こんにちは、鈴木純です。
私もファンクラブが欲しい! ……なんて思いにふける、この頃な純ちゃんです。

ある日の放課後、いつもどおり部室でお茶をしていたら奥田さんが壊れました。


化学部のクラスメイトから借りてきたのか、化学実験室から拝借してきたのか、白衣を羽織った奥田さんが両手を広げて雄叫びを上げる。

直「憂先輩、今日こそは年貢の納め時です!」

憂「え? 奥田さんどうしたの?」

直「問答無用、勝負してもらいます!」

かわいそうな憂。
可愛がっていた後輩からの何の脈絡もない制裁宣言に憂は目を丸くして、梓やらスミーレやらへしきりに怯えた顔を向けている。
私も縋るような目で見られたけど、奥田さんの意図なんて知らないし何もしてあげられない。
そもそも『今日こそは』も何も、今日初めて言われたわけだし。
薬品の染みが付き、ヨレヨレになった白衣を振り乱して奥田さんは突き付けるようにして憂を指差した。
あー、先輩を指差すのは私感心しないなぁ。
普段も結構ネジが緩んでいる部分のある奥田さんだけど今日はメガネがむやみに怪しく光ったりして危ない雰囲気だ。
しょうがない、割って入るか。

純「まぁまぁ、奥田さん。落ち着きなって。私のドーナツをちょっとあげよう」

本日のお茶のお供であるドーナツをちょんびりとちぎって口元へ運んであげる。

直「ペイッ!」

純「なっ!?」

ドーナツ! 私のドーーーナッツが!
私を魅了してやまないその欠片が無情にも床にこぼれ落ちる。
なんて後輩だ、私の人生の友であるドーナツを……。
ドーナツが無駄に欠けてしまったということは、私の人生も無駄に欠けてしまったということ。

私は声もなく、ゆっくりとその場に崩れ落ちた。

直「あと純先輩、私のことは奥田博士と呼んでください、まったく失礼な」

先輩に対するこの仕打ち、この上、博士呼びしろとのたまうか、けしからん。
後輩の暴挙にすっかり怯えている憂と、新たなドーナツを手に入れるまでは立ち直れそうにない私に代わり、梓が前に進み出た。
よっ、さすが部長!

梓「奥田さん」

直「奥田博士です!」

すかさず本人から呼び直しの要求が入れられる。
博士、こだわっているのか。

ちょっとたじろいで梓が仕切り直す。

梓「じゃあ奥田博士」

直「よろしい、なんですか」

梓「どうして憂をそんなに目の敵にするの?」

それだよね、気になっているのは。
よくぞ聞いてくれたと言わんばかりの顔をしてメガネをクイッとする。
みんなはイラッとする。

直「なぜ憂先輩を狙うかって? それは私が『平沢憂先輩の弱点を探そうの会』の奥田博士だからです」

菫「ハァ?」

つい疑問の声が飛び出てしまい慌てて口を押さえたスミーレだけど、奥田さん……奥田博士以外は概ね同じ気分だろう。
憂の弱点を探そうの会ってなんだ、だいたいなんで「探そう」というレッツゴーみたいな言い方なんだ? 
いつだったか、奥田博士が憂の優秀ぶりに執着して妙な嫉妬心を燃やしたことがあったけど、その件はうまく解決したはずだ。
と、そこである一つの可能性が浮かんだ。

純「奥田博士さぁ、その会ってどんな人たちが会員になれるの?」

直「憂先輩に好意的なら誰でも会員の資格を有しますよ」

結構本気で家に帰りたくなった。
それ、ただの憂のファンクラブだ。
秘密結社っぽい看板を掲げているけど、単なる憂のファンクラブだった。
とても無害だ。
実態を知ってしまい、割と後悔している。
どさくさ紛れに私の名前も挿入して「憂純の弱点を探そうの会」にしてもらえないかなぁ。
ライブの時なんかはそういう黄色い声援を受けるモチベーションがないと私は働かないよ。

ようやく立ち直った憂が奥田博士に疑問をぶつける。

憂「でも、奥田さんは私の弱点とかはもう気にしないことにしたんじゃなかった?」

直「仲良くならせてもらいましたが、それはそれ、これはこれ」

二つの箱を別々に置く身振りをして弱点探求は終わっていなかったとアピールする。
憂は再び「ひっ」と身を震わせた。

こういうときの憂は、なんだか子犬がビクビクしているようでおもしろい。
芝居がかった動作で踏み出た奥田博士が天井を仰いで嘆きを上げる。
悲劇の博士になりきっているらしい。

直「ですが、どれほど研究を重ねても憂先輩には弱点らしい弱点が見当たらなかったのです!」

まぁね。

梓とスミーレもそうだろう、としみじみと頷いている。

直「そこで私はもう弱点なんぞクソくらえだ、と悟ったのです」

会員のみなさんに同情したくなる。
弱点を探そうの会はアイデンティティクライシスに陥っていた。
名簿にいかほど名を連ねているか知らないながら会員のみなさんが不憫で仕方ない。
一刻も早く会の名をファンクラブに改めるか、私のファンクラブを新しく立ち上げてそちらに移籍することが望まれる。

梓「悪いけど弱点もなしに攻めたところで奥田さんが憂に勝てるとは思えないよ」

梓が奥田博士を諭す。
沈痛な面持ちで語りかけるあたり、梓もかなりノッている。
意地を張ってはいても、梓も先代の軽音部のお気楽な遺伝子を知らずのうちに引き継いでいるんだろう。
教えると恥ずかしがって叩いてくるから言わないけど。

直「誰が私自身が挑むと言いましたか! 憂先輩を倒すのは……この子です!」

バーカバーカと言いながら奥田博士が後ろの方に置いてあった物体に手をかける。
漫画やら雑誌やら脱ぎ捨てられたジャージやらと最近は雑多になりつつある部室なので今の今まで存在に気が付かなかったなぁ。
六割は私の私物らしいのも気が付かなかったなぁ。
ドラム缶ほどの大きさのそれを奥田博士がぐるりと回して向きを変える。

梓「何これ」

憂「ロボット?」

菫「しかも、これは憂先輩じゃありませんか?」

薬局の前にでも据え付けられていそうなそれは、ネジがあったり、溶接されていたり、ブリキのおもちゃみたいだったりするものの、栗色の髪を小さなポニーテールに纏めた女の子の姿をしていて、つまりは憂だった。

奥田博士がその憂を叩きながら顎を突き出して得意面になる。

直「名付けて憂ロボです!」

別に無理して名付けなくても憂ロボと呼ばれそうな見た目だった。
商店街の入り口に置ける愛嬌があるというか、マスコットらしく寸胴で全体的に太い。
憂がちょっと嫌そうな顔をした。
あぁ、ちょっと嫌なのか。
私も同様に純ロボになった自分を想像してみたせいで苦い気持ちになる。
こんな物を勝手にでっちあげられた上に本人から微妙な顔をされて弱点の会のみなさんかわいそう。
スミーレが恐る恐る奥田博士を見た。

菫「まさかその憂ロボで憂先輩と闘うつもりなの?」

直「そう、そのまさかよ! この憂ロボで憂先輩にひと泡吹かせてやります!」

どうでもいいけど短時間のうちに、憂、憂、と繰り返されてうるさい。

憂ロボ「アズサチャーン!」

梓「え、私!? は、ハイ、何かな」

憂ロボが両手を挙げて咆哮した。
どういうことか梓の名前を呼んで、その梓は声が裏返って動揺する。
しっかりしろ。

直「今のは鳴き声なので意味はないんです」

梓「あ、そうなんだ……」

すごく残念そうだった。
憂ロボは梓にとって好みの部類に入るのかもしれない。
思いのほかしょげる梓を尻目に奥田博士が憂に向き直る。

直「なんでもいいから勝負です、憂先輩!」

憂「う、うん。わかったよ!」

あぁもう、人が良いなぁ。
憂が奥田博士の勝負を二つ返事で受けた。

奥田博士が突き付けてきたのは三本勝負で、それぞれ数学の暗算と、料理の皮むきと、奥田博士の私生活について、という組み合わせだった。
一番目と二番目も事前に練った感じがありありと臭うけど、とりわけ三番目の勝負のインチキ臭がすごい。
勝負事にしていいのかという出発点で既に怪しい。
きっと憂でなくたって誰も知らないし、別段知らなくてもいいと思う。
しかし憂は素直にそれらの胡散臭い勝負を受けてしまう、健気な子だった。
普段から私にいかがわしい通販にはくれぐれも騙されないようにね、と気を配ってくれている子だとは信じられない。
後輩に甘いね。

始められた勝負はひと言で言うなら、せこかった。
奥田博士もっと頑張れ、と言いたい心境にさせられた。
まず暗算だけど、机に問題用紙を広げて数字を睨む憂に対して、「ピ・ポ・パ・ポ」と効果音を出す憂ロボのお腹の蓋がパカッと開いて、中から電卓が出てきた。
この時点で私たちは例外なく「えぇー……」と不満の声を漏らしたけど、更にひどいのは電卓を叩くのが奥田博士自身という人力だったことだ。
そこはロボットらしく憂ロボが全自動でやろうよ。
電卓を打つのに手間取って最後には憂にあわやの所まで追い縋られていたし。
だいたい電卓を持ち出したんだから暗算になっていない。

憂「速すぎるよぉ……」

途中そう泣きごとを口にした憂だけど、むしろ勝ちそうになった憂が速すぎるよぉ。


次に皮むきとなり、梓もスミーレも私も嫌な予感を隠すこともなく揃って面倒くさそうな顔をした。
その期待を裏切らず、憂ロボのお腹から出てきたのは手回し式の皮むき機だった。
ロボットとか関係なく単なる台所の便利グッズだ。
電卓からこう続くと、一歩間違えれば憂ロボじゃなくて雑貨憂といった方がマシなくらいだ。
対して本物の憂は包丁を使い、掴んだリンゴを回して器用に薄皮の蛇を作っていく。
相変わらず果肉を無駄に捨てない綺麗で手際の良い包丁遣いだ。

直「おりゃー!」

奥田博士は憂ロボのお腹の台に載せた皮むき機にリンゴを固定すると、叫びながら勢いよくハンドルを回す。
回転するリンゴの表面に刃が当たって上から下へと皮を削り取っていく。
リンゴ肌が露わになっていく様に恍惚として顔を緩める。
苦手な皮むきに疲れていた主婦の歓喜に見える。
その喜びようたるや通販番組で商品の体験談を語る人に打って付けかもしれない。

それにしてもねぇ。

菫「あのぉ、純先輩。正直憂ロボって必要あるんですか?」

やっぱりスミーレも思うよね。
そう言わずにはいられないスミーレに「さぁねぇ……」と呟くほかない。
憂ロボ自体は何ができるんだろう。
ジュンチャーンとかスミーレチャーンとか呼んでくれるのか。
もしも私だけジューンだったらどうしよう、舐められている。

憂「速すぎるよぉ……」

先にリンゴをむき終えた憂ロボと奥田博士を見て憂が驚く。
その手には三分の二も皮がむかれたリンゴ。

それにしたって憂も速すぎるよぉ。
しかし、なんだ。

純「いちいちせこい」
梓「いちいちせこい」

思わず梓とハモってしまった。

憂「ふぇぇ~……」

甚だ疑問が残る結果だけど二本先取された憂が倒れてしまう。

正確には一回膝を突くと「あ、いけない」とつぶやいて、倒れる場所に毛布を運んで敷き始め、それから改めて倒れた。

あぁ、じかに寝転がると寒いもんね。

別に倒されなくてもいいのにそうするのは、憂なりの奥田博士とのコミュニケーションのはずだからだった。
なんだか後輩思いな子だ。

と、憂がこちらに目配せする。

梓「あ……えーと、憂がやられた!?」

梓が想定外だとでも言いたげに仰天する。
こうやって奥田博士に付き合っている所を見ると、頭は硬いけど案外乗せやすいタイプだということをますます確信する。
私でも操縦できそうだ。
近いうちにやってみよう。

スミーレがどうしましょう、と見つめてきたので適当に乗っておくといいよ、と合図する。
奥田博士が白衣の裾を摘んで、風にはためいているのを演出した。
楽しそう。

直「ククク、さしもの憂先輩も憂ロボには勝てなかったですね」

もはや悪者の口ぶりすぎて指摘すべきなのか、それとも水を差したりしないほうがいいのかわからない。

憂ロボ「アズサチャーン!」

梓「はい」

憂ロボが咆哮する。
梓も微妙に嬉しそうにするんじゃないよ。
いけない、もう何がなんだかさっぱりになってきた。
憂は倒されたけど実際は憂ロボがすごい訳ではなくて、奥田博士がせこくて、憂ロボは必要だとかいらないとか、ファンクラブはどうするんだとか……。

唯「こんにちは~」

あぁもう憂のおねーちゃんが扉を開けて入ってきたし面倒くさい。

おい、待て。
誰が来たって? 
スミーレが興奮の声を張る。

菫「すごいタイミングですごい人が来ましたね!」

おかしいな、ごく当たり前のように唯先輩が部室に存在している。
掃除当番で遅れちゃったよぉ、と頭を掻きながら腰を低くしてそそくさと歩いているみたいに、その場に混ざってきて違和感がない。
この人がいるのはおかしいのかおかしくないのか自問してしまうほど紛らわしくて困る。
こんにちは~、と現れたのは憂のおねーちゃんである唯先輩だった。
その瞬間、やられていた筈の憂がパッチリと目を開き、起きあがろうとしたけれど、唯先輩と目を合わせると、すぐにまたその場に倒れ込んだ。

……今何か、一瞬のうちに膨大な量のやりとりが交わされたような気がするよ、この姉妹の間で。


驚いた梓が唯先輩に駆け寄る。

梓「ゆ、唯先輩どうしてここに」

唯「いやー、なんか憂のピンチみたいな? そーゆーの私わかるんだよね」

腕を組んでうんうん、と深く頷いて、とても自慢げに眉が持ち上がっている。
というか部室に入ってきたのが自然すぎて逆に落ち着けない。
唯先輩は大学生で、卒業している、それで合っているんだよね。
じっとしてでもいなければ私も、遅かったじゃーん、と肩を組みにいきそうで頭が混乱してくる。
あー、どうなっているんだ。
そうだ、憂はどうだろう。
唯先輩と目と目で会話したあと、再び倒れ込んだ憂だけど、今はお日様の光を浴びてウトウトとお昼寝しかけていた。すっかり安心しきった表情。
なんだかかわいい。

菫「すごい、私憧れちゃいます!」

唯「でへへ、そうかなぁ?」

写真でしか知らなかった唯先輩にスミーレは好意的な眼差しを向ける。

スミーレはムギ先輩と姉妹のように育ったというし、唯先輩と憂との間に流れる何かが興味深いのかもしれない。
ただ、スミーレに褒められた唯先輩は照れくさそうに頭を抱えて身をくねらせているので、残念ながら威厳に満ちているというようなことは全くない。
どちらかといえばもっと褒めてーとか言い出しそうだ。
けれど唯先輩の珍妙なそれを、梓の悲鳴のような大声が遮った。

梓「唯先輩危ない!」

唯「はい?」

唯先輩の登場によって割とどうでもよくなっていた奥田博士の存在なんだけど、すぐさま憂から唯先輩へ標的を変えて襲いかかる。

直「しゃらくさい、やってしまえ憂ロボ!」

憂ロボ「ナンデヤネーン!」

どう聞いても博士くずれのワルモノの台詞だった。
ついでに憂ロボが人名以外の鳴き声も出せると判明した。
非常に偏ったボキャブラリーしか収録されていそうにないのが気にかかる。

唯「こちらどなた!?」

梓「新入部員で一年生の奥田直ですよ、唯先輩は会うの初めてですよね」

梓は見ず知らずの人物に襲われんとしている唯先輩に回答するが特には助けない。

少し同情した。


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最終更新:2012年04月23日 22:22