『un limited』


 約束通りの時間に私の家を訪ねてきた憂は、開口一番、
誕生日プレゼントの事を口にした。

「誕生日プレゼントなんだけどね、ごめんね、純ちゃん。
今はまだ渡せないんだ。
時間が来たらプレゼントできるはずだから、それまで待っててね。
きっと純ちゃん、喜んでくれるよ」

 どういう事だろう。
時間制限でも掛かっているみたいな口ぶりだ。
気になった私が問い質してみても、憂は笑ってはぐらかすばかりだった。

 時間が経てば分かる事なんだから、本当は問い質す必要さえない。
でも、時間以外にも、私の心は違和感を訴えている。
その違和感に衝き動かされるように、私は一人で想像を巡らせてみた。

 例えば、ある時間を迎えると雄大な景色が見られる、というもの。
この場合、私の部屋からじゃ望むべくもないから、
憂が穴場にでも連れて行ってくれるのだろうか。

 或いは、私の趣味にかこつけて、
ジャズイベントに連れて行ってくれるのかもしれない。
私の趣味に沿うこちらの方が、プレゼントとして有り得そうだ。

 どちらにせよ、内緒にするようなものでもない気がする。
梓相手ならともかく、私と憂の間柄だ。その程度ではサプライズとはならない。

 考え込んでいると、憂が手に持った袋を持ち上げながら話し掛けてきた。

「そんなに考え込まないで。
それより、今は二人の時間、大切にしよ?
ねぇ、ケーキも作って来たんだ。食べてくれるよね?」

「うん、食べる食べる」

 私は即座に返事。
友人の家で漫画を読むくらいは大目に見て欲しいけど、
私の為に作ってくれたケーキを放置して考え込むのはギルティ。
私だって、その程度の線引きはしてるんだよ、梓。
と、かつて私の読書を咎めた友人に、心の中で反駁してみた。

 まぁ、憂の事を友人なんて言ったら、眼前の本人から怒られそうだけど。
あくまで梓目線の話で言えば、憂は友人だ。
うん、多分、私と憂の関係は、梓にバレてないはずだから。

「ありがと。口に合うかどうか、不安だけど。
気持ちだけは込めたから、喜んでもらえたら嬉しいな」

 そう言いながら披露したケーキは、パリの一流レストランを思わせる出来だった。
いや、パリに行った経験はないけど。
とにかく、スポンジのカットやクリームの盛り方、
フルーツの添え方までがお洒落なケーキ。
これを見たら、パリの一流レストランだとか、ミシュランクラスだとか、そう比喩したくなる。
うん、憂の前口上なんて謙遜でしかない。
だって、このケーキだけでも、誕生日プレゼントとして充分過ぎる程に機能している。
もっと自信を持って、私が喜ぶと確信してもいいのに。
まぁ、憂はとかく謙抑的な人間だけれど。

──きっと純ちゃん、喜んでくれるよ──

 そこまで考えた時、唐突に憂の言葉が脳裏でリフレインした。
そして漸く私は気付く。先程感じた、違和感の正体に。
そうだ、憂は元々、謙抑的な人間だったはずだ。
それなのに何故、私が喜ぶ誕生日プレゼントだと断言したんだろう。

「純ちゃん?」

 再現ではない生の憂の声が聞こえて、私は我に返った。
見れば、憂は不審と不安の混ざった瞳を私に向けている。

「ああ、ごめんごめん。ちょっと考え事しちゃって、さ。
食べよ、ケーキ。お腹空いちゃったよ」

 私は慌てて、取り繕うように言う。

「そっか。何か心配事があるなら、相談に乗るよ?」

 憂が深刻に捉えてきたので、私は更に慌てた。

「あ、いや。そういうのじゃないって。本当に大丈夫。
ただの考え事、だから、さ。ほら、私って、悩みに悩む乙女じゃん?」

 今度は、おどけたように言ってみせた。
けれど、憂の表情は晴れない。
それどころか、声に緊張を漲らせて、迫るように問い掛けてきた。

「えっとね、私と居るのが退屈、とかじゃ、ないよね?
あ、いや、何もないなら、いいんだけどね」

 私は自分で決めた線引きさえ守れていない事を、胸中深く反省した。
梓に偉そうな反駁なんて、到底できやしない。
私は自分にギルティを下してから、憂に言う。

「退屈なんかじゃないって。ただ、ね。
憂のプレゼントが何かなー、って気になって、考えちゃってただけだから。
ごめん、さっき、気にしないでって言われたばかりなのにね」

 これ以上余計な心配をさせない為にも、話には真実も混ぜた。
それは話に説得力を持たせる有効な手段だ。
本当は、プレゼントの内容から、憂そのものに私の疑問はシフトしているんだけれど。
けれど、それは単に私が考え過ぎなだけかもしれないし。
結局私は、踏み込んで問う事は控えておいた。

「ああ、ごめんね。お楽しみ、っていう事で。
ただ、16時くらいになれば分かるはずだから」

 時計を見れば、憂の言う16時までは残り二時間を切っている。

「分かった。じゃ、それまでは、もうプレゼントの事は考えないよ。
楽しみにだけしてる。
じゃ、今度こそケーキ食べようか」

「うん、楽しみにしていて。じゃ、早速切り分けるね」

 憂は再び、私が喜ぶという確信を言葉に込めていた。
けれど、それをもう気にするのはよそう。
今度こそ、線引きはしっかりと守ろう。
私は心にそう言い聞かせると、憂の手元を見守った。

「はい、純ちゃん」

「ありがと、憂」

 綺麗に分けられたケーキを受け取ると、早速一口含んでみた。
クリームのみならず、スポンジまで蕩けるように柔らかい。

「美味しい……」

 意図していないのに、私の口から感想が迸った。
それは意図がないからこその、正直な感想だった。

「ありがとう、そう言って貰えると、作った甲斐があるな」

 憂の顔に喜びと安堵の交じった、満面の笑みが浮かんだ。
やっぱり憂には、笑みが良く似合う。
それを確認できて、私も嬉しくなった。

「本当に美味しい。食べるの勿体ないけど、フォークが止まらない感じ」

 私は更に二口、三口と頬張って、この上品な味を堪能した。
そんな私の姿に、憂の表情もより幸せが漲ってゆく。
2度美味しいケーキを作ってくれて有難うと、私は胸中で憂に捧げた。

「あのね、純ちゃん。私の分もあげるね」

 憂は彼女の分のケーキも、私の方へ差し出してきた。

「え?悪いよ。憂も食べなよ。折角、美味しいのに」

 本当は貰いたいけれど、流石に遠慮した。

「んーん、元々は純ちゃんの為に作ったものだから。
お気に召さなかったら私が責任持って片付けるつもりだったけど、
美味しいなら全部食べて欲しいな。
私は、美味しそうに食べてくれる純ちゃんの笑顔だけで、お腹いっぱいだよ」

 そこまで言われれば、断れない。
でも、流石に全部貰うのはやっぱり気が引ける。

「う……じゃ、じゃあ有り難く、半分貰うよ」

 そう言いながら私は、差し出されたお皿を手元に引き寄せた。
そうしてケーキをフォークで抉り取ると、憂の口元に差し出す。

「じゅっ、純ちゃんっ?」

 憂は頬を真っ赤に染めて、取り乱したように小さく叫んだ。
あの終始落ち着いている憂にしては、珍しい。

「ほら、お口開けて?はい、あーん」

「は、恥ずかしいよ、純ちゃん……」

 憂は遠慮しているけど、私だって一度上げた手を引っ込められない。

「私はさ、確かに美味しい憂のケーキいっぱい食べたい気持ちもあるけど。
でもやっぱり美味しいものは、好きな人と一緒に食べたい気持ちが強いからさ」

「じゅ、純ちゃん……」

 憂の口はその言葉を放ったきり、開きっぱなしとなった。
私はマシュマロのような憂の唇の間隙の奥へと、そっとケーキを差し込む。
途端、ぱくっ、と。
憂は勢いよく口を閉じた。
顔の赤さと相俟って、まるで金魚みたいだ。

「ね?美味しいでしょ?」

 憂は行儀良く咀嚼して嚥下してから、私に言葉を返してきた。

「うん……でも、純ちゃんのお蔭だよ。
だって、一人で食べて味見した時より、断然美味しく感じるもん」

「一人で食べた時も、十分に美味しかったでしょ?
もっと、自信持って良かったと思うけど」

「んーん、やっぱり純ちゃんと食べた方が断然美味しいよ。
それに、自分の味見なんて、確信は勿論、自信にさえ至れないよ。
本当は他の人の味見も参考にしたかったけど」

 自分自身の評価では、贔屓目や妥協が入るという事だろう。
でも憂には、その味見をしてくれる人が居る。

「それ、唯先輩辺りに頼めば良かったんじゃない?
あの人なら、喜んで味見に協力してくれると思うけど」

 姉が大好きな憂の手前、食い意地が張っている、とか表現するのは避けた。
まぁその表現には、唯先輩に対する嫉妬もあるかもしれないけど。

「んーん、やっぱり、純ちゃんだけに食べて欲しかったから。
お姉ちゃんは食べたがってたけど、別のお菓子で我慢してもらったよ」

 心の中で、唯先輩に向けて勝ち誇る。
でもすぐにそんな自分を窘めた。
将来、自分の姉になるかもしれない人に対して、なんて生意気な態度を。

「本当、憂ったら嬉しい事言ってくれるよね。
でも、こんな豪華なの作ったりして、唯先輩にからかわれたりしなかった?」

「ものっすごく、からかわれたよ。おませさん、とか、相手が羨ましい、とかって。
お姉ちゃんもお菓子作ってくれるカノジョ、作ればいいのにね。
律先輩とか、私より幾段も料理もお菓子作りも上手なんだから。
お姉ちゃん、律先輩とくっ付いちゃえばいいのにね。
純ちゃんもそう思うでしょ?」

 まぁ確かに、律先輩と唯先輩は色々と気が合いそうだ。
でも律先輩には澪先輩がいるから、それは難しいだろうなぁ。

 と、その時、私を窺うように眺める憂の視線に気付いた。
目が合った途端、憂はフォークを掴んでケーキに突き立てた。
その意図を悟った時には、既に私の眼前にケーキが差し出されている。

「はい、今度は純ちゃんの番だよ。あーん」

 うっ、これは確かに恥ずかしい。
今更ながら、憂の気持ちが良く分かる。
でもこれを始めたのは自分。だから、受けない訳にはいかない。

 私は覚悟を決めて、差し出されたケーキに食い付いた。
うん、確かに、こういう風に食べた方が美味しい気がする。

「どう?純ちゃん?」

「恥ずかしいけど、違った味が出ていいよね。
特に今回、憂の味が残ってるから」

 だって、フォークは私が憂に食べさせたものと同じものだから。
砂糖を含んで粘つく憂の唾液も、しっかりと残っていた。
憂は今になってその事に気付いたらしく、また顔を赤らめてしまった。

「ご、ごめんね、純ちゃん……」

 憂はしおらしく顔を俯かせて、謝ってきた。
そんな必要、微塵もないのに。

「いいって、いいって。私にとってはご褒美だよ。甘かった」

 そう言ってやると、憂の頬は更に赤みが増した。



 ケーキを食べ終わった私達は、その後はお喋りをして過ごした。
私はゲームを提案したんだけれど、憂は会話や繋がりを大事にしたかったらしい。
余興で私との会話が減る事を、恐れていた。

 うん、それでも憂は楽しそうだった。
いや、必死に楽しんでいるように、私には見えた。
憂は珍しく積極的だった。
そんな憂の姿を見て、脳裏で燃え尽きる寸前の蝋燭がふと過ぎった。
不吉過ぎる連想だったので、
私は慌てて頭を振って蝋燭の映像を追い払ったけれど。
とにかく、私も楽しい、憂も楽しい、それならいいじゃないか。
そう思うように努めた。

 そうやって時間が過ぎていき、そろそろ午後も深まった頃合いだった。
憂が唐突に、キスをせがんできたのだ。
普段は見ない憂の積極性に、私は思わずたじろいだ。

「え、いや。珍しいね。憂が、そんな要求するなんて」

 ふと時計を見れば、既に16時が近い。
もしかしたら、これが誕生日プレゼントだと言うのだろうか。

「ねぇ、お願い。キス、して?一生に一度の、お願いだから」

 一生に一度だなんて、キス程度で大袈裟にも思える。
こんな所でそんな言葉、使ってもいいのだろうか。

「いや、一生に一度だなんて、そこまで言わなくても大丈夫だよ。
私だって、憂と……唇交わしたりするの、好きなんだし」

 うん、好きだ。ただ、唐突で大袈裟だから、少し戸惑っただけで。

 それにしても、やっぱりこれは、誕生日プレゼントじゃない気がする。
だって、憂の態度は与えるというよりも、欲すると言った方が正しい。
つまりね、私にプレゼントする姿勢とは、今の憂の姿は対極なんだ。

「本当?じゃあ、遠慮なく、貰うね」

 ほら、やっぱり。憂は”あげる”ではなく、”もらう”と言っている。

 憂は私の返事を待たずに、強引に唇を合わせてきた。
強引でも、私は不快に感じなかった。
憂の事は好きだし、普段は見れない積極的な姿勢に新鮮さを感じてもいた。
不安もあるけれど、とにかく今は、憂のリードに身を任せた。

 憂の舌が私の唇を割って、口腔内へと侵入してきた。
私はそれを受け入れて、憂と舌を絡ませる。
口中にケーキやジュースの砂糖がまだ残っているのか、
互いの唾液はひどく粘ついた。
生暖かく粘る舌が口中で絡み合い、私の脳に陶酔が訪れる。
不安故に浸りきる事まではできないけれど。

「あ……はぁ……純ちゃん……はぁ……純……」

 対する憂は陶酔しきったような声を上げて、熱っぽく切なげな吐息を繰り返した。
その吐息の湿るように生々しい暖かさが、私の口中や口内に吐き付けられてゆく。

「ん……憂ぃ……んんっ……」

 私は彼女の名を呼んで、荒々しく息を吸った。
吸い込まれた憂の湿った息が、私の喉にまで届いて熱を帯びる。

 舌と唾液と息が絡んで縺れて溶け合って、脳が蕩けそうになってゆく。

 そうして顎が疲れた頃合いに、私達はどちらからともなく唇を離した。

「今日はありがとうね、純ちゃん」

 憂の言葉は、またしても唐突だった。
今まで陶酔していたとは思えない程、さっぱりとした言葉。
まるで今日という日が、終わったかのようだ。


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最終更新:2012年04月18日 20:24