純「――とりあえず話は後! 早く荷物まとめて!」
憂「う、うん!」
三人で憂の部屋まで上がりこみ、ボストンバッグに憂の私物を詰め込んでいく。
何故憂がここにいるのか。いつからいたのか。いや、そもそも憂は……死んだはずじゃなかったのか。
じゃあ目の前に居るのは幽霊? 偽者? 幻? そういった疑問を抱かなかったわけじゃなかった。私もだけど、特に純は。
でも、見れば見るほど、触れれば触れるほど、話せば話すほどいつもの憂だった。ずっと一緒にいた私と純だからこそ、彼女が憂であることを否定できなかった。
少なくとも彼女は、憂を演じて私達に近づいてきた悪意ある存在なんかじゃない。彼女は誰よりも憂だ。
とはいえ、最初に抱いた疑問が解けたわけではない。
解けたわけではないんだけど、「電車の時間が迫っているからとりあえず後で考える」と言い切った純に従い、そのまま憂も連れて行くことになった。
ご両親とかも一緒に居ればこんな急で強引なことはしないんだけど、そんな様子もないし、ね……
ちなみに家の鍵は憂が持っていた。正確にはその身に持っていたのか家の外のどこかに隠してあったのかはわからないけど、とにかく憂が鍵を開けた。
憂「…よしっ。とりあえず出来た、かな?」
梓「大丈夫? 服も日用品も全部ある? 携帯電話の充電器とか忘れてない? マンガとかももっと持って行っていいよ?」
憂「大丈夫だよ。ありがと、梓ちゃん」
梓「ん……」
本当に、どこからどう見てもいつもの憂だ。
まるで……あの事故なんて無かったかのように、いつもの憂。
いや、本当に事故なんて無かったのかも……なんて、さすがにそれは甘えかな。
純「ほら! 出来たなら急ぐ!」
梓「そんなに時間ないの?」
純「いや、間に合うとは思うけどさ。早く腰を落ち着けたいワケ」
それはつまり、後顧の憂いを断ってからじっくりと『今の現象』について話し合いたい、ということだろう。
それについては同意見だけど……
梓「憂、走れる? っていうか元気? 身体はなんともない?」
憂が今までどこにいたのか、それさえも私達は知らない。
そもそも死んだはずの人間が目の前にいる、なんていうワケのわからない状態なんだから今の憂について私達が知っていることなんて皆無だ。
どこからどう見ても私のよく知る憂、私の大好きな憂そのままだけど。それでもそのあたりのよくわからない事情には気を遣ってあげたかった。
でもいつも通りの憂は、いつも通りに答えたんだ。
憂「うん、大丈夫」
梓「…そっか。じゃあ行こっか」
憂「あ、待って梓ちゃん」
そう言いながら立ち上がった憂は、バッグとギターを私と同じように肩にかけ、空いたほうの手で私の手を握ってきた。
久しぶりの憂の手の感触に内心ドキドキしながらも、なるべく平静を装って尋ねる。
梓「……どうしたの?」
憂「えへへ……ダメ?」
梓「ダメじゃないけど……」
憂「じゃあ、一緒に行こうよ」
梓「……うん」
あの唯先輩の妹である憂のスキンシップ自体は珍しいことじゃない。女の子同士だし、そのあたりは私もわかってる。
たまに唯先輩に変装して抱きついてくるのは……憂のことを恋愛的な意味で好きで、唯先輩を人として好きな私としては非常にフクザツだったけど。
それでも憂のスキンシップ自体は疑問に思ったことも拒んだ事もない。それも憂らしさだって私はわかってる。
ただ、純に急かされているこんな状況で、意味もなく憂のほうから手を繋いでくるのは意外だった。
意外だったけど、嬉しかったから別に追求はしない。久しぶりに私に会えて嬉しいのかな、なんて思い上がっておけばそれでいいかな、なんてね。
純「ほら、早くっ!」
純に急かされ、道路に飛び出して手を繋いだまま走る。
走っている間、私も純も憂の存在については口にしようとしなかった。
正直、憂の存在に心がついていってない。私も純も、嬉しさと戸惑いが心の中で混ざり合ってる。
死んだはずの人間がそこにいる。それを気味が悪い、と避けたりなんてできるわけがないくらいには嬉しくて、でも再会に涙を流せないくらいには戸惑ってる。
だからかもしれない。だから私達は考えるのを後回しにして、電車のせいにして走っているのかもしれない。
憂の口から真実が聞ければ、いろいろとわかる事もあるんだろう。
そして、その時はすぐに来るのかもしれない。でも少なくともそれは一緒に走っている今じゃない。
……今の私にわかることは、憂の手の温かさだけ。
【#3】
純「――何か食べる? それとも飲む? まだ時間あるし買ってくるよ?」
憂「………」
梓「……飲み物、麦茶でよければあるよ、水筒に」
純「んじゃいっか。お菓子くらいなら私が持ってるし」
梓「うん」
隣街までの切符を三枚買い、自由席の列車に乗り込む。
なるべく端のほうに、そして三人向き合って座れるように席を確保した。
私と純が向き合って座ると、おずおずと憂が私の隣に腰を下ろす。顔色があまり良くない。
梓「憂、大丈夫? やっぱり疲れた?」
憂「ううん…そうじゃないけど……」
そうじゃないという憂の言葉をそのまま信じるなら、顔色が悪いのはやっぱり緊張から来ているんだろう。
これから何を聞かれるのか憂はわかっていて、そしてきっとそれに対する答えもちゃんと持っているんだ。下手すれば私達に嫌われかねないほどの大きな答えを。言いづらい答えを。
……もし仮に何も知らないなら、答えようがないんだから緊張なんてしないはずだし。
梓「…大丈夫だよ、憂。私達は、何があっても憂の味方だよ」
憂「……梓ちゃん……」
緊張をほぐしてあげたい、という以上にそれを伝えておきたかった。憂が何を言おうと、憂が憂であるなら私が嫌うなんてありえないということを。
でも、それはやっぱり自分本位の浅はかな考えだったらしい。
純「……梓。悪いけど、まずそれ以前の話なんだよ」
梓「………」
純「そんな目で見ないでよ。私ももちろん憂の味方だし、梓の味方だよ。だからこそ確かめなくちゃいけない」
わかってる。周知の事実、大前提から目を逸らすわけにはいかない。
私は隣の女の子の姿も声も動きも、全部が憂だと自信を持って言い切れる。でもそれだけじゃ否定できない現実もこの世界に既に存在してしまっている。
私はイヤというほどわかっていたはずの、残酷な現実が。
純が深呼吸し、真剣な瞳で私の隣の女の子を見つめて、静かに問う。
純「……『
平沢 憂』は事故で死んだ。あなたは……誰なの?」
タイミングを同じくして、私達を乗せた列車も走り出した。
――隣で俯いて電車に揺られる憂を見て、今更ながらにその服装がお気に入りの外出着であることに気づく。
結構いろんな私服を持ってる憂だけど、私達と遊ぶ時にはこの服を着ているのを一番多く見たからきっとお気に入りなんだろう、という私の決め付けに過ぎないけど、間違ってないと思う。
そしてこれも決め付けに過ぎないけど、きっとその服をあの日も着ていたんだと思う。そう、あの日も。
憂「……私は…ううん、『平沢 憂』は………あの日に、死んだ、よ」
純「………」
梓「………」
憂「ちゃんと…覚えてる。あの日の、あの瞬間まで、さいごまでちゃんと記憶にある……」
そう言って小さく身体を震わせる隣の子に、触れてあげることは出来なかった。
隣の子はどう見ても憂なのに、本人までもがそれを否定している。そんな中で私だけが彼女を憂だと扱い、慰めるのは許されない。そんな気がした。
憂「だから……私は、純ちゃんと梓ちゃんの知ってる『憂』じゃないの……」
純「……でも、憂にしか見えないよ、外も中も。それこそまるで憂のクローンみたいな…」
純がマンガ的発想で問いかける。
失礼な言い方かもしれないことは本人も自覚していたんだろう、後で「ゴメン」と告げるけど、憂はそれに首を振る。
憂「……ううん、たぶん本当にそんな感じなの」
純「……どういうこと?」
憂「ずっと、ずっと声だけが聞こえてた。真っ暗な中で、私を呼んでくれる声が聞こえてた。それが『誰』の声かわかった時……私は目を開けることが出来たの」
そして目を開けたらそこは桜が丘だった、と。身体も記憶も全てが『平沢 憂』として続いていた、と。
そのまま自然と足はすぐ近くの自分の家に向かい、そこで私達に出逢った、と。
憂はそう言った。私は口を挟めなかった。
純「……誰の、声だったの?」
純のその問いに、憂は答えず、行動で示した。
私の腕に抱きつく憂の身体は、やっぱりちゃんとあたたかい。
純「……未練タラタラな誰かさんのせいで成仏できなかった、みたいな話なのかねぇ?」
憂「…ちょっと違うよ。梓ちゃんが私を呼んでくれたから、求めてくれたから、私はここにいられるんだよ、きっと」
純「ふぅん……?」
憂「……梓ちゃんの声は、とても心地良かった。誰の声かわかってない時でも、心に優しく響いてきた。でもある時突然「会いたい」って聞こえた気がして……」
純「それが誰の声か考えたら梓に行き当たり、戻ってきた、と」
憂「……うん。覚えてる道だったから家に急いだけど……梓ちゃんに引き寄せられたのかもしれないね」
……皮肉にも、自分の殻に閉じこもることを止め、憂のいない現実に向き合い、その上でもやっぱりどうしようもなく憂を求めている自分を自覚したのが今日。
それが憂を呼び戻す最後の引き金になったってことだろうか。
純「……ま、なんであれ、この世の理《ルール》を捻じ曲げたオカルトなのは間違いないけどね」
梓「……でも」
ようやく口を開いた私に、二人の視線が集中する。
梓「……オカルトだろうと何だろうと、憂とこうしてまた会えた。私はそれだけで充分だよ」
憂「梓ちゃんっ……」
……そう、この笑顔にもう一度会えた。何も変わらないこの笑顔に。
私にとって、それ以外の真実なんて要らないよ、憂。
純「はぁ……いや、まぁ、私も二人の考えにまで口を出すつもりはないんだけどさ」
梓「……まだ何か問題でもあるの? 憂はちゃんと憂なんだよ? 気にしてたのはそこでしょ?」
純「……ま、そうだね。口を出すつもりも水を差すつもりもないよ。二人で仲良くやりなさいな」
憂「うんっ♪」
梓「ちょ、純、変な言い方……っていうか憂も「うん」って何!?」
純「やれやれ、お熱いことで」
梓「だーかーらー!!」
……と言いつつも、笑顔で私の腕に抱きついて頬ずりしている憂を引き剥がすことは出来なかった。
【#4】
◆
――実の所、今現在この三人の内で最も冷静なのは
鈴木純だ。
存在の謎を置き去りにして最愛の人に再会できた喜びだけに浸る
中野梓は論外。
自身が偽りのモノであると言っておきながら深く考えようとしない
平沢憂も同じく冷静とは言い難い。最も、彼女の場合は恐怖故に目を逸らしているとも言えるのだろうが。
そして鈴木純の場合だが、彼女は元々、失意の底にあった中野梓を見守ろうという意思を持って行動していた。今の状況においても、すなわち平沢憂の言い分を認めた上でも元来の意思は揺らいでいない。
更に言うなら、彼女の思考は平沢憂と中野梓の行く末を見守ろうという考えに移行しつつある。一歩引いた所から二人共に等しい距離で接しようとしている彼女が、この中では一番状況をよく見ている、というわけだ。
純「………」
そんな彼女は向かいに座る二人を眺めながら思考を巡らせていた。
考えることはただ一つ。今の平沢憂という存在が、世間一般で何と呼称される存在なのか、についてだ。
一度命を落とし、そして生き返った存在。それが俗に何と呼ばれているのか。
少なくともそれは『人間』ではない、と彼女は決定付けた。
勿論平沢憂を疑う意味ではないし、差別の目で見る意味でもない。だがそれでも、この世の理を捻じ曲げた彼女は人間とは言い難い。
平沢憂は人間ではない何かである。その前提の下に彼女をちゃんと理解しようという彼女なりの思いやりだ。
理解しないことには何かが起きた時にも助けることが出来ない。親友としてそんなことを許す彼女ではなかった。
純(……んー、蘇った存在……ゾンビ? アンデッド? 未練があって逝けないというなら地縛霊もだけど…)
娯楽としての創作物をある程度嗜んでいれば、知識として『似たようなもの』の名前くらいはいくらか出てくるものだ。
だが、今のところ平沢憂はその中のどれにも該当しない。
まず平沢憂はちゃんとした肉体を持っている。ゆえに霊ではない。
しかし、生前の肉体は火葬されている。鈴木純も中野梓もその目で見届けた。よって屍が蘇る類のゾンビ等にも含まれない。
そして勿論、自身が認めるように一度人間としての死を迎えているのだから不死でもない。
純(とすると……憂自身が言ったように、クローンみたいなものなのかな…?)
蘇りではなく、別の肉体を得た存在。中身は同一で器が別物の存在。
それはそれで彼女の理解の及ばない領域ではあるが、当然ながら先程の創作物のネタのような類よりは現実的だ。
もっとも、それでも人間のクローンは未だ禁忌とされているし、技術的にも可能かはわからない。
その上、そうなると今度は『何故平沢憂のクローンが存在するのか』という疑問までもが姿を現すこととなる。
確かに平沢憂はクローンとして欲しがる人も居るであろうほど優秀な人間ではあるのだが。
……一応、しっくり来る言い方は一つだけ彼女の中にある。しかし……
純(んー……ダメだ、情報が少なすぎる。やっぱりもっと話を聞かないと断定できない)
結局、彼女はそう結論を出した。
現状ではその判断は妥当であるし、間違ってもいない。
最終更新:2012年04月02日 22:48