澪視点


気が付くと自室のベッドに寝ていた。
あれ? 夢?
嫌な夢だったな。

えっと、律にフラれて……あぁ、思い出したくもない。
例え夢だったとしても、それは私にとって辛すぎる内容だった。

今何時だろ。
あれ? 12時? えっと、今日は何曜日だっけ?


部屋に響くノックの音。

ママかな?
返事を待たずに、そっとドアが開いた。

澪ママ「澪ちゃん、起きてたの? 具合はどう?」

澪「うん?」

あれ? 私、具合悪いんだっけ?

澪ママ「りっちゃんが電話してきた時はびっくりしたわよ」

澪ママ「朝は何とも無かったのにねぇ……」

律から電話?
はっ、として体を見ると、私は制服姿だった。
まさか……。

澪「ねぇ、ママ。私、今日……学校に、行った?」

澪ママ「澪ちゃん、大丈夫?」

澪「答えてっ!」

澪ママ「……行ったわよ。でも、」

澪ママ「通学途中に澪ちゃんが具合悪くなったってりっちゃんから電話があって。」

澪ママ「迎えに行ったら、歩道で澪ちゃんが立ったまま気を失っていたの」

澪「律は?」

澪ママ「え? りっちゃん? りっちゃんは、」

澪ママ「車に澪を乗せるのを手伝ってくれた後、学校へ行くって言ってたわよ」

澪ママ「澪ちゃん、まだ具合悪そうね。寝てていいのよ?」

澪ママ「お昼ご飯はどうする?」

澪「ごめん、具合悪いから……」

澪ママ「そうね、今は寝た方がいいわ。りっちゃんには私からお礼言っておくから」

澪「止めて!!」

澪ママ「!?」

澪「あ、えっと、私からお礼言っておくからさ」

澪ママ「そう。じゃあ、私は今度りっちゃんが遊びに来る時、」

澪ママ「クッキーを焼こうかしら。」

澪ママ「りっちゃんが遊びに来る時は教えてね!」

澪「うん……。ありがとう、ママ。私、もう少し寝るね」


ママは律が大好きだ。
友達がいなくて本ばかり読んでいた私に最初に出来た友達の律。
家にばかりいた私を外に連れ出してくれた律。
友達の中で誕生日プレゼントを最初にくれた律。
ママと一緒に初めて作ったチョコをあげたのも律。

私が律の話をすると嬉しそうに聞いてくれたママ。
私が居ない時に律が来ると一緒にお茶を飲んでいるママ。
律のためにクッキーを焼くママ。
「娘が増えたみたいね!」と笑いながら時々泊まっていく律の夕飯を作るママ。

ごめんねママ。もうね、律はここには来ないんだ。


好きになっちゃいけなかった。
でも、好きにならないなんてできなかった。
だって、私の中はこんなにも律で溢れてる。
律を忘れるってことは、もう私じゃなくなっちゃうってことなんだよ。

それでも始まった、律の居ない生活。

最も望まない未来が、最も望まない形でやってきた。


この日、私は学校を休んだ。
ずーっとベッドの中で過ごして、外はもう真っ暗だ。
いつもならそろそろ律と電話を始める時間だった。
私たちは毎日一緒にいても、必ずこの時間にどちらかが電話をかけていた。

今日から……鳴らないのか。

鳴らないって分かっているのに、携帯電話が気になって仕方ない。
もしかしたら律が電話をかけてきてくれるんじゃないかという淡い期待は、
日付が変わったというのに消えなかった。

私は何を期待してるんだろ。


律に、今朝はごめんって、言い過ぎたって言ってほしい。
私のこと好きじゃなくてもいいから、律の隣りにいさせてほしい。

私は、そんな気持ちを律宛のメールに書きつづった。
書き終わると、送信せずに下書き用フォルダに保存する。
行き場の無い想い。
誰にも言ってはいけない想いを、送信されることのない律宛のメールへ閉じ込める。


翌日も私は学校を休んだ。
軽音部のみんなからは心配のメールが次々届くのに、
一番欲しい律からのメールは未だ無し。


さらに翌日も私は学校を休んだ。
これで三日だ。
それでも律からは何も連絡が無い。

律、本気なんだな……。

相変わらず律宛のメールは貯まり、しかし一通も送信されることは無かった。
いくらメールに気持を閉じ込めても、気持が溢れて来てどうしようもない。
私、どれだけ律が好きなんだろうな。


ママもさすがに心配しているし、明日は学校へ行かなきゃ。


翌日。

朝、洗面所の鏡の前。そこに映ったのは、
瞼は腫れ、目の下には大きなクマ、頬はこけ、目は落ち窪み、髪はボサボサな自分だった。
そりゃそうだ。
何も食べてないんだもの。
律にフラれた日から眠れず、食事も固形物が咽喉を通らなくなっていた。
寝不足で頭がボーっとする。
でも、学校に行かなきゃ。

朝食を食べようとしたけれど、気持ち悪くなって食べられなかった。
なんとか牛乳だけ飲み、身支度をする。

澪ママ「澪ちゃん、まだ体調悪いんじゃない? 食欲も無いし。」

澪ママ「病院に行った方が……」

澪「大丈夫だよ。ほら、動いてないからお腹空いてないんだ。」

澪「それじゃ、遅刻しちゃうから行って来ます!」

澪ママ「行ってらっしゃい。って、まだずいぶん早い時間じゃないの……」

久しぶりに家を出た。
外は春らしく強い風が吹いていた。

しばらく歩くと、律との待ち合わせ場所に到着した。
ここで、律を待つ。
律はここを通らないと学校には行けないから、ここで待ってさえいれば、
必ず律に会えるはずだ。

何十分経ったのだろう。
最初は通勤する大人たちがちらほらと足早に過ぎ去って行くのを眺め、
少しすると、通学のピークを迎えたらしく学生がたくさん通った。
時計を見ると、そろそろ行かないと遅刻になってしまう時間が迫ってきている。
私は想いを込めて、律がいつも走って来る曲がり角を眺めた。

会いたい。
でも、会うのが怖い。

ほどなくして、見慣れた背格好の女子高生が走ってきた。

あぁ、まだ顔ははっきり見えないというのに、なんでこんなに愛おしいんだろう。
心臓がドキドキと脈を打ち始める。
それまでは死んだように冷たかった私の体に、
脈々と温かい血液が流れ込んでいくのが分かった。


澪「律!」


律ははっと顔を上げ、私を見た。
返事は無いが、こちらに近づいてきて、私の前で止まった。


澪「律、おはよ」

律「彼氏はできたのか?」


律の鋭い眼差しが私を射抜く。
その目からは、強い決意が覗えた。
私に彼氏が出来ないと、挨拶もしてくれないのか。

私は、あの日の律がフィードバックする。

律『澪に、彼氏ができるまで、私に近づくな』

澪「えっと……その……」

律「まだできてないのか?」

澪「そんなすぐにできるわけないだろ!」

律「じゃあ、私に近づくな」


私の前を通り過ぎようとする律の腕を掴む。
あれ? 律の腕、こんなに細かったっけ?


律「なんだよ?」

澪「もう、律のこと諦めたよ。もう好きじゃない。気の迷いだったんだ。」

澪「身近な人を好きになっちゃうっていう、思春期特有のあれだったみたい。」

澪「だから、だからさ、親友に戻らないか?」

澪「親友じゃなくても、ただの友達でもいいから」


カッコ悪いなって自分でも思うけど、もうなりふりなんて構っていられなかった。
どんな形でもいいから、律の隣りにいたいんだ。

ふいに呼ばれた、私の名前。


律「澪?」


それだけで私は、こんなにも胸が弾むんだ。

律「本当は私、澪が好きなんだ。私と付き合ってよ」

澪「え? 本当?」

律「うん」

澪「本当にいいの?」

律「……お前、なんで断らないんだよ」

澪「え?」

律「私のこと、もう好きじゃないんだろ?」

律「なのに、なんで断らないんだよ?」

律「やっぱり、まだ私のこと諦めてないんじゃん」

澪「」

律「彼氏ができるまで、私に近づくな」

掴んでいた手を振りほどき、律は行ってしまった。
騙されたのか、私。
断られることは予想してたけど、騙されることは予想してなかったよ。
そうか、律。
そうまでして私を諦めさせたいんだ。
本当に本当に本気なんだな。


学校


学校に到着したのは、一時限目が始まって少し経ってからだった。
教壇に立つ先生と軽く言葉を交わし、
一番前の席に座っている律の横を通り過ぎて行く。
律は顔を伏せていたから、どんな表情なのか分からなかった。



休み時間

律はすぐに教室を出て行ってしまった。
トイレかな。


いちご「ねぇ、律はどこ?」

私に聞かれても困るんだけどな。

澪「さぁ、トイレにでも行ったんじゃないかな?」

いちご「……」

澪「えっと……何?」

いちご「澪にも分からないことってあるんだ」


そんなにいつも一緒にいるわけじゃないと思うんだけど、
そういう風に見られてるのかな。
ちょっと嬉しいけれど、今は胸が痛む方が大きかった。

結局、律が戻って来たのはチャイムが鳴って先生が入ってくるギリギリ前だった。

次の休み時間も、その次の休み時間も、お昼休みも、
休み時間は全てこの教室から出て行った。

私を避けている。
そうとしか思えない。
でもね。
私には分かるんだ。
律が教室から出て行くのはね、優しさなんだってこと。
私を避けていることを他の友達に知られないように、
そして私がクラスの友達と話せるように、自分から出て行ったんだろ?
教室から出て行く律の後ろ姿は、いつもより小さく見えた。



部活の時間


休もうかと思ったけど、唯に手を引かれてついつい音楽室まで来てしまった。

しばらくするとムギや梓も来て、ティータイムが始まった。
みんなの話は頭に入ってこなかった。
こんな時も考えるのは律のことばかり。

律が来たら、みんなの前でも私のことを避けるのかな。
不安で胸が押しつぶされそうだ。
やっぱり帰ろう。
まだ病み上がりだからって言えば、きっとみんなも分かってくれるだろうし。


澪「あの……みんな、私……」


その時だった。勢いよくドアが開かれたのは。
ドアに背を向けていたけれど、こんな乱暴に開けるのはアイツしかいない。
私はとっさに顔を伏せた。


律「おっちゃん! まだやってる?」

唯「あ! りっちゃーん! よく来たね。ささ、お入り」

律「おお、懐かしいな!」

ムギ「りっちゃん! いつものアレでいい?」

律「おう!」

梓「どんな設定なんですか、それ?」

律「故郷の飲み屋!」


ムギ「さびれた中華料理屋さん!」

梓「バラバラじゃないですか……」

律が目の前の席に座った。けど、私は伏せた顔を上げられないでいた。
朝の言葉がフラッシュバックする。

律『彼氏ができるまで、私に近づくな』

唯「りっちゃーん! 今日はちっとも私の所にきてくれないじゃない!」

唯「あなた、他のクラスの子と浮気してるんでしょ?」

律「そんなわけないだろ? 唯だけだよ」

唯「りっちゃん!」

律「唯!」

唯「りっちゃーん!」

律「ゆーいー!」

唯「りーーーっちゃーーーんっ!!!」

律「ゆーーーっいーーーっ!!!」


唯「あれ? 澪ちゃんのツッコミがこない!?」


一斉に視線が私へと集まる。
恐る恐る律を見た。
でも、律は、律だけは、私を見ていなかった。


唯「澪ちゃん、どうしたの? 具合悪いの?」


私に彼氏が出来ないと、目も合わせてくれないのか……。
数日前まではあんなに仲が良かったのに。
もう戻れないの?
好きって気持ち、隠しておけば良かったのかな。
でも、律なら大丈夫って思ったんだ。
律なら、例え私のことをフっても、変わらずに親友でいてくれるって。

あぁそうか、私、ただ、律に甘えてただけだったのか。


唯「澪ちゃん。保健室、行こ?」


気が付くと私は、隣りに座っていたムギにハンカチで涙を拭かれ、
唯が背中から抱きついていた。


澪「ご、ごめん。私、まだちょっと具合悪いみたいだ。帰るな。ごめん」

唯「私も一緒に帰るよ!」

澪「大丈夫だよ、唯。一人で帰れるから」

唯「あー! 私、用事あったんだぁ。忘れてたよ!」

唯「だから澪ちゃん、一緒に帰ろ?」

梓「あ、あの! 私も用事あったの忘れてました。だから私も一緒に帰ります」

唯「澪ちゃん! 私、エリザベス持つよ!」

梓「あ、じゃあ私はバッグを持ちますね」

澪「いや、荷物くらい持てるんだけど……」

唯「いいからいいから! じゃ、みんな、また明日ねぇ!」

梓「さよならデス!」


4
最終更新:2012年04月12日 13:37