「境目」
‐真っ白な空間‐
紬「あら、ここは?」
私は気づけば、真っ白な空間に一人ぽつんと座っていました。
『此処は境目のない空間です』
紬「誰かいるの!?
どこから声が聞こえてるの……?」
周りには誰もいないのに、声が聞こえてきました。
ハッキリと聞こえます、空耳ではありません。
『私は此処の管理人、とでも言っておきましょうか。
私は、あなたの前に姿を現さない場所で語りかけています』
紬「姿を見せてはくれないの?」
『仕方のないことなんです』
『それより、この空間に訪れたあなたは幸運です。
この空間を、現実世界に持っていけるのですから』
紬「どういうことなの?」
『一つだけ、境目を消してあげます。
例えば物理的なものでいえば、家の柵を消すことが出来ます』
紬「そんなもの、いらないわ」
『いえいえ、物理的な境目とはくだらないものです。
私がオススメするのは、精神的な境目を消す、ということです』
紬「え?」
『例えば、憧れの人と自分の心の境目を消してみましょう。
すると、あなたは憧れの人の心が、手に取るようにわかるのです』
『憧れの人とあなたの境目は無くなり、二つの心は一つのものとなるのですから』
紬「面白そうではあるけど、信じられないわ」
『そうでしょうね。
では、あなたが望んだタイミングで5分間だけ、境目を消してみせましょう』
『お試しサービスです』
紬「いいわ、やってみて。
そうね、私が部室に入った時、最初に目が合った人で試して」
『わかりました。
それでは、現実世界へお戻りください』
‐自宅・自室‐
次に私が気がついたのは、自室のベッドの上でした。
紬「……変な夢」
紬(部室で最初に目を合わせた人との境目を……)
紬(信じてるわけじゃないけど、気になっちゃう)
‐学校・部室前‐
朝から気にしていた、部活の時間が来てしまいました。
紬(部室の扉を開けるのが、ちょっと怖い)
紬(……よし、覚悟を決めて)
‐学校・部室‐
紬「こんにちは~」
唯「あっ、ムギちゃん!」
部室には、唯ちゃん一人しかいませんでした。
つまり境目が無くなるのは……。
紬(うっ、少し目眩が)
唯「どうしたのムギちゃん?」
『大丈夫かなあ?』
紬「!」
紬(わかる、唯ちゃんの心が!)
唯「えっ、何か言った?」
紬「え?」
唯「何か、頭の中でムギちゃんの声が聞こえたような……気のせいかな?」
『でも、ちゃんと聞こえるんだよなあ……』
紬(境目が無くなるって、逆も有り得るってこと!?)
唯「あ、まただ~」
紬(何か、不思議な感じね……)
唯「ムギちゃん、これはいわゆる以心伝心ってやつだよね?」
紬「え、ええ、そうね!」
唯「すごいよ、ムギちゃん!
私達、超仲良しだよ!」
ガチャッ。
部室にりっちゃんが入ってきました。
律「二人とも、何やってんだ?」
唯「おお、りっちゃん来たね!
実は私とムギちゃんは、以心伝心なんだよ!」
律「何を言い出すかと思えば……」
りっちゃんは呆れ気味です。
唯「待っててねりっちゃん、今から以心伝心しちゃうから……あれ?」
紬(5分経ったのね)
紬「唯ちゃん、私達軽音部はいつでも仲良しだから、いつでも以心伝心なのよ」
唯「つまり、どういうこと?」
紬「きっと、さっきみたいな奇跡が、またいつか起きるはずよ!」
唯「そっか!
今だけは、お休みなんだね!」
律「訳がわからん」
りっちゃんは、まるで訳がわからない様子でした。
当然の反応といってしまえば、当然です。
当事者の唯ちゃんですら、何もわかっていないのですから。
それからは、あの不思議な感覚に襲われるわけでもなく、普通に部活を楽しみました。
‐自宅・自室‐
私はベッドで寝転がりながら、今日を振り返っています。
紬(あの力は本物だったのね……)
今日も、あの空間に行けるように願いながら、私は眠りにつきました。
‐真っ白な空間‐
紬(……着いた!)
『どうでした?』
紬「すごかったわ!
本当に心が一つになったみたい!」
『喜んでもらったようで、何よりです』
紬「ただ、私の心も向こうに知られてしまうのね」
『一応、それを防ぐことは可能ですよ』
紬「自分の心を読まれることなく、相手の心を読むことが出来るの?」
卑怯な話だと、私は思いました。
それでも興味がありましたけど。
『はい。
ただし、これをするには条件があります』
『この方法で境目を消した場合、もう私の力では元に戻せません』
紬「例えば今日みたいに、時間で元通りになることが無いってことね?」
『はい、その通りです』
紬「全然問題無いわ。
やってちょうだい」
私は人の心や夢を見てみたい、そんな衝動に駆られていました。
『では……どなたとの境目を消しましょう?』
紬「唯ちゃんをお願い」
唯ちゃんの心がわかれば、唯ちゃんが何をして欲しいのかわかります。
私は人を幸せにしたいのです。
『わかりました。
現実世界に戻ったら、耳を傾けてみてください』
『そうすれば、いつでも
平沢唯さんの心がわかりますよ』
いつでも、耳を傾けた時に。
朝早くでも、夜遅くでも。
紬(朝が楽しみね~)
『では、お目覚めください』
‐自宅・自室‐
少し目眩に襲われながら、私はベッドから起き上がりました。
紬(声が小さく聞こえる気がする)
あの空間の管理人に言われたように、私は耳を傾けました。
『今日は早起き出来たよ、やったね』
紬(唯ちゃんの心だわ……すごいすごい!)
『今日も頑張るぞー、おー!』
紬(私も頑張るね、唯ちゃん!)
‐学校・部室‐
唯「おぉ、今日のお菓子はチーズケーキなんだね!」
『丁度食べたいと思ってたんだ~』
紬「ふふっ、知ってるわよ」
澪「ん、何か言ったかムギ?」
紬「い、いやっ!
何でもないの!」
紬(危ない、危ない)
澪「これ食べたら、練習しような」
律「部活終了までに、果たして食べ終わるかな?」
澪「ムギ、律がお腹一杯でケーキ食べられないらしいぞー」
律「嘘!嘘です、今すぐにでも食べ切ります!」
澪「ふう、これで練習出来……」
唯「りっちゃん、ゆっくり味わいながら食べようよ~」
澪「無かった」
『食べたいものが食べられて、夢のようだよ~』
梓「急いで食べる必要は確かに無いと思いますけど、そんなゆっくり食べてたら練習時間が短くなってしまいます!」
唯「これが私のペース配分なんだよ!」
『あずにゃん、今日も可愛い~』
梓「マイペースなことを誇らないでください!」
紬「まあまあ、時間はたっぷりあるんだから、ね?」
唯「そうそう!」
梓「むぅ……食べ終わったら、絶対練習ですからね?」
唯「絶対やるよ!」
『任せて、あずにゃん!』
紬(ふふ……唯ちゃんも練習にやる気のようね)
それからチーズケーキを食べ終わった私達は、きちんと練習をして部活を終えました。
‐自宅・自室‐
紬(今日は唯ちゃんの夢が叶ったようで、よかった~)
紬(皆の心がわかれば、皆の夢がわかるわね……)
紬(つまり皆を喜ばせてあげられる……!)
紬(今日も、あの空間に行けますように)
‐真っ白な空間‐
『また来ましたね』
紬「ええ」
『どうでした?』
紬「最高ね!」
『それはよかったです』
紬「ねえ、更に境目を消すことって出来ないの?」
『出来ますよ、一日一つですが』
紬(軽音部全員の心がわかるまで、後三日なのね)
紬「お願い出来るかしら?」
『わかりました……どの境目を消しましょう?』
紬(次にお菓子を心待ちにしていそうなのは……りっちゃんかしら?)
紬「りっちゃんをお願い。
勿論、唯ちゃんと同じく、私が心を読めるだけのやつをね」
『わかりました。
朝、耳を傾ければ、二つの声が聞こえるでしょう』
紬「ありがとね」
‐自宅・自室‐
また、目眩に襲われながらの起床です。
昨日より少し大きくなった声に、耳を傾けてみます。
『うおおおお!!
まだ、眠い!寝たい!』
紬「りっちゃん……」
『憂が、起こしに、くる……すぴー』
紬(これは唯ちゃんかしら?)
紬(心の声って、聞き分けずらいのね……声音が大差無いわ……)
その点は、普段の声音と違いました。
ただ、距離に応じて音量に差があるのは、普通の声と変わらないみたいです。
部室にいる時は、耳を傾けなくても、心の声が聞こえますから。
紬(それでも、どっちがどっちか、わかりやすいけど)
最終更新:2012年02月28日 21:33