憂「や、やり直しっ! もう一回!!」
梓「あ、あはは……気持ちはわかるけど」
私の手元には、頬にキスされてらしくないほど驚いている憂の写真……がたくさんシールになっている。
もちろん写真の中の私もとんでもないことをしているわけで、恥ずかしがる気持ちはよーくわかる。こんな写真、誰かに見られたら飛び降りてやる。
けど、まぁ、見られなければいいわけだし。二人きりの秘密としては及第点じゃないかな。
梓「恋人としてはいい思い出だよ。ね?」
憂「全然よくないよっ!!」
梓「そ、そんなに?」
憂「そうだよっ! せっかく梓ちゃんからキスしてくれたのに!」
梓「……そっち?」
憂「そうだよぉ……もっと、ロマンティックというか、ムードが欲しかった……」
……確かに、ちゃんと初めて私からしたキスがサプライズキスというのはちょっと配慮が足りなかったかもしれない。
でも初めてだったからこその驚きだとも言えるわけで……
梓「……く、唇にするときはちゃんと言うから……ね?」
憂「………ホントに?」
梓「うん、ホントに。頑張る」
憂「……絶対だよ?」
梓「はい……絶対忘れません」
憂「…待ってるからね?」
梓「……なるべく急ぎます」
憂「じゃあ…いいよ。許してあげる」
言い分とは裏腹にとても嬉しそうに笑うから、私も返せる言葉がない。
でも……そうだ、私はその笑顔が見たかったんだ。そういう意味では全て上手くいった。
梓「ねぇ、憂」
憂「ん? なぁに?」
上手くいった今なら、告げることができるよね。
梓「……言うよ。私達が隠してる事」
憂「っ!? な、なんで今……」
梓「……今なら、憂に信じてもらえると思うから。隠し事をしても、それでもこうして憂と上手くやれるって証明できた今なら、憂は私の言うことを信じてくれると思うから」
もちろん言葉通りの意味じゃない。憂は私の言う言葉自体を疑いはしない。
憂が疑うのは、その裏で私が無理してるんじゃないか、ということ。自分が背負わせているものが重荷なんじゃないか、と。
憂は自分を責めすぎる。それは家での会話からも明らかだ。きっと自分が他の人と違うってことがずっと胸の奥にあるからだと思うけど。
だから私は憂を笑わせようとしたんだ。
憂に関する事全てが、私にとって重荷じゃないと証明するために。
仮に重荷だとしても、それを抱えてなお憂を笑顔にしたいと思ってる私のことを信じてもらうために。
そして、そこまで全部言葉にしなくてもわかってくれるくらいには憂は聡くて、私の事をわかってくれている。
憂「……そっか、そうだね。梓ちゃんは強くなったんだね」
梓「…憂のためだからだよ。そして、憂がいてくれるから」
そう、全てはそんな憂のため。そんな憂がいてくれるから。
梓「……だから、憂がいなくなった時は、何も出来なかった――」
全て、語った。
憂がいなくなり失意の底にいたこと。就職も進学もしなかったこと。純が助けてくれたこと。同じように唯先輩を失った澪先輩達も落ち込んでいたであろう事。そして、この前の電話で誘われたこと。
全て、包み隠さずに。
憂「……本当に、断るつもりなの?」
梓「……少なくとも今はそのつもり。先輩達にも心配と迷惑かけたのは確かだから、そこを突かれたら断りきれるかわからないけど……」
例えば、目の前で泣かれたりしたら。土下座されたり縋られたりしたら、さすがにそんな先輩達を無碍にできる自信はない。
でもだからといって簡単に流されてしまうつもりもない。憂を好きという気持ちだけは何があっても譲れないから。
だからもしそうなったら悩んで、考えて、ちょうどいい落とし所を探そうとすると思う。どんな形になるかは想像もつかないけど……
憂「……気遣うようなこと、言って欲しくないんだよね?」
梓「…そうだね。憂が隣に居てくれれば、それでいいよ」
憂「……正直に言うと、気持ちがね、半分半分くらいなんだ」
梓「半々?」
憂「うん。梓ちゃんが私を悪くないって言ってくれたのも理解してる。でもその上でもやっぱり原因は私だから、っていう気持ちが半分。それと……」
語りながら、私にもたれかかるように腕に抱きついてきて。
憂「……本当に、本当に心の底から好かれてるんだなぁって、嬉しい気持ち。いろいろあっても揺らがないその気持ちは、すっごく安心できて、すっごく嬉しい」
「いろいろあった本人からみれば微妙な気持ちかもしれないけど」と付け加えてくれるけど、そんなことはない。
悩んで、苦しんで、悲しんで、それは確かに辛い記憶だけど、そんなものでも憂が喜んでくれるならそれでいいかと思えてしまう。それくらいには憂が好きだから。
それに憂は罪悪感を捨て切れていない。私の力不足とも言えるけど、それは憂の優しさでもある。私に完全に甘えきらないで私を気遣ってくれる優しさ。それに何度も助けられてきたんだ、私は。
案外、今のバランスが最善なのかもしれない。そう思わせてくれる程度には、私は……満たされている。
梓「……幸せだよ、憂。今が、すっごく」
憂「……私もだよ、梓ちゃん」
梓「……ふふっ」
憂「えへへ……」
……二人寄り添い、笑い合う。
この瞬間が幸せでなくて何だと言うのか。
【#16】
◆
――数刻前に家を出た
鈴木純はそのまま大学構内の図書館に足を運んでいた。
机の上に本とノートを広げ、右手でシャープペンシルを華麗に回転させながら左手でページをめくる。
純「……んー……」
読み終えたと思しき本は数冊積み上げられているが、ノートの方には文字が一切記されていない。白紙のままだ。
ちなみに本のタイトルは『オカルト科学分析』『都市伝説100選』のような胡散臭いものばかり。そもそも調べているモノがモノだから仕方ないのだが。
そう、言うまでもなく調べているモノは『ドッペルゲンガー』だ。
彼女の苦労も虚しく、聞き込みでは成果は上がらなかった。もっとも、体験したことのないものには想像すらつかない現象なのだから仕方ないとは言える。
だが勿論、だからといって諦める彼女でもない。故に次は書物を漁ることにした、というわけだ。
純「……あー、ダメだ。これもロクなこと書いてない」
周囲の迷惑にならぬ程度の声量でボヤき、本をもう一冊積み上げる。怪しい本は大体読み終えたことになるのだが、彼女にとって真新しい情報というのは皆無だった。
ドッペルゲンガー。聞いたことがない人はいないであろうその名称。だがそれ故にイメージはほぼ万人共通で凝り固まってしまっている。
そのイメージを書籍にしたのか、あるいは書籍から得たイメージが人々に浸透したのか。どちらが先にせよ、今や皆の知るドッペルゲンガーという定義から大きく外れた情報というのは転がっていないのだ。
ただでさえ人一倍サブカルチャーを好む鈴木純という少女にとっては尚の事。
それに加え、彼女が欲している情報はそういう一般認識程度の物ではない。
言葉の意味や由来、初出の推測、医学的分析などならいくらでも出てくるが、事実として直面している人間が欲しがるのはそういうものではない。
事実として直面している人間が欲しがるものは、事実として直面した場合の対処法なのだ。
しかし当然、オカルトや都市伝説に分類されているものにそのような項目が記されているはずがない。
こと現代社会において、『科学的に解明されていない事象』というものはそれだけで信憑性を欠くものとして定義される。故に書物などに記されることは稀である。場合によっては記すだけで罰せられるのだから。
もっとも、仮にそのような『信憑性を欠く』情報が手に入ったところでそれは眉唾物であり、何の保証もないことには変わりないのだが。
それでもそのような情報にすら縋らざるを得ないほどに未知のことなのだ。それが事実であり、そしてその事実を見つめているのは鈴木純、ただ一人。
純「……憂本人に聞いてみるしかないかな…期待できそうにないけど」
白紙のままの大学ノートを抱え、本を棚に戻しながら次にすべき行動について考える。
結局のところ、彼女が知りたい情報は言ってしまえば『人間との相違点』に尽きる。人間にとっては無害でもドッペルゲンガーであるが故に危険な存在などが仮に存在するとしたら決して近づけてはいけない。
彼女だって当然、再会した友人をみすみす失いたくはないのだ。だから知識を集めている。
平沢憂の身を守り、
中野梓と自らの心を守るために。
しかし、そのために必要な知識を平沢憂本人に聞いたところで有益な情報が得られるとも思っていない。彼女は自らの存在以上に大切なものを持っており、それしか目に入っていないように映るから。
それしか目に入れないようにして、自らが『違う』ということから目を逸らそうとしているようにさえ見えるから。
……もっとも、真っ当な人間でさえ様々なものから目を逸らして生きている。最も情報共有のしやすい『人間』という種族にありながら、この世の全ての危険を知識として頭に入れている人など存在しない。特異な境遇である彼女達だけを責めるというのは酷なもの。
それに加え鈴木純はそれでいいと思っている。いろいろなものから目を背けても、最終的に最も大切なものを見失わないでいてくれればそれでいいと心から思っている。
二人に見失わないでいてほしいから、彼女は奔走している。
純「……ネットにでも縋ってみますかね。あ、図書館内ではケータイ禁止だっけ」
天井からぶら下げられた、携帯電話に斜線の入ったマークを一瞥して図書館を後にする。
調べ物に集中したいが為にマナーモードにしていた携帯電話を取り出し、画面を見る。そして一つの通知アイコンに気づく。
純「メール…? 梓からだ。ついさっきじゃん……」
【#17】
◆
純「――ぷはー! 食った食った!」
梓「さすがにひくわ」
眼前でオッサンくさい言葉を大声で口にする親友に釘を刺す。でもきっと刺したところで効かない。ぬかに釘。
ちょっとは周囲の目を気にして欲しいものだけど。
憂「あはは。もう少しゆっくりしていこうか」
隣に座る憂はそう言い、コップの水を一口飲む。
夕方のちょっとだけ背伸びしたオシャレなカフェにその姿はよく映える。眼前のオッサンも黙ってればそこそこなのに。勿体ない。
純「にしても、なんで急に外食?」
梓「まぁ……いろいろ話したいことがあったから。三人で」
純「……家でもいいじゃん?」
梓「今日は私のオゴリだよ?」
純「デザートおかわり行っていい?」
梓「それはダメ」
純「ちぇー」
憂「ふふっ」
なんて適当に誤魔化したけど、一応いろいろ理由はあったりする。
たまには憂を休ませてあげたい、今日いろいろあってそう思ったりとか。今まで隠し事に付き合ってくれた純に対するお詫びとお礼とか。単純に給料日が近いとか。ここはいつか三人で来てみたかった店だったとか。
でもどれもこれも要は、今もこうして変わらずに三人で居られること、それに対する感謝ということになりそうな気もする。
たった一年でいろいろありすぎたけど、今までとは真逆の方向でいろいろありすぎたけど、こうして今も一緒に居られるなら逆に未来を信じられる、そんな気さえする。
決して将来を楽観してるじゃない。けど、どんなことがあっても三人で一緒に居られる、それだけは信じられる。
梓「……これから、どうしようかな」
純「ん、そういう話?」
梓「まぁ、そうとも言えるかな。あ、憂には全部話したから」
純「…えぇー、それそんな軽く言うこと?」
梓「うん。あくまで結果論だけど、何も変わらなかったから」
憂「変わらないように梓ちゃんが頑張ってくれたんだよ。純ちゃんも、今までありがとうね」
純「……変わってるよ。なんか余計仲良くなってる」
梓「そうかな?」
純「そうだよ」
憂「でも、そういう変化なら純ちゃんは喜んでくれるでしょ?」
純「……さっきから言い方が卑怯だよ、憂は」
拗ねたようなその言葉に憂が微笑みを返すと、純も純で「私も恋人作ろうかなぁ」とボヤく。
私よりも社交的な純は、きっとその気になればすぐに恋人の一人や二人作れるはずだと私は本気で思っている。同性異性問わずに。
それでもそうしないのは、純もまだ私達と一緒にいる時間のほうを選んでくれているのか、それとも……
梓「……ねぇ、純」
純「んー?」
梓「……私と憂は、そんなに危なっかしく見える?」
純「見える見える。とーっても危なっかしい」
ヘラヘラと告げられると、どこまでが本気か量りかねるけど。
それでも純は、きっと私達の事を心配している。いつまでもずっと心配している。
梓「……純が安心して恋人を作れるくらいにはちゃんとしないとね、私達」
憂「……そうだね」
純「……ふーむ…」
梓「……?」
ちょっとだけマジメな顔になった純の次の言葉を待ったけど、その先が紡がれることは無かった。
――しばらくして「そろそろ出ようか」と切り出したのは純だった。
あの後は恋人がどうとかを絡めてちょっとだけ先の話をしたけど、とりあえず純は大学を卒業するまでは私のやることに干渉するつもりはないようだ。
憂と一緒に音楽の道を追ってみたい、と告げたらちゃっかり「私も一口噛ませて」とは言っていたけど。まぁ元より拒む理由はないし。
結局のところ、私達は私達のまま何も変わらない未来を望んでいるのかもしれない。今の延長線上にあるだけの未来を望む、それだけなのかもしれない。
私達それぞれの関係が変わらない、互いを想う気持ちが変わらない、そんな未来を。
そして、そんな未来は望めば手に入る。
大切にすることを忘れなければ手に入る。
そう、この数日間で実感した。
―――はずだったのに。
【#19】
梓「――お疲れ様でしたー」
「うん、おつかれさまー」
今日も今日とて純は大学、私はアルバイト。新しい週を迎えても私達はマイペースにゆっくりと前へ進む。
もう見慣れた風景となったコンビニからの帰り道を歩きながら、今日は何をしようか、何を弾こうか、何を話そうか。考えることが沢山あって、それ自体が幸せで仕方ない。
そういえば何故か純から恋人としての進捗状況を聞かれたっけ。きっとこの前のキスの件で憂がソワソワしてるからかな。
でもこういうことに悩めるのもまた幸せな気がしてしょうがない。私達の周囲には幸せしかない気がするくらいに。
だからかな。
近づかれるまで、気づけなかった。
「――ねぇ――」
梓「………?」
その姿に。
その顔に。その声の正体に。
もしも、私が先に気づいていれば。
「―――あずにゃん―――」
気づいていれば。
気づいて逃げていれば、何かが変わったのだろうか。
最終更新:2012年04月02日 23:06