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梓をソファーに座らせて、冷蔵庫に入ってた牛乳をコップに入れて差し出す。
梓がちょっと呆れた表情で私に突っ込む。
「牛乳なんて出されたの、小学生の頃以来だよ……」
「そう? うちでは結構常識なんだけどなあ……。
梓って牛乳嫌いなの?」
「嫌いじゃないけど、でも……」
「大丈夫大丈夫!
うちの牛乳はお腹ゴロゴロしない牛乳だよ?」
「ゴロゴロしないって、低脂肪乳?
そうなんだ……。だったら、安心かな。
それじゃ、純。牛乳貰っちゃうね」
「どうぞどうぞー」
私が言うと、梓は両手でコップを抱えて牛乳を飲み始める。
両手持ちって……。
まあ、手が小さいからだろうけど、やる事なす事可愛いなあ、もう。
考えながら、私はスーパーオールスターパックを運んで、机の前に広げる。
「これも食べちゃってよ、梓。
そろそろ賞味期限が近いから、どんどん食べてくれると嬉しいな」
「純……、またこのパック買ったの?
好きだよね、ドーナツ」
「やっぱり、私ってそういうイメージがあるの……?」
「やっぱり……って?」
「いやいや、こっちの話。
うん、好きだよ、ドーナツ。梓だって好きでしょ?
ドーナツが嫌いな女の子なんて居ないよー」
「そりゃ……、私だって好きだけど……」
言って、梓がドーナツを口にする。
梓の顔が見る見るうちに笑顔になっていく。
やっぱり軽音部だね……。
そうやって私が顔を覗き込んでたのに気付かれちゃったらしく、梓が軽く咳払いした。
私は軽く笑ってから梓の隣に座って、首を傾げて訊ねる。
「それより、どうしたの、梓?
唯先輩達と遊びに行ってたんじゃなかったの?
……喧嘩でもしたとか?」
「何を言ってるのよ、純。
喧嘩なんてしてないって。動物園もすっごい楽しかったんだからね。
ちょっと用事があるから、一人だけ早めに帰らせてもらっただけ」
「用事……?」
まさか、と思った。
そんな事、考えてなかった。
そうだったらいいな、って思ってはいたけど、そんな事あるはずがないもん。
だって……、だって……。
私が戸惑ってるのに気付いたみたい。
梓は微笑んでから、ポケットの中から何かを取り出した。
それを私にゆっくりと手渡してくれる。
「純、誕生日でしょ?
これ、誕生日プレゼント。
大した物じゃないけど、使ってくれると嬉しいな」
「あ……、うん……。
えっと……」
呟きながら、私は梓に手渡された紙袋を開いてみる。
中にはピックが入ってた。
前に梓と楽器屋に行った時、
私が「欲しいんだけど高くて手が出ない」って言ってたピックだ。
ピックに千円出すなんて、中々勇気がいるもんね……。
梓、それを憶えていてくれたんだ……。
だから、玄関の前で私を待っててくれたんだ。
多分、チャイムを押すのが恥ずかしくて……。
嬉しい。
すっごく嬉しい。
私との会話を憶えてくれてた事も、私の誕生日を憶えててくれた事も本当に嬉しい!
やだな……、嬉し過ぎて泣いちゃいそう……。
でも、どうして梓は私の誕生日を知ってたんだろう。
最近、誕生日の話なんてしてなかったのに……。
それを訊ねると、梓は少し呆れた表情で肩をすくめた。
「何を言ってるのよ、純。
去年の純の誕生日、散々また誕生日パーティーやってねってアピールしてたじゃない。
あれだけ言われると嫌でも憶えちゃうって」
「でも、一年も前の事なのに……」
「一年前でもよく憶えてるんだから、仕方ないじゃない。
それに誕生日を忘れたりしたら、純に後で何を言われるか分からないしね」
「そっか……」
私、去年、そんなに梓達にアピールしてたんだ……。
あの頃は、まだ梓の事、そんなに意識してなかったからかな……。
今年は梓を意識し過ぎちゃって、誕生日の事を言い出せなかったわけだし……。
だけど、どんな理由でも、私の誕生日を憶えててくれたのは嬉しいな。
「ありがとね、梓。
私、嬉しいよ!」
私が真正面から梓に言うと、照れた様子の梓が視線を逸らした。
流石に私にしては正直過ぎたのかな……?
そう思っていると、梓が頬を赤く染めながら呟くみたいに言った。
「ありがとうは……、私の方だよ……。
純が……、軽音部に入部してくれて嬉しかったから……。
純にはジャズ研って居場所もあったのに、それなのに……
だからね……、お礼の意味も込めて……、それでね……」
言われ、私は梓の「確保ー!」を思い出した。
あれはびっくりしたなあ……。
あんまり梓らしくない行動だと思ったけど、
あれは律先輩が最初に梓にやった事なんだって、事情通の憂に教えてもらった。
梓にも軽音部の血が流れてるんだよね……。
梓の中にはずっとずっと大好きな先輩達の思い出があり続けるんだろうな……。
その中に私が入り込む事なんて、出来ないのかもしれない。
それはとっても辛くて、切ない……。
梓が軽く微笑んで、続ける。
「今日ね、先輩達に純の誕生日を祝いたいって伝えたらね、
笑って送り出してくれて、「純ちゃんによろしく」って言ってくれたんだ。
憂も純の家に来たがってたけど、
憂は私以上に唯先輩と離れちゃうわけだから、今日はあっちに残ってもらったんだ。
私も先輩と学校が離れちゃって寂しいけど、
でもね……、私、先輩達に負けないように頑張るんだ!」
話している内に梓の微笑みは輝くような笑顔になってた。
離れてても、梓の中には先輩が生き続けてるんだよね。
私の想いはきっとその先輩達の思い出には敵わない。
……でも、それでもいいのかなって。
何だか、そう思っちゃう自分も居るんだよね……。
私は梓の事が好き。
恋かどうかは分かんないけど、とにかく大好き。
その私の好きな梓は、先輩達と関わって笑顔になってる梓なんだよね。
だから、あのライブの日、
出会った頃とはずいぶん変わった梓の姿を見て、目を奪われちゃったんだと思う。
我ながら、勝ち目の無い想いを抱えちゃったもんだねー……。
きっと、私の想いには応えてもらえない。
この恋心未満の想いは薔薇みたいに美しく散っちゃうんだろうな。
だけど、いつかは私の想いを梓に届けたいな。
高校三年の一年間、梓と一緒に部活を精一杯頑張って、卒業式直前にでも……ね。
断られたっていいよ。
その時、梓は私の気持ちに気付いてくれるだろうし、
梓なら私の想いに真正面から向き合って、私の大好きなまっすぐな視線で断ってくれるはずだから。
「何度も言うみたいだけど、ありがとね、梓。
私、梓に祝ってもらえて、すっごく嬉しいよ!」
言いながら、私は梓の頭を撫でる。
最大限の感謝と、最大限の想いを込めて、ゆっくりと撫でる。
多分、想いを伝えた後でも私の友達で居てくれるはずの梓の頭を。
「撫でないでよ、もー!」
梓が口を尖らせて立ち上がろうとした瞬間、梓の動きが止まった。
座っていた梓の膝の上にうちの猫が飛び乗ったからだ。
グッジョブ、あずにゃん2号(仮)!
梓も猫を無理矢理押し退けてまで立ち上がろうとはしなかったみたい。
小さく溜息を吐くと、苦笑して、私にずっと頭を撫でさせてくれた。
猫が作ってくれた、
私と梓の、多分、数少ない蜜月の時間……。
夕陽が完全に落ちるまで、
お父さんとお母さんが返ってくるまで、
叶わない想いへのちょっとした切なさと、
それでも梓が私の傍に居てくれてる喜びを感じていよう。
もう少しだけ影が伸びて、夕陽が落ち始めた頃、
梓が思い出したように私の顔をまっすぐに見つめた。
私の大好きなまっすぐな視線で。
「そうだ、純。
うっかり言い忘れてたんだけど……」
「何? 梓?」
「誕生日、おめでとう。
今年度もよろしくね、純」
「うん!」
おしまいです。
ありがとうございました。
最終更新:2012年04月18日 20:18