紬「えいせいほうそう!」
テレビを見ていました。
時代遅れのアナログテレビ。
もう映るはずなんてなかったのに。
それは四人の軽音部の話でした。
あとはその周囲の人々が少々。
いつも楽しそうで。
ほら、あの子が笑った。
なぜだか流れたその映像にわたしは心を奪われました。
でも、そこにわたしはいません。
あたりまえだけどちょっと悲しいなあ、なんて思ったりしちゃって。
わたしは、そんな風にしていつも彼女を待っていました。
こんこんこぉぉん。
ノックが3回。
それが合図でした。
わたしは高校生になったのと同時に独り暮しをはじめました。
独り暮しといったって実家のちょっと隣の家を借りて住む、という感じです
別にたいした理由はありませんでした。なんとなく。
まあ、そんなものです。なんだって。
はじめて彼女に会ったのは引っ越して間もなくです。
さあさあ何しようかなあなんて、不意に見つけたアナログテレビ。
あ、でも地デジに移行しちゃったから点かないのかあなんて考えてたとき、ノックの音がしました。
こん。こん。こぉぉん。
「NHKの集金に来ましたー」
わたしは警戒しました。
独り暮らしする前にお母様からNHKと宗教の勧誘(NHKは宗教だという意見もありますけど)だけには絶対に出るなと言われていたからです。
でも、そこまで言われるNHKの集金人がどんな人なのか気になったわたしは魚眼レンズからドアの向こうを覗きました。
驚きました。
NHKの集金人はいかつい怖い人かうるさそうなおばさんではないかとわたしは考えていたからです。
レンズの向こうにいたのはまだ女子高生くらいの女の子でした。
紬「あのう……こんにちは」
油断したわたしはドアを開けてしまいました。
「こんにちは」
紬「えーと、あの?」
「え、ああわたしはりつっていうんだ」
紬「え?ああ、そうじゃなくてうちにはテレビがなくて……」
アナログテレビはもうNHKを受信できないはずです。
りつ「テレビがどうしたの?」
紬「え?」
りつ「え?」
紬「いやあの……」
わたしは困ってしまいました。
りつ「ごめんっ。わたし変なこと言った?」
紬「い、いえっ」
りつ「あのさ、ちょっと聞いていい?」
紬「え、はい?」
りつ「NHKって何するの?」
紬「あ、あのっ。とりあえず上がります?」
りっちゃんは悪い人ではなさそうでしたし、はじめての来客でもあったので、家に上げてしまいました。
りっちゃんには適当なソファーに座ってもらい、わたしは紅茶を作って出しました。
りつ「ありがと」
紬「いえ」
りつ「あのさ、怒らないでくれよ?わたしはNHKの人じゃないんだ」
紬「あ、なんとなくはそう思ってました」
りつ「そっかあ。だよなあ」
紬「あの、なぜそんなことを?」
りつ「いやあその、まあ、な」
わたしは深くは聞きませんでした。
なんていうか、聞かないほうがいいような気がしていたのです。
変なことだとは思います。
でも、りっちゃんはなんだか寂しそうだったから――。
紬「あの、紅茶飲んでもいいんですよ?」
りつ「え、ああさっきいっぱい飲んじゃったからお腹たぷんたぷんなんだ。ごめん」
なんだか押し付けがましかったかなあと言った後でわたしは思いました。
その後30分くらい話を、例えばわたしの前方の家が飼っている犬の話だとか、クッキーのおいしい焼き方の話だとかをして、りっちゃんは帰ってきました。
りつ「また来てもいい?」
紬「はい、どうぞ」
そういえば紅茶は最後まで飲まないままでした。
それからわたしとりっちゃんはたびたび会うようになりました。
りっちゃんがやってくる時間はいつもぐちゃぐちゃだったけど、わたしは学校以外は家にいて、たいていりっちゃんと会うことができました。
りっちゃんについては相変わらずわけがわかんなかったけど、もうすでに悪い人かもしれないって考えはぜんぜんなくなっていました。
それになぜだか懐かしい気がしました。
どこかで見たような、そんな。
どこだっけ?
わたしは暇な時間に自分でお菓子を作ったりなんかして過ごしていました。
作ったお菓子をりっちゃんに食べてもらおうとしたこともありました。
でも、りっちゃんはいつもわたしの前では何も食べたり飲んだりしませんでした。
そうやって三ヶ月ほどたったある日りっちゃんは言いました。
りつ「ムギは部活とか入んないの?」
紬「うん。実は入ろうとはしたんだけれど友達とかいなかったから、その、怖じ気づいちゃって」
りつ「そっか。何部?」
紬「軽音部よ」
りつ「へえーギターとかできるんだ?」
紬「ううん。実はテレビでやってたのに憧れたの」
りつ「なんかのバンドのライブ?」
紬「違うわ。不思議な話なんだけどつかないはずのアナログテレビにテレビに映ったお話なんだけど」
りつ「どんな?」
わたしはその話をしました。
四人組の軽音部の話で、あんまり練習はしなくて、でも演奏するとすごくかっこよくて、わたしはその全部に憧れたんだと。
りっちゃんは寂しげな顔を見せました。
りつ「でも、やっぱ部活とか入ったほうがいいって」
紬「そうかしら」
りつ「だって、そのさ、話聞くとムギあんま家とか出ないんだろ。友達とか少ないみたいだし」
紬「それは……」
りつ「それに一番大事なこと言うけど……」
紬「なに?」
りつ「やっぱやめた」
紬「ずるいわ」
りつ「だってムギ笑うもん」
紬「笑わないよ」
りつ「いやいやぜったい笑うー」
紬「笑わないっ」
りつ「笑うっ」
紬「笑わないっ」
りつ「笑わない」
紬「笑う……あっ」
りつ「な?」
紬「ずるいっ」
りつ「よしっ、笑ったら?」
紬「ぶっていいわっ」
りつ「えー」
紬「ね?」
りつ「あのさ……わたし宇宙人なんだ」
紬「ぷっ……いたぁいっ」
りつ「ばか」
りつ「でもマジなんだぜー。なんていうかさ宇宙人の幽霊って感じなんだ」
紬「ホントに?」
りつ「うん」
紬「ホントにホント?」
りつ「うん。わたしの星は衛星だったんだけどさ、いろいろあって壊れちゃったんだよね。こなごなに。それでわたしたちはみんなコールドスリープって言うの?半永久に眠ったまま宇宙をさまよってるんだ。今も」
紬「今も?じゃあ……」
りつ「わたしは夢を見てるんだ。あの機械の中で。最近それがわかってきたんだよ。わたしの夢はムギの現実なんだ。わかるか?」
紬「ううん。いきなりだからまだあんまり」
りつ「だよなあ。ふつうわかんないよ。たださ、ムギがテレビで見た話ってのはわたしの記憶なんだ。そこはわたしもなんだかよくわかんないけど、そうなんだ。きっとこの場所に引き寄せられちゃうんだ。なんでか」
紬「そっかあ、りっちゃんの記憶なんだ」
りっちゃんは泣いているように見えました。
きっと強く思い出しちゃったんでしょう。
昔の記憶を。
わたしが話しちゃったせいで。
ごめんなさいは言えませんでした。
言ったってどうしようもなかったし、それを言うことでりっちゃんはまたさっきの話を思い出せなきゃだからです。
紬「また来ていいのよ。わたしはかまわないから」
りつ「でも」
紬「それにうちにはテレビがあるし」
りつ「でもNHK受信してないだろー」
紬「でも、りっちゃんの記憶は受信してるわっ。だから取りにきてね」
りつ「わかったよ」
ほんとはもうテレビを点けても砂嵐しか映らなかったけど、
あの映像はわたしの中に決定的に残っていて、
忘れることはできないって思ってたからいいのです。
りつ「あ、そうそう。だからケーキは食べられなかったんだよ。
夢から覚めちゃうからさ」
そう言うとりっちゃんはケーキを口にしました。
そして、消えてしまいました。
りっちゃんの強い勧めもあり、わたしは部活に入ることにしました。
軽音部です。
音楽室のドアを開けると三人の女の子が椅子に座っていました。
紬「あの、ここ軽音部ですか?」
唯「そうだよっ」
紬「わたし、琴吹紬っていうんですけど軽音部に入部したくて……」
律「マジで?」
紬「はい」
律「やったあっ!まさかだよまさか。なあ
澪「うん。ホントに?合唱部と間違ったりしてない?」
紬「あ、はいっ」
唯「よかったー」
みんな喜んでいてなんだか恥ずかしい。
紬「あ!」
わたしは気づいてしまいました。
軽音部の人たちはわたしが見たテレビの中にいた人たちとひどく似ていたのです。
それはきっと、わたしが願ってしまったからなのでしょう。
あの映像のようにと。
わたしたちは自分の見たいようにしか世界を見れないんです。
たぶん。
澪「どうかした?」
紬「いえ……」
でも、まさかそういうわけにはいきません。
紬「でも廃部だって噂を聞いたから……」
唯「幽霊だよっ」
紬「幽霊?」
唯「和ちゃんがね、名前だけ部活に入っててくれたんだよー」
律「まあでも、これでちゃんとそろったしな」
唯「ほらほら座って座って」
紬「うん」
律「ムギはなんか楽器できる?」
紬「キーボードなら少しはできると思います」
律「おおっ何もできない唯とは大違いだ」
唯「そうだよっ。ブランクのことなんて気にしなくてもいいよっ。わたしなんてまだギターも買ってないからっ」
律「自慢することじゃないからっ」
澪「まあもっといえばわたしなんて何年も律と一緒にいるけど友情を感じたことないから、大丈夫。親しくなるのに期間は関係ないよ」
律「これはひどい」
唯「澪ちゃんさいてー」
澪「じょーくだよじょーく。感じたことあるよ……ちょっとは」
律唯「みおしゃん」
澪「うるさい」
唯律「いたあっ」
紬「ふふっ、なんだか楽しそうですね」
律「いやけっこう痛いんだこれが」
澪「よしさっそく」
唯「ちょっと待って、ムギちゃんはしっかりとふわふわどっちが好き?」
紬「え?しっかりかしら」
律「よし、れんしゅうする……」
唯「ぉー」
紬「あ、やっぱりふわふわで」
律「よっしゃ、アイス食べにいくぞーっ」
唯「おーっ!」
紬「おーっ!」
澪「おいおいムギがいるんだし……ってアレ?」
そんな風にしてわたしは軽音部に入りました。
もちろん、わたしが思ってたの、というのはテレビで見たのという意味ですが、
とはまったく違う毎日でした。
でも、わたしはいつの間にかみんなと一緒になって楽しんでいました。
あるときからティータイムがはじまり、
わたしは、たまに自分の作ったお菓子を持っていったりもしました。
恥ずかしかったのでいつものように貰い物だと言いましたけれど。
宇宙人のりっちゃんもあれから来なくなるなんてことはことはなくて、
わたしが忙しくなったのもあり頻度は減りましたが、
それでもわたしの家に来てくれました。
最終更新:2012年02月28日 21:39