私の確かめようとしていたことも、言ってしまえば最終的にはそこに繋がる。
本当に純は私の数歩先を見据えているんだなぁ……

しかし、最初の質問に対する答えも要はそういうことなのかもしれない。
どうして矛盾に気づけたのか、じゃなくて、矛盾に気づかないといけないんだ。
矛盾に気づき、私を消そうとしないと、成り代わらないと“私”は私として生きられないんだ。
憂も唯先輩も、気づく必要がないだけなんだ。消さないといけない存在がいないから。既に自分として生きることを許されているから。
皮肉にも、『死んだ』記憶までもが残っているからこそ、気付かず生きることが許されているんだ、二人は。
そしてそんな二人でも、きっと気づいてしまうとあの時の憂のように自分を見失いかねない。
『好きじゃなかった』という事実でさえあれだけ憂は取り乱した。憂ほどの人が取り乱したんだ、『他の人を好き』なんていう事実を突きつけられた“私”がどれほどそれを『否定』したがるかは想像に容易い。

目の前にいる“私”には、矛盾をなかったことにしない限り、『中野梓』という名前が与えられることはない。
名前を、そして居場所を欲する存在、それがドッペルゲンガーなのかもしれない。そう思うと、とても必死に生きようとしている存在だとも思うけど……

梓「……でも、だからって、私だって……死にたくないよ」

さっきの光景を思い出すと、今でも身が竦む。
そんな私を憂が抱き締めてくれて、「大丈夫だよ」と力強く囁く。

憂「梓ちゃんは、私が守るから」

梓「っ……」

その言葉は安心をくれるけど、でも同時に思ってしまうこともある。

また私は守られている。
私はいつだって守られてばかりだ。純に、憂に、そして学生時代はきっともっと多くの人に守られて。
いつも、いつも……

梓「……大丈夫」

憂「…そう?」

梓「大丈夫だよ。大丈夫じゃないといけない」

そう、大丈夫じゃないといけない。大丈夫にならないといけない。そのはずなんだ。
強くなりたい。そう願ったはずじゃないか、私は……

憂「……梓ちゃん?」

梓「………」

憂「梓ちゃ――」

梓?「私は、諦めないよ。私が『中野梓』になって、唯先輩に愛されるんだ…!」

純「健気だねぇ……」

憂「……っ。純ちゃん、聞きたいことはまだあるの?」

純「ん? んー、あったような気もするけど別にいいか。それよりも先に言っておきたいことが出来たよ」

憂「うん、私も」

梓「……?」

状況が掴めないでいる私をよそに、二人は“私”の前に立って、見下ろし、信じられない言葉を告げた。

梓?「……何?」

憂「……どうしても、諦めてくれないのなら」

純「私達だって、手段は選ばないつもりだよ」

梓「…っ!?」

“私”の顔が少しだけ歪む。それはきっと恐怖ゆえに。
そしてきっと私もそれに近い顔をしていると思う。直接その意思を向けられたわけじゃないから完全に同じ顔とまではいかないだろうけど、それでも同じくらい驚いたはず。

梓「ま、待ってよ二人とも。手段を選ばないって……どういうこと? 何するつもり?」

……なんて、我ながら白々しいことを聞いたなぁとは思う。わかってるくせに。直接口にしなかったのも二人なりの気遣いだとわかっていたくせに、私は自分からそれをふいにした。

憂「……どうしても、って時は」

純「……殺す、ってことだよ」

梓「っ…!」

……わかってたくせに。
“私”がそういう意気込みで来る以上、こちらもそれ相応の手段で返すことになるってわかってたくせに。
でも、それでも、そんなの……!

梓「お、おかしいよそんなの! そんな簡単に、こ、殺すだなんて!」

純「簡単? よく言うよ、ついさっき殺されそうになった人が」

梓「そ、それは……」

純「そこの“梓”は、簡単に殺しにきたんだよ、あんたを」

憂「梓ちゃんが殺されるのを、ただ黙って見ておくなんてできないよ、私には」

梓「だ、だからって! 相手は…相手は『人』なんだよ!? 人間として生きてるんだよ!?」

梓?「………」

純「厳密には人間じゃなくてドッペルゲンガーだけど。でもまぁそうだね、こっちの“梓”もちゃんと『梓』なんだって言ったもんね、私は」

そう、そうなんだ。
憂も唯先輩も、そして目の前の“私”もちゃんと認めている純が、そう簡単に命を奪おうとするなんて、それじゃ矛盾してる…!
だってそれじゃ、結果的に向こうの“私”が劣る存在だと、命さえもどうでもいい存在だと言っているようなもので!

純「だから、諦めて欲しいんだよね。私達があんたに危害を加える時は、もうあんたを『梓』とは見なくなった時だから」

梓?「ッ……」

梓「純! やめてよ! 違うでしょ!? そういうこと言ってるんじゃないし、聞きたいんじゃないよ、私は!」

優しい二人の、そんな言葉は聞きたくない。目の前の“私”を傷つける言葉は。
いや、相手が誰であろうと聞きたくなかった。いつも通りに相手を思い遣って理解する二人らしい言葉が聞きたかった。
でも、それは叶わない。

純「……自分で言った事と矛盾してるのは認めるよ。でもそれでも、守りたいんだから仕方ないじゃん」

憂「私達が守りたいのは、こっちの梓ちゃんだから。何がどうあっても、自分に嘘をついてでも、ね」

梓「っ……やめてよ、二人とも……そんな、そんなの……かわいそうだよ……!」

梓?「………」

自分でも信じられない言葉が口をついた。命を奪いに来た相手に「かわいそう」だなんて。
でも逆に考えれば、殺されそうになった私だからこそなのかもしれない。あの時は本当に怖かった。その恐怖がわかるからこそなのかもしれない。

梓「それに……憂も純も、怖くないの…?」

純「……そうだね。人の命を奪う、それはとても怖いことだよ。だからこそ最後の手段。だからこそこの場で“梓”には諦めてほしい」

憂「……それでも、いざとなったら迷わないよ。梓ちゃんを失う方が、何万倍も怖いから」

梓「………」

ダメだ。無理だ。きっと二人の言う事は何一つ嘘偽りのない本心であって、信念だ。私にはそれを覆すことは出来ない。
私の事を大切に思ってくれているからこその信念。嬉しくて悲しい覚悟。どうにかしたいけど、私のためだからこそ私の言葉ではどうにもできない。

そして信念を覆せないという意味では、きっとこっちも二人の言葉では揺らがない。

梓?「……私は、唯先輩と結ばれないくらいなら――」

梓「っ! と、とりあえず、さ!」

純「ん?」

梓「さ、先に澪先輩に電話してみていいかな?」

とりあえず話を逸らそう。三人の誰一人として止められなくても、せめて時間を稼ごう。
何か解決の糸口が見つかるかもしれないし。“私”が縛られている以上、安全は確保されてるんだ。二人としてもそこまで結論を急ぐ理由はないはず。

憂「……どうして?」

梓「…唯先輩の件についても、あれから何も言ってないし」

気にかけてくれた先輩に対して、何も連絡しないままというのは気になってはいた。私はその気遣いをふいにした側だから、どことなく気まずくて電話し辛かったけど……
一応、唯先輩を通じて事情は伝わっているはず。そう自分に言い聞かせて誤魔化し続けてきたけれど、それでもやっぱり不義理な気はずっとしていた。

梓「それに、もしかしたらこの“私”について何か知ってるかもしれない」

……実はこっちがメインだったりもする。
少なくとも澪先輩達はドッペルゲンガーの生み出し方を知っている。意図的に唯先輩を生み出したんだから。
だからそれと同じようなやり方で“私”を生み出した可能性もやっぱり充分にある。ただ、それを私から尋ねるのは非常に危険だ。

なぜならば。
そう思いたくはないけど、信じていたいけど、もしかしたら先輩達は私に死んでほしかったのかもしれないから。
ドッペルゲンガーを見た人は死ぬ。本物は死ぬ。これほど有名な都市伝説を、先輩達が知らないはずはない。
知った上で私を皆の理想の『私』に入れ替えることを望んでいたとしたら、私はその望みに気づかないフリをしていた方が明らかに安全なんだ。気づいていることを察された場合、強硬手段に出るかもしれないから。

だから、電話して遠回しにこのあたりを確かめてみたい、というのが大きい。
そんなはずはないと信じていたいけど、目の前にこうしてドッペルゲンガーが存在する以上、可能性の一つとして常に視野に入れておかなくてはいけない。
……少なくとも純は、憂に対してもそうやって接してきて、結果的に私達を守ってくれた。そのはずだ。
だから私も先輩達にそうやって接して、疑いが晴れたらその時に全部話して、協力してもらおう。そういう見積もりがあった。

さすがと言うかなんと言うか、純は私と寸分違わない考え方をしていたようで真っ先に同意してくれた。

純「んじゃ、カマかけてみますか」

でも、そう言いながら携帯電話を取り出す純の手を私は止めていた。
カマをかけるの発言からわかるとおり、考えてることは間違いなく純と全く一緒だけど、いや、一緒だからこそ止めていた。

純「……梓?」

梓「私が電話する。遠回しに確かめればいいんでしょ?」

純「そうだけど……」

梓「それに、唯先輩の件に関しては私から言わないといけないよ。その流れで話を振るんだから、私がやらないと」

純「……わかった」

ほんの少しだけ腑に落ちないといった声色で、純は手を引っ込めた。
心配してくれてるんだろう、というのはわかる。けどやっぱり、いつまでも心配されてばかりじゃいけないんだ。
そんな私の気持ちも汲んでくれたのかもしれない。そうだったらいいな、と思う。




【#27】


澪『――もしもし。梓?』

数コールの後、澪先輩の声が耳に届く。
いつもと変わらない、凛とした、それでいて優しい声。

梓「……はい。お久しぶりです、澪先輩。時間、大丈夫ですか?」

澪『ああ、まだ大丈夫だと思う』

梓「…まだ?」

「まだ」「思う」とか、澪先輩らしくない曖昧な予測で語られる言葉の真意は、すぐにわかった。

澪『うん、まだ唯が戻ってくるまで時間はあるはずだから』

梓「……唯先輩と一緒にいるんですか?」

唯先輩の名前を出した途端、二人が反応する気配がしたけど、そちらに目をやる余裕はない。

澪『鈴木さんから、何か聞いた?』

梓「あ、はい。一応、あの時に話したらしきことは全部」

澪『そうか。じゃあ説明するけど、生き返った唯と私は一緒に住んでるんだ。話すと長くなるけど――』


――澪先輩の状況説明を纏めるとこうだ。

生き返った唯先輩の居場所に悩んだ先輩達は、みんなでお金を出し合って大学から少し離れた所に一人分の部屋を借りた。
少し離れた場所にした理由はもちろん学生の人達に唯先輩を目撃されないように、それでいて自分達が様子を見に行きやすいように。
そこに唯先輩を匿うことにしたけど、やはり一人にするのはいろいろと不安なので誰かが一緒に住むことになった。
誰でもそれなり以上に唯先輩のことは助けてあげられるけど、問題は学業や部活との両立がやはり少し難しくなること。
事情を知っていてフォローしてくれる大学の軽音部の同級生の人達がいるらしいとのことだけど、その人達の中の誰とも学科が違うムギ先輩はフォローしてもらいにくく、真っ先に気を遣われたらしい。
そして澪先輩か律先輩か、となったわけだけど、律先輩は澪先輩を推した。澪先輩をフォローすることになるであろう協力者の同じ学科の人も、同じように律先輩と同じ学科の人から推されていたらしい。
どうやら二人とも似た者同士で、『誰かにために頑張る人を手伝う』ほうが向いてる気がする、と言っていたとのこと。

そうして多くの人に助けてもらいながらの唯先輩と澪先輩の共同生活が始まった。
多くの人が助けてくれる生活が安定しないわけはなく、すぐに二人は慣れ、澪先輩は私に電話をしてきて、しばらく後に唯先輩はこの街まで足を運んだ、ということらしい。
最初のうちは人に見られる可能性を危惧し、唯先輩を家から出そうとはしなかったけど、やっぱり家の中にいてばかりじゃいけないし唯先輩も出歩きたがるということで最近は特に制約をつけたりはしていないとのこと。
……どことなく、私達と似ている点も多くある気がした。


澪『…梓相手なら言うまでもないと思うけど、ただ一緒に住んでるだけだから。やましいことは何もないから!』

梓「あ、は、はい」

それはそうだろう。だって今の唯先輩は…私の事が好きなんだから。
それこそドッペルゲンガーを生み出してもおかしくないほどに。いや、そんなことはしないって信じてるけど!

澪『……いや、逆かな。梓にはこういう言い方しちゃいけなかったかな』

梓「……はい?」


……信じてる、はずだったけど。


澪『憂ちゃんっていう恋人と住んでる梓には、さ』

梓「え…っ? な、なんで知って……」


澪『……あの日、唯が見てたらしいんだ。梓と憂ちゃんが、キスしてるところ』


梓「っ――!?」


……その言葉を聞いた瞬間、信じてるはずだったものが、揺らぎ始めた。

だって、だってそんなの、考えられる限りの中でもっとも唯先輩を傷つけてしまう形でのバレ方じゃないか。
あの日ということは、フラれて傷を負ったその直後に、非情な追い討ちになる形で。
キス、それに同棲という、恋人らしさを何よりも見せ付けられる形で。
出遅れた自分を悔やみ、自分より一歩早かった憂を妬みかねない形で。
そして知らない人とのことならいざ知らず、誰よりも唯先輩に近い存在だった憂のことを隠していた私に不信感を抱きかねない形で。

……唯先輩の胸中には、私と憂に『裏切られた』という気持ちが渦巻いていてもおかしくはない。
好きな人に裏切られ、誰よりも近しい存在に負け、自暴自棄になっていてもおかしくはない。
仮に攻撃的な感情を抱かずとも、全てがどうでもよくなるくらいに落ち込んでいてもおかしくはない。


……そんな気持ちを抱いているなら、私を殺す存在であるドッペルゲンガーを望んでも、おかしくはない。


梓「……だとしたら、やっぱり、かなり落ち込んでました…よね?」

澪『ん、まぁ…そこは否定しないよ。でも、誰にもどうしようもなかった事だって、そう思ってる』

梓「……すいません」

澪『…私達が望んだ形じゃなかったのは事実だけど、梓は悪くないよ』

梓「それでも……結果的に、唯先輩は傷ついた」

澪『……うん』

梓「あの日、私のせいで傷ついた唯先輩を、慰めてあげられたのは澪先輩だけのはずです。私はまた、澪先輩に迷惑をかけたんです」

澪『………』

梓「だから……すみませんでした。あれからずっと、澪先輩には迷惑をかけてばかりです……」

澪『…それでも、梓は悪くないよ』

梓「……ありがとう、ございます…」

そう言ってくれる先輩達を、信じたい気持ちはとても大きい。
私の謝罪も心からのものだし、澪先輩の言葉も嘘偽りがあるようには聞こえない。
それでも……

澪『……でもやっぱり、梓とは、別の道を歩むことになりそうだな』

そう、その事実がある以上、先輩達から見て私はもう何の価値もない存在なんだ。一緒に行けないのだから。
だから……ドッペルゲンガーを生み出してもおかしくはない。一緒に来てくれる“私”を望んでもおかしくはない。

それが大袈裟だとしても、先輩達が私を殺すことを意図したわけじゃないとしても、それでも可能性は消えない。
他ならぬ私のように、無意識にドッペルゲンガーを求めてしまう可能性だってあるんだから。
意図せずとも、殺しかねない存在を生み出してしまう事だってあるのだから。
愛しく想い、求め焦がれてしまう、ただそれだけの感情のせいで。

……それでも私は、最後の望みを賭けて問う。
可能性なんてほとんどないと思っていながらも、希望を捨てきれず、問う。

梓「……もし」

澪『うん?』

梓「もし、私が……その、実は唯先輩や憂のような存在だったとしたら、それは誰が望んだんだと思います? そもそも誰かが望むと思いますか?」

澪『……梓?』

梓「…もしも、の話です」

もしも私がドッペルゲンガーだったら、それを生み出す可能性があるのは誰か。
私の最後の望みは、ここで全てを否定してくれること。先輩達の誰かがドッペルゲンガーを望む可能性も、生み出す可能性も、全てを。
私を傷つけ、殺す存在をこの世に産み落とす可能性を、全て否定してくれること。そんなことはさせないと言い切り、私にとっての絶対的な味方であってくれること。

深刻な話だというのは充分すぎるほどに伝わっているのだろう、たっぷり悩んだ後、澪先輩は口を開いた。

澪『……そんな怖いこと、考えたくもないけど。本当に、もしもの話なんだな?』

梓「はい」


澪『……だとしたら……やっぱり、唯、かな』


梓「……そう、ですか」


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最終更新:2012年04月02日 23:30