紬「唯ちゃん。私達の考えた「唯ちゃん」だと、隙が無さ過ぎて不自然になっちゃうの。難しいかも知れないけど、考えてみて?」

澪「うん。和の事も、唯自身の事も、この中で一番良く知っているのは唯なんだ」

私は二人に促され、思考を巡らせた。
今まで和ちゃんと喧嘩をした事がないわけではない。その時どうやって仲直りしたか。
和ちゃんは私のどこが好きなのか。

私は言葉を選びながら、ゆっくりと話し始めた。

唯「私があずにゃんを探さなかった理由は…私があずにゃんと喧嘩したから…って事にすればいいと思う」

唯「私がいつまでも練習しないでだらけて…バカなままだから…あずにゃんは帰って来ない…」

唯「だから私は、もっとしっかりしなきゃと思って、冷静な行動をとるようにした…。いつあずにゃんが帰って来てもいいように」

唯「和ちゃんは、私のそういう所を気に入ってくれてるんだと思う…」

唯「これを和ちゃんにくっつきながら…泣きながら話せば…和ちゃんは信じるんじゃないかな…」

話し終えた私は、みんなの顔を見渡してから、最後に尋ねた。

唯「…こんな感じでどうかな?」

ムギちゃんが感心したような顔で答えた。

紬「すごいわ唯ちゃん。それで完璧だと思う」

澪「うん。私達が肉付けするまでもないな。それで行こう」

律「唯ってさ、ほんと愛され上手だよな」

りっちゃんは褒めるつもりで言ったのだろうが、その言葉が私の胸に鋭い槍の一投のように深く突き刺さった。
あずにゃんに欲情し、死なせてしまい、嘘に嘘を重ねて来た私に愛される資格なんて無い…。

しかし、私が心の中で、「軽音部を守るため」と呪文のように唱えると、胸に刺さった槍はいとも簡単に抜けた。
私達の全員が、そうやって自分を誤魔化しながら、何とかここまでやってきた。

律「あ、そうだ。私もみんなに話しておきたい事がある」


澪「珍しいな。何?」

律「えっと…ギターケースの事なんだけど…」

どうやらりっちゃんの話とは、あずにゃんの棺になったギターケース、又はその中身についてのようだ。

律「みんなはさ…あれからギターケース開けた事ある?」

あるわけがない。
私達は、ギターケースの重いチャックを閉じる時、自分達の罪をそこに押し込めたのだ。
それを好き好んで開けるわけがない。

澪「ないよ…。当たり前だろ…」

澪ちゃんは、「一体何を言い出すんだお前は」とでも言いたげに、りっちゃんの顔を見た。

唯「私もないよ…」

紬「私も…」

律「いや、実はさ…昨日ちょっと…変な匂いがしたから、まさかと思って…」

紬「…開けたの?」

律「…うん」

澪ちゃんが青ざめた顔をしながら、両手を口で覆った。
それを横目で見ながら、りっちゃんは話を続けた。

律「そしたら…まぁ…あー…く、腐っててさ…」

澪ちゃんは嘔吐するのを肩を震わせながら必死で堪え、涙ぐんでいた。

律「やっぱ素人の防腐処理じゃ、すぐダメになるんだよ…。だからみんなのももう一回処理し直したほうがいいと思う」

紬「そう…。でも、もしかしたらりっちゃんのだけかも知れないよ…?」

律「う、うん。だからさ、今この部屋にあるやつも調べてみようぜ…」

やりたくなかった。
でもやらないと、後々取り返しのつかない事になるかもしれない。
やるしかないのだ。

律「澪、お前のはどこにあんの?このクローゼット?」

澪ちゃんは両手で口を押さえ、大粒の涙を流しながら、頷いた。

りっちゃんがそのクローゼットのドアを開けた。
が、そこにギターケースは見当たらない。

律「…あれ?無いよ…?」

澪ちゃんは同じ姿勢のまま、クローゼットのほうを指差した。

よく見ると、クローゼットの奥に、周りと同じ色のアクリル板で仕切りが施されていた。
りっちゃんがそのアクリル板を外すと、黒いギターケースが顔を覗かせた。

慎重な澪ちゃんらしい隠し方だった。

りっちゃんがギターケースを取り出し、ごってりとしたチャックを外した。

ジィーッという音が部屋の全員を不快にした。

その中に4つ、茶色いしわしわのソレはあった。

かつてあずにゃんの左腕と左脚だったソレ。

澪ちゃんの部屋に、すえた臭いが充満する。

胃の奥からこみ上げてくるものを感じた。

紬「も、もういいわ…。わかったから仕舞いましょう…」

ムギちゃんは平時より明らかに白い顔をして、ソレから目を逸らした。

りっちゃんはギターケースを閉じて、クローゼットに押し込み、アクリル板を元の場所に戻した。

まるで魔物の檻のように、澪ちゃんは厳重にギターケースを管理、隠匿していたため、これまで腐臭が外に漏れる事がなかったようだ。
恐らくムギちゃんのも、そして私のも、同様に防腐の限界を越えてしまっているのだろう。
私達は再度防腐処理をする事にした。
が、その日は全員精根尽き果てていたため、処理は翌日に持ち越された。
澪ちゃんは、あまりの恐怖からか、腰を抜かしてしまっていたので、りっちゃんがそのまま残って泊まる事になった。

私はムギちゃんと別れると、寄り道をせずに自宅へ向かった。

辺りはすっかり暗くなっていたが、私の家の玄関の照明はこうこうと点いていた。

憂が私のために点けてくれているのかな…と考えながら、私は家の門を開けた。


私は玄関のドアの前に立っていたその人を見た瞬間、息が止まった。



和「あ、唯。おかえり」


唯「和ちゃん。どうしたの…?」

私は狼狽している事を気づかれないよう、精一杯の演技をしながら和ちゃんに話しかけた。

和「うん。さっき私、唯に酷い事言っちゃったし、ちょっと会って話したいなって思って…」

和「あがっていい?」

駄目だ。部屋に入れたくない。
でも断る理由がない。
混乱しきっている私の頭で、都合のいい言い訳なんて思いつくわけがない。

唯「うん。いいよ。…でも憂がいるでしょ?何で玄関の前なんかで…」

和「勝手に部屋にあがるのも悪いじゃない。それに、唯を待ってたかったから、ここでいいって憂に言ったの。そしたら電気つけてくれてね。相変わらず出来た子よね」

そう言って和ちゃんは笑った。
その笑顔が作り物には見えなかったが、私はこの幼馴染がまるで命を刈り取りに来た死神の様に思えた。


私と和ちゃんは私の部屋にあがると、どちらともなく話し始めた。
いつも通りの他愛ない会話。
その間も、私は全神経を以って、和ちゃんの一挙手一投足を観察していた。
こうして笑いあっている間も、和ちゃんは虎視眈々と私の隙を伺っているのだろうか。
いや、それは私のほうだ。嘘をつく人間というのは、他の人間も嘘をついている様に思えてしまうものだ。

しばらくして、会話の種は尽きた。

そこで私は意を決して、和ちゃんにさっきの話を切り出した。

唯「…何で和ちゃんは、あんな事言ったの?」

和「…ごめんなさい。唯の事が心配で…でも唯がわからなくなって…」

――あの作戦を実行するなら今しかない。

唯「私ね…あずにゃんが帰ってこないのは、私がいつまでもバカでだらしないからだと思うんだ…」

和「そんな…自分で自分をバカなんて言うのは良くないわ…」

唯「…だからね…私はもっとお利口にならなきゃって思ったの」

唯「そうしたら…あ…あずにゃんも…帰ってきてくれる…って…」

私は目に涙を溜めながらゆっくりと、一つ一つの言葉を噛み締めるように話した。

和「唯…私…ごめんなさい…」

和ちゃんの声が震えているのがわかった。
私は和ちゃんに抱きついて、声を上げて泣いた。
その私を和ちゃんはきつく抱きしめた。

もう何が本当で何が嘘なのか自分でもわからなくなっていた。

でも、私の作戦が上手く行った事だけは事実だった。
私はそれで満足できた。

仲直りをした私達は、またいつもの様に談笑し始めた。
和ちゃんという障害を乗り越えたせいか、安心していた私は、勘ぐる事なく話す事ができた。



和「ていうか唯、部屋散らかりすぎじゃない?」

唯「でへへ…すいやせん…」

和「ほら、服も脱ぎっぱなしじゃない」

唯「大丈夫!明日それ着るから!…多分」

和「はぁ…。相変わらずね…。このカーディガン片付けとくわよ?」

和ちゃんはカーディガンを持って立ち上がり、クローゼットのドアに手をかけた。

私の身体中からべっとりとした汗が噴出すのがわかった。

私が声を出す前に、和ちゃんはクローゼットを開けた。

私はあの日以来、ギターケースどころか、クローゼットも開けていない。
もしかしたら、りっちゃんのみたいに、腐臭がそこに充満しているかもしれない。

私は全てが終わるのを覚悟した。

和「…?あれ?唯ってギター二本持ってるの?」

和ちゃんはギターケースを見ると、私に尋ねた。

唯「う、うん。そっちは全然使ってないけどね」

鼻をつく臭いがした。やはり腐敗していたのだろうか?

和「そうなんだ。ふふ、唯もすっかりミュージシャンね」

和ちゃんはそう言うと、カーディガンをクローゼットのハンガーにかけ、クローゼットのドアを閉めた。

あまりの緊張で、口の中が干乾びた様な気がした。
ああ、そうか。今の異臭は私の口の中からしたのだ。

結局和ちゃんは、ギターケースの中身に気づく事なく、22時を回った辺りで、帰って行った。
和ちゃんは私の部屋にあったラベンダーのアロマオイルに興味を示し、後日同じものを一緒に買いに行く約束をした。


私はベッドに身を放り出すと、今日あった事を思い返した。

――このまま、4人の部屋で管理していて本当に大丈夫なのだろうか。

あの時私は、盲目的に澪ちゃんとムギちゃんに従ったが、私達は安心感を優先して、確実性を放棄していたのではないだろうか。

誰にもバレない場所を考えて、そこにまとめて置いたほうが確実なのではないか。

私の頭の中を、色々な考えが彷徨した。

その時、部屋のドアを、コンコンと2回ノックする音がした。

憂「お姉ちゃん、ご飯できたよー?」

唯「うーん…食欲ないからいらない…ごめんね」

澪ちゃんの部屋でアレを見てしまったのだ。
この期に及んで食欲があったら、もう私の精神は人間のそれではない。

憂「そう…。何か悩み事?」

憂が残念そうに答えた後、私に尋ねた。

唯「悩み事ってほどでもないんだけど…」

憂「うん…?」

私は逡巡した後、憂に尋ねてみた。

唯「大切なものをしまいたい時ってさー、憂ならどこにしまう?」

憂「大切なもの?」

唯「うん。友達と一緒に共有してるような」

憂「それなら、友達といつも集まる場所かなぁ」

唯「集まる場所…」

憂「お姉ちゃんだったら、音楽室とか」

唯「音楽室…音楽室かぁ…」

音楽室?
あそこは駄目だ。
授業中は他の生徒も使うし、それこそ何がきっかけで見つかるかわからない。
私達だけが使うような場所じゃないと、隠し場所として不適切だ。

…私達だけが使う場所…?

何だ。
あるじゃないか。
音楽室に。

唯「そっか!ありがとう憂!」

憂「うん。よくわかんないけど…力になれたみたいで良かったよ」

澪「食器棚の中?」


翌日、澪ちゃんの家で防腐処理を終えた後、私はみんなに昨日私が憂に貰ったヒントから出したアイディアを話してみた。
音楽室にある食器棚。
その下部にある大きな引き出しの中。
あそこなら私達以外は使わないし、カギをかけたとしても不自然じゃない。
少なくとも、卒業するまではあそこに保管するのが最も確実で安全だ。

紬「なるほど…確かにそうね。うん。いいと思う。」

律「え?でも私達もう引退したし…」

澪「いや、部自体は私達が卒業するまで残してもらえるんだろ?」

律「あぁ、そういやそうだったな。でも引退した私らが音楽室にいるのって不自然じゃない?」


唯「そっかぁ…そうだよね…」

私が肩を落とすと、ムギちゃんが目を輝かせながら言った。

紬「ライブ…ライブよ!卒業ライブをするっていうのは!?」

澪「…卒業ライブをするから、音楽室を使わせてもらえるように頼むのか…。うん…いい!それいい!」

律「なーるほど。それなら音楽室にいても不自然じゃないな。おまけに放課後ティータイムも復活だ!」

満場一致の喝采の中、保管場所は決まった。
いや、それよりも私達は、バンドが復活出来るかもしれないという事に大きな希望を抱いた。
事態は殆ど好転していない。だがそれでも、あの日の朝に消えた希望が再び生まれた事を考えると、これは私達にとって前進だった。
閉塞しきった私達の精神を解き放つ、唯一の術をようやく見つけたのだ。

それに、いまや私達の前に障害はなかった。
警察も、さわちゃんも、和ちゃんも、私達は知恵を出し合う事で切り抜けてきた。
許されざる罪を犯した私達の、洋々たる前途を阻む人間は存在しなかった。

ただ一人、憂を除いては。

第4部 完


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最終更新:2010年01月28日 00:26