこないだの澪ちゃんのメールと同じ感じでいいんでしょ?」
私がケータイを取り出して澪ちゃんに見せると、澪ちゃんはそれを何秒か眺めた後に言った。
その言葉は私にとって予想外のものだった。
澪「唯、それとみんな。今すぐメールは全部消せ」
唯「え?何で…?」
紬「あ、もし誰かにケータイを見られたら、お終いだもんね」
律「でもそれならヤバいメールだけでいいじゃん。全部消す必要はなくない?」
澪「メールの保存件数上限があるだろ」
紬「あ、そうね…」
唯「え?え?どういう事?」
紬「普通、保存上限いっぱいまでメールが溜まると、古いものから消されていくでしょ?」
紬「特に私達女子高生は、すぐに上限に達しちゃうでしょ。だから例えば500件まで保存可なら、常に500件埋まってる状態が自然なの」
律「部分的に消すと500分の499になって、メールを消したのがバレるって事か」
唯「でも、全部消したらそれも結局メールをわざわざ消してるって思われない?」
澪「いや、読んだメールと送信したメールを消す習慣があるって事にすればいい。実際そーゆー人いるし」
紬「でも全員にその習慣があるのも変ね。ここは、りっちゃんが以前に勝手にケータイを覗いた事があって、それからみんな警戒して消すようになったって事にしよう」
律「えぇ?何か私そんな役ばっかじゃね?」
澪「仕方ないだろ。律が一番それっぽいんだから」
律「…いいけどさー」
唯「ねえ、もしかして携帯会社にデータが残ってたりしないのかな…?」
澪「その可能性もある。でもよほど私達が疑わしくない限り、そこまで調べないと思う」
紬「第一、まだ死体も出てないんだから」
澪「…でも用心するに越した事はない。これからはヤバい内容を話す時は会って直接…だな」
澪「と言っても、緊急の時に会う事が出来ない場合もある。そういう時は…そうだな、暗号みたいな感じでメールしてくれ」
唯「暗号…?覚えられるかな…」
澪「出来る出来ないじゃなくてやれよ…」
唯「ご、ごめん。そうだよね…」
紬「でも私達以外に理解不能なメールだと、それが暗号だとバレるわ。万が一他の人が見ても、別の意味で通じるようにしないと」
律「…どゆこと?」
澪「なるほど。例えば「死体の防腐処理」は「ドラムのメンテナンス」に言い換える…こういう事だろムギ?」
紬「うん。そういう事。隠語に関しては、みんなで相談して決めましょう」
唯「うん、わかった。…さ、早く職員室に行こう。もたもたしてたら怪しまれるよ」
澪「そうだな、行こう。大丈夫。今のところ私達にぬかりはない」
「今のところ」と言うあたりが、慎重な澪ちゃんらしかった。
澪ちゃんにとっては、自分の頭脳ですら、疑う対象なのだ。
それがかえって、私達は客観的だという事を感じさせ、安心できた。
事実、私達は先生達の梓ちゃんに関する質問を難なく切り抜ける事ができた。
その後何度か警察の人が話を聞きに来る事もあったが、私達は後輩の失踪を悲しむ女子高生を演じ続け、危機を感じる事もなかった。
そのまま一ヶ月が過ぎた。
睡眠不足は相変わらずで、みんな見る見る痩せていったが、周囲の目には、はあずにゃんを心配しているがため…と映っていたようだ。
このまま上手く行く…慎重な澪ちゃんですら、そう確信し始めていた10月のある日、最初の危機が訪れた。
あずにゃんの不在を理由に文化祭ライブを辞退した私達は、部活を引退した。
元々軽音部を守るという目的で、私達は自首をしないと決めたが、結局ロクなバンド活動は合宿以来出来ていなかった。
それでも私達は、バンドを守るためという名目を掲げ、隠語を駆使してまで嘘をつき続けた。
目的のための手段が、手段のための目的にすりかわり、みんなそれに気づかないフリをした。
私達は自分自身と、守りたかった軽音部にまで嘘をついていた事になる。
それでも、もう後には引けなかった。
部活を引退してからは、下校後に4人のうち誰かの家を日替わりで、「ティータイム」をする事になっていた。
バンド名に冠された「ティータイム」という単語は、今や私達のどす黒い会合を表す隠語となっていた。
今日もこれと言った報告はないな…そう思いながら、私はその日、和ちゃんと下校していた。
唯「…」
私達は特に会話をするでもなく、歩きなれた下校ルートで家路についていた。
和「…気持ちはわかるけどさ、そろそろ元気出したら?」
唯「うん…。そうだよね…」
私は後輩を失って悲しむ女の子の顔をして答えた。
和「…」
和ちゃんは答えない。
唯「…」
私もそのまま黙り込み、私達は互いの家への分かれ道に差し掛かった。
そこで和ちゃんが口を開いた。
和「唯、あ…あのさ…もし違ってたらごめんね?…あ、あの…」
唯「…?なあに和ちゃん?」
一呼吸置いてから、和ちゃんは恐る恐る私に尋ねた。
和「…本当は梓がどこにいるのか、知ってるんじゃないの…?」
私の脳細胞の全てが、和ちゃんの言葉の意味を分析し始めた。
和ちゃんは今、「本当は梓がどこにいるか、知ってるんじゃないの?」と言った。
「本当は」と言ったのだ。
和ちゃんは私が、あずにゃんの居場所を知ってて隠していると思っている。
私はすぐにでも澪ちゃんかムギちゃんに助けを求めたかった。
しかし、ここは私一人で乗り切らなきゃいけない。
沈黙するわけにもいかないので、私は和ちゃんに聞き返した。
唯「え?どういう事?」
和「…そのままの意味よ。私に何か隠してない?」
これまで、警察に似たような質問をされた事はあった。
だがそれは、「心当たりはない?」という程度のもので、今の和ちゃんほど直接的ではなかった。
ムギちゃん曰く、警察が私達を疑っていると私達に気づかれたら、私達が口を閉ざす可能性があるから…との事だ。
私達は警察に疑われている事を前提に会話内容を予め決めていたので、ボロを出す事はなかった。
それだけに、素人の和ちゃんの問いは、予測のしようがなく、警察のそれより遥かに恐ろしく感じられた。
唯「何も隠してないよ…。何でそう思うの…?」
私は演技を続けながら、和ちゃんに探りを入れた。
和「…だってあなた達、自分の後輩なのに、全然梓を探そうとしないじゃない…」
和「私の知ってる唯は、こういう時、常識も何もかも放り出して梓を探す…そういう子よ」
和「…私には唯が、どうしてそんなに大人しくしていられるかわからないの…」
今まで、私はムギちゃんと澪ちゃんに指示された通りに動いてきた。
二人が今までの私から想定した、「能天気な平沢唯」を演じてきた。
だが、それは本来の平沢唯ではなかった。
それを想定した澪ちゃんっぽさ、ムギちゃんっぽさが、「能天気な平沢唯」から、水銀が滲む様に漏れ出ていたのだろう。
和ちゃんが「大人しい」と感じた原因はまさにこれだった。
唯「そんな事ないよ…。今でも私はあずにゃんを心配してるよ…」
和「…唯…お願い…。本当の事を言って…」
唯「さっきから言ってるじゃん…」
和「…」
和「…変な事言ってごめんなさい。もう忘れて…?」
和ちゃんは引いたが、このままではうまくない事が、私の足りない頭でも容易に理解できた。
疑念を持たれたままでいいはずがない。何としても、和ちゃんを納得させなければいけない。
和「じゃあ、また明日学校でね。今度久々に二人で遊ぼう。あなたには気晴らしが必要だと思うから」
唯「うん…。わかったよ。じゃあね和ちゃん」
和ちゃんはそのまま振り返り、歩き去って行った。
私は和ちゃんの背中を、角を曲がって見えなくなるまで見つめていた。
私は家に帰ると、すぐさま3人にメールを送った。
唯[和ちゃんが音楽に興味あるんだって]
存在するのかも定かでない、電話会社のデータバンクに注意を払いながら送信された文章の意味は、「和ちゃんが私達を疑っている」だった。
すぐに澪ちゃんからメールが返ってきた。
宛先にはりっちゃんとムギちゃんの名前もあった。
澪[みんな今すぐ私の家に来て]
私は制服を着替えずに、ばたばたと玄関に向かった。
この時、背後から憂の「お姉ちゃんどこに行くの?」と言う声が聞こえてきたが、私はそれを無視して家を飛び出した。
今は憂の事を考える余裕なんてなかった。
私が澪ちゃんの部屋に入った時、既にりっちゃんもムギちゃんも揃っていた。
みんな一様に、ライブ前の澪ちゃんのように顔を強張らせていた。
紬「唯ちゃん、とりあえず何があったか説明してくれる?」
私は和ちゃんとの会話を、出来るだけ詳細に説明した。
唯「あの…私、あれで大丈夫だった?」
私は和ちゃんへの自分の対応に、自信がなかった。
澪「ああ。とりあえずは大丈夫だと思う。頑張ったな、唯」
そう言われて私は安堵した。
紬「でも、確実にまだ私達を疑っているわ」
澪「うん。今度遊ぼうって誘ってきたのも、そこから唯を探ろうとしてるんだと思う」
律「どうすんだ?」
澪「…和の言葉から察するに、和は唯を疑っている事に罪悪感を感じているフシがあるな」
紬「そこをうまく利用しましょう」
相変わらず、「ティータイム」は澪ちゃんとムギちゃん主導で進んでいる。
かつてのティータイムは、私とりっちゃんが幅をきかせていた。
この事が、もうティータイムが全く別の「ティータイム」と入れ替わってしまっているのだと痛感させた。
和ちゃんの私に対する情につけ込むという提案も、もはや私達の良心を痛めるような事ではなかった。
私達に良心が残っていればの話だが。
唯「どうすればいいの?」
澪「まず、唯が大人しく見えたってところから解決しないとな」
紬「うん。やっぱり私達が考えた言葉と行動だと、唯ちゃんらしさを出し切れないみたいね」
澪「そうだな。幹も葉っぱも私達が決めたんじゃ、どうしても私とムギの味みたいなのが出てしまう」
紬「…ここは唯ちゃんに対策を考えてもらいましょう。私達はそれに肉付けをする程度に留めるわ」
思いも寄らぬ二人の提案に、私は狼狽した。
唯「そんな…対策なんて私にはとても…」
最終更新:2010年01月28日 00:25