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律「……っていうわけさ」

梓「えー……まあ、色々言いたいことはあるんですけど、特にひとつ、いいですか」

律「ん、なんだ?」

梓「その話と、律先輩が今日やたらしょげてるのと、なんの関係が……」

律「えっ?」

 言われてみれば、梓は何も知らないのだ。

 私がムギに逆ギレしたことと、その内容。および、唯と憂ちゃんに関する疑惑を喧伝したこと。

 それらを知らなければ、ただのセンチメンタルな昔話だ。

律「……」

梓「りつ……先輩?」

律「……こんなことしてる場合じゃない!」

梓「うひゃあ!」

 梓を放り出して、私はムギと入ったトイレに駆け戻った。

 終業からそれなりに時間も経つのに部室に来ない澪と唯も気になるが、とにかく今の最優先はムギだ。

 人の少なくなった廊下を走る。

 気休めにもならないが、走りながら耳をそばだてた限り、唯や憂ちゃんの話はでていない。

 トイレに駆け込み、私はさきの個室の前に立った。

律「む……ムギ?」

 鍵のマークが赤くなっていることから、中に誰かいるのは確かだ。

律「いるなら……返事してくれ」

 中で息を殺しているのかもしれないが、走ってきたために私の息が荒くて聴こえない。

律「……おい?」

紬「……りっちゃん?」

 ちょっと怖くなったが、ようやく返事があった。

律「うん。……さっきはごめん。ほんとに酷いこと言った」

紬「ううん……りっちゃんの言ったことは、正しいわ」

律「あんなの屁理屈だよ。ちょっと古傷に障って、腹立っちゃって……応援したいって思うのは、素敵だぞ」

紬「ありがとう……」

 がちゃん、とドアの閂が外れる音がした。

 目の下を泣き腫らしたムギが、肩をすくめて立っていた。

紬「申し訳ないけど、今日は部活休んでもいいかしら……戸棚の一番下に、クッキーがあるから」

律「……クッキーは明日までもたないのか?」

紬「そうね……早く食べちゃったほうがいいわ」

律「わかった。また明日な」

 階段までムギを送り、私は少し迷ったがまた部室に行くことにした。

 部室に入ると、まだ梓が一人だった。

梓「先輩たち遅いですね」

律「掃除当番にしたって遅すぎるな……」

梓「唯先輩は、憂とじゃれに行くって言ってましたが」

律「ああ、すれ違ったのか? それは聞いてるんだけど……澪は? まだ来てないよな」

梓「さすがに想い人のことは気にしますね」

 精神的に甘えていたとはいえ、梓に話したのは失敗だったようだ。

律「……私はもうノンケなんだよ、このガチレズ」

梓「じゃあムギ先輩のことも気にしてくださいよ」

律「え、ああ……ムギは今日帰るってさっき聞いたんだ。ええと、クッキー食うか?」

梓「カントリーマアムなら欲しいです」

律「庶民的だな……たぶんそんな安いものじゃないぞ」

 聞いた通りに戸棚を開けると、カントリーマアムファミリーパックが鎮座していた。

 まず間違いなく明日までもつだろう。

律「……」

 戸棚を閉めた。

梓「くっきっきは……」

律「贅沢言うな」

梓「はい」

律「……おっせーな、あいつら」

梓「そろそろ30分たちますね……あ、澪先輩」

律「ん? ……誰も来てないじゃん」

梓「あれ、もっと飛び起きて抱きつきにいくかと思ったんですが」

律「私は唯かよ。それに、もうノンケだっていってるだろ」

梓「そんなの自分に言い聞かせたところで、本性は変わりませんよ」

律「どうしても私をレズにしたいのか、お前……」

梓「じゃあ律先輩はなんでそんなにノンケになりたいんですか」

律「そうしたら澪は安全だからだよ」

梓「はぁー……」

 梓はため息をついて、私をじろじろ眺めた。

律「なんだよ」

梓「律先輩、子供のときから何も成長してないんですね」

律「うぐっ……!」

 後輩のくせに何て重たい一言を。

 ていうか、生意気だとは思っていたがここまで歯に衣着せないやつだったとは。

梓「逆に律先輩、男性とだったらそんな態度でもうまくやってけると思ってるんですか?」

律「……知らんけど」

梓「まず無理ですよ。律先輩みたいな甘えた姿勢で、まともな結婚とか100パーできないです」

律「うるせえよ」

梓「恋愛ナメないでください。人に好意を向ける責任から逃げてる人なんて、異性からも愛されませんよ」

律「……」

 なんなのコイツ。

 ちょっとレズだからって知ったような気になりやがって。

梓「……お子ちゃまのりっちゃんには、恋愛は100年早いんじゃないですかね」

律「ちょ、調子に乗るなっ! 誰がお子ちゃまだ!」

梓「律先輩がです」

律「むっ……かー! なんなのマジで!?」

梓「なんなのはこっちが言いたいですよ! そういう理由で異性に逃げる人が私は一番ムカつくんです!」

律「っ……ぐうっ!」

 言い返したいのはやまやまだが、こうもボディブローばかり叩き込まれると言葉がでない。

律「け、けどな……私自身、もう澪のことは親友として見てるんだ。恋愛対象にはなってない」

梓「そんなことは追求してません。……やっぱり気になるんじゃないですか?」

律「なって……ねーよ! もう5年も、そんな目で見ちゃいない!」

梓「その感覚を覚えてるだけで十分あやしいですね! はっきり言います、律先輩は澪先輩のことが好きです!」

律「っんな、こと……」

 その時、歴史が動いた。

 まあ歴史じゃなくて部室のドアなんだけど。

 さらに言えば、「その時、部室のドアはすでに動いていた」が正しい。

 原型をとどめて、ない……。

唯「……ご、ごめぇーん、遅れちゃったー」

憂「あ、の……えっと、おじゃまします……」

澪「……」

 今までどこで何してたやら知らないが、なんでよりによってこのタイミングで来るのか。

 私、今朝から誰かに呪われてないか。

律「……お、おまえらおそいぞー。って、あれー。憂ちゃんじゃーん」

 憂ちゃんが来ていることには多少驚いているんだけど、何故か全部棒読みになった。

梓「……こうなった以上、はっきりさせたほうがウグゥッ!」

律「まあみんな座れよ! 遅刻のわけを問いただしてやる!」

 席を少し変え、私の隣に澪、向かいに唯と憂ちゃん、そしていつもの場所に梓が座る。

 澪は口数が少なく、しかし私のほうを時折のぞき見ている。

 梓の挙動には常に注意しなければなるまい。

律「……で、澪はどうしたんだ。なんでこんなに遅れたんだ?」

澪「……ごめん、わかんないんだ」

 えー、なにそれ……。

律「ちゃんと答えろよ」

澪「ごめん……今は何も考えられなくて」

律「梓が言ってたこと気にしてるなら、安心しろよ。私はそういうのじゃないからさ」

澪「……無理だ」

 だめだこいつ。

律「……唯は? それに、憂ちゃんはなんで……」

唯「へっ? 私は憂のとこ行くって言ったじゃん」

律「ちょっと寄るだけって言っただろに! おせーよ!」

唯「まあ、そういうわけだから」

律「え、えぇー……」

 こんなたるんでて良いのか、軽音部。

 いいわけないだろう。

律「……どうもお前らには処罰がいるようだな」

澪「えっ……」

唯「なんですと!」

憂「だっ、だめです律さん!」

 憂ちゃんが初めて聞くような声で抗議した。

律「い、いや処罰っていっても……」

憂「とにかくだめです!」

 話が通じない。

律「……そ、そういえば憂ちゃんは何でここに」

 私、甘い部長だな……。

憂「……私は、律さんに今朝のお礼をしようと思いまして」

律「今朝? ……ああ」

 思い出すのに時間がかかった。

 HR前の教室で困っていた憂ちゃんを助けたのだった。

憂「はい。よければ今晩にでも、なにかごちそうしようかと……」

律「なんだって!?」

 憂ちゃんのごちそうだなんて。

 重複表現だろ。

 それに、あんな程度のことに対して大きすぎる見返りだ。

 まさに海老で鯛を釣るというもの。

律「ぜひ行かしてもらおう!」

憂「本当ですか? それなら、早めに準備がしたいので失礼します」

唯「部活終わったら一緒に帰ろーね、りっちゃん」

律「ああ。じゃ憂ちゃん、また」

梓「憂、また明日」

憂「バイバイ梓ちゃん」

 憂ちゃんは頭を下げ、部室をあとにした。

律「……ふふ」

 今日という日は波乱万丈だったが、最後は良き日に終わりそうだ。

律「っしゃ、練習するか!」

唯「おぉ、りっちゃんがやる気!」

梓「それじゃ、唯先輩もやりましょう」

唯「……よぅし! ほら、澪ちゃんも」

澪「わ、わかった。やろう」

 2時間ほど練習したが、ムギがいないためか演奏はいまいちまとまらなかった。

 特に澪が私のスピードについてこれなかった印象が強い。

 それどころか私に走りすぎだと注意してくる始末だ。

 いつも本当にごめんなさい。

 とはいえ、澪が調子悪そうに見えたのも確かだった。

 部室を出る前に、私は澪にこっそり話しかけた。

律「梓が言ったの、まだ気にしてるのか……?」

澪「うん、少し……」

律「勘違いに決まってるじゃないか。澪は大事な友達だって思ってる」

澪「……心配してくれてありがとう。私なら、もう平気」

律「そか」

 ともあれ学校を出て、いつもより早く澪と別れ、私はそのまま唯の家へと向かった。

 私の頭の中には憂ちゃんが作るごちそうのことしかなかった。

 こんなに食い意地張ってたら、いずれ澪より太りかねないが、憂ちゃんの手料理なら仕方ない。

唯「りっちゃん、そんなに楽しみ?」

 梓と別れた後、浮き足だっているのをさとられて、唯に言われる。

律「もちろんさ。憂ちゃんのごちそうだぜ? 唯は日頃からもっと感謝すべきだね」

 唯は足を止め、私をじろりと睨み付けた。

律「……どうした?」

唯「……私だって、憂にはすごく感謝してる」

律「あ、ああ……そっか、そうだな。すまん」

 謝ったが、唯は肩を震わせて拳を握りしめた。

唯「私のやってることで、憂に感謝が伝わってるかはわかんないけど……ほんとに愛してるんだよ」

律「あいしてる……か」

 なぜか、トイレでムギに聞かされた話がフラッシュバックした。

唯「りっちゃんは本当に知らないの?」

律「……何がだ」

 風が一陣、吹き抜けた。

唯「……なるほど、ここじゃ言えないね」

律「何だって」

唯「りっちゃんは余計なこと言わす天才だねぇ、まったく……はやく帰ろうよ」

 不可解な唯だ……。

唯「あ、ちょっとここで待ってて」

 唯の家に到着すると、門の前で唯は言った。

律「ああ、いいぞ」

 私が頷くと、唯は熊にでも出会ったように肩をすくませ、

 私から目を離さずに後ろ歩きをして、玄関に背中を張りつけた。

唯「……ツッコミは」

律「その程度のボケに私のツッコミはもったいないな」

唯「……へっ」

律「もうそっち行っていいのか?」

唯「あ、まだダメ。いいって言うまで待って」

律「じゃあ早くっ」

唯「あいあいっ」

 唯は身をひるがえすと同時にドアを開け、家のなかに入った。


唯「ただいまーっ」

憂「おかえりー、お姉ちゃん」

律「……」

 それにしても、どうして待たされたのだろうか。

 なにかサプライズでも用意してるのだろうか。

 部室に来る前、その相談をしていて遅くなった……とか。

 だけど、私がやったのは本当に朝の一件だけで、そこまで感謝されるようなことでもない。

憂「律さんは?」

唯「門の外で待ってもらってる。だから……」

憂「……えへへ、よかった。今日はできないかと思っちゃった」

唯「ほら、早く。おいで」

 考えてもみれば、澪も梓もいる状況で、私一人だけが食事に招待されることだけでも十分に不自然なんだ。

 まさか……まさかな。

憂「……」

唯「んー……」

 まさか、憂ちゃんって私のこと好きなんじゃないか……とかな。

律「……ははっ」

 憂ちゃんに限って、それはあるまいが。

唯「りっちゃん、お待たせ。あがっていいよ」

律「ん、おー」

 バカなことを考えていると、用意ができたらしく唯がドアを開けてくれた。


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最終更新:2012年02月18日 20:00