――しかし生憎、考え得る限り最悪のパターンで私は話し合いに臨むことになる。



【#22】


梓「――昨日はびっくりしましたよ。唯先輩は……その、死んだ、はず、でしたし」

唯「えへへー。あずにゃんを残して死ねるわけないよ!」フンス!

梓「…なんですかそれ……」

待ち合わせ場所の喫茶店の前で、純を待ちながら少しずつ唯先輩の状況に触れていく。
そう、意外にも大学を終えた純が合流するより先に唯先輩が来てしまった。この時点で少し計算違いと言える。
純の都合に合わせて時間を決めたし、私も遅刻しないように充分すぎるほど早く家を出たのにこの状況。
何かがおかしい。でも深く考える暇は私には無かった。

唯「ゾンビでーす! がおー!」

梓「……ほ、本当ですか?」ヒキ

唯「やだなー、そんなわけないよ。ま、私にもよくわかってないんだけど。生き返った、ってことしか」

梓「……そう、ですか」

唯「まぁ、あずにゃんのことは食べちゃいたいくらい可愛いと思ってるけど!」

梓「……嘘か本当かわかりづらい冗談はやめてください」

わかってますよ。ゾンビではなくドッペルゲンガー。少なくとも私達はそう定義している存在なんでしょう? あなたは。
そう思いながらも、それを察されてはいけない。知らないフリを続けないといけない。憂の前例のおかげで慣れているようになんて見えてはいけない。
事情なんて何もわからないように見えないといけない。唯先輩を、恐れなくてはいけない。
それに非常に神経を使うせいで、今の私は他の事に思考を回す余地が全く無い。

隣に純がいれば、もう少し余裕があったんだろうけど――と思っていると。

梓「? あ、電話だ…。ちょっといいですか?」

唯「うん」

ディスプレイに表示されていたのは、その待ちわびている親友の名前。
わざわざ電話をしてくるということは用事でも出来たのかな。でも純自身が来たがってたんだし、よほどのことじゃない限り来ると思うんだけど……

梓「もしもし?」

純『梓、ゴメン! まだ行けない!!』

梓「えー…。まぁ私の問題だから無理強いなんて出来ないけど、どうして?」

純『……澪先輩に捕まった』

梓「澪先輩!?」

純『なるべく早く切り上げて行くから、どうにかしてて! じゃ!』

電話をしている時間さえ惜しいのか、それだけ伝えて電話は切れた。
どういう状況からそうなったのかはわからないけど、わざわざ「捕まった」という表現をしてくるということは、おそらく澪先輩は長話しそうな雰囲気だということだろう。
でも、なんで澪先輩がこっちにいるの? この間は電話だったし、しかもその時は「次は梓から連絡してくれ」と受け身だったのに、どうして…?

唯「……純ちゃんから?」

梓「あ、はい。澪先輩に会ったとかで遅くなるって」

唯「うん、やっぱり」

梓「……やっぱり?」

唯「あのね、私が澪ちゃんに頼んだんだ。あずにゃんと二人っきりで話したいから、って」

梓「………」

やられた。そういうことだったとは。
確かに偶然としては出来すぎているとは思ったけど、そう、私が純と憂に相談したように、唯先輩も誰かに相談した可能性は充分にあるんだ。携帯も使えていることだしね。そこまで考慮していなかった私達の落ち度と言える。
しかし、それを偽らず隠さなかったのは、この人なりの誠意なのだろうか。

唯「ワガママだとは思うけど、誰にも邪魔されたくなかったから」

……それを誠意と呼べるのかは私にはわからないけど、一度は純の同席に気後れした私だから気持ちはわかる。
メールでちゃんと匂わせた分、唯先輩にだってわかっているんだ。恋心に関係する大事な話だということが。
やっぱりこういうことは二人っきりで面と向かって話さないといけないんだ。私がどう思っているか、唯先輩がどう思っているかじゃなくて、最終的にこうして二人っきりになってしまったということは、そうあるべき、ってことなのだろう。

……澪先輩はどこまでわかっているんだろうか。
受け身だったはずの澪先輩がこちらまで足を運ぶ理由は、他ならぬ唯先輩の頼みだから、で説明はつく。あるいはいつかちゃんと純と話をしたいと思っていたのかもしれないけど。
どちらにしろ、澪先輩はきっと大学よりも唯先輩か純かのどちらか、あるいは両方を優先したということ。唯先輩の存在をちゃんと受け入れて、お願いを聞き入れて。

澪先輩がドッペルゲンガーについてどこまでわかって協力しているのか、それはわからないけど、それでも真面目で友達想いのあの人はちゃんと自分の役割をこなす。
ということは、この場に純がすぐに来ることはまず期待できない。助け舟を出してくれる人は誰もいない。

そういう状況で最も恐れることは、私が流されること。
なんだかんだで押しが弱いのか染まりやすいのか、憂や純によくからかわれるほどに私は流されやすい。
もちろん指摘されるまで自覚はないんだけど、思い返してみれば事実だと思う。
だからこの場でもそれが一番怖い。唯先輩は明るく優しい素敵な人だ。だからその素敵さに呑まれる前に、私のほうから話を切り出すべきだと思った。

梓「……本題に、入りましょうか」

唯「…お店に入る?」

梓「……いえ、もうこの場でいいと思います」

話を長くするつもりはない。こういうのはハッキリ、スパッと告げるべきだと思う。

梓「……唯先輩がゾンビでも幽霊でも何でも、ああいうのは困ります。メールでも言いましたけど」

唯「……キス?」

梓「…はい」

唯「ごめんね。あずにゃんのこと好きだから、つい」

いつもの唯先輩のように、いつもの笑顔で、そう答える。
その笑顔に、少しだけ期待をした。可能性なんて無いと思っていたはずなのに、期待してしまった。
いつもの唯先輩であることを期待して、残酷な質問が口をついて出た。

梓「……それは、後輩として、ですか?」

後輩として。あるいは軽音部の仲間として。恋愛的な好意ではない『好き』であれば。
色恋沙汰に無縁の、朴念仁だった昔の唯先輩のままであれば、誰も苦しまないで済む。


唯「…ううん。一人の子として、あずにゃんが好き」


……わかっていたはずなんだけど。


唯「ごめんね、それでも順序はあったよね。いきなりキスなんて――」

梓「っ、唯先輩っ!!」


胸が、痛くて。


梓「……ごめんなさいっ!!」


唯「……あず、にゃん?」

梓「ごめんなさい! 私、好きな人がいるんです…! だから……!」

だから、あなたの気持ちには応えられません。
そこまで言い切ることは出来なかった。予想以上の胸の痛みに、心が悲鳴を上げていた。

私は今、唯先輩を傷つけている。

憂とその他全てを天秤にかけて、憂を選んだのに。
憂がいれば他に何もいらないと、そう思ったのに。

いざ、唯先輩を拒否するとなると……言葉の全てを紡ぎきる事さえ、痛すぎて出来ない。
頭を下げ、唯先輩の顔から目を逸らして更なる痛みから逃れようとするほどに。
……唯先輩の気持ちを想像し、声を聞くだけでこんなに痛いんだ。顔なんて見れるはずがなかった。

想いが通じない。その痛みはイヤというほどにわかってる。
他ならぬ私だから、それは充分にわかってる。それだけでも痛いのに、そこにさらに拒まれる痛みが重なるんだ。
想像なんて出来ないけど、想像しようとするだけで胸が張り裂けそうになる。

唯「あずにゃん……」

梓「ごめんなさい…!」


そんな痛みを抱えているであろう唯先輩に、ごめんなさい以上の、そしてそれ以下の言葉を紡げる気はしない。
ごめんなさい唯先輩、私は、私は……!

唯「……いいよ、顔上げて?」

梓「…え、っ……?」

不意に告げられた「いいよ」というその言葉に、おそるおそる顔を上げる。
そこにあった顔は、意外にもいつものあたたかい笑顔だった。

唯「……ごめんね。私、あずにゃんを困らせちゃったんだね」

梓「っ……」

唯「……その人の事、ホントにホントに大好きなんだよね、あずにゃんは」

梓「……はい」

唯「そっかぁ…。じゃあ、私が諦めないとあずにゃんに迷惑がかかるよね……」

それはその通りなんだけど、「そうです」だなんて言えるわけがない。傷つけられるはずがない。
でも、眼前の素敵な先輩はそのあたりまで察してくれた。

唯「……好きな人が嫌がることなんて、出来るわけないよ」

梓「ごめん…なさい…」

唯「いいってば。ほら、泣かないで?」

唯先輩がハンカチを持った手を伸ばしてくる。ああ、やっぱり泣いてたんだ、私。
唯先輩に涙を拭いてもらうのは、これで何度目かな……

唯「……幸せになってね? そして、幸せにしてあげてね?」

梓「っ、はい……」

唯「…あはは、良かったね、お店入らなくて」

確かに、お店の中で涙を流すのは恥ずかしい。
私は唯先輩のほうこそ泣くと思ってたんだけど、そんなことはなかった。きっと私のために涙を堪えてるんだと思うけど、そういうところはやっぱり先輩で、立派で、素敵だと思う。
……そんな唯先輩だから、私も惹かれた。子供のような純粋さと、時折見せる大人な一面。それを併せ持つあの人に惹かれない人がいるはずがない。
でも、私はすぐに身を引いた。純じゃないけど、軽音部が唯先輩を中心として成り立っている部だと気づいたから。危ういバランスで成り立っていると気づいたから、後輩の私はでしゃばる事を止めた。
恋心と言えるかさえ曖昧だったそんな感情を捨て、それでも仲間として一緒にいられるように頑張った。私のその経緯を知ってか知らずか、憂がいつも私を隣で支えてくれて……いつしか憂のことを特別な目で見るようになっていた。
唯先輩を重ねていた可能性も否めない。唯先輩から憂に受け継がれたであろう優しさに、私は最も惹かれたんだから。
でも唯先輩と憂の違うところだってちゃんと知ってる。憂だけのいい所をたくさん知ってる。今ではそれくらいに憂のことが大好きだ。

でも、そんな気持ちで割り切れないから私は泣いているんだ。
憂のことが好きでも、唯先輩のことを嫌いにはなれない。あんないい人を嫌いになれる人なんているもんか。
近くにいた私なら尚更だ。二年間一緒にやってきて、たくさんの宝物を貰った私なら尚更。

……だから、こういう場での『先輩らしさ』にどこまでも甘えてしまうんだ。

唯「……じゃあね、あずにゃん」

梓「っ、ゆい、せんぱい……!」

唯「……また、会えたら会おうね」

傷つけた後ろめたさを抱える私に、不透明な言葉で返す唯先輩。
でもきっと、それが理想の返し方だ。後ろめたさを抱えているからこそ、私はその言葉を否定も肯定も出来ず、未来を不透明なままにしておくしか出来ない。
否定も肯定も出来ないし、しなくていい。そんな状況を相手から与えてもらう。これ以上ない優しさだと思う。


一度だけ強く頷き、私は唯先輩に背を向けた。




【#23】


純『――梓っ!!』

どうにか落ち着き、多少は穏やかな気持ちで取った携帯電話からはそれを吹き飛ばしそうなほどに焦った純の声がする。
結局唯先輩との話が終わるまで純は来なかったが、私が家に帰りつく前に電話が着たという事は同じくらいのタイミングで解放されたのだろう。

梓「……どうしたの? もう終わったよ?」

純『あー、やっぱり間に合わなかったかぁ。ゴメン。全くもう、なんでこんなタイミングで…』

梓「…唯先輩が頼んだんだってさ」

純『えぇ!? あぁ、そっか、どうりで……』

梓「何かあったの? っていうか澪先輩と何を話してたの?」

純『ん、さっき澪先輩が携帯を開いてから話を切り上げたからさ。時間確認してたのか、唯先輩から連絡でもあったのかと思って。話してたことは……帰ってから話すよ』

梓「憂のことは……」

純『大丈夫、言ってないよ。でも上手く隠し通せたかは自信ないけど……』

そのあたりはきっと考えてもわからないと思う。
純は隠し事は上手い…とは言い切れないけど、結局のところ、そういうのを見抜けるかどうかはお互いをどれだけ理解しているかによると思う。
疑わないか疑うか、そして疑ってなお踏み込むか。それを本人がどこまで良しとするかに全てかかってる気がするし。
澪先輩のような人付き合いに慎重な人だと、勘付きはするけど踏み込まないパターンが多いと思うから尚更。

梓「なるほど。じゃあ私はまっすぐ帰るから、家で続きは聞くよ」

純『おっけー。……っていうか梓、今更だけど……大丈夫だった?』

大丈夫だったか、と、そう心配するのは当然だと思う。私だからとか唯先輩だからとかそういうのは関係なく。
そしてそれは、誰に聞かれようと自分の思った通りの事を告げるしかない質問でもあると思う。質問でありながら心配でもあるんだから。

梓「……大丈夫だったよ。少なくとも私はそう思った」

純『……そっか』




――マンションが目前に迫った頃、意外にも純と遭遇した。
というか丁字路の別の道から走ってくる純が見えたので、とりあえず少し待ってあげて合流した。

梓「……そっち側にいたの?」

純「ふぅー…。うん。奢るって言われて、つい。あー疲れた……」

梓「まったく、現金なんだから……」

純「いや、それでも待ち合わせ場所には近かったんだって! だからこそ引っかかったというか…」

梓「はいはい」

奢るって言われたから引っかかったんでしょ、という言葉は飲み込んだ。というか引っかかったって言い方は澪先輩が完全に悪役だよね。
まぁ、先輩二人の目論見通りに純は引き止められたわけだし悔しい気持ちもわかるけど。

梓「……仲直りした?」

純「……うん。まぁ、仲直りというか私が一方的に、ね、敵視してただけだし」

梓「えらいえらい」

純「…はいはい。それより梓は早く帰って奥さんを安心させてあげなきゃね」

……全く、どうして純はこう、照れ隠しからの反撃が上手いのか。
でも言う事はもっともだ。奥さんってところじゃなくて、早く帰って憂を安心させてあげたい。
何事もなく解決したと私は思ってるから、だからこそ早く帰ってあげないといけない。

梓「……どうせもうすぐそこだけど――」

純「あっ――!」

マンションの敷地内、入り口のあたり。そこに立つ人影を見て、二人で息を飲む。

憂「………」

梓「憂っ!」

寂しそうに、俯きながら。置き去りにされた子供のように佇む憂。
思わず名前を呼びながら駆け出していたけど、走りながら同時に私の心にいろいろな考えが浮かぶ。

置き去りにされた子供のように、と形容したけど、実際その通りの憂。
そして学生時代とは異なり周りに誰もいない、一人ぼっちの憂。

置き去りにしたのは、一人ぼっちにしたのは、私だ。

仕方なかった。ちゃんと理由があった。憂もわかってくれた。そう言ってしまえばそれまでだけど。
それでも、寂しそうな憂の姿を見た今の私にはその選択が正しかったのかわからない。
本当に、今の憂の周囲には私と、そして純しかいないんだ……

憂「……梓ちゃんっ!」ダキッ

梓「ひゃっ…!」

駆け寄ると、飛びつくように抱きついてくる。
理由なんて考えるまでもない。寂しかったんだ。不安だったんだ。そんなこと昨日の夜の時点でわかってた。

なのに、これしか方法がなかった。

梓「うい……」

……本当に? 
そうやって決め付けてしまっていいの?
そうやって決め付けて、同じような解決方法しか思い浮かばない時、その度に憂を寂しがらせるの?

それが、恋人のやり方なの?

……そうは思いたくない。
これから先、寂しがらせないために何か出来るはずだと思いたい。何もわからないけど、そう信じたい。
私達の関係は変わらなくても、私は変わらないといけない。少しでも憂を悲しませないように。

それに今だって、寂しがってる憂を慰める方法はあるはず。恋人の私になら。


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最終更新:2012年04月02日 23:24