律「澪……なにがあった……」
紬「どうしたの?」
律「……なまらうんめぇ」
紬「なまらうめぇっすか」
律「ああ……わ、私の舌も肥えたのかな?」
1年以上、ほぼ毎日ムギが持ってくる紅茶やお菓子を食べ続けてれば、違いのわかる女にもなるというものか。
だからと言って、前から澪の料理がここまでおいしかったというわけでもないだろう。
ムギだって時々、澪がつくったお弁当とおかずを交換していたことがあるのだ。
澪は、いつからなのか明確にはわからないが、格段に料理が上達している。
まぐれかもしれないと思って他のおかずにも手をつけるが、
私がはじめに感じた水準を下回るものは、この弁当箱の中にはなかった。
ムギの舌でも確かめて欲しいのだけど、
紬「りっちゃんが同じことされたら嬉しくないでしょ?」
とて、かたくなに断られる。
自分の作った料理を、おいしいからみんなも食べて、って言われたら私なら嬉しいと思うけども。
しかし澪ならこう言いそうだ、というのも分かる。
澪「律にあげたんだから律だけが食べてくれ!」
……その昔、澪の家で遊んでいたときに、机の角に引っ掛けて服を大きく破いてしまったことがあった。
夏場だったために上に着るものもなく、そのままでは帰れなかった。
そこで澪が、いくぶんかサイズの小さい、着古した服を奥から取ってきてくれた。
澪が1年前に着ていて、もう着れなくなった服らしく、サイズは当時の私にぴったりだった。
お言葉に甘え、私は遠慮なくその服をもらうことにした。
なにせ、澪は私の憧れるものをたくさん持っていた。
それからしばらくは、その澪のお下がりを1日おきに着ては洗濯し、
美人になった気分をぞんぶんに楽しんでいた。
しかし子供は体ばかりすぐ成長する。
いやらしい意味じゃねえよ。
コホン。たいそうなお気に入りだったが、1年もすれば小さくなって着れなくなってしまい、
澪のお下がりは両親の手によって弟、聡の手へと渡された。
その後のある日、澪が私の家に来て、聡が例の服を着ているのを見つけたとき、
澪は人が変わったように激怒した。
振り回されるようにして服を脱がされた聡はいまだにその事件がトラウマだし、
私だってあの時の澪の表情を思い出すのは怖い。
なんでも澪は、お下がりの服を私が大切にしてくれていると思っていただけに、
弟に渡されたのがひどくショックだったのだという。
私がいかに澪の服を気に入っていたかを再度説きなおし、
親が勝手にお下がりにしてしまったのだと説明して、どうにかその場で仲直りができた。
長くなったが、ようするに澪は精神的にも成長した今でも、
お弁当を誰かにやったら不機嫌にはなるだろうということだ。
とにかく、私はやたら美味い澪のお弁当を食べ、ムギとともに母のお弁当を片付けた。
律「やー、腹いっぱい」
紬「太っちゃうかもね」
律「ははは……1日くらい大丈夫だろ」
何点か、気がかりなことはある。
だけど普通なら私が首を突っ込んだり、殴り込んだりすることではない。
私はただ、上達した澪の腕前をほめたらいいのだ。
部室で会ったら一番にその話だ、と決めおいた。
しばらくムギやクラスメートと談笑していると、唯が戻ってきて、程なく午後の授業が始まった。
――――
律「ほうかーご!」
唯「イエスほうかーご!」
授業が終わった。
鞄を肩に、部室を目指して教室を出る。
唯「ちょっと憂のとこ寄るから、りっちゃんムギちゃんは先いってて」
律「またか、シスコン」
唯「すまんね、ラブラブなもんでして」
グフフ、と唯は気持ち悪く笑って階段を降りていった。
律「行くか、ムギ」
私も上り階段に足をかけたが、ムギは唯の去ったほうを見つめていた。
律「ムギ?」
紬「……今朝といい、昼といい、ちょっとね」
律「what?」
ムギの碧眼が私を見る。
紬「りっちゃん、おトイレ行きたい」
律「ひとりで……」
紬「ねっ?」
両手で私の手をとり、ニコッと微笑むムギ。
唾をのんだ私を、誰が最低とそしれようか。
そのしぐさにその笑顔はずるいぞムギ。
などと思う間に、トイレの個室まで連れ込まれた。
律「な、なんだ……?」
紬「あまり大きな声は出さないでね? 外に聞こえたら、ことだから」
あれ、もしかしてこれ私、やばいのでは。
いや、違うよな。さっき切れ切れに聞こえたことをちゃんと話してくれるんだろう。
分かってはいても、きっと私の顔は赤い。
律「その、ムギ、私は……」
紬「りっちゃん。これはあくまで私の考えなんだけどね」
律「ひゃい……」
近い、近い近い。
トイレなのに良い匂いする。おかしい。
紬「唯ちゃんと憂ちゃんは付き合ってると思うの」
律「えっ」
なんだそのどうでもいい話は。
ムギいい匂い。
紬「いくら仲良しだって、冗談でキスを見せつけたりするかしら。それに、憂ちゃんは乗り気じゃなかった」
律「あー」
紬「りっちゃんがみんなの気をそらさなかったら、唯ちゃんはあれにどうオチをつけるつもりだったのかしらね」
律「さぁ……」
紬「お昼のときも、わざわざ部室を借りて二人きりになりたがった……どうして?」
律「私たちを二人きりにさせようとしたんじゃないか」
紬「……えっ? りっちゃん?」
律「あ、いや、冗談……」
紬「……み、みんなと一緒でもよかったじゃない。お昼くらい、二人きりにならないでも」
律「そのくらいで付き合ってると決めつけられるかあ?」
ムギの体を押し返す。
まだ少し暑い。
紬「だから、私の想像でしかないけど……」
律「……確かめるなんて真似はよせよ?」
紬「……ううん、確かめるわ」
ムギは首を振った。
律「……」
まずい。うってかわって居心地が悪くなってきた。
律「……なんで、そこまでこだわるんだよ」
紬「それは、」
ムギの弁明を聞くつもりはなかった。
そんなことより教えてほしいのは、なんで私がこんなに苛立っているかだ。
律「誰が誰と付き合ってようが勝手だろ……どうだっていいだろ!」
紬「り、りっちゃん静かに……!」
律「……やめろよ、そうやって面白がるの。趣味じゃ済まねーよ」
紬「お、面白がってなんかないわ! 私は唯ちゃんと憂ちゃんの力になりたいだけ!」
律「なにが力になるだよ、バカにすんな!」
……そうだった。
澪関連でトラウマは、お下がり事件と同時期に、もうひとつある。
律「唯と憂ちゃんは付き合ってるんだろ!? だったらそれでいいじゃんか、ムギが力になる必要がどこにある!」
律「私がいなきゃダメってか? 唯だって憂ちゃんだって、自分らで幸せになる方法くらい探せるんだよ!」
紬「……」
ムギは首筋から青ざめていった。
律「ムギは同性愛を差別してる。……もう一度言う。邪魔をするな」
捨て台詞を吐き、私は肩を怒らせて個室を出た。
早足で部室に向かう。
もう澪も梓も来ているだろう。
律「色々……マズったな」
取り返しのつかないことをしてしまった。
私の言ったことが聞こえた生徒もたくさんいるだろう。
唯と憂ちゃんは関係ないのに。ムギだって何も悪くないのに。
私の昔話に勝手に関連づけて、逆ギレして、唯と憂ちゃんを同じ目に遭わすのか。
今から火消しに走れ。暴論を撤回してムギに謝れ。自分に決着をつけろ。
律「おっまたせー!」
部室には梓がいた。
梓「あぁ、律先輩。……どうしました?」
律「どうしたってお前……私は部員のみならず部長だぞ? 軽音部の」
ひどい後輩だ。
梓「いや、そうではなく……」
律「なまいきなやっちゃのー! このぉ!」
ヘッドロックかけちゃる。
梓「えっと、あの……?」
律「なに?」
梓「ですから、何かあったんですか?」
律「……なにも」
梓「律先輩って分かりやすい人ですね……」
律「……」
梓「……言い出せないことなら、あえて訊きませんが」
ヘッドロックを下へ、下へ、梓を抱きしめる。
律「……あずさぁ」
梓「はい」
律「梓ってさ、……女の子に恋したことってある?」
梓「まあ、あります」
……。
律「どんな子?」
梓「中学のときにいた、親友です。わけあって、友達じゃなくなっちゃったんですけど」
律「そっか。……私も好きな女の子がいたんだ」
梓「……そうなんですか」
律「小学校からの……あれ、幼稚園からだっけ。まあ、大親友だったんだが……」
梓「それって、み……むぐっ」
だまらっしゃい。
律「ただ、その子に振られちゃってからは、その子のことはおろか」
律「女の子を恋愛対象にすることもできなくなっちゃったわけ。いわゆるノンケになったんだ」
梓「ぶぁ。……そんなに好きだったんですか。それなのに、想いが通じなかったんですか?」
……。
律「……通じ合ってたはずだと思うんだが」
梓「たいそうな自信で」
律「……」
梓「……ごめんなさい、聞いてみたいです」
律「……小5のころのことだ」
梓「早い思春期ですね」
律「その3年は前から好きだった」
梓「はい……」
――――
その子……まあ、仮にM子としよう。
M子と私は、毎日どっちかがどっちかの家に行くぐらい仲がよかった。
学校でもずーっと一緒にいたから、まあ、お察しの通り、私たちの仲の良さをからかうやつがでてくる。
M子は学校のマドンナだったし、私はオトコ女とか呼ばれてたから、嫉妬されてたんだろうな。
でも、そんなことは全然気にならなかった。
M子だって大して気にも留めてなかった。
誰にそしられたって、好きって気持ちは揺るがないと思ってた。
……あいつが現れるまでは、な。
あいつってのは、M子にふられる半年くらい前に転校してきたメガネの男だ。
名前を仮に……そうだな、G太としよう。
いつも遠巻きに私たちのこと見てて、そいつもM子に一目惚れしたんだろうな、と思ってた。
ある日のことだ。
毎度のごとく、M子と話してた私に男子が突っかかってきた。
私は応戦しなきゃならないから、席を立ったんだ。
さっきM子は気にしてないって言ったけど、私との時間がとられるのは嫌みたいで、むっとしてたな。
だから、G太にもわかったのかもしれないが。
私が怒鳴り付けようとしたところで、G太がいきなり立ち上がって、声を張り上げたんだ。
「M子ちゃんと律ちゃんは、たぶんレズっていうので、付き合ってるんだと思う。だから、邪魔をしちゃだめだ」
震える声でさ、そんなことをわざわざ言いやがった。
いや、言いたかったことはわかるさ。
面白がってたんじゃなく、正義心で私たちを助けたかったんだというのもわかる。
でも悲しいかな、偽善だった。
休み時間だったんだが、教室にいた奴らみんな「レズってなんだ?」と興味をもってザワザワしだした。
私たちも、「レズってなんだろう」「わかんない……」って言い合ってたんだけどな。
おい、笑うな梓。
まあ、そんな状況になればG太も、レズの意味を説明する。
「レズっていうのは、女の子なのに女の子のことが好きなんだ。だから、邪魔しちゃダメなんだ」
私は真っ赤になったよ。
お互い好きとも言ってないし、付き合ってなんていなかったけど、
M子のことが好きだっていうのははっきり自覚してたからさ。
私は真っ先にG太をぶとうと思ったんだけど、体が動かなかった。
「女の子なのに女の子が好き」ってフレーズが引っかかってさ。
といってもバカだったから、差別を受けたって思ったんじゃないぞ。
私がレズというやつなら、
「男子なのに女の子が好き」なやつや、「女の子なのに男子が好き」なやつは、何て言うのか気になってな。
私はG太に訊こうとしたんだが、ちと遅かった。
その途端に、私たちをからかってる奴らから一斉に、レズ、レズと野次が飛び出して、声が通らなくなった。
普段は積極的に参加してこない奴らまで野次りだして、地鳴りみたいにレズの声で教室が震えてさ。
M子は泣いちゃうし、最終的には私らが親を呼ばれたよ。
親と先生が話して、先生が誤解を解かせるように指導するって言ってたな。
そんときゃ、気にしなかったけど。
帰ってから私はお母さんに、G太に訊きたかったことを代わりにたずねた。
律「女の子が好きな女の子はレズっていうらしいけど、男子が好きな女の子は何て言うの?」
お母さんはこう答えた。
母「そういうのには、名前がないのよ」
もう少しだけ頭が足りなければ、「名前なしに対して私はレズ! 私って特別!」っていけたんだがな。
私みたいな小学生が、シンショーって言葉は知ってて、健常者って言葉がないと思ってるのと一緒でさ、
貼りやすいレッテルが存在するってことは、それは蔑まれてる存在ってことになるんだよな。
かくして、M子ちゃんを好きなりっちゃんは、ようやく自分が異常な人間であることを知ったのでした。
それから何度か、パソコンの授業の合間にこっそりと、
レズについて調べようとしたんだが、エロサイトしか出てこなかった。
……梓、ここは笑うところ。
まあ、異常だってわかってたから誰にも相談できなかったし、
レズビアンって言葉を知ったのさえ、かなり後になる。
で、それからどうなったかって言うと、意外と早く話は動くんだ。
数ヵ月後にバレンタインデーがあってさ。
澪のやつ、学校じゃチョコよこさないで、放課後うちにでかいチョコケーキ持ってきたんだよ。
あ、M子な。
そんでチョコケーキを食べてるときに、澪はこう言ったんだ。
澪「あの……私、G太くんが言ってたレズだと思う。だって、りっちゃんのことが好きだもん」
と、まあ……告白だな。
でも私、ガキでバカでね。
いや、それは言い訳か。
律「……澪ちゃん、レズっておかしいことなんだよ?」
付き合ったら、ほんとにシンショー扱いだと思ったから。私はビビったんだよ。
律「澪ちゃんは、頭がおかしいって皆からいじめられても、私のこと好きって言える?」
……澪は泣きながら首を横に振った。
私はふられたのさ。
手作りらしくて、にっげぇチョコケーキを一人で食べながら、
もうこれからは、ちゃんと男を好きになろうって決めたんだ。
最終更新:2012年02月18日 19:58