憂「……おかえり、梓ちゃん」

梓「……ただいま。ちゃんと帰ってきたよ」

憂「…うん、ちゃんと待ってたよ、私も」

梓「うん。よかった、本当に」ナデナデ

憂「えへへ……」

憂を撫でながら、密着した憂の吐息を肩と首筋で感じながら。少しだけ憂から視線を逸らすと、視界の端で純が手を振りながらマンションへと向かっていった。
それを見届け、憂の肩に手を添えて一旦引き剥がす。抱き合うのはいいんだけど、私から離れると少し罪悪感があるんだよね、いつも。
とはいえ、今回は仕方ないけど。

憂「…帰る?」

梓「ううん、その前に、憂にお土産があるんだ。目を閉じて?」

憂「う、うん…?」

戸惑いながらも目を閉じる憂。私は手ぶらだもんね、そりゃ怪しむよね。
というかその手は今さっき憂を引き剥がした時のまま肩に乗せられている。まぁ計算通りなんだけど。

……こんな状況ですることっていったら、一つしかないよね。

梓「……んっ、ちゅ…」

憂「っ!?」

梓「……っ。ちゃんと、帰ってきたよ?」

憂「……もうっ。さっき聞いたよ、それ」

梓「そうだっけ」

憂「……えへへ///」

……憂のこの幸せそうな笑顔を見ると、嬉しさと恥ずかしさがこみ上げてくる。
口づけた瞬間の驚いた顔は、私の目論見が成功したという証だからご馳走だったけど。
でもやっぱ、こう、冷静になってみると、ベタなことやらかしたなぁ、と。バカップルみたいじゃん……

梓「ほ、ほら、あんまりニヤニヤしてないで、早く戻ろう? 純が話があるって言ってたし」

憂「うんっ! えへへっ……///」

梓「………」


……そうして、どうにも顔がしまらない憂に今日の私と純の状況を軽く説明しながら部屋まで戻った。
純と合流すれば澪先輩と向こうで何があったか、それの話になるだろうから。




【#24】




――悩み、立ち尽くす少女がいた。

鈴木純平沢憂、そして中野梓。三人の共同生活の場であるマンション前の通り。そこから少し離れた物陰で膝を抱え、涙を流す少女。
……その場に一足遅れて辿り着き、背後でかける言葉を持たない彼女。秋山澪

頭の回る彼女でなくとも、事情を知っていれば状況はすぐに理解できるだろう。
だが、慰めの言葉が浮かぶかと言われれば話は別だ。それこそ頭の回る彼女でも容易くはない。

思案の果てに、彼女は少女の隣に腰を下ろし、名前を呼ぶ。

澪「……唯」

唯「…みお、ちゃん……」

澪「……フラれた?」

唯「あはは、直球だね……」

澪「…ごめん」

唯「………好きな人がいるって、言われて」

澪「……うん」

唯「……さっき、そこで、憂とキスしてた」

澪「っ……そっか……」

動揺を極力隠し、相槌を打つ。
ここに来る前、すなわち鈴木純と話している時。重要な真実を語っても、相手があまり動じないのは彼女としても気になっていた。
だが、これで彼女の中でも説明はついた。鈴木純、彼女も奇跡の目撃者であり、そして奇跡の果ての恋心が成就したことを知っていたのだ、と。
そして秋山澪自身、そう即座に推理してしまえるほどには『奇跡』の事情に詳しい。奇跡と恋心の関連にも詳しい。

中野梓は平沢憂に好意を抱いていたのでは? という推測は、斉藤菫から琴吹紬を経由して田井中律、秋山澪へと伝わっている。
もっとも、その斉藤菫が気づいたのが憂の死後だったことから、同時期にこの世に存在しなかった平沢唯には伝わっていなかった。
そして同時に、伝える必要も無いと秋山澪は判断していた。この世に存在しない人に惹かれている、そんな事実を伝えたところで平沢唯の行動が変わるとは思っていなかった。
勿論、蘇った後の平沢唯の抱く好意が『過去の自分は持っていなかったもの』であることも告げていない。余計なことを告げて悩ませる必要など何処にも無いと思っていた。

そして今、それら全てが裏目に出た。

唯「……っ、む、無理かなぁ、やっぱ……」

澪「っ……」

唯「っ、あ、あずにゃんの幸せを願う気持ちに、嘘なんてないよ。後をつけたのも、見守ってあげたいって、思ったからだし…」

澪「……うん」

唯「で、でも、もし、もし将来あずにゃんがフラれたり、別れたりしたら、その時は私が支えてあげようって、そういう考えも、ちょっとだけあった…!」

澪「…うん」

唯「あずにゃんが好きな人でダメだったなら、あずにゃんを好きな私でいいよねって、その資格はあるよねって、思おうとした…!!」

恋愛感情は人を変える。平沢唯らしくない打算に裏打ちされた行動も、間違っているとは言い難い。
日頃、自分を通じて近しい距離にいたであろう妹の憂が他界した今、自分が最も近い所にいる。彼女にはそういう自負があった。
女子高にいながら触れ合いで赤面することも多々あった中野梓が男性と上手くいくなどとは毛頭思っていなかったし、親友である鈴木純とも同じ部活をやったのは一年限りだ。
可能性があるなら純だとは思っていたが、それでも同じ部活で二年間一緒にやってきた自分に利がある。彼女は心からそう思っていた。
軽音楽部という絆を何よりも重視していた平沢唯のその推測は、そこまで的外れなものでもない。実際、中野梓が恋人のいない身であったなら、あるいは恋人のいない身になったなら、悩みこそすれど間違いなく拒みはしないだろう。

恋の駆け引きという面において、平沢唯の行動は前述した通り間違っているとは言い難い。

しかし、恋人がいた。皮肉にも軽音楽部から、平沢唯から目を背けた結果に出来た恋人が。そして彼女にとって誰よりも相手の悪い恋人が。

唯「…でも、憂相手なら無理だよぉ…! 憂とあずにゃんお似合いだし、別れるとは思えないし、憂にも幸せになってほしいって、思っちゃうし…!」

澪「………」

唯「それに、もし別れて私と結ばれても、憂からあずにゃんを取ったような風になっちゃう…! そんなこと出来るわけないよ…!」

澪「…優しいね、唯は」

姉としての優しさ。先輩としての優しさ。そして口にこそしなかったが、彼女は妹を誰よりも評価している。身近でずっと助けてもらっていた存在だから、素晴らしさを誰よりも知っている。故に自分では勝てないと尻込みしている面もある。
秋山澪もそれは察している。故に、償いの言葉を口にする。

澪「……ゴメン。唯に重すぎる物を背負わせてしまった私達の責任だよ」

唯「え…?」

澪「教えてもらったんだ。唯を呼び戻す方法を」

唯「…だれに?」

澪「……ネッシー」

唯「………」

咳払いを一つして、秋山澪は話を再開する。

澪「……強く、強く願えばいい。誰よりも大切に想っているって自負している人間が、乞い願えばいい。帰ってきて欲しい人の姿を思い描けばいい。そう教わった」

唯「私、を…?」

澪「うん」

喪失感に打ちひしがれ、心を壊しかねないほどに想う人間が、命さえも投げ出すほどに恋する人が、願えばいい。
二人の少女が、生きる意思を無くした三人にそう告げたのはごく最近のこと。そして成就したのはその後すぐ。
実際のところは中野梓が平沢憂を呼び戻した時のように現実に向き合うことも条件の一つとしてあるのだが、大学生であり尚且つ軽音楽部の仲間に支えられている彼女達は既にその条件は満たしていた。

現実を見て、その者が戻ってくるべき『場所』を認識すること。それが第二の条件。
戻ってくる人が『この場所』にいないとダメだと、願う人が気づくこと。中野梓があの時になってようやく『隣』に平沢憂のいる日常を求めたように、彼女達は常に『自分達の中心』に平沢唯がいる日常を望んでいた。

それでも平沢唯が蘇らなかった理由はただ一つ、三人がそれぞれ自分勝手な恋心に振り回されるまま願っていたから。
本来ならば平沢憂の時のように一人の恋心を糧としてでも充分呼び戻せるのだが、平沢唯の場合は方向性の違う恋心が互いに打ち消し合っており、それに加えて大学生の彼女達は少しだけ大人だった。心の底から願えずにいたのだ。
しかし、それも二人の少女から聞く前までのこと。一度聞いてしまえば彼女達はそれに素直に愚直に縋った。

皆の祈りは届き、平沢唯は戻ってきた。縋るものを取り戻した彼女達は立ち直り、秋山澪は中野梓に電話をかけられるほどに回復した。

しかし彼女達は、皆で平沢唯の帰還を願いながらも、蘇った唯の事情にはそ知らぬ顔で接していた。
目の当たりにした奇跡に驚いたフリをした。理由は全て知らぬ存ぜぬで通してきた。
もちろんそうしてまで隠したかった事実は、聞かされていた『恋心に関する副作用』だ。
誰か一人に対する恋心を糧として現世に舞い戻り、それに忠実に行動する。伝えられたことはそれだけであり、そこに間違いはない。

平沢憂の場合は、自分を呼び続ける中野梓の声を聞いた。
しかし実は平沢唯は誰の声も聞いていない。それでいて中野梓を好きでいる。それは様々なことを意味している。
特に平沢唯の存在の歪さを如実に示しているのだが、腫れ物を触るように知らぬフリを通してきた秋山澪達がそれに気づくことは無い。そしてそこに触れられることのない平沢唯本人も。

結果、平沢唯は『なんかよくわからないけど自分は奇跡で蘇った』とだけ思い込んでおり、秋山澪達周囲の人間もそう振る舞い、彼女の存在理由に触れることはなかった。

たった今、この時までは。

澪「でもその時、みんなで話し合ってみんなで願ったんだ。勝手に決めてしまったんだ。『梓を大切に想い、連れ戻してくれるような唯』がいい、って……」

唯「それ、じゃあ……」

澪「……そう。唯が梓をそこまで好きなのは、私達のせいなんだ」

唯「………」

澪「私達の自分勝手な願いのせいで、唯はフラれて、傷ついたんだ……ごめん」


信頼していた人間からそう告げられ、辿り着く思考など幾つかしかない。
自分の恋心が偽りの物だと、作られた物だと告げられて。自分の行動や存在そのものを否定された、その時に。

平沢憂のように意地になって否定するか、あるいは、

唯「そっか……そうだったんだ…」

澪「ごめん……悪いのは私達――」

唯「大好きなあずにゃんにフラれて、生き返らせてくれた澪ちゃん達の期待にも応えられなくて……」

澪「………ゆい……?」


唯「……私、何の為に生きてるんだろうね」


あるいは、全てを受け入れ、自分を見失うか、だ。



澪「――ッ!!」

その言葉を聞いた瞬間、秋山澪は動いた。眼前の、今にも消えてしまいそうな少女を抱き締めた。
勿論、消えてしまいそうなどというのは比喩に過ぎない。しかし彼女は抱き締めて離さない。そこに恋愛感情など無く、純粋に友として、その腕を解くことはしない。
その腕を解けば彼女が消えてしまうと、本気で信じていた。不安に駆られていた。
何を願ったとしても、秋山澪は平沢唯にもう一度会いたいと思った。それは事実なのだから、消えることなど望むはずも無い。原因が自分達にあるなら尚更のこと。

澪「ごめん、唯……ごめん!」

唯「…澪ちゃんが謝ることじゃないよ」

澪「違う! 悪いのは私達だ! 唯が自分を責めることじゃない!」

唯「……憂が生き返ってたなんて、誰にも予想できないよ」

澪「っ……!」

そう、その通りだ。
生き返った日にそのまま街を出て、その上友人との取り決めで主婦業に専念しており家から出ることも滅多にない平沢憂の存在を誰が予測できようか。
中野梓と鈴木純の二人との交流が断絶していたのも一因だ。それが彼女達の結束を強めてしまい、先刻の会話でも鈴木純は決して口を滑らせることはなかった。

結果、何も知らない平沢唯は告白し、「好きな人がいる」と告げられることになった。

秋山澪は、中野梓が平沢憂に恋焦がれているからこそ今も独り身だと勘違いし、唯の告白を止めることはなかった。
平沢唯も、平沢憂の名前を出されなかったからその場は素直に身を引いた。身を引くフリをしながらも遠くから見守ろうと思った。
しかし、それは読み違いだった。誰にも読めない読み違い。役立たずの台本。最初から最後まで全て、平沢憂の存在に狂わされ続けるだけの悲喜劇だった。

平沢憂さえいなければ全て上手くいった。平沢憂の存在を誰も予測できなかった。どちらも事実なのだ。

唯「……誰も悪くなんてないんだよ、みおちゃん。強いて言うなら、私が生き返ったからこんなことになっちゃったんだ…」

澪「っ…! そんなの認めない! 唯が生きてることは何も悪くない! 私達は皆、唯が戻ってきてくれて嬉しかったんだ…!」

たとえその気持ちが、恋愛感情が自分達に向いていなくとも、彼女達は満たされていた。立ち直った。それもまた事実。
それを否定するようなことを言われて認められるわけがなかった。たとえそう口にしたのが本人でも。

しかし、だからといってどうすればいいのか。
中野梓の感情がこちらに向くことはない。絶対に無い。絶対を覆したとしても、平沢唯本人が認めない。
逆に言えば、中野梓の感情をこちらに向け、その状況を平沢唯が認めた上で結ばれる。そうなる方法以外では何も解決しないのだ。

澪「………」

中野梓が平沢憂を諦める。平沢憂も中野梓を諦める。中野梓が平沢唯に惹かれる。平沢唯が平沢憂に気後れしない理由を作る。
これら全てを満たさないといけない、難解な問い。

澪「………!」

それに対するたった一つの答えを、彼女の頭は弾き出した。


……否、弾き出してしまった。


しかし、それを口には出来なかった。出来るはずがなかった。


中野梓の、命を奪う。


恐ろしすぎる、この答えを……


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最終更新:2012年04月02日 23:26