和「……あら?」

この辺りでも有名な、桜の名所に来ていた私の視界に入ったのは、軽音部のメンバーの1人だった。

艶やかで長い黒髪。女性らしいラインを持ちながらも、バランスとスタイルの良い四肢。クールそうな雰囲気。見間違えるはずは無い。

和「澪じゃない」

私は桜雨の中を進み、木の下に座って何やら書いている彼女の側へと行った。

澪「ーーあっ、和」

自分の名を呼ぶ声に反応し、澪は私の方を向くとにっこりと笑った。

ーー綺麗な娘。

私は思う。

舞う桜の中に居るという環境も大いに力を貸しているのだろうが、それを差し引いても彼女は凄く綺麗だ。

その経緯からか澪本人は嫌がっている様だが、学校でファンクラブがある事も素直に納得してしまう。

ーー経緯はあくまでファンクラブが出来た経緯で、元から貴女に憧れている娘は沢山居たのにね。

和「奇遇ね、こんな所で会うなんて。
一人?」

私は澪の隣に座り、聞く。

澪「うん。桜を見ながら歌詞を書こうと思ってな。
作詞をする時は、一人でどこかに出かける事も多いんだ」

和「あら。じゃあお邪魔だったかしら」

悪い事をしたかなと思ったが、澪はやわらかな笑顔で顔を横に振り、

澪「いや、そんな事はないよ 。
むしろカッコ良い和と一緒だったら、良いラブソングが書けるかもってふと思った」

和「……カッコ良いって、私が?」

澪「ーーあっ、ゴメンな。悪い意味じゃないんだ。
その……私にとって和は、王子様みたいで憧れなんだ」

和「私が王子様?」

もちろん今までそんな事言われた事もないし、自分自身発想にもなかったので、どう反応すべきか迷う。

澪「はは、女の子にこう言うのって良くないのかもな。
けど、常に冷静で頭の良い和は、私にとって憧れの王子様なんだ」

澪が少し照れ臭げに言う。

私が澪の……憧れ。
 
思わぬ言葉に、唖然としてしまう。

だって……

和「……ふふっ、それは嬉しい言葉だけど……
澪にとってのその称号は、律の方がふさわしいんじゃないかしら?」

田井中律。いい加減で抜けている所も多々あるが、確かに人を引っ張っていく力と魅力のある、軽音部の部長で澪の幼なじみ。

澪「いや、なんて言うか……律はヒーローで、和は王子様ってイメージなんだ」

……えっと。感覚的なものなのかしら。

ヒーローと王子様が別物だと言うのは理屈ではわかるのだが、たぶんそういう事ではないのよね。

まあ、音楽とかやっている人はこういう感性が鋭いのだろうし、だから作詞とか出来るのだろう。

いずれにしても褒めて貰っているのはわかるので、悪い気になる事はない。

澪「和も一人でどうしたんだ?」

和「桜が綺麗だからね。散歩がてら、お花見に」

先日は唯・憂の姉妹と来て盛り上がり、複数人でのそういう楽しみ方も好きなんだけど……

和「それに、私もね。一人で出かけるのって結構するのよ。
皆とワイワイする楽しさと、一人でゆったりする楽しさ……どっちも味があって良いわよね」

欲張りな私は、毎年こうやって両方楽しむ様にしているのだ。

澪「うん、そうだな」

と、澪は何かに気付いた様に。

澪「あれ、和……何か食べてる?」

和「ん?
ええ、梅ガム。ここに来る前に桜にピッタリだと思って買ったの。
澪も食べる?」

澪「ゴメン。私、作詞する時に何か食べながらってのは苦手なんだ。でもありがとうな。
……けどさ、確かに桜も梅も春だけど……何か違わないか?」

和「そうね。買ってから気付いたわ」

売店でフラリと見た時はそのパッケージの為か、春・桜を連想してしまったのだけど……

澪の言う通り、冷静に考えたら彼女の言う通りだ。

澪「ははは」

和「ふふふ」

澪が笑い出し、私も釣られて笑う。


サァッ……


二人の間を、やわらかな風が通り過ぎる。

……優しい沈黙。

私ーーそして澪もだろう。

女子としては……ではあるが、二人共それ程お喋りなタイプではないので、一度会話が途切れてしまうと自分から率先して話題をふる頻度は多くない。

むしろ、私には唯、澪には律が側に居る場合が多い為、あまりそういった事をする機会が無いと言うのもあるだろうか。

しかし……沈黙の時間は決して嫌いではない。むしろ、今のこの時間はたまらなく好きだ。

相手が澪だからと言うのも大きいだろう。私は、この桜と沈黙が生み出す空気を堪能していた。


……………………

………………

…………

……どれ位時間が経っただろうか。

ふと澪の方を見ると、彼女は桜の木に背中を預け、うつらうつらしていた。

和「…………」

ーー本当、綺麗。

澪が独特で可愛らしい歌詞を書いているのは知っている。

もし、彼女が表現する様なメルヘンな世界が実在し、そこに住んでいる人間が居たとしたら……

その住人は、澪みたいな人なんじゃないだろうか。

和「…………」

ーー私は彼女の膝にあるペンとノートをそっと脇に避けると、澪の体をそっと倒し、頭を自分の膝に乗せてやる。

澪「……ん……?」

澪がうっすらとまぶたを開く。

和「大丈夫よ。ゆっくりお休みなさい」

そう言い、私は澪の髪の毛をそっと撫でた。

澪「……うん、あり……がとぅ……」

半分眠っていたのだろう。彼女は私の膝の上でふわりとほほ笑むと、今度は完全に夢の世界へと旅立って行った。


ひらり。


桜の花びらが一つ、澪の胸に落ちる。

私はまた、彼女の髪の毛を撫でる。


ひらり。


桜の花びらが一つ、澪の頬に落ちる。

ーー最初はただの憧れだった。


私は、髪質と顔立ちの兼ね合いで昔からショートカットしか似合わなくて、子供の頃からストレートでロングヘアーの子を羨んでいた。

そして、桜が丘で澪に出会った。

長く美しい黒髪の、麗しい女の子。

私は生まれて初めて、羨ましがるだけじゃなくて憧れた。

そしてこの気持ちは、澪と関わる事に大きくなっていく。

整った顔立ち、落ち着いた声。真面目で聡明、でも気弱で繊細な性格。

友達と呼べるほど距離が近かった訳じゃないけど。

彼女と関わる度、日に日にこの気持ちは……髪の毛に対してだけでなく、また、ただの憧れだけでも無くなっていった。

和(澪……)

貴女も私に憧れてくれているの? だとしたらその気持ちはもっと進化するのかしら。

ーー私みたいに。

私は貴女の王子様になって良いの?……なれるの、かしら。

澪「……ん……」

長いまつげが微かに揺れる。


ひらり。


桜の花びらが一つ、澪の髪の毛に落ちた。

和「……澪」

絶え間ない胸の高鳴りと、不安と。嬉しさと切なさと。

色々な想いを感じながら、私はーー


……………………

………………

…………

澪「……あれ……?」

和「あら、澪。気が付いた?」

ぼんやりと目を開き、ゆっくり起き上がる彼女に私はほほ笑みかける。

澪「ん……
私、寝ちゃってたのか?」

和「ええ」

澪「そっか……ゴメンな」

まだ眠気が残っているのだろう、まぶたを擦る澪はどこか心ここにあらずだった。

和「良いのよ。謝る事はないわ」

……むしろ、謝るのは私の方だし……

澪「って、もしかして私、和の上で寝てた!?」

和「そうね。気持ち良さそうに寝ていたわ」

澪「……あぅ」

澪は真っ赤になってうつむいてしまった。

澪「ご、ゴメンな和……迷惑だったよな」

和「ふふ、そんな事思ってないわ。気にしないで良いのよ」

言って、私は立ち上がる。

和「さ、そろそろ帰りましょうよ」

澪「もう……夕方か。本当熟睡しちゃってたんだな」

澪はまだ照れ臭そうに頭をかきながら、ペンとノートを自分のバッグにしまって立ち上がった。

和「でも、夕焼けの中の桜と言うのも綺麗なのね」

そう言えば、夕日に染まる桜をじっくりと見つめた事はなかったかもしれない。

澪「……そうだな」

ーーオレンジに煌めく桃色。それはどこか、胸に来る輝きだった。

……ごめんなさい。私は弱虫だから。

今日の事は、あなたの……桜のせいにさせて。

あなたがあまりに美しいから、それに飲まれておかしな気分になってしまったと。

ごめんなさい、弱虫で。

今は無理だとしても。

こんな私でもいつかは本当に澪の王子様になれると、未来へ甘えさせて。

和「……行きましょうか」


ひらり。


そんな私を見つめ続けた桜は、何を思って咲き誇り、舞っていたのかしら。


おしまい。



2 ※澪Side
最終更新:2012年04月07日 20:04