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律「え? ……ありがと」

 澪が私にお弁当を作ってきてくれた。

 今までにもあったことだ。

 それ自体は別に珍しいことじゃないし、私だって澪にお弁当を作ってきたことも何度かある。

 だけど、今日はお弁当関連で過去に例のない違和感があった。

律「でも私、今日ふつうにお弁当あるんだけど」

澪「知ってるよ」

 穏やかな笑顔で私のカバンに弁当の包みを押し込む澪。

 知ってるか。なら私が少食ということも知っているはずだ。

 だというのに、なんだろうこの澪は。

律「作っちゃったものはしょうがないから、食べるけど……」

澪「うん」

 私の気も知らずに、なんでちょっと嬉しそうなんだ、この澪は。

律「……今度からは作ってくれるときは、前の日に言っておいてくれよ」

 これまでだって、そうしていただろう。

 どうして今日、いきなりこんな奇行をはたらいたんだ。

澪「いや、その必要はないよ」

律「……」

 何も言わずにお弁当を作ってきたのは、まだいい。

 うっかり伝え忘れたか、衝動というものもある。

 だけど、全く悪びれた様子のない澪のこの態度は、まさに奇行と言っていい。

 こんな我が幼馴染みは初めてだ。

 素直で可愛いやつ……とは言いすぎだけど、悪いことをしたときはすぐさま謝ってくる。

 けんか嫌いの性分というか、大人に好かれる良い子なんだ。

 まあ、こっちに非があるときはいくらでも暴言と暴力を飛ばしてくるわけだが。

 とにかく。その素直な澪が、なんてざまだろうか。

律「あのな……」

 そもそも必要を求めているのは私のほうだ。

 前夜までに言ってくれなければ、私は母さんの作ってくれる分と澪の作ってくれる分、

 ほぼ倍のお弁当を食べ、過剰な満腹感とカロリー摂取に苦しむことになるのだ。

 それに対し、言う必要などない、とは何たる無礼か。幼馴染みといえど許せん。

 いいだろう、ひさびさにケンカといくか。

律「そもそも、」

澪「なぜなら」

律「ぇ」

 ……気圧された。

澪「律は今日から毎日、私の作ったお弁当を受け取るのだから」

律「……毎日?」

澪「そう、毎日」

 OK、わかった。みなまで言わずとも大丈夫。

 そういうことだったのか。

律「そうか……一流の料理人を目指してるって言ってたもんな。ついに本格的に修行を始めるのか」

澪「そうじゃない」

律「ぁぃ……」

 冗談だからそんなに睨まないで。

 と、内心が通じたのか、澪は目をそらした。

澪「……間違ってもいないな」

律「え、マジで料理人になるの?」

 そんな目標、聞いたことがない。

 それに、音楽の道は。

澪「もしかしたら律は将来の私を……夢を叶えた私を、誰かに紹介するとき、料理人って言うかもしれない」

律「……ようわからんぞ」

 不可解な澪だ。

 料理人は料理人だろう。

 なんだってそんな面倒な言い回しをする必要がある。

 ゆうべ、詩でも考えてたのだろうか。

 ていうか、そうだ。

 澪は作詞担当。料理ならばむしろ、というか、むろん……。

律「料理だったら、憂ちゃんのほうが上手じゃんか。澪は、いい歌詞を書いてくれよ。軽音部のためにさ」

 澪は表情を変えないで、蒼い瞳で私を見ていたままだったから、

 私はしばらく、自分が失言をしたのに気付かなかった。

澪「……じゃあ律は、梓のほうがギター上手いから、唯にギターやめて歌だけ歌え、だなんて言うか?」

 指先に力が込もった。

律「それは……言わないけど……思ってもないし」

澪「おかしいよな。今の」

律「悪かった」

 澪は私の肩を掴んで、腰を屈めると、正面から顔を覗きこんできた。

 近い。突然ですがキスされるかと思った。

澪「……明日、律のお弁当も作るから。あさっても、しあさっても。学校のある日は毎日だ」

律「……」

澪「いいな?」

律「……ああ」

 この流れでそこを丸め込むか、と思うが、断れる空気でもない。

 いや、断る理由もないのだけれど。

 澪のお弁当はあまりにも可愛いことを除けば普通においしい。

 我が家の家計も助かる。

 うちは4人家族、秋山家は3人なんだから、私の平日の昼ご飯くらい負担してくれるのが当然だ。

 ……冗談ですとも。

律「ありがと、澪」

澪「頼んでるのは私だよ。……それより、お弁当の味については、率直に言ってほしいんだ」

律「……ああ、そうする」

 本気で料理人を目指すつもりなのか。

 別段止める気もないが、何が澪の闘志を燃やしたのか、全くわからない。

 趣味といえばベースと物書き。それだけだった澪に……好きな男でもできたのか。

律「……」

 寂しくはなかった。

 ただ、誰かも知らない奴のために私の舌を利用されるかと思うと、少し胸糞が悪い。

澪「そういえば、この前みせた詞だけど……」

律「ああ、あれなら良かったよ。でも少しだけ……」

 通学路を歩きながら、唯が後ろから飛びついてくるのを期待したが、

 唯にもムギにも梓にも会うことはなく、学校に到着した。

 澪は2年1組であるがゆえに、1年生と同じ1階の教室で授業を受ける。

 私とクラスが別になるのは今回が初めてじゃないし、特に心配はしていない。

 どっちかというと今朝の澪のほうが心配だ。

 階段で別れて、教室に向かう。

 ドアを開けると、教室内が騒がしいのに気付いた。

 唯の席のあたりに人だかりができている。

 鞄を机の横に掛けて、私はそちらに向かってみた。

 集団の中に、ムギの金髪も見える。

 主にかしましさの原因は、カワイーという黄色い声である。

 唯が仔犬でも拾ってきたかと思ったが、違った。

唯「ぎゅーっ♪」

憂「お、お姉ちゃん……恥ずかしいよぉ」

 唯が膝の上で憂ちゃんを抱きかかえていた。

 抽象的にいえばイチャイチャしていた。

律「……おはよう」

 私はムギの横に並んで見物に加わった。

紬「あら、りっちゃん。おはよう」

唯「むちゅ~っ」

憂「待っ……おねえちゃんっ。ちょっと、だめだよぉ」

 憂ちゃんの頬を引き寄せて、突き出すようにした唇を近づける唯。

 憂ちゃんは顔を真っ赤にして慌てているが、唯および見物人たちはその反応を楽しんでいるだけのようだ。

律「ムギ、これは一体なんのショーなんだい?」

紬「私が来たときから始まってたから、よくわからないけれど……」

唯「んーっ……」

憂「あ、あっ」

紬「最初は憂ちゃんが教室にきてイチャイチャしてたんだけど、次第にギャラリーが集まったみたいね」

 ムギは早口で言い終え、また唯たちに目を戻した。

律「なるほど……」

 唯は恐らく、見せ物と化していることに気づいていないのだろう。

 姉妹の仲を存分に見せつけるチャンスだと考えているのではなかろうか。

 唯は、憂ちゃんとの仲の良さについて触れるとすごく嬉しそうな顔をする。

 そのあたりに姉として、誇りか矜持かがあるのだろう。

  「どうするのー憂ちゃん! ちゅーされちゃうよー!」

憂「そ、そんなこと言われましても……」

 それはさておき、憂ちゃんのほうはいい気分ではないのではなかろうか。

 なぜならば……憂ちゃんは控えめな性格だからだ。

 唯との仲を見せびらかしたいなどとは思うまい。

 しかしながら、ノリノリの唯の手前、逃げ出せずにいるとしたら。

 憂ちゃんのほっぺたまで、唯のくちびるが約2センチといったところ。

 私は唐突に振り向き、集団の端まで聞こえるよう大声を出した。

律「うわッ、堀込先生!?」

 この状況で厳しい生活指導が現れれば、怒られずに済むはずがない。

 総員が身構えて振り向いた音に紛れて、私は聞いた。

 私だけが聞いた。

憂「……ちゅっ」

 ナイスアシスト、私。

  「ちょっと律、びびらせないでよー」

律「あれぇ? 見間違いだったか」

 とぼけてデコを掻く。

紬「大事なところだったのにぃ!」

律「……ところで、そろそろHR始まると思うんだけど」

憂「あっ……わ、私もう行きますから! お姉ちゃん、またね!」

唯「えへへ……またね、憂!」

 憂ちゃんは赤い顔をしたまま、皆が引き止めるのも聞かずに教室から駆け出でた。

 ういやつじゃのう。憂ちゃんだけに。

 その後ほどなくして先生が来て、ホームルームが行われた。

 1限までの短い休み時間のうちに、憂ちゃんからお礼のメールが届いてほっこりした。

 私は、あの後の音も含め、なにも知らないふりをしておいた。

 しかし、この件については唯にも少しヤキを入れたほうがいいのではないだろうか。

 こうして礼を言われたということは、憂ちゃんはあの状況を少なからず嫌がっていたことになる。

 でなければ私の行動は、単に見間違いをして勝手にビビったアホにしか見えないはずだ。

 そういうわけだから唯は、憂ちゃんの気持ちに気付かないで、

 ただ仲良しと見られたいがために憂ちゃんにキスを迫った、ちょっとひどい姉なのだ。

 別にそのくらいで憂ちゃんは唯に失望しないだろうし、私が割って入る必要なんてないとは思う。

 しかし、唯にも知っておいてほしい。

 憂ちゃんは本当に恥ずかしい思いをしていたのだから、あまりああいうことは繰り返すべきでない。

 だからといって急ぐような話でもないし、夜にでも唯にメールで言えばいいだろう。

 1限に向け、私は腰をぐっと伸ばし、ほぼ落書き帳なノートと教科書を出した。

――――

 それからは何事もなく授業が進行された。

 そもそも朝のアレ自体、事件というにも物足りないが。

 朝のアレといえば、むしろ澪のことが事件性がある。

 唐突にお弁当を突きつけたかと思えば、料理人を目指すなどと言い、毎日私にお弁当を寄越すと宣言する。

 どうして急に、あんなことを言い出したのか。

 やはり、好きな男でもできたのか。

 しかし冷静に考えてみて、それで料理の修行を始めるというのは不自然だ。

 男に手料理を振る舞う機会なんて、そうそう訪れるものではないだろう。

 交際していないならなおさらだ。

 もし好きな人が出来たら、ふつうは外面から磨こうとするものだ。

 澪にはそんな努力をする必要はない、ということを考慮してもそうだ。

 なぜ、一番に料理なのか。

 考えたくない話だが、澪にはすでに付き合っている相手がいるのだろう。

 そして料理を振る舞ったところ、あまりご満足いただけなかった。

 ……私に言ってくれたらぶん殴ってやるのに。

 で、料理の腕を上げるために、私にお弁当を作っているというわけか。

 普通ならそんなところだろう。

 しかし、澪にそういう相手ができるというのも、彼氏ができて私に内緒にしているというのも考えにくい話だ。

 というわけで、その線はない。

 では澪はどうして料理に目覚めたのか。

 朝の会話を思い出すと、ひとつ妙な点があった。

 私の、憂ちゃんのほうが料理が上手いという発言に対する澪の反応は、いつもらしくなかった。

 澪は怒ったときにあまり感情を隠さない。

 あんな風に静かに怒り、諭してくるのはいつもの澪ではなかなか見られない。

 自分より年下なのに、圧倒的にいい料理を作る憂ちゃんが現れて、焦るようになったのだろうか。

 ゆえに憂ちゃんと比較されて、はらわたの煮えくり返るような怒りを感じてしまった。

 そういえば最近、憂ちゃんについて澪と話した覚えがある。

 あれが澪に焦燥をうんだのかもしれない。

 そうだとすれば、「憂ちゃんってすごいよなー」と褒め称えて満足した私というやつは。

 私も澪に毎日お弁当を作ったほうがいいのだろうか。

 無理だ、めんどくさい。

 そうだ、これで澪が憂ちゃんのように家事万能になり、その上で私に尽くしてくれる存在になればいいのだ。

 私はうまく澪をけしかけてやったというわけだ。

 始めからこれが狙いだったのだ。

 澪に一生パラサイトしてくらすぞー。

 なんて言ったら間違いなくぶたれるな。

 それに、澪だっていつかは結婚するんだろう。

――――

 突然ですがお昼の時間だ。

 考えごとをすれば授業は時空の歪みに飲み込まれる。

律「さてと……」

 2つのお弁当を持って、いつものように唯の席へ。

 1年のとき、唯は別のクラスだった。

 和がいるからか、唯が私たちの教室に来ることは無かった。

 かわりに、ときどき私たちが唯の教室に行って昼食にしていた。

 それが2年になってもなんとなく続いているような形だと思う。

 なに、唯が特別というわけではない、という話だ。

 澪も和を連れて食べに来ることがときどきあるわけだが、今日はどうか。

 澪の作ったおかずを食べているところを澪に間近で見られるのは少し照れくさくて困る。

律「ムギ、いこーぜ」

紬「ちょっと待っててね」

 ムギに声をかけて、一緒に唯の席へ。

 ムギが椅子を持って、唯の机の横につけた。

紬「よいしょっと」

律「なあ唯」

唯「あ、ごめん、二人とも」

 机にお弁当を置き、他愛ない話を振ろうとしたとたん、唯に遮られる。

唯「今日は憂と一緒に食べる約束してるんだ。部室使うね?」

律「あ、おぉ」

 申し訳なさそうに手を合わせるが、顔が満面の笑みなせいで許しを乞われている気がしない。

唯「いってきまーす」

 ともかく、唯はお弁当を持って、曰く部室へと駆けていった。

律「まったく……シスコンめ」

紬「良いことじゃない。……あれ? 唯ちゃんお弁当忘れてる」

 ムギがお弁当を机に置き、3つ並んだ包みを見て目を丸くした。

律「あ、違う、それ私の」

紬「じゃあこっちが唯ちゃんの?」

律「でなくて……」

 私は今朝あったことを、かいつまんで早口で説明した。

紬「愛妻弁当ね」

律「言うと思った。……そうだ、ムギも食べるの手伝ってくれ」

紬「いいけど、澪ちゃんが作ったぶんは全部りっちゃんが食べるのよ」

律「わかってるとも」

 感想を求められているわけだし、そのくらいわきまえている。

 私はお弁当の包みをといた。

律「しかしなぁ……なんでまた急にお弁当なんて。それも毎日」

紬「だから澪ちゃんはりっちゃんに、おいしいって言ってもらいたいのよ」

律「感想は正直に言ってほしいって話だぞ」

紬「だからこそじゃない! 澪ちゃんはりっちゃんに嘘なんてついてほしくないの」

律「そりゃあ、見え見えのお世辞なんて言われたくないだろうが……」

 ムギと喋りながら、私のと澪が作ったのと、続けざまにお弁当の蓋を開ける。

律「ほう」

 なかなかの出来映えだ。

 前より腕を上げたか。食べてみなければわからないが。

律「いただきます、と」

紬「いただきまーす」

 美食家は卵焼きさえ食べれば、その料理人の腕前がわかるという。

 そんなわけで私も卵焼きから手をつけてみた。

律「うん……」

 なんというか……。

律「……」

 これは……。


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最終更新:2012年02月18日 19:56