【#5】




純「――っし、もうすぐ降りるよ、二人とも」

梓「ぅえ? もう?」

思わず変な声を出してしまった私に、正面の純は呆れ顔で溜息。
私に寄り添ったまま携帯電話を取り出し開いた憂の手元を覗いてみると、確かに結構時間は経っていた。
やっぱりこの三人で居ると楽しくて、時間が経つのが凄く早い。特に憂といると。
……決して純をないがしろにしてるわけじゃないけど、やっぱり憂がいないと私は私で居られないんだ。

純「ま、二人でこのままアテのない旅に出るってんなら止めないけど?」

梓「そんなことしないから……」

そんなことをすれば、純はまた心配するでしょ?
ん? でも案外憂と一緒なら心配しないのかな?

憂「……私は、梓ちゃんと一緒ならどこでも……」

梓「ぅえっ!?」

純「こらこら、真に受けるなって」

憂「あははっ」

……なんだ、冗談か。ビックリした……
ビックリどころかドキドキしてる気もするけど……

梓「憂は真顔でボケるから反応に困るよ……」

純「せっかく私が住居を提供してあげるってんだから素直に甘えなさい、二人とも」

憂「あ、純ちゃん、その話だけど……ホントにいいの?」

純「いいも何も、一人ぼっちにはしておけないよ。憂も、梓もね」

憂「……梓ちゃんも? 梓ちゃん、何かあったの?」

梓「あ……」

そっか、憂は知らないんだ……
というか、それはそうだ。私が自棄になっていた時期のことなんて憂は知るはずがないんだ。
そして知られたくもない。原因となった憂に聞かれるのは恥ずかしいし、それ以上に憂はそんなこと聞かされたらきっと背負い込む。自分のせいだと責めるはずだから。
となると罪悪感を抱かせない程度に告げるか、隠し通すか、あるいは誤魔化すかしないといけない。何かいい方法は――

純「あー、梓はね、大学全部落ちてさ。それで親と喧嘩して家出した」

梓「ちょっ」

憂「あ、そうなんだ……」

どう説明しようかと悩んでいると、嘘半分、事実半分、そして多くの真相を伏せて純が誤魔化した。
私の代わりに誤魔化してくれた…と言ったほうがいいのかな?

純「まー勘当されたようなもんだよね。梓みたいな性格じゃ高卒無職なんて経歴がついたらヒキコモリ一直線だろうし」

あっはっは、と高らかに笑う純。
……こいつ、単に私をここぞとばかりにバカにしたいだけなんじゃなかろうか。

憂「もう、純ちゃん! 梓ちゃんはちゃんと頑張る子だよ!? そんな事言わないの!」

……憂のそのフォローも地味に胸が痛くなる。憂のいない世界で流されるまま生きるつもりだった私には。

純「んー、まぁ頑張ってくれないと私も困るしね、家に置く以上は。この先梓がどうするかには口出さないけど、約束は守ってもらわないとねぇ?」

憂「約束って?」

純「ん、家に置いてやるから家賃ちょっと出せ、ってね。普通にルームシェアしようってコト」

憂「あ……じゃ、じゃあ私もお金出さないと…」

純「そういえばそうだねぇ。ま、新居に着いてから考えようか。早く降りるよ」

話に夢中で気づかなかったけど、いつの間にか隣街の駅に着いていた。
慌てて荷物を抱える私と憂を、荷物の少ない純はニヤニヤと見下ろしていた。なんか腹立つ。

……でも、さっきまで何か考え込んでいたようだった純がいつも通りになってるのには安心した。


憂「――そういえば純ちゃんはさ」

たいして広くもない駅の構内を三人で横に並んで歩きながら、憂が問う。

純「んー?」

憂「なんでN女子大に行かなかったの? 澪さんを追っかけて行くと思ってたんだけど」

あっ、って聞こえてきそうな顔で純が固まる。
完全に予想外の質問だったのだろう。さっき私を助けて(?)くれた機転はどこへ行ったのやら。
今度は私が助け舟を出してあげたいところだけど、私もその理由は知らないからどうにも出来ない。そしてそれに加えて私もその理由には興味があった。

純「……単に学力の問題だよ。結果的には梓みたいに無職にならなかっただけ賢い選択だと自分では思ってるけど」

憂「もー、またそうやって……」

あ、私はN女を受けて落ちたって設定なのか。
いや、そんなことより……私には純が本当にそれだけの理由で諦めたのかという方に疑問が残る。
というか…私に遠慮して行かなかったんじゃないか、なんて勘ぐってしまう。

今の純が嘘をついているかはわからない。それはきっと憂も同じ。
でも、あの当時の私はあんなだったから……もしかしたら、って思ってしまう。
私を置き去りにするようなことが出来なくて、純は自分を犠牲にしたんじゃないかって思ってしまう。

いや、ぶっちゃけその通りだと私は思ってる。

でもこんなことを面と向かって尋ねても、純はヘラヘラ笑って否定するだろう。
私が申し訳ないと思えば思うほど、純は明るく否定するのだろう。
……そういうの、本当にズルいと思う。

憂「……でもごめんね? なんかさっきから聞いちゃいけないことばかり聞いてるね、私……」

純「あー、いや、そんなことはなくて、ね?」

梓「そ、そうだよ。憂にはいつか説明しなきゃと思ってたし……っていうかどうせすぐバレることだし」

憂「梓ちゃんのほうも……喧嘩して家出なんて……」

梓「それは…私が悪いんだから仕方ないよ」

憂「……いつか、仲直りしてね?」

梓「……うん、わかってる。今だってこうやって純と暮らす条件の一つとして、毎日のメール連絡は欠かさないこと、っていう条件があるんだから」

憂「そっか……私に出来ることがあったら何でも言ってね? 何でもするから」

梓「あはは、大袈裟だよ憂。ありがと」

とは言ったものの、私自身は両親の考えなんてよくわからない。だってこの条件を取り決めたのは私じゃなくて純だから。
たった一人の娘を大切に思わないような両親ではない。娘としてそう思っているけど、私には親の気持ちはわからない。
私だってその時は『生きててもしょうがない』と本気で思っていたんだから、親も私に対してそう思っていても不思議じゃない。

……まぁ、今は親のことよりも自分のことだ。これからのこと。
憂とこうしてまた会えた。それだけで無職になったことを悔やみつつあるのは我ながら変わり身が早いというか、『憂に情けないところを見せたくなかった』思考が見え見えで面白いけど。
でも逆に考えれば憂と同じ立場になれたとも言えるのだから、やっぱり問題は『これから』なんだ。そこは憂とちゃんと話し合おうと思う。

純「……あっ」

梓「ん? どうしたの?」

歩きながら真剣にこれからのことを考えていたら、純が素っ頓狂な声を上げた。
やたら周囲を見渡しているから何事かと思っていたら……

純「トイレ行きたい」

梓「行ってきなさいよ……」

純「行ってくるよもちろん。新居までどれだけかかるかわかんないしね」

……なにそれ。まさか……

梓「……あのさ、その家までの道はわかってるよね?」

純「さすがにそんなボケはしないって。でも私達だよ? どんだけかかるかはわかんないんだし、備えあれば憂い無しだって!」

そう言って手提げを憂に押し付けて純はトイレのあるらしい方向に走っていった。
どれだけかかるかわからなくなるような原因を作るのはいつも純だと思うけど……なんか、そう言われると私もトイレ行っておいた方がいい気になるじゃん。

憂「……トイレの前で待っとこうか。私も行きたいし」

梓「そだね……」

二人もボストンバッグとギターを抱えている以上、一人ずつ行って二人で荷物を見張る、それのほうがいいと視線で伝え合った。



純「――おまたせー」

トイレの前に着いてから少し待っただけで純は出てきた。
もうちょっと空気読んでよ純。憂と二人っきりだったのに。…なんちゃって。

憂「私も行ってくるから、荷物お願いね」

純「はいよー」

自分の手提げを受け取り、床に置いた二人分の荷物を私と挟む形で純が立つ。
今度は純と二人きり。何かいろいろと改めて言っておくべき言葉があるような気がする。
とりあえず口を開こうかと悩んでいると、純のほうから口を開いてきた。

純「そういや梓、アレでよかったんだよね?」

梓「へ?」

純「隠したじゃん。憂が死んだことで、あんたが落ち込んで何もしなくなった、ってコトを」

梓「あ、うん……」

純が咄嗟に誤魔化した形になるけど、私もそれで良かったと思ってる。
あれはあくまで『私の想いの結果』だし、憂に背負わせるのは間違っていると思うから。

梓「……ありがとね」

純「ん、それはいいんだけど……憂のことだから、どっかで嘘だって気づくかもよ?」

梓「…だよね。そもそも憂に隠し事なんて、本当はしたくないんだけど……」

それでも、私のこの恋心は隠し通さないといけない。
『誰かが死んだことで無気力になる』なんて、知ってる人から見れば恋心だと一目瞭然だから、憂本人には特に隠さないといけない。


……って、あれ?

ちょっと待って、それなら私の事情を知って助けてくれた純とかはこの気持ちに気づいてるってことになるんじゃ?

無気力になった私をずっと間近で見ていた両親と、勘当されたあの日に何も聞かず両親と話を付けてくれた純なんて、もはや知ってて当然ってレベルなんじゃ…?


梓「あ、あのさ、純……」

純「ん? どしたの? トイレ我慢できない?」

梓「そ、そうじゃないけど…!」

あ、いや、でも純が直接私にそう聞いてきたことはないし、案外気づいてないのかも? 
そうだよね、純なら面白がって首を突っ込んできそうなものだし。だとしたら墓穴を掘るような質問なんて出来ないよね……
いや、あるいは気づいてて見ないフリをしてくれてる可能性も…? さっきの機転といい、意外にも私を見守ってくれてるのかな…?
……ま、まぁ、純のほうから尋ねられない限りは隠し通せてるってコトにしといたほうがいいよね?

梓「な、何でもない……」

純「…? 変なの」

もしかしたら気づかれてるのかも、という疑惑が私の頬をどこまでも熱くする。
トイレから戻ってきた憂に顔を見られないように、私もトイレへと駆け込んだ。




【#6】




――鈴木純は気づいている。
中野梓平沢憂に好意を抱いていることに気づいている。一途な愛を胸の内に留めていることを知っている。
一途であるが故に、拒絶されることに怯えているのを知っている。親友でさえいられなくなることを恐れているのを知っている。
言葉にしてみればごく普通な、ありふれた純粋な愛情を抱いていることを知っている。

だが、それはあくまで推測でしかない。確証はあるが事実ではない。限りなく事実に近いが、本人に確かめていない以上は事実に成り得ないのだ。
そして鈴木純本人もそれでいいと思っていた。中野梓に伝えるつもりがないのだということも知っていたから、首を突っ込む必要も世話を焼いてやる理由もないと思っていた。推測は推測にすぎないまま行く末を眺めていればいいと思っていた。
勿論、仮に告白をするという状況になったなら迷わず応援した。相談されれば手を貸した。それを当然だと彼女は思っていた。ただし前提に中野梓本人の行動が伴っていないといけない、そう考えていたのだ。

……しかし、今になって状況が変わってきた。


鈴木純は気づいている。

『再会してからの』平沢憂は、中野梓に好意を持っていることに気づいている。


それを単に、今まで見せなかった感情なのだと考える事も出来る。
しかし鈴木純にはそういう考えが出来なかった。付き合いの長い彼女には、平沢憂のそれが隠していた感情にも偽りの感情にも見えなかったのだ。
むしろその相違点が、以前の平沢憂と今の平沢憂が本人の言葉通りに『別人』であるということの裏付けのように思えて仕方なかった。

平沢憂がやはり別人であるという推測。
そして『今の』二人は相思相愛であるという推測。

この二つの推測を前に、どう動けばいいのか。
人間ではない平沢憂の存在を定義付ける呼称に悩み、平沢憂と中野梓の関係に気を揉む彼女は、どう動くべきなのか。

純(いっそ、どっちかが間違った憶測だったらいいのにな…)

そう思いながらも、苦悩しながらも、やはり友人思いな彼女の口は真実を求めて事実を問う。

純「ねぇ、憂」

憂「ん? なに? 純ちゃん」

純「……梓のこと、好きなの?」

憂「ふえっ!?」

問われた憂の頬が一瞬にして赤く染まる。
問いに対する答え自体はそれを見れば一目瞭然だが、鈴木純の求めた答えはその先にある。

純「あのさ、憂…………いつから?」

憂「え? いつからって……そんなの、ずっと前からだよ…」

純「学生時代から?」

憂「うん」

「ちょっと恥ずかしいけど」と顔を俯かせるが、鈴木純はその答えに納得できなかった。
学生時代の平沢憂が、中野梓の寄せる好意に気づいていたか。そこまでは彼女にも断定は出来ない。
だが少なくとも平沢憂の側から恋愛的な好意を表に出すことはしなかった。あくまで親友として振舞っていた。
故に中野梓は一方的な想いを伝えることを良しとしなかったのだから。俗に言う『脈なし』だと判断したのだから。

結局、今の平沢憂の行動の変化は、やはり真相を求める彼女の推測の裏づけと成り得てしまうのだ。

純「……なんで高校の頃からアピールしなかったの?」

憂「……えっ?」

純「せっかく同じクラスだったのに。せっかく梓と同じギターを始めたのに。誰よりも近くにいたのに何もしなかったのはなんで?」

憂「……純、ちゃん…?」

純「……ゴメン、責めてるわけじゃないんだけど。でも思い出せない? 二人っきりの時とかあったでしょ?」

憂「………そう、だね。あったよ。あったはずなんだけど……」

純「……何もしてなかった?」

憂「………」

その沈黙は、鈴木純の推測を肯定してしまっていた。
またしても推測の裏づけを得てしまった彼女は、悲しげに眉尻を下げながら告げる。

純「……学生時代の憂は、梓のことを好きじゃなかったんだよ」

憂「っ!?」

純「少なくとも、恋愛対象として見てはいなかったんだと思う」

申し訳程度に『思う』と付けたものの、これ以外に可能性などないことは二人ともわかっていた。
『二人きりの時に何もしない』なんて、人目も憚らずに梓に触れ、微笑みかけ、自分の存在を積極的に見せ付ける今の平沢憂からは到底想像できないことだから。
だがそれでも納得できない憂は、純の二の腕を掴み、揺さぶる。

憂「なんでっ!? なんでそんなこと言うの!? そんなわけないよ!!」

純「っ……憂……」

憂「そんなわけない! そんなことがあっちゃいけない! だって……!」

人通りが少なくなってきたせいもあり、憂の悲痛な叫びが静かな駅構内に響き渡る。

憂「だって、梓ちゃんは! ずっと私を呼んでくれた! 好きだって、いないと寂しいって言ってくれた!」

純「憂っ…!」

憂「ずっと私を求めてくれた! そんな梓ちゃんのことを私が嫌いなわけないよ!! 好きじゃないわけがないよ!!!」

純「憂っ、声が大きいって…!」

梓に聞かれることを危惧した純が注意するも、聞き入れる様子はない。


憂「……梓ちゃんを好きじゃない私がいるっていうなら……殺してやるっ! そんなの、私が許さない!!」


純「ちょっ、落ち着きなさいってば――」

――そして、彼女が危惧していたことが現実となる。


梓「――憂っ!!」


4
最終更新:2012年04月02日 22:49