【#7】




――思わず駆け寄った。
あんな憂の声を聞いたのは初めてだった。駆け寄って、純を掴んでいた手を離させて引き剥がす。

……そんな光景だったからつい純に疑いの目を向けてしまうけど、純も純で辛そうな顔をしていたから何も言えなくなってしまい、憂に向き直る。

梓「……そんな物騒な言葉、憂の口からは聞きたくないよ」

瞳に涙を湛えた憂の手を握りながら、出来る限り優しく、諭すように言い聞かす。
どことなくいつもと逆な光景に思えるけど、放ってなんかおけない。

憂「………ごめん」

……何があったのかはわからないけど、こんな辛そうな憂は見たくない。憂だけじゃない、純も。なんとかしないと。
……ゴメンね純、ちょっとだけ大目に見て。

梓「…何があったの? 純が学歴のことでイジメた?」

純「こら」

憂「…あはは。そんなことはしないよ、純ちゃんは」

梓「そうだね。純はこんなんだけど、酷いやつじゃないもんね」

純「おい」

憂「……うん。ちゃんと、ちゃんと知ってるはずだよね、私達が、誰よりも」

梓「うん。純は人を悪く言ったりなんてしないよ、絶対に」

純「……なんか怒るに怒れない流れになってきた」

落ち着いたらしき憂が私の手を解き、純に一歩踏み出して向き合う。
……ちょっと温もりが心惜しいけど、流石にそんなこと言ってる状況じゃない。

憂「ごめんね、純ちゃん。ちゃんと最後まで聞くべきだった」

純「…ん、いや、私こそごめん。もっと気を遣った言い方するべきだった」

梓「……で、何の話だったの? あ、私が聞いちゃいけない話?」

憂の叫び声は聞こえていたけど、当然それまでの話なんて何も聞いてない。
いないほうがいい話だというなら席を外そう。内緒話って好きじゃないけど、この二人なら大丈夫だと思うし。

純「……梓がどこから聞いてたかによる、かな。もうこの場で全部ハッキリさせたほうがいい気もするし」

梓「……そういう話だったの? 憂」

憂「……うん。私は純ちゃんを信じてるよ」

さっきまでの話の流れはわからないけど、結果として動揺し、声を荒げた憂が今ではそう言う。
それなら私も信じるしかない。二人の視線に言葉で答える。

梓「……えっと、私が聞いたのは……そんなわけない!とか、憂が私を好きだとか、あと、こ、殺す…とか」

純「憂がボリューム上げてからほぼ全部聞かれてるね」

憂「うぅ……」

憂が赤くなる。可愛い。……じゃなくて。
やっぱり憂としても恥ずかしいのかな、「殺す」だなんて口走ってしまったこと。あんな物騒な言葉、さっきも言ったけど私も聞きたくなかったし。
「そんなわけない」については話が見えないからわからないし、「好き」については私の好きと憂の好きは違うはずだから。

梓「ま、まぁ憂が嫌だったなら忘れるから。ね?」

憂「え…っ?」

純と憂、両方の視線が集中する。え? 何?

梓「…恥ずかしかったんでしょ? 私に聞かれて」

憂「う、うん」

梓「じゃあ忘れるから、憂ももうあんなこと言わないように気をつけてね?」

憂「………っ」

あ、あれ? 憂が…泣きそうな顔をしてる? 
なんで? 私何か酷い事言った??

純「……ちょっと待った。ストップ。梓、あんた何の話してる?」

梓「へ? そりゃ、憂が殺すとかなんとか物騒なこと言ったから……」

憂「……へ?」

純「あー、うん、やっぱりか。話ズレてる、二人とも」

梓「へ?」

えっと、どういうこと?
憂の勘違い? それとも、私が何か間違ってた?

純「……ということは梓は気づいていないわけか。いや、そりゃ気づいてたら喜ぶだろうし。それに気づけないのも仕方ないか、諦めた側なんだし……」

なにやら意味のわからない言葉をブツブツ呟いている純。私も憂も置いてけぼりなんだけど……

梓「えーと、おーい、純? 何の話?」

純「ん、よし、決まった。順を追って解決していこうか」

梓「純だけに?」

純「うるさいよ」

ロクなツッコミもせず、純は私と憂の腕を掴んで強引に向き合わせた。
憂もイマイチ状況が掴めていないようだけど、逆らうつもりはないようだ。

純「とりあえず憂、さっきの梓の言葉は憂の物騒な発言に対してだから誤解しないように。よく考えたら最初に言ってたしね」

憂「う、うん。ごめんね梓ちゃん、もう言わないから」

梓「あ、うん…」

っていうか元々「そんな自分を殺す」だなんて言葉をどこで使うというのか。
いや、殺すって言葉自体使ってほしくないんだけどね。可愛い憂には似合わないよ。

純「んで、憂。どうやら梓は気づいてないみたいだから憂のほうから言わないといけないみたい」

梓「?」

憂「言うって……もしかして」

純「そのもしかよ」

梓「なにその日本語」

とりあえずツッコミは入れるけど状況は見えない。
とりあえず憂がまた顔を赤くしてて可愛いことくらいしか見えない。

純「まぁ、言葉としては聞いてるのに気づかないんだから行動で示すのもアリかもよ?」

憂「……で、でも…」

純「大丈夫。そりゃ緊張はするだろうけど、恐れることは何もないよ」

憂「う、うん」

梓「……なんかイイ事言ったっぽいのはわかるんだけど、何の話?」

純「梓は黙ってればいいの。この朴念仁」

梓「むっ……」

確かに何が何やらサッパリだけど、蚊帳の外なのは気に入らない。
いや、もちろん目の前で悪巧みなんてする二人じゃないから、信じて待てばいいとはわかるんだけど…ね。
っていうか朴念仁って……何が?

憂「あ、梓ちゃん!!」

梓「は、はい!?」

ちょっとだけ思考を巡らせようとしたところで、憂の大声で中断させられてしまう。
すごく真っ赤な顔をした憂は、その瞳になんかすごそうな決意を宿らせて口を開く。

憂「め、目を閉じて欲しいんだけど!」

梓「な、なんで?」

憂「なんででも! お願い!」

梓「わ、わかった……」

言われるまま目を閉じる。
何をされるんだろう、こっそり薄目開けてようかな、とか悩む間もなく。

唇に何かあたたかいものが押し付けられ、思わず目を開いてしまった。


憂「んっ……」


目の前にあったのは、同じように目を閉じて私に……キ、キスしてる??っぽい憂の顔。
え? 何?? どうして???

純「…おおう、一気に行ったねぇ」

憂「ん……」

押し付けられ、重ねられていた唇が離れていく。
状況を理解できない私の耳に、もう一つ、理解できない言葉が届く。

憂「あ、あの……梓ちゃんのこと、好き…だから。しちゃった……」

梓「………」


……何か、もう、あぁ、いいや。何が何だかわからないことだらけだけど、単純に可愛いなぁ、憂は。ははは……



純「――こらー、戻ってこーい、あずさー」

梓「んはっ」

純「……なんつー声出してんのよ」

梓「…いや、なんか幸せな夢を見ていたような気がする」

純「夢かどうかは、目の前の顔を見てから言ってやんなさい」

目の前? 目の前には……心配そうな顔をしつつも頬を染めた憂。
……頬を染めた? え?

梓「……まじ?」

憂「ま、まじだよ」

梓「…こほん。ほ、本当に? 憂が、私の事を??」

憂「ほ、本当だってば!」

梓「え、う、嬉しい……けど」

嬉しいけど……そうだ。そんなわけないんだ。
憂はいつだって、誰とでも公平に接してきた。私のことだって友人として支えてくれてた。
そう、あくまで友人として。そのはずだったのに……

純「……大丈夫だよ、梓」

梓「……純…?」

純「夢でも嘘でもない。本当の気持ちだよ、『憂』の」

訳知り顔な純の言葉が、なぜか私を安堵させる。
……いや、それも当然か。私だって嘘だなんて思いたくないんだ。両想いでいられるなら両想いのほうがいいに決まってる。
それに、こんな状況で嘘をつく親友なんて持った覚えはない。

憂「……梓ちゃん……」

梓「……憂。ごめん、ちょっと疑っちゃった」

憂「……ううん、仕方ないよ。純ちゃんとしてた話もそういうものだったから」

梓「そういうって、どういう……?」

純「ちゃんと後で説明するから。っていうか早く説明させてほしいから早くしてよ」

梓「早くって――」

何を――と言おうとしたら、ちょっと睨みをきかせたような純のアイコンタクトを受けた。
私から憂に視線を動かすアイコンタクト。それを受けて、私は肝心な言葉を何も言っていないことを思い出す。
心なしか、目の前の憂も不安そうに身を縮こまらせているように見えてくる。いや、本当にそうでもおかしくないんだ。私のバカ。

梓「……憂。あのね…」

憂「……うん」

梓「…憂のこと、ずっと好きだった。気づいた時には好きになってた。なのに言えなかった…」

憂「っ……」

梓「そんな私で良ければ……その、こ、恋人に…なってくれませんか?」

憂「…っ、は、はい……」

梓「……?」

肯定の返事は貰えたけど、なんかちょっと歯切れが悪い憂。また何か私が変なことを言ったのかな…?

純「……ほれっ」ドンッ

憂「ひゃっ!?」

梓「っと! あ、危ないじゃない、純!!」

純に突き飛ばされた憂を抱き止める。私のほうが身長は低いけど、憂が倒れ掛かってくるような形になったのでどうにか胸に収まった。
純に抗議の視線を向けるも、それはより深刻な視線でかき消された。

純「……それが恋人の距離でしょ。んで、次は私の話だから。そのまま聞いて」

梓「…そのまま、って?」

純「そのまま。私が何を言っても恋人の距離のままでいて。お願い」

梓「う、うん……」

珍しく真剣な純の声と、憂が不安げに背中に回してきた手。
それらがもたらす不吉な予感に負けないように、胸の中の恋人をもう一度ちゃんと抱き締めた。




【#8】


純「――まず、さっきの憂にも最初に言っておくべきだったのは、私も梓も『憂』の味方だよ、ってこと」

憂「……うん。わかってる。信じてるもん」

純「ありがと。でもね、やっぱりちゃんと言葉にしておくべきだったんだ」

憂「……純ちゃん…」

純「『平沢 憂』は、今ここに一人しかいないんだからね」

梓「……どういうこと?」

純「『今』はここにしかいなくても、他にも『平沢 憂』は存在した、って可能性が高いってこと」

梓「……憂が、複数いた、ってこと?」

純「まぁ、クローンみたいなもの、って憂本人も言ってたから、そこは梓も納得してるでしょ?」

梓「………」

考えないようにしてきたけど、憂の言ったことを疑う理由はない。
でもクローンといえば、マンガとかではあれだ、培養層の中で育ったとか試験管ベイビーとか、そんな感じのもののはず。

梓「…憂、そんな記憶があったりするの? クローンとして作られた、みたいな…」

胸の中で首を振る。表情は見せてくれないけど、見たくもない。

梓「……純」

純「うん。憂の記憶については憂の言う通りなんだと思う。っていうか疑ってちゃキリがないし、疑う理由もないでしょ」

梓「まぁ、そうだけど」

純「だから憂の記憶通り、『平沢 憂』はああなってその後ああなってここにいる、ってワケ」

言葉にはしなかったけど、一度事故で死んで、そして……私の未練か何かで戻ってきた。
いや、私が求めた、って憂は言ったっけ。とりあえず、憂が電車の中で言った記憶についてはそういうことだったはず。

純「作られた記憶であることを疑うことも出来るけど、それだと梓の声が聞こえてたのが説明できない。っていうかぶっちゃけいろいろ説明できない。だから結局、科学じゃなくてオカルトなんだと思う」

オカルト。超常現象。私達常人の理解の及ばない範囲の非科学的な出来事。

梓「オカルトな……もう一人の憂?」

純「そう。ほぼ同じ存在の、ね」

ほぼ、というのが気になったけど、なんかそういうの、表現する言葉があったような気がする。
しっくりくるというか、現状に当て嵌まるというか。そんな言葉が。単語が。現象が。


純「……もう一人の自分。見た目も全く同じ、ちゃんと自分の意識を持って人間のように歩き回るオカルト」


どこからどう見ても同じ、もう一人の自分。他の誰にも見分けがつかない、影ですらない自分の影。
世間一般的にオカルトに属する、そういう存在。


それは……


純「……ドッペルゲンガー。そう言うのが一番近いと思う」



……ドッペルゲンガー。意味は…なんだったっけ。まぁどうでもいいや。
とりあえずオカルトで、人間じゃなくて、そんな存在。自分の恋人がそんなものだと言われて黙っていられる人なんていないだろう。

……相手が純でなければ。
ちゃんと最初に『憂』の味方だと言ってくれた純でなければ。

梓「……それで? 結局何が言いたいの?」

震える憂を抱きしめ、頭を撫でながらなるべく穏やかに聞こえるように問う。
憂の恋人として、そして純の親友として、私はそうしなくてはいけないしそうしてあげたい。

純「……それだけだよ。前の憂とはやっぱり別人なワケ」

別人。その純の言葉と表情、そして憂の震え。それら全ては結局、私にとって辛い現実を突きつけているということだけを意味している。両想いだと浮かれる前に向き合うべき現実があるということを意味している。

つまり、憂の私に対する好意の変化について。
私が察していた通り、『以前の』憂は私の事を特別視なんてしていなくて、『今の』憂は特別視してくれている。だから別人だ、ということ。

……つまり、今の私達が両想いなのは、私が憂を振り向かせたとかそういう青春な話ではなくて。
そこには単純に『別人だから』という面白くも何ともない理由しかない。

見た目も、話した感じも、雰囲気も記憶も、何もかもがどう見ても憂だけど、やっぱり別人だと純は言うんだ。

でも。
以前と今で『違い』があるから別人だ、と言われても、純の理論は『以前の憂』と『今の憂』として、『平沢 憂』は複数存在した、というものだった。
つまり。

梓「……それでも、憂なんでしょ?」

純「うん。憂じゃないけど憂なんだと私も思う」

そうだ。どう見ても憂なんだ。何もかもが憂なんだ。心も身体も記憶も、形作るもの全てが。
全てが、私の求めた憂。私がもう一度会いたいと願った憂そのままなんだ。
私の事が好きだというたった一つの小さな違いがあるだけで、大切で大好きな『憂』を否定なんて出来るわけがないししたくない。
だから私は、彼女のことをこれからも憂と呼ぶ。純も同じ想いだから味方だと言うし憂と呼ぶんだろう。

梓「なら何も問題なんてないよ」

純「それをわかった上でそう言うなら、私から言う事も何もないよ」

姿も、心も、思考も感情も、全てが『憂』と呼べるものなら、私には何も問題はない。
私が好きになった憂は、私を好きな憂じゃない。私が好きになったトコロが何も変わってないのなら、それだけで私は充分。
たとえ憂が人間でも動物でも宇宙人でもオカルトでも、愛せる自信はある。

梓「ありがとね、純。心配してくれたんだよね」

純「……ん、まぁ、最近の梓は危なっかしいからね」

梓「…もう、大丈夫だよ」

純「そうじゃないと困るよ。恋人が出来たんだから、そろそろちゃんとしてくれないと」

梓「手厳しいなぁ」

純「頑張りなよ、無職さん」

梓「…はいはい」


……心配も応援もしてくれる、本当にいい親友を持ったと思うよ、私は。


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最終更新:2012年04月02日 22:51