しかし、不幸なことに、5人の絆に入ったわずかのヒビは、あっというまに他の4人へも波及していく。

その傾向が顕著だったのは、唯とともにバンドの推進力となっていた澪であった。

澪「ちょっと、律! 今のテイク、サビのところでまたリズムが走っただろ!」
律「なんだよ~、私のドラミングの持ち味がちょっと走り気味なぐらいの勢いだってこと、わかってるだろ? 何年一緒にやってるんだ?」
澪「何年も一緒にやってるのに一向に改善されないのはどういうことなんだ?」
律「な、なにおう!?」
澪「はぁ……これなら前に律がカゼでぶっ倒れた時にライヴで急きょ叩いてもらったセッションドラマーの方が……」
律「(ぷっちーん)」

口論の末、いじけた律は3日間失踪。
梓や紬、マネージャーのさわ子の説得と澪の謝罪によってグループには戻るものの、僅かなわだかまりが残った。

澪「梓、今のソロ、もう一回弾いてくれない?」
梓「あ、はい(ギョワワーンピロピロ!!)」
澪「うーん、なんか違うんだよなぁ……。もう一回……」
梓「は、はい(グワグゴーンピキピキ!!)」
澪「違うんだなぁ……。何ていうか、もうちょっとジェフ・ベックみたいに弾けないか?」
梓「(今までめったに私のプレイにダメ出しすることなんてなかったのに……)」

その時梓は口には出さず我慢したものの、澪がいなくなったところで
「そんなにベックのギターがいいなら、稼いだ印税で本物のベックを雇えばいいんですよ……」と寂しそうに呟くところを、紬に目撃されている。

澪「なぁ、ムギ。この前デモ聴かせてくれた新曲のことなんだけど」
紬「あ、はい!(あれは私の久々の自信作……澪ちゃん気に入ってくれたのかしら……)」
澪「私が考えている次のアルバムのイメージとはちょっとかけ離れてる気がするんだ」
紬「え?」
澪「だから悪いんだけどあの曲はしばらくお蔵入りということで」
紬「え、ええ……(今まで曲に意見することはあっても頭ごなしに否定することはなかったのに……)」

メンバーの中で一番の気遣い上手だったムギが、深夜の喫茶店でヤケ紅茶に浸る姿が、スタジオ帰りの梓と律に目撃されたという。 心なしか、沢庵もしなびていたらしい。

律「澪のヤツ、唯があんな風になったから『自分がしっかりしなきゃ』って自分にプレッシャーかけて、あんなに厳しいことを言うようになったんだろうなぁ。 
そう思えば、あれだけ私に厳しく言ったのも理解できるよ」

一通りの回想と食事を終え、2杯目のお茶に手を付けた律が遠い目をして言った。

紬「ええ……あの頃には唯ちゃん、スタジオにもあまり来なくなってましたしね」

当時の唯は、彼氏のオノヨースケにライフスタイルから思想から何からなにまで汚染され、
街中で突然ゲリラライヴを行っては警察のご厄介になったり、
『平和のコタツイン』とかわけのわからない思想をブチ上げて、
彼氏とともに24時間コタツに同衾する光景をマスコミに取材させ、全国ネットで中継させるなど、その奇行ぶりに磨きがかかっていた。

紬「あの時の澪ちゃんの頑張りよう、もう少しだけ理解してあげられればこんなことにはならなかったかもしれないわね」
律「過ぎたことを後悔しても仕方ないさ……。 まぁ、後悔するに値するだけ、私たちにとってあのバンドはかけがえのないものだったけどな」

このままじゃいけない――。
バラバラになり、崩壊への道を辿る放課後ティータイムをなんとか立て直そうとした澪は、ある日メンバーを集めて、こう切り出した。

澪「映画を作ろう」

律「はぁ? 私たちはいつから女優になったんだ?」
梓「演技には自信ないですけど……」
紬「ベッドシーンだけなら自信はありますけど……」

澪「そうじゃなくてだな。つまり――」

澪の提案はこうだ。
現在進めているニューアルバムのレコーディングにカメラを入れ、その現場を撮影してもらう。
それを放課後ティータイムのレコーディングを追ったドキュメンタリー映画として公開する――。

律「私たちもライヴ活動を休止して久しいし、確かにここらでバンドとしての露出が必要だよな」

そして、撮影と並行して制作したアルバムは、映画のサントラ盤として発表する。

梓「なるほど! 映画はアルバムの宣伝にもなるし、アルバムは映画の宣伝にもなる。一石二鳥ですね」

さらに、映画のラストでは、2年ぶりの放課後ティータイム単独ライヴを行い、新曲とこれまでのヒット曲を演奏するシーンをクライマックスに!!

紬「とうとうライヴ活動再開ですか。確かに、いい頃合だと思います」

澪「最近色々あって大変だったけど、初心を取り戻して、私たちの絆は健在だって示してやるんだ。合言葉は『ゲット・バック・けいおん!(軽音部時代に戻ろうぜ)』だ!」

瞳を輝かせて理想を語る澪に、律、紬、梓は一様に同意した。

そして、

澪「どうだ。これならやってくれるか、唯?」

唯「うん、わかったよ、澪ちゃん。私もやる。『げっとばっく! けいおん!』 だね!」

澪律紬梓「『ゲット・バック・けいおん!(軽音部時代に戻ろうぜ!)』」

かくして、バンドとしての原点を取り戻すためのセッション。

『ゲット・バック・けいおん! セッション』は開始された。

またまた時は現代に戻って、都内の某高級ホテル――。
音楽雑誌の取材を終えた澪がホテル内の喫茶店で一息ついていると、見覚えのある美女が澪の正面の席に座った。

さわ子「久しぶりね、澪ちゃん。ソロアルバム好評じゃない♪」
澪「先生……じゃなくてさわ子マネージャー」
さわ子「いいわよ、先生で。私、また教師に戻ったの」
澪「そうだったんですか?」
さわ子「だって、放課後ティータイムが解散してしまった今、私が心からマネジメントしたいバンドなんて、もうこの世にはいないもの」
澪「…………」

少しだけ悲しそうな顔をした澪を認めると、さわ子は言葉を続けた。

さわ子「勿論、バンドが解散したって貴方達が私のかわいい教え子だってことは変わらないけどね。 何なら今から高校時代に戻って、また澪ちゃんにコスプレさせたいくらい♪」
澪「……ありがとうございます」
さわ子「でもね、今日は残念だけど仕事の話――というより、残務の話ね」
澪「残務ですか」
さわ子「放課後ティータイム最後のアルバム――あれ、どうする?」

さわ子の問いかけに、澪は一層苦い顔をして、目を伏せた。
そう、『ゲット・バック・けいおん!』を合言葉に制作した映画のサントラアルバムは、放課後ティータイムが解散した今になっても、世に出ることなくお蔵入りの状態となっているのだ。
もっとも、それはお蔵入りになってしかるべき散漫な内容のアルバムであったからなのだが――。

さわ子「一応、使えそうな曲を片っ端から集めて出した編集盤が出回ってるけど、あれは澪ちゃんの本望ではないものよね?」
澪「はい……。残った音源をエンジニアが勝手に切り貼りして出しただけのツギハギのゴミのようなものですから」
さわ子「厳しいわね。ま、私としてはあのアルバムをあるべき形で世に出すのが最後のマネージャーとしての仕事かと思ったんだけど……」

澪「……正直、あのアルバムのことは思い出したくありません」

結論から言ってしまえば、撮影班をスタジオに招きいれてのレコーディングは、上手くいかなかった。

まず、元来恥ずかしがり屋の性格だった澪が、カメラの前で普段通りのレコーディングに臨めるわけがない。
そうしてまた余計なプレッシャーを抱え込んだ澪は、案の定律をはじめとするメンバーにつらくあたり始めてしまったのだ。
さらに、

唯「ダーリン~、私の新曲、『うい~、アイス~』の出来栄えどう思う? 
激しいギターリフに乗って私がひたすらに憂にアイスをねだり続けるっていう、斬新なアイデアの曲なんだけど」
男「ハハハ! 流石、唯は天才だなぁ! 最高だよ! 早速レコーディングしよう。勿論、俺も協力するZE!」

相変わらず唯の彼氏がスタジオに入り浸り、レコーディングに介入し続けたのだ。
終いには、

唯「澪ちゃ~ん、私やっぱりライヴやりたくな~い」
澪「な……どうしてだよ?」
唯「だってライヴするとなると曲を覚えてリハーサルしなきゃいけないし、面倒くさいんだもん。 澪ちゃん、私がいまだに五曲以上同時にコード進行と歌詞が覚えられないって知ってるくせに~」

これにはさすがの澪以外の3人もキレかけた。

唯「ライヴには私でたくないよ~。まだチケットも売ってないし、中止しようよ~。
それでもやるっていうなら、この映画も中止だね~」

しかし4人は、この2年の間、彼氏とのラヴラヴにかまけ、音楽活動も殆ど好き勝手にやってきた唯に、いきなり大観衆の前に立てというのも無理な話と渋々納得する。
何より、ここまでやってきた映画制作を中止することなど現実的に難しい。
頭を抱えた澪たちだったが、

紬「それじゃあ、こうするのはどうかしら? ドームとかアリーナとかの大規模なライヴはなし。そのかわり、私たちの母校の桜高でライヴをやるというのは?」
澪「そうか! その手があったか!」
律「確かに3年通ったあの高校の体育館のステージなら、いくら久しぶりの唯でも緊張することないだろ」
梓「図らずして『ゲット・バック・けいおん!』っていうコンセプトにもぴったりですしね」

唯「う~ん、まぁ、それならいいかな~」

澪「よし! 決まりだな。あと、せっかくやるならお決まりの体育館でやるより、インパクトがあるほうがいいんだけど……」
律「インパクトったって、体育館以外にあの学校で演奏できそうなところないだろ」
紬「音楽室はちょっと手狭ですしね」
梓「!それなら学校の屋上で演奏するのはどうですか? 画的にも凄くかっこいいはずです」
澪律紬「それだ!!!」

こうして、急きょ映画のラストシーンを撮影するための、桜高屋上ライヴ――後に『ルーフ・トップ・ライヴ』と呼ばれる伝説的なライヴが行われることが決定した。

だがこの時は、5人のうちだれも、この演奏が結果的に放課後ティータイム最後のライヴ演奏となることなど知る由もなかった。

律「本当にこんなところでやるのか! すごいな!」

母校の屋上、限られたそのスペースに所狭しと並べられた機材を眺めて律は感嘆した。

梓「天気も晴れてよかったですね。撮影にはもってこいです」
紬「でも本当に大丈夫なのかしら。今日は平日だし、校内では生徒の方も授業をされているのに……」
澪「ある意味アポなしのゲリラライヴみたいなものだからな。 でも大丈夫、その辺はマネージャーが話をつけてくれているはずだし」
さわ子「昔の職場のよしみよ。校長の弱みは沢山握ってるし♪」

こうして始まった屋上ライヴ。
演奏曲はレコーディング中のアルバムから新曲を数曲、これは唯が昔の曲は忘れていたためだった。

しかし、そこは一時代を築いたバンド――。
とても内輪に火種を抱えているとは思えない熱い演奏で、ただの高校の屋上をあっという間に熱気ほとばしるステージに変えて見せた。

生徒1「ねえ? 屋上の方からなんか歌声が聴こえてこない?」
生徒2「本当だ……って、これ、放課後ティータイムの秋山澪の声じゃない?」
生徒3「ええっ!? あの放課後ティータイム!? 確かこの高校のOGの人たちのバンドなんだよね?」
生徒4「間違いないよ! 澪だけじゃなくて平沢唯の声も聴こえる!」

母校の星――あの放課後ティータイムが2年ぶりのライヴをあろうことか校舎の屋上で行っている。
噂は即座に全校を駆け巡り、殆ど全ての生徒達、そして教師達までもが授業を放り出して校庭に集まり、屋上を見上げた。

そしてライヴの方も終盤。ひとしきり新曲群を演奏し終えると、澪はマイクを通して、4人に呼びかけた。

澪「ねえ、最後は『ふわふわ時間』でシメないか?」

それは放課後ティータイムが初めてバンドとして演奏したオリジナル曲。彼女たちの原点を示す、まさにバンドを代表する1曲だった。

律「よっしゃ! いっちょやるか!」

律のカウントに導かれると、今回のライヴに一番乗り気でなかったはずの唯もまたギターリフでそれに応えた。 さしもの唯も『ふわふわ時間』だけは覚えていたのだ。

澪『キミを見てるといつもハートドキドキ~♪ 揺れる想いはマシュマロみたいにふわふわ♪』

澪『いつも頑張る~♪』
唯『いつもがんばーる♪』
澪『キミの横顔~♪』
唯『きみのよこがおー♪』

律「(澪のヤツ、なんか……)」
紬「(唯ちゃんに向かって何かを訴えるように歌ってるみたい……)」
梓「(心なしか唯先輩もそれに応えてる……ように見えるけど)」

澪『ふわふわタァ~イム♪』
唯『ふわふわたーいむ♪』

いつの間にやら、校庭には彼女たちの演奏を少しでもハッキリと聴きとろうと、そして彼女たちの姿を少しでも垣間見ようと、全校中の生徒たちが集まっていた。
そしてこの騒ぎを聞きつけた警察が、演奏を止めさせようと屋上に踏み込むという一幕もあったものの、それすら映画のクライマックスを、放課後ティータイムの2年ぶりのライヴをより盛り上げる作用にしかならなかった。

こうして桜高屋上ライヴは成功に終わり、映画の製作も順調に進み、バンドの結束も元に戻る……と思われたのだが現実は甘くなかった。

唯「映画の撮影もレコーディングも終わったし、私、しばらく放課後ティータイムの活動には顔を出せないね」

澪「は? 何を言っているんだお前は」
唯「だって今ダーリンと制作してるソロアルバム、途中で放りっぱなしなんだもん。そっちの作業に戻らなきゃ」
律「またあの男かよ……」
梓「そ、そんな……! あの屋上ライヴをきっかけにこれからまたライヴ活動に復帰しようっていう話もあったのに」
唯「一回きりでいいよ~。面倒くさいもん」
紬「それならせめて映画とアルバムの宣伝にテレビに出演するくらいなら……」
唯「だめだよ~、向こう1年はもうソロ活動でスケジュールおさえちゃってるって、ダーリンが言ってたし」
律「おい、唯、お前なぁ……いい加減に」

澪「いい加減にしろっ!!」

そしてとうとう来るべき時がやってきた。

澪「口を開けばダーリンダーリンってあの男のことばかり……。 レコーディングには勝手に連れてきて参加させるし、そうかと思えばソロアルバムがどうとかいってスタジオには姿を見せない、ライヴもやる気がない……」

澪「唯は放課後ティータイムとあの男とのソロ活動、一体どっちが大事なんだ?」

律紬梓「!!!」

今までだれもが遠慮して口に出せなかったその問いかけを、我慢の限界に来た澪は口に出してしまった。

唯「わかったよ――」

すると唯は急に真剣な口調になり、

唯「うすうす気づいてたんだ。みんなが私とダーリンの関係を良く思っていないのは――」
澪「だったら……っ!」
唯「でも私はやりたい音楽をやりたい――そしてそれは放課後ティータイムじゃ出来ないと、みんなはそう言うんだね」
律「お、おい……まさか」
唯「……私、帰るね」
紬「唯ちゃん!」
梓「唯先輩!」

その晩、4人の携帯には唯からのそっけない文面のメールが届いた。

唯『私たちのドリームタイムはもう終わり。ばいばい』

平沢唯が放課後ティータイム脱退を表明した瞬間であった。


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最終更新:2010年01月22日 04:11