純「……ところであんたら、いつまで抱き合ってるの?」
梓「うひゃぁっ!? ご、ごめん憂!!」
憂「あっ……」
もたれかかるような姿勢だった憂を押し返して立たせるようにしながら離れる。
……ちょっとやり方が冷たかったかな? 憂が寂しそうな顔をしてるけど…で、でも、冷静に考えたら凄く恥ずかしいし!
純「そんな過剰に気にするほどのものでもないでしょ、女同士だし」
梓「そ、それでも人の目とかあるし! 長時間すぎだし! そ、それに……抱きしめる側は、あまり慣れてないし……」
って何恥ずかしいこと言ってるんだ私はーー!!!
憂「あ、梓ちゃん……なんか…ごめん、ね?」
梓「い、いや、憂は悪くないし! 嬉しかったし!」
憂「え? う、うん……」
梓「あっ、いや、その、今のは、えっと……」
憂「わ、わかってるよ! 私も嬉しかったし!」
梓「そ、そう?」
憂「う、うん……」
梓「じゃ、じゃあいいのかな……」
憂「…いいんじゃないかな……」
梓「そっか……」
憂「………///」
梓「………///」
純「いやぁ、青春だねぇ。恋愛だねぇ。うんうん」
きっと真っ赤な顔をしている私と、実際目の前で真っ赤な顔をした憂を見て純がしたり顔で何か言っている。
って、あれ?
梓「……よく考えたら悪いのは憂を突き飛ばした純じゃん!!」
憂「そ、そうだよっ!!」
純「いーじゃんいーじゃん。お互いイイ思いしたんでしょ?」
梓「うっ」
憂「それは……」
それは……否定できない。
それに憂のことをずっと遠くから眺めているだけだった私じゃ、積極的に抱きしめるとか抱きつくとか、そういうのはやりづらそうだし……
まぁ、なんというか、刺激的というか、今になって思えばイイ時間だったのは否定できない。純の話に耳を傾けていないで憂のほうに全神経を集中していればよかったと思うほど。
……そして、たぶん憂も同じように思ってくれてる。それも嬉しい。
純「ね? コイビトっていいもんでしょ?」
……純に丸め込まれた私達二人は、ちょっとだけ視線を交わしてから真っ赤な顔で頷くしかできなかった。
【#9】
――それからは慌しい日々が続いた。
新居に着き、管理人さんに挨拶をしたら3人で住むことは了承してもらえた。
特に家賃が上がるようなこともない上、一人暮らしとしては充分すぎる2Kの部屋だったけどさすがに3人もいると手狭になってしまうからいろいろ考えた。
夜は一番広い部屋で布団を敷いて雑魚寝にしよう、とまず純が提案する。
そこをリビング兼寝室にして、残り一つの部屋に私物をいろいろ詰め込もうということだ。場合によってはキッチンのスペースにまで。
プライベートな空間はほとんど無くなるけど、物置のようなその部屋は一応純の個室ということになった。本当に一応程度に。
やっぱり私と憂は純の生活を侵食しているという事実に気後れしたけど、そこは終始純に押し切られる形になった。
純の実家から郵送されてきた荷物を配置したり、足りないものは買い出しに行ったり、そしてなにより私は当面の生活費と純に渡すお金を稼ぐ為にアルバイトを探したり。本当にすることは山積みだった。
――そして訪れた新年度。
純「――んじゃ私は行ってくるけど……」
大学が始まり、数日後。
新しい環境ゆえの朝の慌しさも無くなりつつある純が私に視線を向ける。
梓「……あー、緊張するなぁ…」
純「…梓、大丈夫?」
梓「…大丈夫だよ。緊張するけど、それだけだよ。純は早く行きなって」
純「はいはい。頑張りなよ?」
梓「わかってるって」
手提げ一つで軽やかに出て行く純は、なんというか悔しいけど大学生っぽい。
適当に手を振って見送り、次は私の番か、なんて、よくわからないけどかっこよさそうなセリフを呟いてみたりする。
そう、今日は私のこっちでの初バイトの日。バイト先はなんてことのない近くのコンビニだけど、一人ぼっちだしそもそも知らない地なので充分プレッシャーというか、緊張の材料だ。澪先輩のようにうずくまったりはしないけど。
梓「………」
……今頃、先輩達はどうしているのだろうか、とふと思う。
あの頃の落ち込んでいる私に、何度か電話をかけてきてくれたような記憶はある。鳴り響くコール音だけは記憶にある。
もっとも、あの時の私が携帯電話を手に取るはずもなく。そして電池が切れたからといって充電するわけもなく。そのままずっと携帯電話は眠っていたし、私はそれで何も困らなかった。
……今思えばよく卒業できたなぁ、あの時の私。どれだけ周りの人に迷惑をかけたんだろう。二人の後輩には情けない先輩と思われたかな。先生には迷惑な生徒と思われっぱなしだったかな……
……まぁ、そうやって振り返れるのも、あの日に私を助けてくれた純と、そして……
憂「……頑張ってね、梓ちゃん」
梓「うん」
そして『ドッペルゲンガー』とはいえ、憂がいてくれるから。
憂が家で私の帰りを待っている。それだけで頑張れる。
……いつか純に、あの頃の事を聞こう。
でもそのためにも、今は私のやるべきことをやらないといけない。すなわち……アルバイトだ。
よし、と改めて気合を入れた私の服の裾が摘まれる。
純が出ていった今、憂しかいないのは振り向かずともわかるんだけど、そんなことをされたら振り向かないわけにはいかない。
そして、その行動の弱々しさから予想できた伏し目がちの憂と対面する。
憂「ごめんね、私も働けたら良かったんだけど……」
この数日でわかったこと。それは、憂は働く事が出来ない、ということ。
でも、憂は何も悪くなんてない。事情が事情だったんだ。強いて言うなら……
梓「……仕方ないよ、それは」
そう、それは仕方ないことなんだ――
……元々、憂も私と同じように純の家に厄介になる立場。その分お金を入れようとして、そのために一緒にアルバイトを探したことはある。
ただ、コンビニのアルバイト募集を見て履歴書を書こうと筆をとった時……
……
………
憂「……私、普通に書いていいのかな?」
梓「え?」
憂「だって、私は……」
梓「……ああっ!?」
すっかり失念していた……というか、考えたこともなかったけど、そうだ、戸籍上は『
平沢 憂』は死んでいるんだ。
部屋を借りる時は運よく純の名義だけで良かったけど、アルバイトとなるとそうはいかない。住所、保護者の存在を確かめられるかもしれないし、そもそも名前で気づかれるかもしれない。
後者は稀だけど、前者のような最低限の確認くらいは求められてもおかしくない。
というか、もしかしたら部屋を借りる時に何も言われなかったのも、純か純のご両親の口利きがあったのかもしれない。
要するに、今まで何事も無かったのはただの幸運。そしてこの先、そんな幸運だけに縋って乗り切れるような事は滅多にないだろう。
……つまり、基本的に『故人』となっている憂の居場所は……この社会には、あまりにも少ないと考えたほうがいい。
就職も進学も、アルバイトすらもおそらく今の憂には叶わないんだ。もっと言うなら『平沢 憂』という名であることさえ……
梓「………」
それがどれだけ肩身が狭いことなのか、私には想像すらつかない。そんな不自由、私の想像の範疇を超えている。
憂「………」
けど、その現実によって憂が打ちひしがれ、青ざめているという事実を前にして何もしないわけにはいかなかった。
誰だってそう思うだろうけど、真っ先に動かなければいけないのは恋人である私の義務。
梓「……憂」
憂「…梓ちゃん?」
そっと憂の手を包み、目を見つめて囁く。これは恋人の権利。
本来なら抱き締めたりするべきなのかもしれないけど、この前みたいな状態でもない限り私のほうが背が低くてイマイチ格好つかないし……それに、なかなか勇気がいるし。
もちろん、勇気がどうとか言っていられる状況じゃないときは迷わないつもりだけど。でも今はきっと行動よりも言葉が必要なはず。
梓「……ごめんね、憂」
憂「……え?」
梓「…また、憂に家事ばかりを押し付けることになっちゃうかも」
事情が事情だし、無理して働かなくていいよと本当なら言いたいけど、そう伝えたところで憂の表情が晴れるわけがないのは明白だから。
だから、大学とアルバイトで家にいない私達の分の家事を私達からお願いする。その分、憂の家賃は免除、あるいは私が出す。
そういう体裁を装うことにしよう、と。そう暗に伝えたかったんだけど、わかってくれるかな…?
憂「……それで、いいの?」
梓「うん。純も説得してみせるから」
憂「…純ちゃんなら、事情は汲んでくれそうだけど」
梓「もちろんそれならそれでいいよ。でももし万が一の事があったとしても私が何とかする」
だって、私は憂と一緒にいたいから。お互い気後れしない、心休まる時間を過ごしたいから。
だって、私は憂の恋人だから。だから、
梓「憂のことは、私が守るから」
………
……
……とまぁ、そんな恥ずかしい事を真顔で言っちゃった日もあったわけだけど。純も憂の言った通り、二つ返事で了承してくれたわけだけど。
それでもその時から気持ちは何一つ変わってない。だから憂にも負い目を感じて欲しくない。
梓「……言ったでしょ? 役割分担だってば。憂こそ…つらくない?」
憂「家事自体は慣れてるから。梓ちゃんこそ……」
梓「私だって、バイトくらいで抵抗は感じないよ。それが憂のためになるなら尚更」
憂「私も、梓ちゃんのために部屋はいつも綺麗にしておくから!」
梓「……うん、きっとそれでいいんだよね」
憂「えっ?」
梓「お互いにお互いを想ってやってることなんだから、私も憂も胸を張らないといけないんだよ、きっと」
相手の為に、相手が気負うことがないようにと頑張る。
それはとても尊い感情のはずなんだ。尊い意思のはずなんだ。
憂「……そっか。「押し付けてごめんね」なんて言い方は、相手の気持ちを踏み躙るようなものなんだね」
梓「うん。私達は二人とも嫌々やってるわけじゃない。ちゃんと相手を好きだから代わりにやってるんだ、って」
互いに負い目を感じるんじゃなくて、互いを思い遣りたい。
きっと世間の夫婦というものも、そういう風に成り立っているんだと思うから。
……って、夫婦に例えるなんて私……なんか、もう、だいぶ舞い上がってるというか、思い上がってない!?
憂「……? 梓ちゃん、顔赤いよ?」
梓「な、なんでもないですよ!?」
憂「なんで敬語?」
梓「バイトのための特訓だよ」
憂「そ、そう?」
梓「うん。じゃあ行ってくるね!」
憂「いってらっしゃい。がんばってね」
憂の声を背にドアを開け、一度だけ振り返る。そこにはもちろん、笑顔で手を振る憂の姿がある。
……やっぱ新婚夫婦みたいじゃないかな、これ。
【#10】
◆
純「――えー、そうなの?」
「そうだって。超マジ。今度一緒に行かない?」
純「んー、ヒマな時ならね。基本的に忙しいの、私」
「えー? 彼氏?」
純「それは禁句」
「あっはっは」
……
鈴木純は不思議な個性を持っている。
基本的には『世渡りが上手い』部類に入るだろうか。滅多に敵を作らず、一部の親密な関係の友人と、浅く広く接する友人の二種類をちゃんと持っている。
彼女の対人対話能力の高さは折り紙つきだ。事実、ここの大学でも既に広く浅く多くの友人を作っている。
平沢憂のように技術、能力に秀でていて、それでいてそれらを鼻にかけない人間性から好かれるわけでもなく。
中野梓のように真摯に物事に打ち込む健気な姿勢を応援されながら好かれ、見守られるわけでもなく。
二人に比べ一見してわかるほどの長所は無いにも拘らず、二人と変わらぬ輝きを放っていた。それが鈴木純という少女だ。
話せばわかる不思議な魅力を持ち、それでいて話すことを苦と思わせない態度と取っ付き易さも併せ持つ。それらは決して相手に壁を作らせずに言葉を引き出す。
それを誰に対しても行え、そして実際に誰に対してでも行う。その行動力までもを含めた個性が、彼女の彼女たる所以なのだ。
そうして中学時代と高校時代を過ごし、その中で特に息の合う友人を見つけていく。それが彼女のやり方『だった』。
彼女は大学ではそんな位置の友人を作るつもりはない。既に目の離せない大事な友を二人も抱えているから。
勿論それは人付き合いに優劣をつけ、優先順位を考えて行動するということになるのだが、相手にそれを匂わせず可能な範囲で適宜補っていく器用さも彼女の長所だ。
ともあれ、そんな世渡り上手な彼女は大学生活も上手く乗り切っていくのだろう。
本人にその自覚はないが、彼女をよく知る親友二人はその点は心配していない。
純「……ん、と……」
……だが、彼女はそんな二人のことが心配でたまらない。
彼女は暇を見つけては動き回っている。大学の設備と人の多さ、そして自分の交友範囲の広さ。それら全てを活用して情報を集め続けている。
親友二人の幸せのために。彼女自身の願いのために。彼女は今日も駆け回り、捜し求める。
――『ドッペルゲンガー』についての情報を。
最終更新:2012年04月02日 22:52