ギー太をアンプにつないだ。
わたしの立ってるこの位置はずっと変わっていなかった。
じゃかじゃかじゃっじゃべんべんべーんぴろぴろぴろどんどんがしゃぁんぽろろろろ。
音をだす。
大学時代は曲もあんまり作んなかったから、演奏するのは高校時代の曲が大半だ。
一時間半もすると、一通りすんでしまったような気がしてわたしたちは楽器を床に下ろした。
今日は普段よりはやく集まったせいか中途半端に時間が余った。
何かするには短くて、でもバイバイって手を振るには惜しいようなそんな感じ。
外の景色が窓から見えた。
夕暮れの少し前の曇り空。
ちょっとヘヴィな空気。
なんだか時間がたつのが遅いなって思った。
律「灯りつけなきゃな」
りっちゃんが言った。
みんな、くたあ、って床の上だとか壁だとか椅子に身体をあずけて何をするともなしにどこかを見てた。
さっき食べたポテトチップの油が胸のあたりに残ってる気がした。
唯「じゃあ、りっちゃんつけてきておねがい」
律「ええー。じやあんけえんぽんっ……おいっ、なんか出せよっ」
澪「まあ、こういうときもあるよ」
紬「こういうときってどんなとき?」
澪「なんていうか……どうしようもない?」
律「たいくつ」
唯「とうとうりっちゃんは口に出してしまったのでありました」
澪「あーあ」
紬「おしまい、ちゃんちゃん」
律「もうっ、わたしはこういうのに耐えられないっ」
紬「こういうのって?」
律「たいくつ」
唯「とうとうりっちゃんは」
澪「あー」
紬「ちゃんちゃんっ」
律「いいからっ」
唯「むー」
律「なんかしよう」
唯「じゃあわたし澪ちゃんのまねするよ」
紬「おおー」
澪「だめ」
律「なんで?」
澪「著作権法違反だ」
紬「それ著作権?」
澪「おほんっ……とにかくだめ。
どうせあれだ。怖がってみるだけだろ。
そんなのわたしにだってできるよ。
ミエナイキコエナイ、な」
唯「おおっ似てる」
律「ばか」
唯「でも、わたしのは違うよ」
律「やってやって」
唯「ふんす」
紬「唯ちゃんは目をつりあげた」
唯「わたしは澪ちゃんだよっ!」
律「……ばか」
唯「あれれ」
唯「ねえ、つまんなくなったのは何のせいなのかな」
澪「うーん……でもさっきのは、唯だな」
唯「えー?」
律「あれは唯」
紬「どんまいよ」
唯「ひどいっ」
わたしは言った。
どこか遠くから笑い声。
律「でもホントは誰のせいでもないんだろうなあ」
澪「困るよなあ」
紬「うん」
唯「じゃあ……帰ろっか」
わたしたちはガレージを後にした。
交差点まで一緒に歩いた。
りっちゃんが、じゃあなって言った。
澪ちゃんが小さく手を振った。
あずにゃんが道を曲がった。
ムギちゃんが口笛を吹いて、かすれた音が聞こえた。
わたしはちょっとさみしくなった。
ねえ、つまんなくなったのは大人になったからなのかな。
ほんとはそうやって聞こうとしたんだ。
でも、聞けなかった。
どうしてだろ?
それとも、思い出が、無駄に綺麗に見えちゃっだけかもね。
どっちにしたって切ないなあ。
不意に、ガレージの床に落ちた切れて弛緩したゴムのことを思い出した。
わたしたちは、停滞したまま叶うわけない夢を見ているんだ。
いつか前に進む日が来るのかな。
停滞夢。
呟いてから、つまんないって気づいて苦笑した。
信号が青になるのを予測してわたしはフライングする。
【落書きを消そう】
三日後、よく晴れた日だった。
実はわたしは新しく仕事に就いていて、あずにゃんに会ったのはまさにその最中だった。
時刻は3時をちょっと過ぎたくらいでわたしは公園の大きな時計台の下にいた。
梓「何やってるんですか?」
あずにゃんは目をまんまるくして言った。
唯「何って仕事だよ仕事!」
梓「こんなとこで?」
唯「こんなとこでだよほらっ」
手に持ったモップみたいなブラシみたいなそれのもっと小さいやつをあずにゃんに見せる。
梓「清掃ですか?」
唯「おしいっ」
梓「じゃあ何ですか?」
唯「落書き消しだよっ」
梓「落書き消し?」
唯「うん」
わたしは携帯でさびれた時計台に描かれた落書きを撮った。
唯「こうやって、街にある落書きを見つけては証拠写真を撮って消すんだ」
ブラシみたいなやつをバケツの液体に浸して、それから落書きをこする。
落書きは少しずつ消えていく。
唯「この液はね、特別製だからよく落ちるんだよ」
梓「へえ」
唯「落書き消しの人なんてなかなか見つけられないよっ」
梓「そりゃそうですけど。収入とかあるんですか?」
唯「消した分だけもらえるんだ。市から依頼を受けてるから。
大変だったんだよー仕事にこぎつけるのはさ」
梓「それはすごいですけど。
落書きってそんなにあるもんですかね」
唯「これが結構あるみたいなんだよね。
地下トンネルの壁一面に大きくかいてあったりさ。
そういう連絡があるとわたしに伝わるようになってるんだー」
あずにゃんはわたしが落書きを消すのをじっと眺めていた。
なんだか寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。
梓「それなら教えてくださいよ」
唯「えへへごめん。
だってまだはじめたばっかだし、もう少しちゃんとしてからと思ったんだ」
梓「そうですか」
唯「ってわけで今日は遊べないね」
梓「別に唯先輩と遊びにきたわけじゃないです」
唯「でも、あずにゃん、うちに遊びにくるときいつもここ通るじゃん」
梓「だからってそうとは限らないですってっ」
あずにゃんは顔を真っ赤にした。
梓「じゃあ行きますから」
唯「またねっ」
梓「じゃあ」
唯「うん」
梓「行きますよ?」
唯「あずにゃん」
梓「冗談ですよ冗談っ。
あ、そうです。
なんで落書き消そうなんて思いついたんですか?」
唯「たまたま、あの液がよく落書きを消すのを発見したからかなあ」
梓「なんでそんな液体作ってんですか」
唯「企業秘密だ」
梓「何ですかソレ」
今度こそあずにゃんは歩いていった。
そのあとも、わたしは落書きをせっせと消していった。
高校生の頃、掃除が嫌いだったわたしがこんなことしてるのもおかしな話だなあって思った。
道を通りすぎようとした女の人がわたしのほうをじぃっと凝視してきた。
そんなに変かなあ。
やってきそうな劣等感を押さえ込んでわたしは落書きを消し続ける。
家に帰って、携帯を見てみたら知らないアドレスからメールが来ていた。
大学の男友達からだとわかった。
メールアドレスを変更したらしい。
でも、もうこの人とはこれから先も連絡をとらないんじゃないかなって思った。
わたしの友達にはそんな人がたくさんいる。
小さい頃、色んな人に「唯ちゃんはたくさん友達作れてすごいね」って言われた。
わたしは、それを信じたまま大人になった。
わたしのアドレス帳にはあずにゃんのアドレス帳の六倍の人が登録されてる。
少なくともあずにゃんはいろんなのことに対して、真摯に向かい合ってきたんだと思う。
真面目すぎるくらい。
だから、わたしたちが高校を卒業したときも泣いた。
いろんなことに真面目でいるっていうのは幼いことなんだろうな。きっと。
布団に寝転がった。
携帯の画面にはメールの受信画面が映っていた。
バックする。
待ち受けは笑ってるわたしたち五人。
何もこんなときまで笑顔じゃなくてもいいのにね。
技術の最先端はきらいだ。
【心配性】
それから、二ヶ月くらいたったある日曜日。
週末はみんなが集まる日だったのに、今日ここにいたのはわたしとりっちゃんだけだった。
律「みんな忙しいんだってさ。実家帰ったりいろいろ」
唯「そっかあー。なんだか寂しいね」
律「まあ、しかたないんじゃね」
唯「うん」
律「唯って心配性だよなというより考えすぎ?」
唯「そーかな?」
律「うん。しかも余計なことばっかりだ。梓もだけど」
唯「あずにゃんはさみしがりやさんなんだよ。
あと、ちょっーと泣き虫」
律「あ、そーかも。そういや、唯も泣いたよな学祭のときに」
唯「あれはだよ。その……」
律「いやあ、でも今思うとけっこう恥ずかしかったよな。
たくさん人いたし。
思い出すとあーってならない?」
唯「なる。思い出させないでよーっ」
律「ははっ。唯、顔、真っ赤ー」
唯「ひどいひどい」
りっちゃんをつかまえておでこにデコピンをくらわせた。
律「いてて」
唯「あーあ、わたしってかっこ悪いかなあ」
律「ちょっとな」
唯「ちぇっ」
わたしは持ってきた廉価アイスをなめながら紅茶を飲む。
唯「大人になると泣かなくなるのかな」
律「どうだろ。でも年とると涙もろくなるって言わない?
てか紅茶にアイスってひどくね」
唯「りっちゃんも食べてるくせに」
律「まあね。あ、さっき考えたんだけど年とるとさ映画とか子どもの成長とか見てなくけど自分のことで泣かなくね」
唯「たしかにそうだ。
涙を見せないようにしてるのかなあ」
律「たしかにいい大人が泣いてるとなんか変な感じするもんな」
唯「よく考えたら、わたしたちも大人なんだよねー」
律「たしかに」
りっちゃんが笑った。
わたしはアイスをなめた。
甘い。冷たい。
そんな風にだらだら過ごしていたら、夕方になって、家に帰ることにした。
りっちゃんと並んで歩いた。
真っ赤な夕日に影がだらしなく伸びていた。
商店街の入り口を避けるように左に曲がったらりっちゃんが言った。
律「歩く床ができるんだって」
唯「え?」
律「商店街のさ歩道が動くようになるんだってさ」
唯「へぇー。あ、それって隣にでっかいデパートができたからかな?」
律「だろうなあ」
落ちてた石ころをわたしは蹴った。
石ころは転がって穴に落っこった。
唯「りっちゃん仕事は大変?」
律「ぼちぼちな」
唯「そっかあー」
律「唯はどう?」
唯「えーとね、最近仕事はじめたよ」
律「よかったじゃん。どんな?」
唯「えー、まだひみつ」
律「なんでだよっ」
唯「だってさ……」
あの仕事が嫌いなわけじゃなかった。
でも人に言うにはなんだかカッコ悪い気がしたんだ。
律「まあ、いいや。唯が教えたくなったら教えてくれればさ」
唯「ありがと」
律「でも、どんな仕事だっていいと思うよ唯がいいならって話だけど。」
わたしたちは歩く。
迷子の犬が横を通りすぎた。
公園で三人の男の子がえっちな本を囲んで騒いでいた。
夕暮れなんだって思った。
律「無色だよ」
唯「えー」
律「違うよ色の話。ずっと、唯は無色だった気がするよ」
唯「どういうこと?」
律「うーん……ばかっぽいってこと?」
唯「ひどいっ」
りっちゃんはわたしを小突いた。
体がへこんだ。
街灯が点くのが見えた。
唯「前に落書きしたの覚えてる?」
わたしは言った。
律「ああ。ペンキで壁に描いたよな」
唯「やっぱりあれはさ、いけないことだったんじゃないかな」
律「なんだよー。描こうって言ったの唯じゃん。あそこは誰も通らないって」
唯「最近、毎日のようにそこに行くけど誰もいたことないよっ」
律「でもまあ、そうかもな。
誰かが描いた落書きは誰かが消さなきゃだもんな」
唯「ちっちゃい子って落書き好きだよね」
律「ああたしかに。わたしたちの落書きはどうなってた?」
唯「消されてたよ」
律「そっか」
りっちゃんは空に目を向けた。
わたしも顔を上げたけど何も見えなかった。
少年が二人自転車で通りすぎて、パトカーがそれを追いかけていた。
それはこういうことかもしれない。
子どもの頃した落書きを消すのは大人になった自分なんだ。
サイレンが聞こえた。
りっちゃんと別れた後、わたしはあの場所に行った。
全く人気はない。
近くに小さな橋があったけど、隣に大きな橋ができたせいで誰一人通らない。
そこから、わたしはしたの方の壁を見下ろした。
みんなで落書きをしたあの壁だ。
仕事をはじめて一番最初に消した落書き。
今では別の落書きが描かれていた。
わたしがそれを消した一週間後に見つけた。
しかも、不思議なのはわたしがそれを消すたびに新しい絵が描かれることだ。
その落書きにはいつも赤、緑、黄色の三色のスプレーが使われていたから、きっと同じ人が描いてるんだろうと思った。
そのせいでわたしは仕事のはじめにいつもこの絵を消すんだけど、次の日の朝にはまた別の絵が描かれている。
でも、いつの間にかそれがわたしの楽しみになってたんだ。
今日はどんな絵が描かれてるのかなあって。
今日の絵を見るー
中央の一番目立つところにくらげがいた。
真っ赤で大きなくらげ。
懐かしいって思う。
なんでだろう?
こんなくらげ見たことないのに。
少し後で気づいた。
わたしがホントに懐かしいのは、好きなのはこの絵全部が含む何かなんだ。
それが何なのかはわからなかったのだけど。
最終更新:2012年03月31日 20:42