【#25】
◆
梓「――そっか、澪先輩達が……」
純「うん。唯先輩を求め、唯先輩の恋心のベクトルを変えた。というか恋心を芽生えさせた、と言ったほうが近いかな」
純から告げられた内容は衝撃的なものだった。
先輩達皆が唯先輩を求めた。ここまでは有り得る話。だけどそこから先は本当に衝撃的という他ない。
憂「……みんな、お姉ちゃんのことが好きだったんでしょ?」
純「うん。みんな等しく大好きだった。それに加えて梓についても思うところがいろいろあった、ってことだろうね」
先輩達みんな、澪先輩のように私を助けられなかったことを少なからず悔いて。そしてどんな事情があれど、私と道を別ったことが悲しかった、ということだろうか。
申し訳なさと後ろめたさから何も言わずこっちに来た私だけど、やっぱりそれは先輩達との絆を軽視していたってことになる。
梓「……そんなに私と一緒にバンドやりたいって思ってくれてたんだ…」
それ自体は悪い気はしない。けど、
梓「でも、そのために唯先輩を……」
純「それが一番、皆が幸せになる方法だと思ったんだろうね。唯先輩は戻ってくるし、まだ落ち込んでるであろう梓を唯先輩が慰めてあげればいいし、また一緒にバンドやれるし三人は等しく唯先輩を諦められる。そう踏んだんだ」
憂「……愛されてるね。梓ちゃんも、お姉ちゃんも」
純「……疲れていたのかもしれないけどね。愛しながらも、それでも一歩を踏み出せない。皆のバランスを崩せない。そんな関係にピリオドを打つ、丁度いい機会だったのかもしれない」
先輩達はみんな優しい。だからきっと、フラれて泣くならみんな一緒にと願った。選ばれた一人も素直に喜べないと分かっているから。
そして自分達が影で等しく泣くことで、私が救われるようにと願った。私達の関係が元通りになることを祈った。
梓「……でも、そうはならなかった」
憂「……私がいたせいで、だよね」
純「馬鹿言いなさんな。ちょっとすれ違っただけだよ、誰も悪くなんてない。それに唯先輩も諦めてくれたんでしょ?」
梓「……うん」
そのはずだけど、事情を知った今となっては少し自信が揺らぐ。
もしかしたら唯先輩は、自分だけの想いじゃなくて先輩達みんなの想いも背負って告白してきたのかもしれない。そう思うと簡単に諦めるかどうかは分からなくなってくる。
もっと早くこの可能性に気づくべきだった。よくよく考えたらあの臆病な澪先輩が『ドッペルゲンガー』なんていうオカルトの唯先輩の存在に怯えずに協力していた時点でおかしかったんだ。深い接点があったことくらいは予想できたはず。
予想できたからといって何が変わるかはわからないけど、唯先輩に食い下がるくらいはできたと思う。ちゃんと本心を確かめると思う。
だって他の先輩達に負けず劣らず、唯先輩だって軽音部の絆を大切に思っているんだから。それは確実だから。
だからこそ、その絆に背くようなことをするだろうかと言われると……
……わからない。純の言い分と唯先輩の言葉を信じるなら、大丈夫ということにはなるんだけど……
そしてもう一つ。絆もだけど、『ドッペルゲンガー』として戻ってきた人の恋心に対する執着もかなりのものだ、と思う。
あの時の憂を見て、聞いているからそう思う。求めた私に対する憂自身の恋心を、作られた物だと純に指摘されたらしい時の憂を。
梓「……あれ、そういえば」
純「ん?」
梓「ちょっと話は逸れるけど、私は憂のことを忘れられなかっただけで、憂に好きになってほしいとは願ったことは無かったはずだけど…」
憂「えっ……」
梓「あ! ち、違う違う! 好きになってもらえればそりゃ嬉しいに決まってるけど、その、憂がいなくなったことが悲しすぎて、そこまで気が回らなかったんだよ、当時は」
好きだから、好きすぎるから、好かれたいなんて贅沢は思いつきもしなかった。
もう一度会えるだけでよかった。落ち込んでいたあの頃、頭の中にあったのはそれだけだったはずなのに。
純「あー、そのあたりは曖昧だけど、唯先輩の場合、澪先輩達の望みが叶ったワケでしょ? ぶっちゃけて言えば、澪先輩達の理想の唯先輩がドッペルゲンガーとして生まれた、ってワケ」
梓「うん」
純「梓だって、どうあったって理想の憂は自分を好きな憂でしょ? 別に責めるわけじゃなくて、人に恋するっていうのはそういうことだと思うし」
梓「ん……まぁ、そうかも…」
誰かに恋心を抱いた時点で、どうせなら好かれたいと、誰もがそう思っているはずだと純は言う。自覚の有無に関わらず。
それがエゴイズムだとは純は言わない。当然の事だと言ってくれる。幸せを求める人として、恋する人として当然だ、と。
憂と恋人同士になれたことで人生で一番満たされている今の私に、それを否定なんて出来ない。
純「むしろ梓と憂の場合が自然であって、澪先輩達みたいに全員が自分の恋心を押し殺して他の人を好きな唯先輩を願う、そっちのほうがよっぽど奇跡なんだと私は思うよ」
憂「……優しい人達ばかりだからね」
梓「………」
そんな優しい人達の願いを、唯先輩は切り捨てることができるのか。私の中で問題が一周してそこに返ってきてしまった。
でも、その問題の答えはやっぱり「わからない」んだ、私には。
唯先輩がどこまで知っているのかはわからない。澪先輩達が全部を伝えているかはわからない。
唯先輩のこの後の行動がわからない。もし私の事を諦めてくれていなかった場合、どんな行動に出るかわからない。
唯先輩の周囲の状況がわからない。唯先輩の考えがわからない。唯先輩のことが…わからない。
純「……そんな顔しなさんな、梓」
梓「純……」
純「あんたは何も悪いことはしてないんだから気にすることはないって。何か問題が起こったらその都度考えればいいよ。いつだって手は貸すからさ」
梓「……うん、ありがとう」
純「……なんか最近梓が素直で調子狂うなぁ」
憂「でも素直な梓ちゃん、かわいいよ?」
純「はいはい、そーですかー」
そんな会話を聞き流し、愛想笑いを貼り付けながら考える。
……本当に、このままでいいのか、と。このまま何も起こらないようにと祈りながら毎日を過ごすだけでいいのか、と。
常に受け身でいいのか、と。そして何より――
――夜。相変わらず寝つきのいい純はとっくに熟睡のご様子だけど、私はボーっと天井を眺めながら考え事を続けていた。
そして、もう一人は……
憂「……なに考えてるの?」
梓「ん……」
もう一人は、私の恋人は、こういう時には積極的に踏み込んでくる。こういう時、すなわち私が愛想笑いを貼り付ける程度には不安を感じている時、だ。
きっと純も気づいてはいる。でも踏み込みはしない。そういうのは憂の仕事だと一歩身を引く、それが純だ。私の親友だ。
梓「あのさ……」
憂「うん」
声を潜め、隣の憂にしか聞こえないように囁く。
唯先輩のこと……ではなく、ここにきて表面化してきた、もう一つの私の問題。
梓「……私、純に迷惑かけすぎじゃないかなって思って」
憂「………」
梓「ずっと親友でいてくれた。憂がいなくなってからは誰よりも私を助けてくれた。憂が戻ってきてからも力になってくれた。そしてこれからも手を貸してくれるって言ってる」
憂「…うん」
梓「そして、純はそれを迷惑だなんて思ってない」
憂「うん」
梓「……私はきっと、そんな純に何も返せない」
それは、ついさっき実感したこと。
不安に怯え、わからないものを恐れ、悩んで。
そんな私に、純は「気にするな」と言う。気にせず憂を好きでいろ、と言う。
だからきっと、私が一人で出来ることは二つに一つ。
自分の心のまま恐れ、怯えながら憂と共に生きるか。純に言われるまま何も気にせず憂のことだけを見て生きるか。
どちらにも憂の存在はあるけど、どちらにも純の存在は無い。
一緒にいられないなんて意味じゃない。一緒にいたいと思う。
一緒にいられるならそれがいいに決まってる。でも。
梓「…純は、今のままの関係が続けばいいって思ってる」
憂「うん」
梓「今の私は……憂のことと自分のことばかり考えてて、純のことに気を配る余裕がないのに」
憂「…うん」
梓「純は、それでいいって思ってる」
憂「……うん」
そして私は、そんな純に甘えている。
『それでいいって言ってくれる』純だから、一緒にいたいと思っている。…のかもしれない。つまり……
梓「……そんな純を、都合のいい純を利用しているだけなのかも、って思っちゃうんだ」
いろいろ助けてもらって、それでも何も返さなくていいなんて。それを向こうから言ってくれるなんて。
それは誰よりも自分に都合がいい『理想の』存在じゃないか。
純の存在が悪いわけじゃない。甘えっぱなしの私が悪いんだ。それはわかってる。
純の見返りを求めない無償の優しさは、何よりも尊いもの。そんな人間になれたらいいなって常に思う。
なら、そうなるにはどうすればいいか。甘えっぱなしの自分を捨て、自ら進んで優しさを振り撒ける人間になるには、どうすればいいのか。
……純の庇護の下から、抜け出すしかない。
そんなありきたりで、それでも純が絶対に望んでいない方法しか思いつかない。
一緒にいることを望んでくれた純の恩を、仇で返すような方法しか思いつかない。
そしてきっと、そうなったら私は生きていけない。宿無しの根無し草の私達は、純がいないと生きられない。
だから、それは絶対にありえない。
……ありえないのに、私の頭の中ではずっとそんなことばかりが渦巻いている。
これ以上純に迷惑はかけられない。言ってしまえばそれだけの理由となる、最低最悪の解決法ばかりが。
梓「……私は、変わりたいのかもしれない」
憂「………」
梓「情けない自分から、憂を守れる強い自分に、変わりたいのかもしれない」
純に助けられてばかりで、一人じゃ憂を守れない弱い私から変わりたいのかもしれない。恋人だと胸を張れる自分に変わりたいのかもしれない。
純のように強く、優しくなって、純のように純を助けてあげたいのかもしれない。
そのために思いつくたった一つの方法が純を悲しませるものだなんて、結局は情けないとは思うけど……
憂「……梓ちゃん」
ずっと私の言うことに頷くばかりだった憂が、初めて私に向けて口を開く。
たった一言だけを紡ぐために、口を開く。
憂「……私は、一緒に行っていいよね?」
梓「――――」
その問いに、私は何と返せばよかったのか。
最終更新:2012年04月02日 23:27