クリスマスと言えど、住宅街に人通りは殆ど無かった。
恐らくもっと栄えた場所(例えば駅前とか)に繰り出すか、家の中でパーティーをする等して、思い思いのクリスマスを過ごしているのだろう。

唯「さむい…」

パジャマに上着に手袋。12月末の寒さに、私は無防備すぎた。
私は足早にコンビニへと向かった。

少し広い通りに出ると、ようやく街行く人々を見る事が出来た。

コンビニの灯りは、ツリーの電飾よりもぎらぎらしていて、私は夏の虫の様にその光に吸い寄せられていった。

店内に入ると、暖房のおかげで、先程までの刺す様な寒さは柔らいだ。
店員が売れ残ったクリスマスケーキの叩き売りをしている。飽食の国らしい光景だ。
ホールケーキが千円という破格の値段で売られていたが、憂の料理で満腹感を得ていたので、誘惑に負ける事なく、シャンプーを探す事にした。


店内に人はまばらだった。
ドリンクコーナーで何か嬉しそうに喋っているカップル、漫画を立ち読みしている若い男の人。
後はサラリーマンらしき人が何人かいる。

商品棚には、憂に頼まれたシャンプーが置いてあった。

甘ったるそうなピンクのパッケージとは裏腹に、柑橘系のさっぱりした匂いのするシャンプー。
私はそれではなく、その横に置いてある白いパッケージに青い文字が書かれたシャンプーを手にとった。

唯「これでいいや…」

私はそれを持ってレジに向かった。

サンタクロースの格好をした店員が、シャンプーを受け取り、「493円になります」と言った。
私は「クリスマスイブは昨日なのに、サンタの格好をしてるのはおかしい」と思いながら、ポケットから憂の財布を取り出した。

他人の財布というのは、使い慣れていないせいか、勝手がわからない。
手袋をはめていた事もあり、私は小銭を取り出すのにえらく手間取った。

私が財布をごそごそ探っていると、後ろに人の列が出来ていった。

早くしなきゃ。

私が焦りながら小銭を取り出そうとすると、手元から財布は落ち、中身がレジ前にぶちまけられた。

唯「あっ…す、すいません…」

サンタの格好をした男の店員が、「大丈夫ですか?」と尋ねてくる。

唯「大丈夫です、すいません…」

私は床に散らばったレシートを急いでポケットに突っ込み、カード類を財布にしまって、会計を済ませた。


さっきのカップルがじろじろと私を見ている。

その恥ずかしさから、私はシャンプーの入った袋を右手に携えながら、さっさと店から出る事にした。

店員「ありがとうございました。またお越し下さいませ」

全く有難そうに聞こえない店員の言葉に、軽く会釈をしてから自動ドアへ向かった。

ドアが開くと、外は相変わらずの寒さだった。

私はサンダルをぺたぺた鳴らしながら、憂が待つ家へと急いだ。

ふと、民家の庭先にあるクリスマスツリーの電飾に私は目を奪われた。
ちかちか光るそれを眺めながら、私は思いを馳せた。

結局、憂はどこまで気づいていたんだろう。

私は憂を疑い始めた時の事を、改めて考えてみる事にした。


卒業ライブを建前に音楽室を使わせてもらえる事になった私達は、早速あずにゃんを食器棚の下部に移した。
カギを取り付け、これで誰かに開けられる心配もない。

私の頭の中では相変わらず、ノコギリの骨を削る音が響いていて、あずにゃんに対する罪悪感も消えたわけではなかった。

それでも、「バンドを復活させる」という目標が、私達を都合よく正当化させてくれた。

音楽室で卒業ライブに向けて私達は練習を再開した。
澪ちゃんもムギちゃんも、進路は二の次にして、練習に精を出した。

私達が青春を取り戻し始め、練習を終えた後に、澪ちゃんがりっちゃんをたしなめた。

澪「律?ドラムに勢いがなくない?ジョン・ボーナムが目標とは思えないんだけど…。また風邪か?」


りっちゃんは少し黙ってから口を開いた。

律「…あの事でちょっと話しておきたい事があるんだけど」

あの事とは間違いなくあずにゃんの事だ。
今更何があるのだろうと訝りながら、私はりっちゃんの言葉を待った。

律「話していい?」

澪「いいよ。私も丁度それについて話したい事があったし」

紬「うん。私も言わなきゃいけない事があるの」

何だろう。
私には話すべき事などなかったが、みんなは違ったようだ。

練習後の「ティータイム」が始まった。


律「実はさ、昨日憂ちゃんがウチに来たんだ。梓の事を聞きに」

思いがけない名前がりっちゃんの口から飛び出した。

澪「え?私の家にも来たぞ…?私もそれを話そうと思ってたんだけど…」

紬「わ…私の家にも来たわ…」

憂からそんな話は聞いていない。
だが、そう言えば昨日は珍しく憂の帰りが遅かったような気がする。

律「マジかよ。て事は私達全員の家を回ったって事か?」

澪「…これは、あまり良くなさそうだな」

紬「もしかして、梓ちゃんの事で私達を疑っているのかしら?」

律「でも、昨日はそんなに突っ込んだ事は聞かれなかったぜ?梓を心配してるだけに見えたし。演技かも知れないけどさ」

澪「私達全員の家を回るのは明らかにおかしい。憂ちゃんはきっと何か感付いたんだ」

紬「迂闊だったね…。和ちゃんが唯ちゃんの様子がおかしいって気づいたんだもの。憂ちゃんがそう思ったっておかしくないわ」

暫しの沈黙が訪れた後、澪ちゃんが話し始めた。

澪「どうする?早めに手を打たないとまずいかもしれない」

律「て言っても梓はあそこなんだし…」

そう言いながらりっちゃんは食器棚のほうに視線を向けた。

律「確かに憂ちゃんに怪しまれてるかも知れないけど、バレる事はないんじゃないの?」

紬「駄目よ。疑われている以上、早めに何とかしないと、何がきっかけでバレるかわからないわ」

澪「うん。危険の種は芽吹く前に取り除くべきだ。用心するに越した事はないんだから」

律「…わかった。で、どうすんの?」

紬「全員の家を回るっていう行動に出たくらいだし、憂ちゃんの疑念はほぼ確信に近いのかも…」

澪「そうだな。憂ちゃんは去年のライブの時に唯に変装してくるような子だ。行動力は人一倍ある。…もっと早くから警戒しておくべきだった」

紬「唯ちゃん。家の中での憂ちゃんの様子はどう?」

唯「うーん…特にいつもと変わった感じはしなかったけど…」

律「まぁ、あの子はボロを出さないだろうな…」

澪「うん…。どうしたものか…」

紬「…」

重い沈黙。

いつの間にか、私は拳をぎゅっと握っていた。
手のひらは汗でぐっしょりしている。
嫌な予感がした。
憂はかなりのところまで気づいている。
その憂への対処に、今みんなが何を考えているのか想像した私は恐ろしくなった。

私の心中を察したのか、ムギちゃんが私の肩に手を置いて優しく言った。

紬「大丈夫よ唯ちゃん。憂ちゃんを手にかけたりなんてしないから」

澪「うん。それは絶対駄目だ。そんな事をしたら、もう隠し切れない」

律「梓一人でもこれだからな…。さすがにそれはないわな」

唯「う、うん…。良かった…」

澪「それに、仮に憂ちゃんが全部知っていたとしても、口封じの方法はいくらでも…」

そこで澪ちゃんは言葉を濁らせた。
みんな、澪ちゃんが何を言わんとしているか理解していた。

私達は4人で、憂は一人。
おまけに私達は殺人者だ。

最悪、4人で憂を脅す事もできる。

良心の呵責はあったはずだが、それは少し浮かんだだけで、すぐに無意識の澱の中へ沈んでいった。
私達は、来るところまで来てしまったのだ。

澪「でも、まずは憂ちゃんがどこまで知っているか、確かめておく必要があるな。それと、何から私達を疑い始めたかも考えないと」

紬「うん。…和ちゃんの時みたいに、唯ちゃんの泣き落としは憂ちゃんには効かなさそうね」

澪「憂ちゃんは既に確信めいたものを持っている。和は疑念の域を出ていなかったから何とかなっただけだ」

唯「…私にはあれ以上の策なんて思いつかないよ…」

紬「ここは様子見するしかなさそうね…」

澪「うん。多分憂ちゃんは、今後また何か行動を起こすはずだ。それまでみんなでじっくり策を考えておこう」

律「そうだね。わかった」

唯「わかったよ」

澪「…今は私達に出来る精一杯の事をやろう」

澪ちゃんのその言葉がシメとなり、その日私達は解散した。

しかし、それから憂が目立った行動を起こす事はなかった。
アテが外れた澪ちゃんとムギちゃんも、それには頭を悩ませていた。
りっちゃんは、

律「私達一人一人に話を聞いて疑いは晴れたんじゃないの?」

と言っていたが、澪ちゃんとムギちゃんの警戒が解かれる事はなかった。

私は憂すらも疑いの対象になってしまった事で、家にいても全く落ち着くことができなくなっていた。

一向に動きを見せない憂に、私達は神経をすり減らしていった。

そのまま何事もなく時は流れていった。


――それは私がいつもの様に、鳴り止まないノコギリの音に耐えながら、ベッドの上で目を閉じた時の事だった。


私の頭の中で、ギコギコというノコギリの音が鳴り続けている。

私は必死にそれに耐えて目を閉じた。
今までは何とかそれで眠りにつく事ができた。

しかしその日は、ノコギリの音がどんどん大きくなっていき、恐れをなした睡魔も退散していった。

ギコギコギコギコ

どんどん大きくなるノコギリの音。

ギコギコギコギコ

それはまるで管弦楽団の奏でる壮大なオーケストラの様に、私の鼓膜を揺らしている。

ギコギコギコギコ

唯「嫌…やめて…お願い…」

私は懇願した。


ギコギコギコギコ

いつもよりいっそう大きく、現実感を伴ってノコギリの音は聞こえてくる。

唯「やめて…やめて…!」


恐怖が臨界に達した私は、とうとう音に抗う事を諦めた。

音に身を委ね、同化する事で、このどうにもならない恐怖から逃れる事にした。

唯「ギコギコギコギコ」

私は鳴り響く音に合わせて、歌でも歌うように声を出した。

唯「ギコギコギコギコ」

私の声とノコギリの音は重なり、そのユニゾンが恐怖をやわらげた。
私は繰り返し、声を出し続けた。

唯「ギコギコギコギコギコ」


私は一晩中、声を出し続けた。

朝になり、制服に着替え、部屋を出て、階段を降りた。
段の一つ一つを、踏み外さないようにゆっくりと。
私はとっくに道を踏み外していたが。

憂「あ、お姉ちゃんおはよう」

唯「おはよう」

憂「ご飯食べる?」

唯「いらない…」

憂「そう…。あんまりムリしないでね?」

私は憂の労いの言葉に答えず、通学バッグを肩にかけて玄関へ向かった。

唯「憂、私先に行くね」

靴を履きながらそう言うと、憂が答えた。

憂「あ…うん。でもその前に…あの…お姉ちゃん、ちょっといい?」


警戒しながら、私は振り向いて、憂に尋ねた。

唯「何?」

憂「今年のクリスマス、どうする?」

クリスマス?
あぁ、そう言えばもうそんな時期か。

憂「あのね、最近お姉ちゃんも軽音部のみなさんも元気ないから…」

私はじっと憂を見つめたまま話を聞いていた。

憂「準備とか全部私がするから、ウチでパーティーしよう?私、落ち込んでるお姉ちゃんなんて見ていられないよ…」

私はその提案の意味を考えた。
ついに憂は行動を始めたのだろうか?
一睡もしていない、私のぼやけた頭の中を泳ぐ鈍った思考では、とても理解できそうにない。
私はみんなに相談してから決める事にした。

唯「うん。考えておくね。ありがとう。行って来ます」

放課後、私はみんなに今朝の事を話した。

唯「どう思う…?」

澪「わからない。…けど、憂ちゃんが動き出した可能性は高いな」

紬「うん。でも…今の段階では憂ちゃんの意図は読めないね…」

律「…断るか?クリスマスの話」

しばらく目を閉じて考えてから、澪ちゃんが答えた。


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最終更新:2010年01月28日 00:28