唯「こんなもんかな」
リビングの掃除機がけを終えて、私は額の汗を拭いました
昼食の食器も片付けたし、お風呂掃除もしたし、リビングも綺麗にしました
唯「……そろそろかな」
時計を見て、呟きます
土曜日の午後四時
夕ご飯の準備はしなくてもいいと言われました
食材も、行きがけに買ってくると
唯「……部屋の片付けもやっておこうかな」
階段を上がります
……ちょっと汗臭いかな
ついでに着替えもしておこうか
今日はあずにゃんが家に来ます
一昨日の約束通り、「話」をするためにお泊まりにきます
あずにゃんからの電話が来たのは金曜日の夕方でした
あずにゃんの初ライブが終わり、全てを出し切った私は、リビングのソファーでぼうっとしていました
最高のライブになったと思う
盛り上がったし、みんなも演奏していて楽しそうだったし
私も満足する演奏が出来ていたと思う
あずにゃんも、気持ちよさそうにギターを弾いていましたから
だから、放課後ティータイムのギタリストとして
また、あずにゃんの先輩として、きちんと役割を果たせたと思います
ライブ前日は私が暴走しちゃって、きっとあずにゃんも精神的に混乱していたと思いますから
だから、最高の結果を出すことが出来て安心しました
残された問題は、私のことだけ
唯「……辞めたくないなぁ、軽音部」
大切な場所ですから、あの場所は
お茶を飲んだりお話したり、みんなで練習したり
居心地が良くて、離れたくなくて
出来ることなら、ずっと居たい場所ですが
唯「あずにゃんの反応次第かなぁ」
やっぱり気まずいよね、あずにゃんは
あずにゃんには好きな人が居るっていうのに、自分勝手に告白しちゃって
雰囲気を悪くするようなものなのに
あずにゃんは優しいから、きっと辞めないでって言ってくれると思います
けれど、それでもやっぱり、あずにゃんも気にしちゃうと思います
あずにゃんにしてみれば、居心地が悪いでしょう
それは当たり前のことで、あずにゃんはちっとも悪くなくて
悪いのは、私です
唯「あー……」
ばふっとソファーに寝転びます
学校から帰ってからそのままなので、制服のまま寝転んだらしわになると思いますけれど
でも、着替えるのも億劫です
寝転んだ姿勢で視界に入るのは、ソファーに立てかけたギターケース
唯「……大丈夫だよ、ギー太。軽音部辞めても、ちゃんと弾き続けるからねー」
手を伸ばしてケースに触れようとした、その時
唯「電話……?」
着信音が鞄の中から鳴りました
ケースに伸ばした手を鞄の方に向けて、手探りで中の携帯を探します
唯「……あずにゃんからだ」
背面ディスプレイに表示された『あずにゃん』の文字に、思わずビクッとなってしまいます
何だか急に怖くなります
何を言われるのか、どういう態度を取られるのか
結末を先送りしたい気持ちは正直ありましたが、それでも、着信を無視することは出来なくて
唯「は、はい」
梓『あ、もしもし。いきなりすみません。今、いいですか?』
唯「え?あ、うん。大丈夫だよー」
聞こえてきたのは普段のあずにゃんの声でした
不機嫌でも無く、緊張するでも無く
普通のあずにゃんの声でした
梓『今日のライブ、楽しかったですね』
唯「そ、そうだね。盛り上がったし」
梓『次は新歓ライブですかね。まだ時間はあるけど、今から楽しみです』
唯「も、もー。さすがに気が早いよー」
な、なんだろうこれ
あれかな、私が辞めるって言い出さないように釘を打ってるのかな
梓『ところで、今日はちょっとお願いがあって電話したんですけど』
唯「……な、なにかな?」
梓『お願いというか、決定事項の伝達ですね』
唯「……もう決まってるってこと?」
梓『はい。――明日、唯先輩の家に泊まりに行きますから』
唯「……え?」
梓『唯先輩、週末と月曜日の文化祭休みは一人でしょ?』
唯「そ、そうだけど……言ったっけ?私」
梓『町内会の旅行でお互いの両親は不在でしょう……』
唯「あ、そっか」
梓『憂も和先輩の家に泊まりに行くって言ってましたから』
唯「聞いてたんだね。うん、一人だよ」
梓『唯先輩一人じゃ心配なので私も泊まりに行きます。いいですか?』
唯「えっと……そりゃ、私は嬉しいけど」
梓『本当ですか?なら、お邪魔させてもらいますね』
梓『えっと、とりあえず明日の夕方頃に行きますから。夕飯の材料は行きがけに買って行きます』
唯「う、うん」
梓『夕飯も私が作りますんで、心配しないでくださいね』
唯「で、でもねあずにゃん、お泊まりに来るって、その」
梓『大丈夫です。忘れてません』
唯「え?」
梓『お話も、きちんとさせて貰いますから』
それじゃあ失礼します、と言って電話は切れました
無機質な切断音の後に耳に残るのは、あずにゃんの最後の言葉
唯「……決まっちゃうんだ。明日」
私の気持ちの終着点
私とあずにゃんの線引きの明確化
後悔はしていません
もし時間が巻き戻っても、私は再びあずにゃんの結婚式に乗り込むでしょう
でも
それでも
唯「怖いなぁ……」
あずにゃんと顔を合わせるのが怖いという気持ちも、確かにありました
午後五時を少し過ぎた頃に、玄関のベルが鳴りました
走って行って玄関を開けると、買い物袋とドラムバッグを両手に持ったあずにゃん
唯「い、いらっしゃい、あずにゃん!」
梓「こんにちわ……今日も早いですね、出るの」
そう言ったあとで、あずにゃんは私の手に握られている雑巾に気づいたようです
唯「え、えっとね。廊下の拭き掃除、してたから」
そうですか、と微笑んで
あずにゃんは一歩、私に近づきました
唯「持つよ、それ」
あずにゃんが持つ買い物袋とドラムバッグを受け取ります
二人分の、今日の夕飯と明日の昼食までの食材
そしてお泊まり道具が入っているであろう白いバッグ
買い物袋はずっしりと重くて、あずにゃん大変じゃなかったかなと思ったり
明日の夕方の食材は、一緒に買いに行けるのでしょうか
唯「さ、入って。一応掃除はしたんだけど……」
梓「はい、お邪魔しますね」
ドラムバッグを私の部屋に置いた後で、あずにゃんは台所に立ちました
梓「来るのが遅くなってすみません。すぐに夕飯の支度しますね」
唯「いや、こちらこそ。わざわざ来てもらっちゃってごめんね」
いいですよ、と笑いながらあずにゃんは冷蔵庫を開けます
梓「唯先輩が一人だとか心配ですしね」
唯「も、もっとしっかりしなきゃだよね」
梓「んー、そのままでもいいんじゃないですかね」
食材を手際良く取り出しながら、あずにゃんは言いました
梓「私も一人は少し寂しいので。ちょうどいいですから」
唯「……私も、何か手伝おうか?」
梓「大丈夫です。唯先輩はテレビでも見ていてください」
そう言われても、何だか手持ちぶさたです
とりあえず、ソファーに座ってテレビを眺めてみますが
唯「……まあ、こんな時間だしね」
面白い番組なんてやっているわけがなくて
キッチンに目を向ければ、エプロン姿のあずにゃんが立っています
ツインテールを揺らしながら、人参を切っています
それは私が欲しかった光景でした
ぼうっと眺めていると、何故だかその光景に安心してしまって
それで、思い出します
あずにゃんがここに来た理由
それは私と話をするためだと言うことに
梓「唯先輩、お風呂沸いてますか?」
キッチンから顔を覗かせて、あずにゃんが聞いてきました
唯「う、うん。もう入れるようにしてあるよ」
梓「お風呂とご飯、先にどっちがいいですか?」
唯「あず……えっと、ご飯で。お風呂は後でいいよ」
梓「わかりました。じゃあ、急いで作りますね」
そんな夫婦みたいな会話をしていますが
もちろん私達は夫婦じゃなくて、恋人同士でもなくて
……あずにゃん、どうしてお泊まりになんて来たんだろう?
いえ、もちろん嫌というわけではありません
むしろ嬉しいのは当たり前ですし、今日は前回と違って二人きり
以前の私なら、本当にドキドキするシチュエーションだったでしょう
しかし、今は状況が違います
あずにゃんには好きな人が居て、私はそんなあずにゃんに告白してしまった
それもあずにゃんの教室で、大勢の前で
それについての話をするために、あずにゃんは今日ここに来たのです
……でも、なんでお泊まり?
話をするだけなら
ごめんなさいと言うだけなら、お泊まりなんてせずにどこか外で待ち合わせでもすればいい
でもあずにゃんはそれをせず、わざわざ私のご飯まで作って、お泊まりまでしてくれて
もしかして、と思いました
心臓が高鳴り、身体中が熱くなるのがわかります
ただその仮定も、あり得ないことだとはわかっていました
何百回と繰り返したこの気持ちの動き方に、少しも慣れませんけれど
なんでだろう
なんで、あずにゃんはここまでしてくれるんだろう
唯「……わかんないよ」
あずにゃんに聞こえないようにそっと呟きました
リビングへ行くと、パジャマ姿のあずにゃんがテレビを見ていました
梓「あ、唯先輩。ずいぶん長風呂でしたね」
唯「う、うん。ちょっとぼーっとしてて」
笑って誤魔化します
本当はあずにゃんがお泊まりに来た理由について悩んでたんだけど
……本当に、一人なのが寂しかったのかな
それか、本当に私を心配してくれてたのか
どちらも、現実味はありませんでした
あずにゃんは一人でお留守番くらい慣れっこでしょうし
私を心配して、なんて、あずにゃんは私のことが好きって前提が無いと成立しないじゃないですか
ただでさえ、お互いに微妙な立場なんですから
あずにゃんがソファーから立ち上がり、冷蔵庫の方へ歩いていきます
なんだろうと思っていると、帰ってきたその両手には
梓「はい、どうぞ」
アイスでした
それも、こないだのお泊まりの時に私があずにゃんにお勧めしたアイスです
唯「え、アイスなんてあったっけ?」
梓「いえ、夕飯の買い物に行った時に一緒に買っておいたんです。食べたいだろうなって」
だから、はいと
あずにゃんが手渡してくれました
唯「あ、ありがとう……」
梓「……って、唯先輩」
唯「へ?」
梓「また髪がちゃんと拭けてないですよ」
髪に手を当ててみると、確かに濡れていました
確かに、考え事に夢中で拭くのもおざなりだったような気がします
梓「もう……はい、アイスはおあずけです」
唯「あ」
ひょいっとあずにゃんが私のアイスを取り上げました
唯「アイス……」
梓「髪を乾かしてからですよ。ほら、ソファーに座ってください」
私をソファーに座らせると、あずにゃんはタオルを持ってきました
そして
唯「ふぁ……」
当たり前のように、私の髪を拭いてくれました
梓「まったく……子供じゃないんですから、ちゃんと拭いてくださいよ」
唯「う、うん。ちょっとぼーっとし過ぎてたからかな」
梓「ライブが終わって気が抜けちゃうのもわかりますけどね」
唯「えへへ……」
梓「……綺麗な髪なんですから、ちょっとは気を使いましょうよ」
その言葉通り、あずにゃんは優しく私の髪を拭いてくれます
この前のお泊まりの時にも、あずにゃんはこうして優しく髪を拭いてくれました
これで二回目なんだけれど、相変わらず気持ち良くて
しかも今回は二人きりで、私達以外に人は居なくて
……変な気分になっちゃいます
なっちゃいけないんだけど
誤解しちゃいけないんだけど
あずにゃんの手つきは本当に優しくて、勘違いしちゃいそうで
泣きたくなります
梓「はい。あとはドライヤーで乾かしてくださいね」
手を止めて、あずにゃんは言いました
手際よくタオルをまとめながら、あずにゃんは立ち上がります
きっと洗濯機にタオルを入れに行くのでしょう
唯「あずにゃん」
そんなあずにゃんに、私はお願いしてみます
梓「はい?」
唯「ドライヤーもやって」
梓「へ?」
唯「ダメ?」
梓「……もう、仕方ないですね」
お姉さんみたいにあずにゃんは微笑んで
じゃあドライヤー持ってきますから、とタオルを持ってリビングを出て行きました
本当にしてくれるなんて思っていませんでした
いつものあずにゃんなら、『それくらい一人でやってくださいよ』とか言ってる場面なのに
優しすぎる気がします
ご飯の時も、私の大好物ばかりでしたし
そりゃお風呂は流石に一緒には入ってくれなくて、じゃあということであずにゃんに一番風呂を譲れたわけですけど
なんでだろうと思って
そしてその時、一つの仮定に思い至ります
ここまであずにゃんが優しい理由
……これが正しければ、きっとあずにゃんはある程度の私のワガママは聞いてくれることになる
ズキッと胸が軋みました
終わりに向かっていること
あずにゃんは私と笑顔での結末を望んでいること
もしこの仮定の通りだとしたら
唯「……」
もう、どうしようもないですよね
最終更新:2012年02月27日 21:57