【#12】
――アルバイトを始めてから二週間くらい経った頃。
私と憂の仲は実にゆっくりと進展していて、ようやくデートで『自然に』手を繋げたくらい。
……デートとハッキリと口にしたわけではないし、手も自然に繋げたような『気がする』って程度に私の主観に満ち溢れたものだけど。
帰宅後の純のいない時間はいろいろなことを試してみた。自分の本当にやりたいこと、それを探して。
憂も一緒にいろいろ真剣に考えてくれて、そのせいかこの前みたいに異様なほどキスしたい衝動に駆られることは無かった。
……少しくらいならいつも思ってるんだけどね。でもタイミングが掴めません。
純が帰宅したらお風呂に順に入ったりみんなでご飯を食べたりしながらしょうもない雑談に花を咲かせる。
純が大学で仕入れたくだらないネタとか、憂がテレビで見かけた豆知識とか、私が見聞きしたコンビニ周辺の事情とか。三者三様の過ごし方をしているから同調することが難しい反面ネタは尽きることがない。
そうして適当に喋って、適当に切り上げてみんなで一緒に寝る。そんな夜が過ごせることを誰よりも純に感謝する。滅多に言葉にはしないけど。
アルバイトの休みは極力土日に貰おうとしてるけど、どうしてもズレてしまうときもある。そういう時は憂と二人っきりの純にヤキモチを焼きかけたり、でもそのぶん純が大学に行ってる日に一日中憂と一緒に居られたりして。
で、純が帰ってきたらからかわれる。からかいの中に、私達二人を見守る優しさを覗かせながら。
そんな『日常』にようやく馴染み始めた頃、私達は少しずつ、それぞれが向き合わなければいけないものを意識していく。
梓「――ただいまー。……ういー?」
『いつものように』アルバイトを終えて帰宅したはいいけど、今日は憂のお出迎えがない。
疑問に思いながらも靴を脱ぎ、奥の部屋へと歩を進めると。
憂「……すぅ……ん…」
テーブルに突っ伏して眠る憂の姿があった。
暖かくなってくる季節だし、風邪をひくことはないと思うけど……それよりも憂の居眠りは単純に珍しかった。
梓「……疲れてるのかな…?」
「たまには代わりにやろうか?」なんて言うわけにはいかない。憂に変な気を遣わせてしまう。
でも、疲れてるなら労わってあげたい。例えば憂が私を毎日見送って、出迎えてくれるように。憂を好きな私になら出来る事が何かあるはず。
……一緒に料理するとか、たまには外食するとか、いろいろ方法はあるはず。考えておこう。
それにしても……
梓「……可愛い」
寝食を共にしている以上、寝顔自体は見ているしきっと見られていると思うんだけど、そういう時に見る顔よりもどこか可愛く見えるのは居眠りを眺めてるというシチュエーションのせいかな。
……寝てる間に唇を奪うなんてしないよ。ホントだよ。
梓「………」
というわけで(?)、そっと頭を撫でてみる。
髪に触れるというのではなく、頭を優しく撫でるだけ。髪に触れるのは……こう、ちょっとやらしい意味を含む時もあるって聞いたし。
というわけで束ねた髪に触れない範囲で頭頂部周辺をなでなでと、三度くらい往復した時だった。
憂「……っ…ん…?」
梓「あ、ごめん、起こしちゃった?」
憂「…あずさ…ちゃん?」
頭を起こし、私の顔を見てから周囲を見渡して、壁にかけられた時計に目をやる。
ちなみにこの時計は純の部屋にあったものらしい。どうでもいいけど。
憂「……ごめん、寝ちゃってた…」
梓「いいよ、そういう日もあるって。私としては珍しいものが見れて嬉しかったし」
憂「……何かヘンなことした?」
梓「してないよ!?」
あはは、といつものように笑う憂。よかった、特別何かがあったわけではなさそうだ。
梓「……もうちょっと寝ててもいいよ? 静かにしとくから」
憂「ううん、梓ちゃんが帰ってきたなら起きないと」
梓「ん……えっと、何て言うか――」
憂「あ、そういう意味じゃないんだよ? 寝てたのも…ちょっと、退屈すぎてだったし」
「疲れてるんでしょ?」とは言い出せなかった私の先を読んで憂が告げる。
無理をさせてるわけじゃなかったことには安心するけど……
梓「退屈……?」
憂「うん……テレビ見るくらいしかすることなくて」
梓「そっか……」
唯先輩を起こして家事をしたり、お母さんを起こして家事をしたりしてから学校へ行く。帰ってからも手早く夕食の準備をしたりするのと平行して勉強もこなす。
そんな生活サイクルを繰り返していた憂は、きっと手早く家事を済ませるコツを心得ているんだと思う。
でも今となってはそれ故に時間が余ってしまって、退屈で寂しい時間を過ごしてしまっている。そしてそんな時間を感じるくらいなら働きたい、と思っている可能性も否めない。
……そしてそれは、もう一度憂が私に『働かせている』という負い目を抱いてしまう可能性を示している。
それでなくとも、退屈と思ってしまうような毎日では憂が可哀相だ。憂にも充実した毎日を送ってもらいたい。
でも、なんとかしようにも私はアルバイトで家にいない。私達の当面の問題はそこかもしれない。
……しかし私は、それの答えをもう持ってるような気がする。
梓「……憂はさ、したいこととかないの?」
憂「……梓ちゃんと一緒にいたい」
か、可愛いなぁもう!
梓「ってそうじゃなくって、ね? 将来の夢とかそういうの」
憂「……梓ちゃんのお嫁さん」
あーーーもーーー可愛いなあああぁ!!
梓「って、ワザとやってない?」
憂「えへへ♪」
梓「もう、マジメな話なんだから……」
憂「ごめんごめん。でもマジメにそう思ってるよ?」
梓「私だってそう思ってるけど…でもそういう話じゃなくて」
憂「うん……梓ちゃんは、やっぱり音楽?」
梓「…そうだね。やっぱりギターの練習をしてるときが一番頑張ってるって感じがするし」
料理、勉強、運動、読書やオシャレ。憂と一緒にいろいろしてみたけど、やっぱりギターが一番性に合ってるらしい。
小学生のころからやってきた事が身体に染み付いてるだけかもしれないけど、それでも私はその瞬間が一番満ち足りている感覚がある。
梓「憂は、そういうのなかった? 私と一緒にやってるときに」
憂「……わかんない。梓ちゃんが喜んでるのが一番嬉しいよ、私も」
梓「……憂は生粋のお世話体質だよね。嬉しい言葉ではあるんだけど」
きっと唯先輩やご両親にもそんなノリで世話を焼いていたのだろう。
面倒見がいいという憂の長所がそこから来ているのはいいことだと思うけど、自分のことはどうなのか、という心配もたまにしてしまう。
唯先輩やご両親がいた時は、逆に私や純との時間を自分らしくいられる息抜きの時間として使ってくれてたと思ってたんだけど。
……あぁ、そっか、結局は私がしっかりしてないからこうなっちゃうわけだ。
でも大丈夫。少なくともこの件に関しては、もう憂の手間は取らせない。
梓「私は、しばらくは音楽の道を追ってみようと思うよ」
憂「……やっぱり、それが夢ってこと?」
梓「そうなるかな。それに、やっぱりそれが私らしいと思うし」
そう断言すると、ある程度予想していた答えが憂の口から漏れる。
憂「……いいなぁ」
その一言には、きっと私の想像より多くの意味が込められている。
でもおそらく一番重い意味は、憂がどこかで『自分は夢を追う事は許されない』と思ってしまっていることじゃないか、と思う。
……ドッペルゲンガーだから、働けもしない存在だから、人並みの夢を見ることは許されないのだと諦めてしまっている。
もしかしたらその諦念の先で、自分の夢も見失ってしまったのかもしれない。
頑張る私を見続けることで、自分のことから目を逸らし続けていたのかもしれない。
……そんな憂に、今一度本来の夢を思い出して、なんて言ったところで無駄だろう。
でも、そんなこと言う必要さえないんだけどね。
梓「じゃあ、憂も憂の夢を追おうよ」
憂「…え…っ? で、でも……」
梓「私は知ってるよ、憂の夢」
憂「え――ひゃっ!?」
疑問符を浮かべてばかりの憂を、意を決して抱き寄せる。
胸で受け止めるっていう格好にならないのはやっぱりちょっとカッコ悪いけど、それでも想いは伝わるはず。
そこからさらに右手を伸ばして、憂の後頭部にそっと添えてから囁く。
梓「……憂は、私と一緒に居たいんでしょ?」
憂「っ……」
梓「ちょっとズルいけど、二人の夢にしちゃおうよ、音楽」
憂「……そうすれば…ずっと一緒にいられるから?」
梓「うん。憂の夢と私の夢、そして二人の夢。三つ全部を同時に追える、素敵な方法だと思わない?」
憂「ん………あれ? でもその場合、梓ちゃんの夢って…?」
あー、言わせますか、それ。ちょっとは匂わせたのに察してくれないんですか、憂さん。
それとも……聞きたくてしょうがないのかな。私の口から、ちゃんと言葉にして。
梓「……憂と一緒にいたい。憂のお嫁さんになりたい。……そんなところ、かな」
憂「っ…!」
梓「……だめ?」
憂「……だめなわけ、ない…っ!」
言葉と同時に、今度は憂のほうから抱き締められる。というか密着した状態から逆に力を入れられた。ぎゅっと、憂らしくないほどに力強く。
いつもの憂の気遣いはそこにはなくて、ただただ私を離さないように、離したくないという想いだけを込めるかのように腕が私を締めつける。
正直少し驚いたし、痛くないわけじゃないけど。それよりも嬉しかった。嬉しくないわけがなかった。その力の強さが、そのまま憂の私に対する想いの強さなのだから。
憂「……好き。だいすき、梓ちゃんっ…!」
梓「憂……んっ!?」
憂「っ…ちゅ、っ……」
……憂を安堵させることが出来た喜びに浸っていると、唐突に憂のほうからキスされた。
憂との2度目のキス。あたたかい時間。1度目よりもちょっとだけ長く唇を重ね合って、してきた時と同じように憂のほうから離れる。
憂「……えへへ。ごめんね、つい……したくなっちゃって」
梓「っ……///」
……まぁ、その気持ちはわかるよ。私もこの前、キスしたくてしょうがなかったし。
うん、気持ちはよくわかるんだけど、私のほうばかりされっぱなしというのは…ちょっと悔しい、かな。
悔しいといっても幸せだし憂が可愛いから別にいいんだけど。でも心の中で純に文句だけは言っておいた。
◆
純(――なんかどこかで八つ当たりされたような気がする!)キュピーン
「? どうしました? 鈴木さん」
純「あ、いえ、なんでもないです、教授」
「そうですか」
最終更新:2012年04月02日 22:56