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午前9時20分。
日曜日。
天気予報は晴れ。
約束の時間に20分も遅れた。
あずにゃん怒ってるだろうなあ。
空を見上げると、思わず目をつむってしまいそうになるほどたくさんの星が瞬いている。
あれなに座だっけ。
集合場所のファストフード店の一番の奥の席であずにゃんは退屈そうにしていた。

唯「ごめんっ。おくれちゃった」

梓「いつものことじゃないですか。唯先輩は絶対遅れるんですよ」

唯「そう言われると……あれだけど」

あずにゃんはコーヒーを飲んだ。

唯「甘い?」

梓「コーヒーにあまいとか聞くなんて違法ですよ」

唯「じゃあブラック?」

梓「そりゃもう吐くほどあまいですけど」

唯「ひゃあ。さすがっ」

梓「まあ」

あずにゃんからコーヒーを受け取って飲む。
たしかに甘い。
どろどろ。
わたしもあずにゃんも甘いコーヒーが好きだった。
ブラックを砂糖水で割ったみたいなやつが。
だからなんだって話だけど、生活感が必要なんだ。
ここなら特に。

星が綺麗ですね。
外に出てすぐあずにゃんが言った。

唯「わざと言ってるでしょー」

梓「はい。でも実際毎日見てるとあきちゃますよね」

唯「あずにゃんには空模様の機微はわからないんだ」

梓「唯先輩に機微とか言われたくないですって」

唯「うへえ」


人口夜。
星のカーテンの下にわたしはいたんだ。文字どおり。
大きなとびっきり大きな、街くらいあるプラネタリウム。
だからいつだって夜なんだ。
ほんとは人口昼でもよかったんだけど技術が足りなかったとかなんとか。
まあ、どこかの誰かが夜のほうが好きだから夜になったとかいうふざけた話もあるけれど。
そもそも、どうしてこんなおおげさなものが作られたかって話なんだけど、やっぱりどうも戦争が絡んでいるようだ。
今でもこの街というかこの箱というかの外では戦争が行われていて、それもどうやら記憶が戦争をしているらしい。
記憶が戦争っていうのはよくわかんないけど、誰かの記憶がこの場所に思い出されないまま残ってしまって、その記憶の中の人々がまだ自分たちは本物だって勘違いして戦争を続けてるんだって、一昨日あずにゃんから聞いた。
それは記録映像みたいなもんだから実害はないんだけど、でもやっぱり戦争は戦争だし何しろたくさんの記憶だから一気に観たらたいへんなことになっちゃうかもしれないから、わたしたちはこのプラネタリウムにこもってるんだ。
トラウマの地雷に嫌な思い出の銃弾。
笑っちゃうよ。

あくびが出た。
ひぃあああ。

梓「眠いんですか」

唯「ちょこーっとね」

その後、あずにゃんと商店街を回って遊んだ。
服屋をひやかしたり、ゲームセンターのスロットマシーンを回したり、空き地の猫を観察したりした。
生活感。
ねえ、もっとたくさんのことを知っていればよかったのにね。
わたしは言った。
駄菓子屋の前で綿菓子を食べている時だった。

唯「18年も生きてきて遊ぶことさえろくにできないんだよ」

梓「わたしは楽しいですけど」

唯「そう言ってくれるのは嬉しいけど……なんかわたしってこどものままだね。ほら、もっとすごいことしてもいいのにさ」

梓「じゃあ、それをすればいいじゃないですか」

唯「だってさ、思いつかないんだよ。なにも。いつもなんとなくすごしてきたからかなあ」

梓「他にどんなすごし方があったって言うんですか?」

唯「それは……なんというかつまり自分が変われるような何かだよ」

梓「……例えば?」

唯「ほらっ映画とか本とかだとさ。奇跡がおきてめでたしめでたしってなるじゃん。その奇跡だよ」

梓「ここならなんだってできるじゃないですか」

唯「それは思いつけばね」

ふうんとあずにゃんは呟いた。
そのことに興味ないみたいだった。

唯「あずにゃんは何がしたい?」

梓「唯先輩がしたいことならなんでもいいですよ」

ほら、これだ。
ここではあずにゃんはいつもわたしのために何かをしてくれる。
でも、それは結局のところ、この場所が不完全だってことの証にしかならない。
あーあ。

梓「あ、でも映画見たいです」

あずにゃんは言った。
わたしがそうしてほしいと望んだからだというのは穿ちすぎるかな。

わたしたちはこの街に1つしかない映画館向けての偉大な1歩目を踏み出した。



【2】

あずにゃんは弱かった。
あつれき。
と、あずにゃんはわたしに説明してくれた。
つまり、人と人が関わることで生まれる摩擦――例えば、誰かに否定されるとか、それとも別れ道でお互い違うほうを指さしてしまったときの一瞬の沈黙、それに耐えられないという。
自分の存在を何かにぶら下げていて、それが切れてしまうなんていう錯覚。自分を信じれない。
だけど、そんなことは誰でも感じることだ。
ごみ箱を見て泣かない人がいるだろうか。

ただ、あずにゃんはその傾向が強かっただけ、ということになる。
それについてわたしはこう宣告したい。
あなたは病気にかかっています。風邪を引いただけで死に至らせるあの病気みたいに絶望的ですが、諦めてはいけません。現代医学を信じて下さいと。
結局、わたしがあずにゃんに信じさせたのは宗教だったんだけど。
あーあ。

わたしはこの病気を天国病と呼ぶことにした。
理由はいくつかある。わたしが日頃あずにゃんを天使だと(半ば本気、半ばからかいで)褒めたたえているのと、ちょうどそのとき天国は寂しいところだという話をしていたのと、そこが公園だったということで。

唯「あの人、疲れた顔してるね」

わたしたちは錆びた黄色いベンチに並んで座っていて、アイスを食べていた。その反対側のベンチに白い服を着た男の人がひとりで座っていた。

唯「さっきまでそこでなんか配ってたよね?」

梓「たぶん宗教の布教かなんかでしょうね」

唯「あんな調子だと天国はさびしいところだよきっと」

誰もいない公園、とわたしは思った。

唯「それにしても誰も受け取ってくれないなんてかわいそうだね」

梓「む……どうでしょうか」

唯「なんで?」

梓「いえ、そういうのはよくないものが多いと聞きますし」

唯「あ、憂も言ってたおねえちゃんは人がいいから心配だって」

梓「わたしも心配ですよ」

唯「わたしはだいじょうぶだよっ」

梓「ほんとですか? ただでさえ世の中にはたくさんの悪意があるんですから」

唯「えへへ、だってふたつは信じられないよ」

梓「へえ。唯先輩は仏教でも信じてるんですか?」

唯「あずにゃん教だよっ」

梓「は?」

唯「わたしはあずにゃん教の信者だからね。会員第一号だよ」

梓「なんですかそれは」

唯「今考えたんだー。これなら悪徳宗教にも騙されないよー」

梓「先輩の宗教が一番怪しいですよ」

唯「ほらほらーあずがみ様が何を言うー」

梓「やめてくださいって。ていうかどんな宗教なんですか?」

唯「それは、そうだなあ……夜になるたび、ある言葉を大切な人にこっそりおくるんだよっ」

梓「どんな言葉ですか?」

唯「ひーみつ」

梓「なんでですか」

唯「じゃあ入信しましょう」

梓「嫌ですっ。ていうかわたし関係ないじゃないですか」

唯「あったほうがよかった?」

梓「そういうことじゃないですけど……」

唯「あずにゃんのため宗教って、意味のあずにゃんだよ」

梓「そんなものなくてもわたしは大丈夫ですよ」

あずにゃんは笑ってみせた。
あずにゃんは笑うのが下手だ。生まれる前、笑顔の練習をサボってきたのだろう。
それかあんまり笑うことが少なかったのかも。
継続は大事だよ。
それに比べればわたしはよく笑う。
明るくいるのは何よりも簡単に思える。
きっとまだ胎児だったころのわたしは真面目だったのだろう。
どうしてこうなったか?
あーあ。

唯「でもさ、さっきまであずにゃん泣いてたじゃん」

梓「泣いてないですし」

唯「泣き虫」

梓「ちがうもん」

唯「ばーか」

梓「ばーか」

唯「じゃあなんでこんなとこにひとりでいたのさ?」

梓「あつれきが」

唯「あつれき?」

梓「ときどき自分が存在しないように思えるんです。いつもはへいきですけど、ときどき病気みたいに」

唯「それは天国病だ」

梓「なんですか?」

唯「日本ではじめてそれにかかったのは仔犬なんだ。夜になるたび、うわんうわんうわんうわんってさすごい鳴くんだよ」

あまりに吠えるから飼い主さんは獣医さんにその仔犬を連れて行った。
ところが病気は見つからない。現代医学の許容範囲を越えていたんだろう。
そこで獣医さんは考えた。この犬は死ぬのが怖いんじゃないかと。
獣医さんも小さい頃は死ぬのが怖くて毎日泣いてたのを思い出したのだ。
しかし、そんな診断をくだすわけにもいかない。
そこで獣医さんは言った。
 「天国病だ。ここ最近見つかった精神病でね」
男は聞いた。
 「その病気はどういう病気なんでしょうか?」
獣医さんは答えた。
 「君は天国はどんなものだと思う?」
 「テーマパークみたいなものでしょうか」
 「わたしは小さい頃から巨大なわたあめだと思っていたよ」

梓「はあ。それでどうなったんですか?」

唯「飼い主さんはね、正体不明の病気をかわいそうに思って毎日そばにいてあげたんだ。そしたらいつの間にか犬は鳴くのをやめた。で、ふたりは幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし」

梓「それって、仔犬が寂しかっただけじゃないんですか」

唯「それは、犬のみぞ知るってやつだよ」

梓「つまんないです」

唯「ちえー」

ちなみにこの話はあずにゃん教の経典が完成した暁には、そこに載ることになるだろう。
この他にもでっちあげの神話が30個ほど収録される予定。
例えば、ポップコーンを食べる怪物の話だとか、雲からできた人間の話だとか。その他いろいろ。
そのすべてはわたしがあずにゃんに話聴かせてあげたものだ。
結果、その本は経典や聖書などというものではなく、でっちあげを集めたくだらないジョーク集になってしまうことだろう。
残念ながら。

唯「あ」

さっきの男の人がじっとこっちを見ているのに気づいた。もしかしたら、わたしの冗談に気を悪くしたのかもしれない。
あずにゃんが体を固くしたのがわかった。わたしも少し怖くなる。わたしは――たいていの明るく見える人がそうであるように――臆病だ。
それにあの病気は感染するみたい。

しかし男の人は、はにかんでから、何か言っただけだった。それから公園を出ていった。
小さい声だったなんて言ったのか絶対の自信はないけれど、あの人が言ったのはたぶんあの言葉だろう。

唯「おおっ……しょっぱなから奇跡だ」

梓「え……うわっ抱きつかなでくださいって」

あず神様にお祈りを。
あーめん。



目が覚めたら、映画館にいた。
真っ暗だった。
前の方で爆発音。銃声。
寝ぼけた目をごしごしと左手でこすった。
すぐ左に椅子一個分の距離を空けてあずにゃんが座っていた。

唯「ねえ、寝ちゃってた?」

梓「はい」

唯「映画おもしろい?」

梓「あんまりです」

わたしはスクリーンの方に目をやった。
話の筋はまったくわからなかったが、戦争映画を見てたんだったと思いだした。
スクリーンの光が眩しくて目が痛かった。

唯「ねごととか言ってた?」

梓「言ってないのと今考えるのどっちがいいですか?」

唯「考えてほしい」

梓「えと、コーヒークリープを一気飲みしたいって」

唯「クリープは粉だよ。あずにゃん」

梓「あ」

わたしたちは笑った。
二人だけの映画館に笑い声はよく響いた。
ずっと向こうで兵士が英語で何か言った。
字幕上映だった。

唯「なんでこんなに人気が無いんだろうね?」

梓「何回も同じ映画をやってますから。もうずうっと」

唯「じゃあなんであずにゃんは見たいとか言ったのさ」

梓「好きなものは何回見ても良いですから」

唯「あんまりおもしろくないんじゃないの?」

梓「そりゃあもう何回も見てますから」

唯「でもはじめて見たわたしが寝ちゃうんだからやっぱつまんないんだよ」

梓「む……」

そんなことはないですって言いたげな顔であずにゃんはまたスクリーンに目を戻した。
その横顔はどうみても退屈そうだった。

唯「あ、そういやわたしのポップコーンは?」

梓「知らないですよ」

唯「なくなってるんだよ。ぜんぶ」

梓「それはたぶんポップルのせいですよ」

唯「ポップル?」

梓「そうです。映画館に住み着いて、寝てる客のポップコーンを食べちゃうんです」

怖いですね。
全く怖くなさそうにあずにゃんは言った。

わたしはポップルについて考えてみた。
それはたぶん、あずにゃんの左手くらいの大きさで、鳥のような形をしてて、映画館の天井にこうもりみたいに逆さまにくっついて、猫風の黄色い目を細めながらまぬけな客がいないかを監視しているんだ。
そんなふうに考えてたら愉快な気分になって、ポップコーンのことをつい許しそうになった。

唯「ポップルを見かけたらどうすればいいの?」

梓「かわいがってあげてください」

唯「喉渇かない?」

梓「すごく」

唯「あずにゃんなんてポップルに食べられちゃえばいいんだ」

梓「それは怖いですね。すごく」

そういうあずにゃんはやっぱり全然怖くなさそうなのだった。


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最終更新:2012年05月18日 20:56