【#32】
――どれくらい泣いていたのだろう。
抱き合って泣いて、しゃがみこんで泣き続けて。
泣き止んでも落ち着くまでしばらくそのままだった私達は、そのままどちらからともなく自然と横並びになり肩を寄せ合って座り込んでいた。
憂「……どうすれば、よかったのかな」
梓「……わからない……」
それに対する答えは、私は持たない。
私の選択は間違っていたけど、正解は見出せていない。私も憂も唯先輩も“私”も含めた、皆の望みが等しく叶う『正解』は。
梓「…でも、もう今更考えたってどうしようもないのかも」
憂「……そうだね。私が壊しちゃったし」
梓「そうじゃなくて…。過ぎたことを考えてもしょうがない、ってこと」
その憂の選択だって私のせいなんだけど、それを言うとまたごめんねの繰り返しになるから話を逸らす。
梓「……ねぇ憂、これからどうしようか」
私の問いに、うーん、と少し考え込んで、空を仰ぎ見ながら憂は答える。
その横顔を綺麗だと思い、好きだ、と思った。
憂「……私達に、何ができるのかな。何をしていいのかな、私達は」
梓「……難しい問題だね、それは」
……全てを捨てた私と、既に死んだことになっている憂。こんな私達に何ができるのか。
それは確かに、少しだけ難しい問題かもしれない。私達は等しく、この世界に居場所がない。
でも、居場所は無くても私達はここに在る。あるんだから、何か出来るはず。
少なくとも、それを探すくらいは出来る。
憂と一緒に、二人でずっと一緒に探していきたいと思った。
梓「……じゃあ、これからどこに行こうか」
憂「……私は、梓ちゃんと一緒ならどこへでも」
梓「……うん。私も憂と一緒ならどこでもいいよ」
不思議と不安は無かった。
この世界は見えないものだらけだけど、憂が隣に居てくれればそれだけでよかった。
憂の笑顔が隣にあれば、それだけで充分な気がした。
……他の何も、要らない気がした。
無くても構わないと思った。私に無くても構わないし、憂に無くても構わない。そう思った。
隣に居る憂が、そう思わせてくれた。
私もそう思わせてあげられたらいいな。そうすれば私達は、ずっと二人で生きていける。
もう他の人に合わせる顔を持たない私達二人は、そうやって寄り添い生きていく以外の幸せを一切手にしてはいけない気がした。
それは人として最上級の幸せだとも思うけど、それ以外のモノを『見なくてもいい』という意味ではないんだ。
お互いの存在だけを支えに、世界の全てから責められながら生きていく覚悟をしろ、という意味なんだ。
それでも、憂となら大丈夫。そう思ったのも本当だから。
……二人、瞳を閉じ、綺麗に重なり合う互いの想いにしばらく身体も心も預けることにした。
私達は、この世界で、二人きりで生きていく。
ずっと、ずっと一緒に。
◆
◆
【エピローグ】
――決意を胸に、茜色の空を背に、私は一足先に立ち上がって憂に手を差し出す。
先に憂を置き去りにした私だから、今度はもう手を離さないということを見せないといけない気がしたんだ。
私を見上げる憂の顔は、夕陽に照らされてとてもキレイで。
物悲しいはずのオレンジ色の作り出す陰影は、憂の笑顔に照らされて霧消してしまったかのよう。
もう二度と、この手を離さない。
それが『私』でない私に出来る、憂にしてあげられる唯一のコト。
他の皆には、私のことなど忘れて生きて欲しいと切に願う。私を忘れ、“私”と仲良くやってほしいと思う。
そうなれば、私は寂しいと思う。傷つくと思う。傷つくことが、私が皆にしてあげられる唯一のコトだから。
……でも、ちょうど憂が立ち上がった時、そんな私の決意を揺るがしそうなサウンドが聞こえてきた。
梓「……これ……?」
聞こえてきたのは、唯先輩の歌声。
歌声とだけ言うと少し語弊があるかな。何かを通じてどこかから聞こえてくる、録音されたようなそんな歌声なんだ。生の声じゃなくて。
出所はどこだろう、と私が考え始めるよりも先に憂が反応した。
憂「あっ…!」
すぐに憂がポケットに手をやる。唯先輩の歌声は取り出された携帯電話から流れていた。
……別に、それくらいは想定していた。唯先輩を大好きな憂が唯先輩の歌声を着信音にしていても何もおかしくなんてない。去年から大学と高校で離れてしまったのだから尚更。
それに、それも憂らしさ。そして私達が背負っていかなくてはいけないこと。責めるつもりなんてない。
……でも、問題はそこじゃなかった。
憂「……梓ちゃん」
梓「…どうしたの?」
憂「……電話、純ちゃんからなんだけど……」
……純。
純。私も憂も、多大な恩を受けておきながらそれを仇で返した、私達に最も近い親友。
憂のことでいっぱいいっぱいで考えてなかったけど、確かに真っ先に電話などをしてくるであろう存在は純だ。
どっちだろう、とまず考えた。電話してきた理由は、憂が家に居ないからなのか、全てを知ってしまったからなのか、どっちだろう。
可能性としてはもちろん後者が高い。憂にあっさり話した“私”のこともあるし、純はああ見えて鋭い面もあるから。
でも、悲しいことだけど憂の残した遺書は“私”の描いた筋書きから外れてはいない。だから隠し通す可能性も充分にある。死のうとする憂を引き止めるためだけに電話してきた可能性もあるんだ。
そしてどっちにしろ、電話に出てしまえば胸の痛む展開しか思い浮かばない。
しかし、今が純に、お世話になった親友に別れを告げる最後のチャンスでもある。そしてそういう意味ではここが最後の一線なんだろう、とも思う。
梓「どうしよう……」
憂「……梓ちゃん、あのね」
悩む私に、憂が自分の考えを告げる。
憂「……出ちゃ、ダメかな」
梓「…うん、じゃあ出ようか」
悩んでいたけど、憂がそうしたいのなら止める理由はない。
たとえ胸の痛む展開になろうとも、誰よりも私達を助けてくれた純にちゃんと別れを告げることができれば、私達はそこで私達の生き方を身をもって知ることができるんだ。
痛みと共にずっと生きる、そんな私達のこれからの生き方を。
憂も同じ考えなのは疑うまでもない。憂だって頭の回転は私以上に速いから、予想しうる展開なんてとっくの昔に思いついてるはず。
それでも出たいと言うんだから、私にはそれを後押しするしかできない。私の言葉に曖昧な笑顔で頷いた憂は、通話ボタンを押し、電話を耳に当てる。
憂「……もしもし?」
純『あ、憂かぁ。もしもし?』
……純の声が聞こえてる。スピーカーにしてるんだろう。
いいのかな、とも思ったけど気づかない憂でもないし、そもそも意図的にやらないとこうはならないはず。だとすればこれは私のため。今は静かに聞いておこう。
と、思ったんだけど。
純『憂、梓と一緒にいる?』
憂「えっ? う、うん……」
なぜ真っ先に私の事を聞くのだろう? と少し疑問に思ったけど、きっとさっき考えた電話の理由が後者だったんだ。
全てを知っている。憂の遺書が偽物であることも知っている。なら私も、憂と一緒に純に別れを告げないといけない。
そう思い、憂から携帯電話を受け取り、深呼吸して言葉を紡ぐ。
梓「……純」
純『おお、梓。今どこにいるのさー。早く帰ってきてよ。お腹空いたよ』
その言葉自体は、すぐに演技だとわかった。向こうには“私”がいるんだから。
電話してきたタイミング的にも、家に帰ってすぐに電話をしてきた可能性は低い。
きっと事情を聞いて、その後に電話してきたんだろうと思う。
梓「っ……」
でも、わかっていても、胸が痛い。
わざとだとわかっていても、私の言葉を引き出すための純の演技だとわかっていても、胸が痛い。
だって、きっとそれは純が望んだ日常の姿なんだから。私と憂は諦めているモノなんだから。
そして、私が今から、頭から否定しなければいけないものなんだから。
梓「……ムリ、だよ。戻れないよ」
純『……なんで?』
梓「……やめてよ。知ってるんでしょ? “私”から聞いたんでしょ? 『
中野梓』から」
ちょっとキツい言い方になったけど、そうならざるを得ないくらい胸が痛かったんだ。
それも私が背負わないといけないものだと、わかってはいるんだけど。だから純がまだ演技を続けるようならそれに乗るつもりではあったけど。
でも純は、あっさりと認めた。
純『ん、まぁね。本題もそれだし。ごめんね、意地悪した』
梓「……別に、謝らなくていいよ。悪いのは私なんだから」
そう、悪いのは私。全てはそこに集約される。
今の言葉も、私の弱さが招いたこと。
今の状況も、私の弱さが招いたこと。
何にせよ、悪いのは全て私。憂にではなく純になら、そう言い切って差し支えない。
そしてありがたいことに、純はそこには触れずに話を続けてくれた。
純『……私達のために、こっちの“梓”を殺そうとした。けど無理だった。だから自分が消えることにした。そうだよね?』
梓「……うん」
私か“私”か、どちらかが消えないことには状況は変わらないと思った。結局はそれに尽きる。
いろいろ悩んだけど、純みたいな第三者から言わせればそれだけの短い言葉にまとまる出来事だったとも言える。
そして純は、そこまでちゃんと知っている純は、たった一言、言葉を告げた。
純『……バカだね、梓は』
梓「…………は?」
さすがに予想外だった。バカって。バカって。なにそれ。
なんかこう、こういう時って普通は言葉を選んで引き留めようとするか、理解して言葉少なに送ってくれるとか、そういうものじゃないの?
梓「じゅ、純?」
純『聞こえなかった? もう一回言ってあげようか?』
梓「いや、その、そうじゃ――」
私の言葉は、最後まで言い切ることは出来ず――
純『この、ばぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああーーーか!!!!!!!!』
梓「」
憂「ひぃっ……あ、梓ちゃん? 梓ちゃーん!?」
――携帯電話を憂の掌の上に置き、二人並んでそれに向かう形で話を再開する。
憂「……梓ちゃん、大丈夫?」
梓「まだ右耳がキンキン言ってる」
スピーカーにしてたとはいえ、憂は離れていたからそこまで被害はなかったようだ。
純『…謝らないよ。そう言われても仕方ないだけのことを、梓はしたんだから』
梓「……まぁ、そう言われると、比喩でも耳が痛いけど」
否定できないし、罵られても仕方ない。それだけのことをした自覚はある。
でも……
梓「でも、だからこそ……戻れないよ」
もう嫌と言うほど自覚している、その答え。
私は、私達は、傷つけた人達に合わせる顔がない。詫びる言葉もない。
それに、戻ればまた振り出しに戻るだけ。私と“私”の問題が顔を出すだけ。私達がいないほうが皆の周囲は平和になるんだ。
梓「純には、みんなには、酷いことをしたって思ってる。だからこそ、戻るなんて出来ないよ…!」
純『…まぁ、確かに戻ってきたところで『梓』が二人いる状況は何も変わらないしね。賽を投げちゃったら引き返せない、ってのはわかるつもりだけど』
憂「……ごめんね、純ちゃん」
純『……憂も、そう思ってるの?』
憂「…うん。思ってるから……純ちゃんを置いて、梓ちゃんを追った」
純『それもそっか。良かったよ、ちゃんと追いつけて』
憂「……ごめんね」
純『……でもね、それでもバカだよ、二人とも。特に先走った梓はどうしようもないバカ』
梓「また……」
まぁ、そう何度も言われても仕方ないだけの事をした……
と言おうとしたから、純の次の言葉には絶句した。
純『違うんだよ、梓。“梓”を殺す以外の解決法は、ちゃんとあったんだ』
その言葉の意味は、何なのか。
思考が追いつかないのと、考えたくないという思いが、口を動かすことを良しとしなかった。当然、頭の方も回っていないんだけど。
そんな私に代わってか、逆に私を気にしてもいられなかったのか、憂が叫んだ。
憂「っ…どういうことなの!? 純ちゃん!」
純『どういうことも何も、今、現にそうして梓は生きてるでしょ』
憂「それはそうだけど……それは梓ちゃんが自分を犠牲にしてくれたから…!」
純『……憂。私達が“梓”を殺そうとしたのは、そうしないと梓が殺されると思ったからだよね』
憂「う、うん」
純『でも、過程はどうあれ今は梓は生きてる。命だけはある。“梓”にとって、梓を殺すこと自体は絶対条件じゃない』
そうだ、それは私も“私”本人から聞いている。
“私”は『私』になれればそれでよかった。命を奪って成り代わるのが簡単で確実で、何の食い違いも起きない最善の方法だったというだけで。
今の状況だって、言い換えれば“私”は私の外側の『中野梓』を殺して剥ぎ取り、成り代わった、とも言える。
でも、内側にある命だけは奪われてないんだ、私は。
純『だから逆に、私達が“梓”を殺すことも絶対条件じゃないワケ。今みたいに、誰も死なずに解決する方法はどこかにある』
憂「……そう、なのかな」
純『まぁ、私もこうして梓が生きてるって聞かないとそこまで思い至らなかったわけだから偉そうな事は言えないけど』
憂「………」
……憂も私も、純の並べる言葉を信じるか悩んでいた。
憂も私も、痛いほど悩んで苦しんでこの結論を出したんだから、そう簡単に信じてはいけないと思ってる。だってそんな都合のいい『正解』があったなら、多くの人を傷つけた自分の決断の全てが無駄どころか大きなマイナスにしかならないんだから。
それにそもそも何度も言ったとおり、正解があって全てが元通りになるとしても、私達は皆に合わせる顔がない。
自分勝手に皆を傷つけたんだから。私達には、苦しみながら生きていくのが相応しいんだから。
でも、それら全てが『赦される』答えがあるというのなら、信じてみたくもなる。
私達がそれら全てに『償える』答えがあるというのなら。
だって、そうすれば私達は楽になれる。
償えれば、赦されれば楽になれる。
憂が救われれば、私は楽になれる。
私自身のことはどうでもいいけど、私が色々背負わせてしまった憂が救われるというのなら、信じてみたくなる。
私なんか赦されなくてもいいけど、憂が赦されて普通に暮らせるようになるというのなら、信じてみたくもなる。
憂のことを優先しているようで、結局は『憂に幸せになってほしい』という私の願いなんだけど。
つまり、結局は反吐が出るほど醜い自分本位の願いで、甘えなんだろう。
好きな人が幸せなら自分も幸せ、なんていう恋愛の理想論は、好きな人も自分も同時に幸せになりたいというこの上なく欲深い願望と等しいんだろう。
一石二鳥、一挙両得。そう言うのが相応しい、利己的な人間らしい欲なんだろう。
それでも願わずにはいられない。恋人の幸せを。
そしてきっと憂もそう願ってくれている。だから私はもう憂から離れられない。もう憂を泣かせたくないから。
私のことなんかどうでもいいけど、憂の幸せを願うなら私も一緒にいないといけない。一緒に幸せにならないといけない。
今日の憂の涙でそれに気づかされたから、私はもう憂から離れられない。
憂を好きなら、憂から離れちゃいけないんだ。
……問題はやはり、純のその理論を信じるかどうか、というところ。
純の事は信じたい。親友だから。でも純の言葉だけを信じて、傷つけた人の前にノコノコと顔を出せるほど恥知らずでもない。
信じるからには、顔を出すからには、責任を持って解決しないといけない。胸を張ってごめんなさいが言える状況を作り上げないといけない。
純を信じるかどうかというより、勝算があるかどうかを疑っている、と言ったほうがいいのかもしれない。100%の勝算が。
でもだからって、純の想いを完全に度外視して見られる状況でもなくて。
純『……私は、さ。皆で仲良くしていたいよ、ずっと』
梓「……純……」
純『梓と憂と、そして私が『梓』だって認めた“梓”とも、仲良くしていたい。どんな事情があったとしても、親友との喧嘩別れは寂しすぎるよ……』
憂「純ちゃん……」
「寂しい」と、純は言った。
能天気でマイペースで自由な、言ってしまえば悪友に位置しそうな親友が、初めて覗かせた哀の感情。
憂といろいろあってから、ずっと頼りにしてきたカッコいい親友の、頼りない言葉。
そんな言葉は、やっぱり私の胸を締め付ける。
純のことも、憂と同じように捨ててきたと言えるけど。
それでもやっぱりこうして弱さを目の当たりにすると、助けてあげたいとか思ってしまう。
捨てた身でありながら、図々しくもどうにかしてあげたいと思ってしまう。
純を助けれる人になりたいと、そう願ったこともあったから。
……私は、折れるべきなんだろうか。
憂と二人だけで細々と生きていく決意を折り、図々しくもう一度皆の前で頭を下げるべきなんだろうか。
自ら意図的に傷つけた身でありながら、率先して赦しを請うべきなんだろうか。
憂と純のために、面の皮の厚いふてぶてしい奴になるべきなんだろうか。
憂「……梓ちゃん……」
隣の憂の顔を見て、少し考える。
少し考えて、少し考え方を変える。
そして、開き直って結論を出す。
梓「……純、どうすればいいと思う?」
少し考え方を変えた私は、純の言葉に乗ることにした。
最終更新:2012年04月04日 20:45