実に図々しいと思う。
皆に合わせる顔がない。それは重々承知している。

でも、私自身のことなんてどうでもいいじゃないか。

私が図々しくて自分勝手で生意気で面の皮が厚い女でも、憂が幸せならそれでいいじゃないか。

私がどうしようもない奴でも、今よりも憂が幸せになれるというなら、それに乗らない理由はないはずなんだ。
私が隣にいてくれればいいって憂は言ったんだから、それを前提とした上で今より幸せにしてあげることが出来るなら、乗らない理由はないはずなんだ。

考え方がコロコロ変わり、あっちにこっちに行ったり来たり。
フラフラしてる私だけど、憂の幸せを願う気持ちだけは変わらない。


純『……え、っとね。その、私も明確な解決法ってのは思いついてないんだけどさ』

私がすんなり受け入れたことに動揺しているのか、たどたどしく純が話す。

純『でも結局は、今みたいに二人それぞれに居場所があればいいと思うんだよね』

梓「私は憂の隣に、“私”はいずれ唯先輩の隣に、ってこと?」

純『そんな感じ。居場所があって、ちゃんとそれを皆に認めてもらえれば、それだけでオッケーだと思うんだよね』

それでも『中野梓』の名義はどちらか一人だけに絞らなくちゃいけないけど、とも言うけど、それは仕方ないと思う。
名前なんてさしたる問題じゃない。幸せに生きていられて、胸を張っていられる。そんな居場所がある。それが大事なんだ。

ただ、それが何よりも難しいことだ、というのもわかってる。

梓「……私と“私”の存在を、それぞれの居場所を認めてもらうってことは、それはつまり今まで私達二人の間にあったこと全てを話すということになるよね…?」

純『まぁ、それが一番の近道かなぁ』

近道というか、ぶっちゃけそうやって話した上で認めてもらえればそれだけで解決なんだけど。


梓「……でも、それは絶対に出来ないよ」


私と“私”が互いに殺そうとしあったことなんて、皆に説明できるわけがない。
『本物』と『ドッペルゲンガー』として争ったことなんて、説明できるはずもない。

あの時に決意した通り、これは隠し通さないといけない。
でないと、“私”を生み出した人が自分を責める。殺し合う原因を生み出したことを責める。好きな人を苦しめた自分を責める。
仮に本人が気づかずとも、周囲の人にはそう映る。あの人のせいでこうなったんだ、と。

つまり、“私”を生み出した唯先輩を、苦しめてしまう結果になる。
それだけは絶対に駄目だ。唯先輩は何も悪くなんてない。話してみた私にはわかる。あの人は今だって素敵な先輩のままなんだ。まぁ、キスされたのはショックだったけど。
それでも結局はちょっとタイミングが悪かっただけ。ちょっと事情がすれ違っただけ。
それなのに、そんな素敵な唯先輩を悪者に追いやるような説明が出来るわけがない。
そう思ったからこそ、私は澪先輩にも相談せずに解決しようとしたんだ。なのに今更説明できるわけが――

純『いや、案外なんとかなるかもしれないんだよね。上手くやれば』

梓「…どういうこと?」

純『ずっと気になってたんだけどね……


   先輩達は、一度も『ドッペルゲンガー』って口にしてない気がするんだ』


梓「っ!?」

言われて、思い返してみる。
……確かに、確かに口に出してはいないような気はするけど……

梓「ま、まさか……」

純『……澪先輩のネタバラシを聞いた私だから、わりと自信持って言えるよ。終始、「生き返った」って言い方だった』

梓「いや、でも……」

しかし、確かに可能性としては五分五分だ。
私達の場合は、純が『ドッペルゲンガー』という言い方を決めた。勝手に決めた。限りなく正解に近いとは思うけど、そもそも合ってるかすらわからないんだ、本当は。
だから、先輩達に教えた人と見解が一致している可能性がそもそも低い。純のような物事の見方をする人なら同じ答えに辿り着く可能性はあるけど、それだけだ。

五分五分の可能性の中で、それでも私も純も先輩達の口から『ドッペルゲンガー』という言葉を耳にした記憶は無い。
そうなると、先輩達は『ドッペルゲンガー』と定義さえしていない可能性が高くなってくる。

梓「だとしたら……ドッペルゲンガー絡みの事は言わなくても済むかもしれない…!?」

純『うん。殺し合いになった、なんて言わないでもケンカになった程度で誤魔化せるかもしれない』

ドッペルゲンガーは人を傷つける存在。ドッペルゲンガーという呼び名自体にそういう前提と先入観があるけれど。
でもそれを伏せて説明することができれば、それこそ純の言う通り、ただの喧嘩程度で通せるかもしれない。
命を奪い合おうとした存在だと説明してしまうと、聞く人にも『相容れない存在なんだ』という印象を持たせてしまうから、これは大きなメリットになる気がする。

そして『ドッペルゲンガー』と知らないとするならばそれ以上に、先輩達は、唯先輩は、ドッペルゲンガーと知っていて“私”を生み出したのではない、ということになる。
つまり、あの時の私が万が一の可能性として懸念していた「先輩達は私を不要なものと判断した」という憶測の否定に繋がる。信じていたつもりだったけど、それは素直に嬉しい。
嬉しいからこそ、これは何があっても成功させたい、という気持ちになる。

少し、光明が見えた気がした。

梓「……ねぇ純、そこに“私”も居るんでしょ?」

先輩達を誤魔化すためには“私”との口裏合わせも必要不可欠だ。
「二度と会いたくない」とは言われたけど……事情が事情だし、わかってくれると信じたい。

そんなわけで、“私”と相談しようと思って純に聞いた。……んだけど。

純『あっ!!』

梓「……何?」

純『そうだった、私に伝えてすぐ、“梓”は唯先輩に会いに行ったんだよ。憂の書き置きを持って』

梓「ええっ!?」

どうしてそんな大事なことを言われるまで忘れてるかな、純は……

梓「っていうか、そんなことしたら唯先輩は憂を探すに決まってるじゃん!」

純『まぁ、だからこうして私が電話してるんだよ。さすがに唯先輩からの電話には出にくいでしょ?』

憂「……うん、そうかも」

梓「いや、でもそうじゃなくて、そっちじゃなくて、そんな結果が見えてるのになんで……」

憂のこととなると、唯先輩が動かないわけがない。そんなの目に見えてる。
でも私も憂も唯先輩に合わせる顔がないし、“私”としても一通りの解決の目を見たんだし、唯先輩に私達を見つけてほしくないはず。
つまり得をするのは純くらいのはず。なのに話を聞く限りでは“私”が率先して動いたとのこと。どうして?

純『隠せって言うの? あの唯先輩に、憂のことを』

梓「あ………」

そうだ、冷静に考えてみればすぐにわかる。
あまり思い上がった言い方はしたくないけど、唯先輩と憂は私を取り合う恋敵。それでありながら相手を絶対に嫌いにはなれない、そんな関係。そんな唯先輩に憂の身に起こったことを隠し通すのはきっと不可能だ。
それに、憂がそんな決断をしたことを唯先輩に隠せば、発覚した時に唯先輩は余計に傷つく。
いや、傷つくどころか唯先輩に嫌われかねない。好意を抱いている“私”なら伝えるより他に選択肢はないんだ、最初から。
もちろん、『唯先輩のためにすぐに伝えに来た』体を装いながら、それでも間に合わなかった……とするのが“私”にとってベストなシナリオなんだろうけど。

純『とりあえずそんなわけだから、“梓”と口裏を合わせるのはムリかも』

仮に純か憂が“私”の携帯に電話したところで、その隣には唯先輩が居る可能性が高い。
というか唯先輩と一緒にいたいという想いだけを胸に行動している“私”にとってはそもそも今のままでも別に構わない、と考えている可能性だってある。
仮に口裏を合わせるとしても、絶対に成功するという確証がないと乗ってこなかったんじゃないかな、とも思う。

梓「……でも、それじゃ難しくない?」

純『まぁ、ね。とりあえず私も今からそっちに行くから、合流して相談して、何かアイデアが浮かぶまでは唯先輩と接触しないように――』

と、純が言い切る前に、憂が顔を上げ、周囲を見渡した。

憂「――………」

梓「…憂?」

純の言葉の続きを聞くよりも、純に私達の居場所を伝えるよりも、憂のその行動が気になった。
けど、その行動の理由は、わかってみれば簡単なもの。とてもわかりやすいもの。


憂「……お姉ちゃん……」


唯「……憂……」



さっきよりも少し低くなった夕陽を背に、唯先輩が立っていた。




【ED≒OP】


唯先輩が私のほうを一瞥して、ほんの少しの時間だけ驚いた顔を浮かべてから、憂に向き直った。
その顔には、純粋な心配と安堵が浮かんでいる。

唯「……心配したんだよ、憂」

憂「……ごめんね」

唯「……ううん、無事ならそれでいいよ」

憂「……どうして、ここがわかったの?」

唯「憂のことだもん。わからないわけがないよ」

憂「……お姉ちゃん……」

全然理屈になっていないけど、それこそが理屈なんだろう、とも思う。
この二人の絆はそれほどのものだ、という理屈。以心伝心というか、何処に居ても通じ合ってるというか。
外見や感覚のそっくりさと言い、姉妹よりも双子と言った方がしっくりくると思ったことも一度や二度じゃない。

唯「……そして、あずにゃん」

梓「っ、は、はい」

唯「いろいろ説明して欲しいんだけど――っと?」

梓´「っ――!」

私に向き直り、そう告げた瞬間、唯先輩の後ろから走ってきた“私”が唯先輩の背中に抱きついた。
やっぱり行動を共にしていたらしい。でも“私”としても、唯先輩がこうも容易く憂と私を見つけるのは予想外だったんだろう。
私の場所からは、私と目が合った一瞬の、驚愕の、そして泣きそうな顔がよく見えた。

梓´「……唯先輩っ……!」

唯「……ごめんね。でも、知らないままじゃいられないよ」

“私”の悲痛な声は、その心情を嫌と言うほどに唯先輩に伝えたはず。
すなわち、「何も聞かないで、知らないでいて」と。でも唯先輩はそれを受け入れなかった。
理由はわからない。唯先輩はどこか自分の責であるかのような言い方をするけど、唯先輩にバレるようなことは何一つ言っていないはずなのに。
でも、その答えはすぐに唯先輩の口から告げられる。

唯「……あずにゃん、二人とも、辛そうだから」

梓「……そんなこと……」

そんなことない、と言いたかったけど、言い切れない。
私は自分で思っているよりずっと感情が顔に出やすいらしいし、“私”に至っては誰がどう見ても辛そうと言う他ない。
少なくとも、私達皆が何かを隠しているという事くらいは痛いほど伝わっているだろう。そして唯先輩はそれを知りたがっている。
おそらくは、いつも私に接するように『先輩』として。

でも、私はどう切り出せばいいかさっぱりわからないでいた。
そもそも純と相談の最中だったんだ、なのに突然何か言えと言われても――

梓「……憂、純は?」

純『聞こえてるけど……ゴメン、何も出来そうにないね』

梓「そんな……」

純『何も考えがないのは私も一緒だよ。だったらその場に居ない私に出来ることは、何もない』

一見冷たい言い方だけど、条件が一緒なら、話す相手の顔色とかを窺える私の立場のほうがその場に合わせた『答え』を導き出せる、という意味だろう。
コミュニケーション能力に長けた純が言うのだから疑う余地はないし、言われてみればその通りだと思う。

唯「……純ちゃんなの? 電話が繋がらないと思ったら……」

憂「…純ちゃんも、引き留めようとしてくれたんだよ」

唯「そっか……ありがとね、純ちゃん」

純『いえ、そんな…。……じゃあ切るよ、梓』

梓「っ……」

憂「………」

私の返事を待たずして電話は切れた。
隣で携帯電話をしまった憂が不安そうな顔で私を見つめてくる。



……やらなくちゃいけない。私が。

そもそも目の前に当事者がいるのに第三者が電話から状況を説明するというのも変な話だ。それでは唯先輩が納得するかさえ怪しいから、やっぱり私がやるべきなんだ。それはわかる。
……それでも、私にちゃんと出来るのかという不安は残る。でも、もう他に道はない。ずっとずっと純に頼っていたけど、ここにきて純から私は託されたとも言える。心細いけど、やるしかない。
何も思いついていないし、どう言えばいいかもわからないけど……今度こそ私が、終わらせないと。

唯「……あずにゃん」

梓「……私、ですか?」

唯「そだね。そっちのあずにゃん。憂の隣に居てくれたあずにゃん。憂を引き留めてくれたのは、きっとあずにゃんだよね」

梓「それは……その……」

唯「手紙を見る限りは、原因もあずにゃんっぽいけど……ここにいるってことは、引き留めてくれたんだよね」

その問いに、私は何と答えればいいのか。
手紙自体が嘘だった、というのが真実だけど、それを言うと次はじゃあどうしてそんな嘘をついたのか、という方向に話が行く。
そうなってしまうと、話がどんどん遡っていって最終的には私と“私”が居場所を奪い合うような存在であることを説明しなくちゃいけなくなるような気がした。
嘘は吐きたくない。けど、唯先輩を傷つける真実に繋がるような答えを返すのはそれ以上に嫌だし、当初の私の想いに反する。
純は正直に話すのが近道だと言ったけど、それをそのまま受け止めてはいけない。純は「そうしろ」とは言わなかったんだから。

……考えるんだ。どう言えば、唯先輩を傷つけないで済む? どう言えば、全てが丸く収まる…?

梓「えっと――」

憂「……梓ちゃんが、お姉ちゃんを好きになった。私にはそう見えたの、お姉ちゃん」

梓「……憂?」

唯「……うん、手紙にはそう書いてあるね」

私達を置き去りに、憂が唯先輩に説明する。
憂の狙いは読めなかったけど、意図はわかる。わかるというか、信じてる。
憂と私の想いは一緒なんだから、私はただ信じていればいい。信じながら、自分がするべきことを考えるんだ。

憂「…そして実際、梓ちゃんはお姉ちゃんを好きになってた。……そっちの“梓ちゃん”だったけどね」

唯「……憂も、見間違えた、ってこと?」

憂「その手紙を書いた日、私のところにいたのはそっちの“梓ちゃん”だったよ」

梓´「………」

憂「だから……あの手紙にあるようなことは、しないよ。ごめんね、お姉ちゃん。心配かけちゃって」

唯「……ううん、いいよ、憂が無事なら。これからもずっと無事なら」

憂「うん。梓ちゃんと一緒にね」

梓「………」

上手い、と思った。
全体の事情を知ってればそれは確かに嘘なんだけど、憂は一度も嘘を口にしてはいない。
“私”を見て、その手紙を書いた。そして今となってはあの手紙はなかったことにしてほしい。そうとしか言っていないんだ。
屁理屈のようだけど、それは確かに嘘ではない。隠し事はしているけれど嘘ではないし、何よりも伝えるべきことはちゃんと伝えている。
言わない方がいい真実を伏せて、伝えるべき真実を伝える。真実の『核』だけを伝える。隠し事をしている負い目はあるだろうけど、ただ漫然と全てを伝える人より二倍相手の事を考えている、とも取れる。
私も、こんな風に上手くやれれば……

憂「梓ちゃんは、ずっといつまでも私の隣にいてくれるって言ったよ」

唯「……そっか。ありがと、あずにゃん」

梓「いえ……その、唯先輩にはちゃんと言ってなかった気がしますけど……私、憂のことが好きですから」

ちゃんと言ってれば、こんなことにはならなかったのだろうか。それはわからない。
あの時の私がちゃんと言えなかった理由は、あれ以上唯先輩を傷つけられなかったからに他ならない。
相手が憂だという事どころか、既に両想いで付き合っていることすら言えなかった。唯先輩の気持ちが叶わぬものであることを口にすることが出来なかった。
匂わせるので精一杯だったんだから、それ以上先のことが言えるはずもない。
でも、それもまた私の弱さだったのかもしれない。それが招いたのが今の状況であるのもまた事実だと思うから。

梓「……ごめんなさい。唯先輩には、憂のお姉さんには、ちゃんと言っておくべきでした」

唯「それは……うん、憂のことを隠されたのはショックだけど……でもあずにゃんも別に私にイジワルするために隠したわけじゃないでしょ?」

梓「そんなことするわけないじゃないですか!」

唯「そうだよね。あずにゃんはそんな子じゃないもんね。だから好き」

憂「お姉ちゃん……」

唯「………っ」

何とも言えない沈黙が流れる。
やっぱり唯先輩は、心のどこかで私を諦められないんだろう。ドッペルゲンガーを生み出したわけだし、それは充分わかっていたこと。この場で責めるつもりなんて全くない。
けど、それでも諦めてくれないと困る。私が好きなのは憂なんだから。諦めて、そっちにいる“私”と結ばれてくれるのが理想であって――

梓「………」

いや、待って。ちょっと待って。
唯先輩が好きなのは私じゃない。私じゃなくて、かといって“私”でもなくて、『中野梓』が好きなんだ、唯先輩は。
唯先輩が今、“私”ではなく私に話しかけている理由は、きっとあれだけの理由。


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最終更新:2012年04月02日 23:47